表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悪童王子と捨て猫

【書籍化】ワケあって、変装して学園に潜入しています

作者: 林檎

 



「あなたなんか、レイモンド様には相応しくないのよ!」



 学園の校舎の裏庭にて。

 数名の令嬢に取り囲まれて、そんな風に攻め立てられたセシアは腕を組んで彼女達を睥睨した。

「あら。具体的にどの辺が?家柄かしら?容姿かしら?それとも成績かしら」


 複数で取り囲めば大人しくなる、と考えていた深窓の令嬢達は、ちっとも怯んだ様子のないセシアの太々しさに閉口する。


 ちなみに現在セシアが変装している対象の名前は、セリーヌ・ディアーヌ子爵令嬢。

 蕩けるような蜂蜜色の髪に、海のように美しい青の瞳が特徴だ。本来のセシアは黒髪に紫の瞳だが、これは魔法で変えてある。


 貴族の令嬢だからといって学園に通うことは必須ではないのだが、卒業実績があると箔がつく為、王都では多くの令息令嬢が学園に入学するのが通例だ。

 本物のセリーヌ嬢が学園に通うのを嫌がった為、ディアーヌ子爵に依頼されたセシアが学園に通っているのだった。


 そりゃ嫌だろうな、というのがセシアの感想だ。


 セリーヌの婚約者、侯爵令息レイモンド・チェイサーは学園中の令嬢の憧れだ。

 文武両道・容姿端麗、などの称賛の似合う貴公子で、おまけに生徒会の会長。

 この国では正式に社交界に出る前ならば、婚約者が変更することもよくある為、セリーヌをその場から引きずり降ろそうとする輩の多いこと多いこと。


 背格好と容姿が似ているセシアを影武者に仕立てたディアーヌ子爵の行動は、褒められたものではないが、的確と言えた。


 日常的な嫌がらせと、飽きもせずに呼び出される日々。

 教科書やノートがビリビリに破かれる、だなんて日常茶飯事すぎて、セシアは修復魔法にかけては教師よりも上手に出来る自信がついた程だ。


 セシアの太々しさに負けずに、一人の令嬢が口火を切る。

「あ、あなた生意気なのよ!」

「同い年の方に言われたくありませんわ、ロザリー・ヒルトン伯爵令嬢」

 同じクラスではないけれど、一学年にさほど人数がいるわけでもない。学内の生徒の顔と名前、親の爵位は一通り頭に入れている。

「わたくしは伯爵令嬢ですのよ!?あなたなんて、子爵家の娘のくせに」

 ロザリーの口上に、セシアはにっこりと微笑む。


 どうしてお嬢様というのは、どいつもこいつも同じことばかり言うのだろう?

 お嬢様のイジメの手引きでもあるのだろうか?一度お目にかかってみたいものだし、対抗して“お嬢様のイジメに反抗する手引き”、をセシアが出版してやってもいい。実体験に基づくルポルタージュだ。

 学園に入って二年。卒業間近のこの時期、セシアはイジメられっこのプロと言えた。


「ヒルトン伯爵令嬢様ともあろう方がご存じないわけありませんわよね?学園の理念は、身分の違いなく平等。この学園の生徒であり、敷地内にいる以上私達はたとえ相手があのマーカス王子殿下であっても、平等なのです」


 建前上は。

 セシアは、国民に大人気の第二王子の名を出して応戦する。しかし実際は、貴族の子女が通う、社交界の縮図といえるこの場所だ。爵位が上の者と事を構えるのは賢くない。

 だが、戦い方はセシアに一任されているし、どうせ学園を卒業すればセリーヌはすぐにレイモンドと結婚することになっている。そうなれば、彼女は次期侯爵夫人。

 今度はセリーヌが彼女達よりも立場が上になるのだ。ここで媚びへつらう必要はない。


 つまりセシアには、徹底抗戦あるのみ。

 自分達の方こそ、学園という揺り籠から出た時に、侯爵令息と婚約しているセリーヌをイジメた事実が不利に働くとは考えないのだろうか?


