深夜のドライブ
「それ」に気付いたのは一ヶ月ほど前の事。
それまでの僕は職場と家の往復だけで特に趣味もない日々を過ごしていた。
休日も家でごろごろして過ごすだけの生活で、これといった楽しみもなかったのだ。
そんな繰り返すだけの時間を怠惰に生きていた僕にある日、唯一の楽しみが出来た。
それは深夜のドライブ。
きっかけは小さな事だった。
休日前だったその日、外国の車窓を紹介する番組をぼんやりと見ていた僕は家と会社、それを繋ぐ道。幾度となく繰り返される変わらない景色とは違う景色を見たくなったのだ。
一度覚えた欲求に僕は居ても立ってもいられなくなり車のエンジンをかけた。
夜中に車を走らせて気ままに走るというその行為は無気力だった僕の心を躍らせた。
それからどんどん深夜のドライブにのめり込んでいった。始めの頃は街を流していただけだったのが少しづつ範囲が広がって行ったのだ。
僕は高速を走ってみたり海沿いを走り続けたりと時間を忘れる程に夢中になっていた。この時間は誰にも邪魔されない自分だけの世界なのだと。
その日もいつものように車で夜の町を流していた。
深夜二時になろうとした頃だろうか。
いつもとは違う道を通りたいと思った僕は普段なら通らないような細い道に入ったのだ。
そこはギリギリすれ違える広さしかない上にライトが無ければ暗闇。
早く抜けないかな。
少し心細さを感じ始めた僕に応えるように急に視界が広がった。
そこは車が三台程度しか停められないトイレも売店もない本当に小さな休憩所。僕は吸い込まれるように駐車し、シートを倒して一息ついた。
エンジンを切った車内に響くのは木々の静かなざわめき。
うっすらと月明かりが差し込む中、目を閉じて自然の音に耳を傾けているとなんだか眠くなってきた。今日はここで眠ろうか……そう思った時だ。
キィ――ッ! 突然、何かが擦れる音が聞こえた気がしたのだ。慌てて起き上がり周囲を見回したが何もいない。気のせいかと思い再び横になろうとしたその時だ。
ザッ⋯⋯ザザ⋯⋯ザザッ。今度ははっきりと聞こえた。
音の出どころは車内。それも後部座席からだと身を乗り出しそれらしき物を僕は探った。
チューゥゥピチュゥゥ。この音には聞き覚えがある。そうこれはラジオのチューニング音。
僕は後部座席に積んでいる防災袋を探し当て、中からラジオを取り出した。
何らかの原因でラジオのスイッチが入ってしまったのだろう。勿体ないと電源を落とそうとした僕にラジオから誰かが話している声が届いた。
『ザザッ──は──ザッ──まし──』
ザリザリとした音の合間に確かに誰かの声。
真夜中にやっている番組のものだろうか。電波を拾おうと微調整しながらその声の主の番組に合わせる。
『──ですよね。生きているのに見てもらえない。彼らに忘れ去られたものの気持ちなんて分からない。忘れる罪の意識なんてないんです。それは大人になっても変わらない』
突然クリアになった声はなんとなく幼い。
『そんな時はおまじないです! 先週お話ししたものは用意しましたか? そろそろ二時です。さあ、一緒に月に向かって掲げましょう!』
不思議な番組だ。先週と言うのだから定期的に放送しているのだろう。それにしても拙い話し方といい、声といいプロのパーソナリティでは無さそうだった。
ここで一曲と言って流された曲は夢や希望、勇気と友情を歌ったどこかの学校の合唱を録音したもののようだった。
夢に向かって。
希望に溢れ。
勇気を持って。
声の主はケタケタと笑いながら歌詞の一つ一つに「馬鹿馬鹿しい」「そんなものない」と相槌のようにツッコミを入れていた。
『さて、そろそろ終わりの時間です。来週はガムテープを用意しておいてくださいね! それではお休みなさい!』
変な番組だった。拙い進行、幼いパーソナリティ。曲の合間に話したり、ガムテープを用意しろと言ったり。
どことなく不気味なのに⋯⋯ラジオから聞こえた声は僕の耳から離れなくなっていた。