「まぁ!王子殿下を引き合いに出すなんて恐れ多い……それが淑女の言うこと!?」

「そちらこそ、ご自分達が多数で一人を取り囲む、だなんてことをなさるなんて、淑女のすることなのかしら」


 彼女達もただの馬鹿ではない。

 卒業が近づいている現在、セリーヌを必ずレイモンドの婚約者の座から引きずり降ろそうと、嫌がらせは手を変え品を変え、激化していっていた。


「皆さま、私の方からレイモンド様に婚約破棄をお願いすることなんて出来ないのはお分かりでしょう?彼は侯爵家の跡取り、私は子爵家の娘。家格的に、こちらから願い出ることなんて出来ませんわ」


 どうせ頑張るならば、レイモンドを誘惑する方に労力を割いて欲しい、というセシアの切なる願いである。

 何せ、嫌がらせの程度の低さに辟易しているのだ。


 イジメの手引きには子供のような方法しか書いていないのか、前述の教科書を破る、持ち物を隠す、必要な伝言を伝えない、など、やることなすことイチイチ小さいので、犯人をとっ捕まえて報復することすら面倒なレベルなのだ。


「レイモンド様はお優しい方ですもの。あなたの方からお願いすれば、角が立たないように婚約を解消してくださいますわ!」

 ロザリーに言われて、セシアは不愉快げに眉を寄せる。


 おかしいな、言葉が通じない。


「皆さま、お耳の具合はよろしくて?それとも言語能力の問題かしら、私、公用語の発音は完璧だと教師の太鼓判をいただいてますのに」

 セシアは引きつった笑みを浮かべて、彼女達を皮肉る。


「失礼な……!」

 色めき立った令嬢の一人が、何故か手にしていた花瓶の水をセシアにぶちまけた。

 ばしゃん!と水がかかり、セシアは目を見開く。


 乾燥魔法はまだ苦手なのに!


「……よくもやってくれたわね」

 ギロリと花瓶を持つ令嬢を睨むと、ヒッ!と彼女は短い悲鳴を上げた。


 徹底抗戦あるのみ。

 セシアにリミッターは存在しない。びしょ濡れの彼女は、誰がどう見ても被害者だろう。

 多少報復がやり過ぎたとしても、バレないようにすればいいのだ。

 そう、見えるところに外傷がなければ、いいのだ。


 セシアは、こちらに雁首揃えている深窓の令嬢達とは生まれが違う。

 言葉や、水程度で人は壊せないことを知っている。人を壊すのは、心を壊す方が早いのだ。

 にっこりと微笑んだセシアが、形のいい唇を開こうとした瞬間。



「皆さま!先生がこちらに向かってますわ!」



 少しハスキーな声がその場に響き、令嬢達は慌てて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 あの逃げ足は、なかなか潔い。勿論、覚えてらっしゃい!という定型の捨て台詞付き。

 やはり、何か参考文献でもあるのだろうか?

 誰もいなくなったその場で、セシアが呆れて濡れた髪をかき上げると、角からひょっこりと顔を出した人物がいた。


「セリーヌ、大丈夫?」

「……マリア、あなたわざとあのタイミングで嘘を言ったでしょう?」

 マリアと呼ばれた、燃えるような赤毛に翡翠色の瞳の生徒は、にこにこと微笑んでセシアに歩み寄ってくる。


「だって、あなたったらあの子達のことコテンパンにしそうだったから」

「私が水を被る前に言って頂戴よ」

 マリア・ホーク伯爵令嬢は、セシアの数少ない友人の一人だ。

 類は友を呼ぶのか、病弱なのであまり学園には来ないが試験の成績は学年で一番で、そのおかげで度重なる欠席を見逃されている、優秀な不良である。


「最近激化してるみたいねぇ、あの子達。水をかけるなんて生まれて初めてなんじゃないかしら」

 そう言って、マリアはセシアの髪に僅かに触れる。

 するとまるで吸いとるようにセシアから水分が抜けていく。乾燥魔法だ。

「ちょっと、肌まで乾燥しちゃったんだけど?」

「あら、お礼を言うのが先じゃないの?恩知らずな子ね」

「物陰から私がイジメられてるのをニヤニヤ見ていた人に言う、お礼の言葉は持ち合わせていないわね」

 ふん!とセシアがそっぽを向くと、マリアはころころと笑った。

「なかなか面白い演目だったわ。でもこの催しが見られるのも、あと少しだと思うと寂しくなるわね……」

「割とひどいこと言ってる自覚ある?」

 いい性格の友人をセシアは睨みつける。マリアはどこ吹く風に優雅に微笑んでみせた。

「学園を卒業しても、私達仲良しでいられるわよね?」

 きゅっ、と突然手を握られて、セシアは面食らう。



 普段スキンシップをとってこないマリアの、突然の行動に驚いたのだ。

 病弱なだけあって、マリアはセシアよりも背が高いが体に丸みがない。手もひんやりとしていて、セシアは思わず両手でマリアの手を握った。

 寒い季節に、外に長時間いてマリアが体調を崩しては大変だ。

「……そう出来たら、いいわね」

「セリーヌ……」

 マリアの翡翠色の瞳が、寂しそうに細められる。


 

 セシアは、セリーヌじゃない。

 セリーヌとして学園を卒業したら、セシアは本来のセシアに戻る。



 その時に、マリアとは縁を切る必要があるのだ。

 マリアだけじゃない、この学園で得た全てはセリーヌのものになり、セシアには多額の報酬が代わりに渡される。


 たかが二年。

 お嬢様のフリをするだけで、口止め料を兼ねて贅沢をしなければ十分暮らしていけるだけの額が手に入る。

 二年前には、大したことではないと思っていた。







 ディアーヌ子爵家の屋敷に帰ると、セシアはまず制服からメイド服に着替える。

 髪や瞳に施した色を変える魔法を解くと、セリーヌお嬢様の部屋に向かった。

「お嬢様、セシアです」

「入って」


 部屋に入ると、中にはセリーヌの他にレイモンドもいた。

 二人は親密にしていたらしく、サッとセリーヌが彼の膝から降り、レイモンドはルージュのついた唇を拭う。

 爛れてるなぁ、とセシアは思うがあと数週間後には結婚する二人だ。特に問題はない。


「やぁセシア」

「レイモンド様」

 声をかけられて、セシアは使用人としての礼を執る。

 品行方正、とも称される“レイモンド様”だが、セシアから見れば、性欲も込みで年相応の普通の男だ。雇われているお嬢様と仲がいいのは、メイドの一人として喜ばしいことだろう。


「今日もご苦労様、セシア。変わったことはなかった?」

「いえ、特には。いつものように呼び出されはしましたが」

 呼び出しは日常茶飯事だ、変わったことには分類されない。

「本当に飽きないのね、あいつら。またイジメてきた令嬢のことをリストアップしておいて。わたくしが侯爵夫人になった暁には、倍にして返してやるんだから」

 セシアが答えると、彼女とよく似た面差しのセリーヌは美しい顔を歪めた。

 イジメの被害は全てセシアに受けさせるのに、被害にも遭っていないセリーヌが倍にして返す、というのは相変わらずいい性格をしている。


「君は怖いな、セリーヌ」

「あら、少しぐらい毒のある女の方がレイモンド様はお好みでしょう?」

 くすくすと笑ったレイモンドは、またセリーヌを引き寄せてキスをする。

 ちゅっちゅっと卑猥な音が部屋に響き、セシアが内心うんざりとしていると、セリーヌがキスの合間にふと顔を上げた。

「あら、まだいたの。もう下がっていいわよ、皿洗いがいないと厨房も迷惑でしょう」

「……失礼いたします」

 セシアは頷いて、部屋を後にした。




 厨房に行くと、料理人達に怒鳴りつけられて水場に向かう。

「何やってたんだセシア!遅いぞ!!」

「すみません」

 山と積まれた皿は、他の誰かが洗おうという気にはならないのだろうか?うんざりとしたが、うんざりとしていても皿は一枚も綺麗にならない。

 洗浄魔法では繊細な皿は割れてしまう可能性もある為、セシアはこびりついた汚れを一枚一枚丁寧に洗い始めた。寒い時期に、水仕事は苦痛だ。


 ところで。セシアがセリーヌに顔立ちが似ているのは、当然なのだ。


 セシアの本名は、セシア・ディアーヌ・カトリン。ディアーヌ子爵の実の姪であり、セリーヌの従妹だ。

 母親はディアーヌ子爵の妹である、リリア。彼女が従僕と駆け落ちをして、生まれたのがセシアだった。

 だが、不幸なことに両親は流行り病で亡くなり、母が言い残した伝手を辿ってセシアが子爵家に向かうと、リリアの兄であるディアーヌ子爵はセシアを親族として引き取ることを拒否した。

 それも仕方がないことだと思う。何年も前に駆け落ちして逃げた妹の娘など、邪魔なだけだ。


 しかし、捨て置くには忍びなかったのか一番位の低いメイドとして屋敷に置いてもらえることになった。

 位が低いので、給金はほとんどない。食事も残り物の残り物だし、着るものはメイドの制服以外には擦り切れた襤褸しか持っていない。

 けれど、両親もおらず住むところもないセシアにとって、風雨をしのぐことの出来る寝床があるだけでもありがたかった。


 そしてやがて、セリーヌとレイモンドの婚約が成立し、セリーヌが絶対に嫌がらせを受けるので学園に通うのは嫌だと訴える。

 それを聞いて、父親のディアーヌ子爵は、久しぶりに娘とよく似た面差しの姪のことを思いだしたのだ。


 じゃぶじゃぶと洗剤を使って皿を洗いながら、セシアは、先程触れたマリアの手を思い出していた。

 セシアの手はこの通り水仕事で荒れている為、あまり人と触れ合わないように気をつけている。見た目は誤魔化しているが、触れてしまえば貴族の令嬢の手ではないことがすぐにばれてしまうだろう。


 けれど、マリアは何も言わなかった。

 頭のいいマリアが、セシアの手のおかしさに気付かない筈がないのに。



「……もし、卒業しても……」

 友達でいられたら。



 叶わぬ望みを抱いて、セシアはわずかに溜息をついた。

 報酬をもらったら、メイドは辞めることになっている。セリーヌによく似たセシアが、いつまでも子爵家でうろうろしていては、変装して学園に通っていたことがバレる可能性があるからだ。


 王都を出て、どこか遠くの、誰もセシアもセリーヌも知らない地方の村にでも行って住むところを探そうと思っていた。






 卒業を数日後に控えたある日。

 さすがに令嬢達も自分達の卒業の記念パーティの支度で忙しいのか、イジメてくる頻度が減っていた。

 セシアは卒業のパーティには行かない。卒業証書を受け取るのは本物のセリーヌだ。その為、少し手持ち無沙汰で、試験も終わり人気の少ない図書館でのんびりと本を読んでいた。


 この二年で、セリーヌに扮する為に得た知識や、学園に通う中で勉強した内容は全てセシアの糧になっている。成績だって、マリアとレイモンドに次ぐ3位を必死になってキープしていたし、得た知識は失われない。


 学園で得たもので、セリーヌに奪われないのは知識だけだ。


「セシア」

 そこで突然本名を呼ばれて、セシアは震えあがった。慌てて顔を上げると、そこにはレイモンドが立っていて、安堵と不満がない交ぜになる。

「レイモンド様」

 席を立つと、淑女の礼をしてからセシアは声を潜めた。

「お心苦しいかとは存じますが、この場ではどうかセリーヌとお呼びください」

 彼女がそう言うと、レイモンドはあっさりと笑う。

「そうだったね、ごめんごめん」

「いえ……」


 セシアが視線を下げると、突然レイモンドが彼女の体を書架に押し付けた。

 ぐ、と肩を押されて、痛みにセシアは顔を顰める。

「レイモンド様……?一体何を」

 そこで痛いぐらいに胸を鷲掴みにされて、セシアの顔から血の気が引く。

「レイモンド様!私はセリーヌお嬢様ではありません!」

 小声で叫ぶと、レイモンドはニヤリと笑った。舌なめずりをして、彼は手の平を下げ、今度はセシアの太ももにスカート越しに触れる。


「セリーヌじゃない?じゃあここにいるお前は、誰だ?」

「は……」

「誰かに聞かれても、俺は婚約者と仲良くしていただけだと言う。お前は、何て、言うんだ?」

 言われた言葉に、セシアは青褪めた。


 セシアはここに、セリーヌとしている。

 騒いだところで、婚約者同士のちょっとした痴話喧嘩だと言われてしまえば、“セシア”に逃げ道なんてない。

 セリーヌとして学園に通うことが、報酬の条件なのだから。


 スカートをたくし上げられて、セシアは震える。

 素肌に、男の指が触れた瞬間、彼女は思わずレイモンドの体を突き飛ばしていた。

「っ!?」

「やめてください……!」

 不意を突かれたレイモンドは、思わず尻もちをつく。

 彼はセシアを見上げ、羞恥と怒りに顔を赤くして怒鳴った。

「お前……!何をしたか分かってるのか!?」

 素早く立ち上がったレイモンドは、セシアの髪を掴む。彼女は震えたが、これ以上どう抵抗すればいいのか、分からない。

 目元を潤ませて、しかし負けるわけにはいかずに彼を睨みつける。



「セリーヌ?どこにいるの?」



 レイモンドとセシアの耳に声が届く。マリアの声だ。

 チッ、と舌打ちしたレイモンドは、彼女から手を放してマリアがこちらに辿り着く前に去って行く。

 へなへなと座り込んだセシアは、震える自分の体を抱きしめた。そこに、マリアが駆け付ける。

「セリーヌ!大丈夫?」

 去って行くレイモンドの背を睨んで、マリアはセシアの元に跪いた。


「あの男に何かされたの?平気?」

 気づかわし気にマリアはセシアに声を掛け、肩に触れようと手を伸ばすが、途中で止める。



「……セリーヌ、医務室に行く?」

「だいじょうぶ……何も……何も、されていないから……」

 セシアが声を絞り出すと、マリアは痛ましそうに顔を顰めた。

「手を握っても、いい?」

「うん……握って……」

 そっと差し出された小さなセシアの手を、マリアはしっかりと握る。

「セリーヌ……もし、あなたにひどいことをする人達に仕返しをするなら、私も呼んでね?必ず手伝うから」

「……何言ってんのよ」

 マリアの口から出てきた物騒な言葉に、セシアはほんの少しだけ笑う。

 ひんやりとしていて、大きな掌にひどくホッとした。







 その夜、ディアーヌ子爵の屋敷に戻ったセシアは、セリーヌに思いっきり頬をぶたれた。ばしん!と音が響き、セシアの頬はすぐに赤く腫れる。

 部屋にはレイモンドとディアーヌ子爵がいて、セリーヌはとても怒った表情を浮かべていた。


「……お嬢様」

「このっ……淫売!!レイモンド様を誘惑するなんて、恥を知りなさい!!」

 セリーヌに言われて、セシアはバッ、とレイモンドを見遣る。彼はニヤニヤと笑っていたが、セリーヌが彼の方を見ると表情を改める。

「レイモンド様、申し訳ありません、この下賤なメイドが……!」

「いいや、構わないよセリーヌ。俺には君だけだ……しかし、学園内でセリーヌを演じているセシアに誘惑されて……きつく拒否して、周囲に本物のセリーヌと不仲だと思われても困るからね」

 やれやれというポーズをとるレイモンドを、セシアは睨みつける。


「おや、反抗的な目だ。セリーヌ、子爵、もうこのメイドは必要ないのでは?卒業式はもう明後日だ」

「そうね、もう自主登校期間だし、このままセシアは閉じ込めておきましょうよお父様」

 セリーヌが言うと、ディアーヌ子爵も頷いた。

「そうだな、セシア。お前はレイモンド様を誘惑した。これは明らかな契約違反だ、よって報酬の件はなかったことだと思え」

「!!そんな……!」

 セシアは慌てて声を上げる。



「二年もお嬢様の代わりに務めました!それをなかったことにすると仰るのですか!?」

「黙れ!主の婚約者を誘惑するなんて、とんでもない淫乱だ!鞭で打たれないだけありがたいと思え!!」

 子爵に怒鳴られて、セシアは首を竦めた。

 だが、そんなことを言われては、もう耐えている場合ではない。



「私が誘惑したわけではありません!レイモンド様が急に私を襲ってきたのです!」

「黙れ!自ら胸に手を招いてきたくせに、出鱈目を言うな!!」

 レイモンドにも怒鳴られて、セシアは怒りで心が燃え上がる。この男は、断りもなくセシアの体に触っておきながら、セシアに何もかも押し付けようとしているのだ。


「恥を知るのはそちらよ、レイモンド・チェイサー!!断りもなく女性の体に触れておいて、言い逃れしようなどと、家の名が泣くわね!!」

 セシアが叫ぶと、レイモンドは顔を赤くして怒り、足早に彼女に近づくとセシアを床に引き倒した。


「お前のような女が、俺と俺の家を侮辱するな!」

「……っは!よく言う……」

 セシアは床に腕をついて、なんとか身を起こす。

 魔法の解けた紫色の瞳で彼女が睨みつけると三人はグッ、と怯んだ。


「誰ぞ!このメイドを物置に閉じ込めておけ!!」


 ディアーヌ子爵の怒鳴り声が、屋敷に響く。

 部屋に現れた使用人達が、セシアを見て驚き、しかし主の命に従い彼女を拘束して連れ出した。これ以上暴力を振るわれても困るので、セシアは大人しくそれに従う。

 北側の陽の差さない狭い物置に閉じ込められて、ガチャン!と鍵のかかる音を聞いた。




「……閉じ込められた、か」

 セシアは溜息をつく。


 レイモンドの行動が、思ったよりも早かったのが予想外だった。

 これだから傷つけられたことのないお坊ちゃんは、打たれ弱い。

 セシアは魔法で小さな灯りと灯すと、古びた鍵を見遣った。昔ながらの、定型の鍵を差し込んで開けるタイプの鍵だ。ツメを回して開錠するタイプではないので、逆に魔法では開けにくい。

 扉ごと吹っ飛ばすことは可能だが、それでは騒ぎを聞きつけてセシアが逃亡したことがバレる。


 が。

「どいつもこいつも甘ちゃんばっかり。私を拘束したいなら、最低でも手足に魔法錠ぐらいつけてくれなくちゃね」

 セシアの内面は、消えることのない炎が燃え盛っていた。

 報酬の件は口約束ではあったものの、口外する可能性のあるセシア自身が生き証人でもある為、まさか口止め料まで反故にされるとは思っていなかった。子爵のケチ臭さを舐めていた彼女の落ち度だ。

 セシアはこの屋敷の一番身分の低いメイドだった。屋敷中を駆けずり回ったおかげで、構造を把握している。つつ、と壁に触れて、外に一番近い箇所に行き当たった。



「纏めて後悔させてやるんだから」



 いつでも、相手が誰であろうと、セシアは徹底抗戦あるのみだ。彼女を守るものは、彼女しかいないのだから。







 それから一日が経った。

 物置部屋には、通気用の小さな窓しかなく、子供でも通ることは不可能なサイズだったが、陽が落ちたかどうかが分かるのは助かった。

 朝と夜の二回、食事を出されたがタイミングがずれていれば体内時計が狂ってしまうので、目視で日暮れを確認出来るのは、幸いだ。

 卒業祝いのパーティはもう明日に迫っている。使用人達は、セシアを見張るように子爵から命じられているが、そこまで暇ではない。

 ケチな子爵は、使用人を最低限にして、彼らを馬車馬のように働かせている。セシアもその一人で、メイドとは名ばかりで、なんでもさせられた。

 そんなケチなディアーヌ子爵のことだ、レイモンドからのいちゃもんがなかったとしても、何かしら理由をつけてセシアへの報酬の件を反故にしていただろうことは、今となっては簡単に想像出来た。


「お金に目がくらむなんて、私も馬鹿だったわ」

 セシアは唇を噛んで、壁に魔力を送り続ける。


 壁を一度に壊すから騒ぎになるのだ。少しずつ、薄紙を剥ぐように壊していけば、大きな音が出ない。

 こういった魔法の応用も、セシアは学園で学んだ。多くは、嫌がらせへの対抗策として習得せざるをえなかった手段ばかりだが、かなり器用で細かいことまで出来るようになったと自負している。


「……まぁ、学園に通っている間は雑用仕事からも解放されたし、学食も美味しかったし、数少ない友人と学内でお喋りするのは楽しかった……」

 そう何もかも、捨てたものではなかった。嫌な思い出は山ほどあるが、良い思い出だって、数える程ならば、ある。



 お嬢様のフリをすることも出来るようになったし、一般常識も貴族寄りのものだが知ることが出来た。

 読み書きは勿論、魔法もかなり上達した。

 これならば、ここで逃亡したとしても、セシアを誰も知らない土地でなら十分にやっていけるだろう。

「でもまずは、私のことをコケにしてくれた連中に仕返ししてからじゃないとね!」

 ぽん、とセシアが軽く壁を叩くと、小石が零れるような小さな音を立てて壁に人一人が潜れるぐらいの穴が開いた。








 翌朝。卒業祝いのパーティの当日。

 朝から屋敷は、セリーヌの支度で大わらわだった。

 この日の為に準備したドレスや宝飾。それを着付けるメイド達。

 パーティには父兄も参加する為、子爵の支度だってある。

 王都の王立学園の卒業祝いのパーティなので、国王陛下とまではいかないが、名代として王子殿下が特別に出席することも既に発表されていて、王都中がそわそわとしていた。


 そんな中であった為、セシアへの朝食を届ける暇のある使用人はおらず、当然彼女がいないことには誰も気付かなかった。

 それどころかセシアという下働きのメイドが一人足りない所為で、皆大忙し。当然彼女はそれを見越して昨夜の内に逃亡していたのだ。



 さて。

 子爵邸に帰ってすぐに物置に閉じ込められた所為で、セシアは幸いにもメイド服ではなく学園の制服を着たままだった。

 その為、素知らぬ顔で学園の門をセリーヌ・ディアーヌとしていつものように通過する。

 無事学内に入ることには成功したが、しかしそこからはまだ無策だ。どうしたものか、と人気のない図書館の書架に隠れて考えていたセシアの元に、一人の青年が現れる。



「失礼ですが、セシア・カトリン嬢でしょうか?」

「……あなたは誰?」

 銀の髪に青い瞳の美青年だ。

 着ているものは上等な仕立ての執事服で、若いながら落ち着いた物腰で確信を持ってセシアに声を掛けてきている。

「私は、マーカス王子の執事でクリスといいます」

「……王子、殿下の?」

 セシアは意味が分からなくて眉を寄せる。来賓としてマーカス王子がこの学園に来ていることぐらいは知っているが、何故セシアの名を知っていて、何故セシアに声を掛けてくるのか、分からない。


「……殿下の執事が、私に何のご用でしょう」

 彼女が警戒しつつ訊ねると、クリスは僅かに薄い唇を吊り上げて笑った。



「主より伝言です。仕返しするなら、必ず手伝う、とのことです」

「!!」

 セシアは、紫色の瞳を大きく見開いた。








 夕暮れ時となり、卒業式典を滞りなく済ませた卒業生たちはめいめいに着飾り、学内の大講堂へと集まってきていた。

 いつもは椅子がずらりと並ぶ厳粛な雰囲気の講堂だが、今はそれらは全て片付けられ、夜会会場として豪奢に飾り付けられていた。


 プレ社交界を模したこのパーティは、卒業すればいよいよ大人として社交界へ参加することになる卒業生達への(はなむけ)となっている。

 父兄も参加しているが、彼らはあくまで見守る側。今夜の主賓は、卒業生達なのだ。


 この日の為に何週間も前から用意していたドレスを身に纏ったロザリー・ヒルトン伯爵令嬢は、仲のいい他の令嬢達と共にパーティが始まるのを今か今かと待ちわびていた。


 レイモンド・チェイサー侯爵令息に熱を上げていたロザリーだったが、もう卒業。タイムリミットだ。

 学園を卒業してしまえば、レイモンドとセリーヌが婚約破棄など、それは大きなスキャンダルとなるだろうし、時折別の女生徒と共に火遊びを楽しんでいたレイモンドも大人しくなるだろう。

 だとしたら、レイモンドの線は完全にナシ。ロザリーは現実的な令嬢なので、これから社交界で婚約者探しに勤しむ気満々だった。


 今となっては、あの生意気な子爵令嬢、セリーヌ・ディアーヌをぎゃふんと言わせることが出来なかったことだけが心残りなぐらいだった。


 と、そこに、今考えていたばかりのセリーヌとレイモンドが連れ立ってロザリーの横を通り過ぎる。

 その際に、セリーヌの持つ扇がロザリーに当たった。

「痛い!」

「ちょっと、どいてよ。気が利かないわね」

 セリーヌに冷たく言われて、ロザリーは驚く。

 勿論、ロザリーがいつもしつこくセリーヌをイジメていたのだから、彼女からいい感情を向けられるとは思っていなかったが、まるで虫でも見るような蔑む視線を受けたのは初めてだったのだ。


「……あなたの方こそ、もっと離れて歩きなさいよ。扇を当てたのは、あなたなのよ」

 ロザリーがいつものように返すと、セリーヌの青い瞳がつり上がる。

「あなた、伯爵令嬢よね。私はレイモンド様と結婚すれば、侯爵夫人になるのよ?そんな私にたてついておいて、タダで済むと思っているの?」

「!?」


 ロザリーは驚いて、目を見開く。

 彼女の知るセリーヌは、確かにいつも強気で、すぐに言い返してくる女だが、こんな風にレイモンドの立場を笠に着ての反論も初めて聞いたのだ。

 第一、レイモンドと結婚したところでチェイサー侯爵はまだ現役だ。セリーヌに一朝一夕で権力が転がり込んでくるわけでもないのに、随分偉そうな物言いだった。


「……あなた、本当にセリーヌ・ディアーヌですの?」


 なんとなく、目の前にいるセリーヌが知らない女に見えて、ロザリーがついポロリと溢す。

 すると、セリーヌはギロリとロザリーを睨みつけ、レイモンドの腕を引いた。

「それ以外の誰に見えまして?あなた、頭だけじゃなく、目も悪いのね。行きましょう、レイモンド様」

「ああ……」

 ぐい、と腕を引かれて、レイモンドは引きずられるようにしてセリーヌと共に去っていく。

 ロザリーと他の令嬢達は、その姿を呆然と見送ることしか出来なかった。




 やがて、華々しい音楽が鳴り響き、司会進行役の教師が王子殿下の登場を告げる。

 生徒や父兄達も皆腰を落として臣下の礼を執り、尊い人の登場を待った。

 そして、現れた王子の傍にいた人物を見て、大勢の生徒と教師が目を見開く。


「マーカス・エメロード第二王子殿下並びに、パートナーのセシア・カトリン嬢!」

 燃えるような真っ赤な髪に、翡翠色の瞳。長身のマーカス王子に手を引かれて壇上に現れたのは、長い黒髪に紫色の瞳の、セリーヌそっくりの女性…セシアだったのだ。


「え?セリーヌ?」

「でも、セシア・カトリンって……」

 ざわざわと生徒達が口々に疑問を口にする。

 視線は壇上のセシアと、フロアにいるセリーヌとを右往左往した。


 だが、フロアの動揺を気にした様子もなく、マーカス王子は皆の前に堂々と立つ。

 彼は美しく着飾ったセシアの腕を引き、従僕から乾杯用のグラスをそれぞれ受け取った。

 まるで愛しい想い人でも見るかのようにセシアに視線を注ぎ、それからマーカスはフロアを見遣る。



「皆、今日までよく研鑽を積んできた。そなた達優秀な若者がこの国の次世代を支えるのだと思うと、その礎の一人として誇らしく思う」

 朗々と響く、落ち着いた声はひどく魅力的で、セシアの登場に動揺していたフロアは落ち着きを取り戻すと共に、第二王子の整った容姿に見惚れる。


「卒業おめでとう、乾杯!」

 マーカスがグラスを掲げると、参加者も皆それに倣った。

 あちこちでグラスをぶつけ合い、キン、という高い音が溢れる。

「おめでとう、セシア」

 マーカスはまるで会場の皆に見せつけるように、傍らのセシアにそう言って彼女の持つグラスに優しく自分のそれをぶつけた。

「……」

 セシアはちょっと困ったように笑うことしか出来ない。




 まるで仲睦まじい恋人のように扱われているセシアだが、マーカスとは今日が初対面だ。なんなら、数時間前に顔を合わせたばかりである。

 彼は、開口一番、自分はマリアの近しい存在であり、マリアの代わりにこの場でセシアの力になる、と告げた。



「あの……マリア、は?」

 セシアが驚きつつも、つい友人の名を口にすると、マーカスは僅かに目を細めて微笑んだ。

 髪や瞳の色も同じだし、整った顔立ちはマリアによく似ている。まさか、マリアはマーカスの妹か、それに近い存在なのではないだろうか?

「今日はいない。だが、心配するな。何もかも俺は心得ている。君を虚仮にした連中に、盛大に仕返ししてやろう」

 まるで下町の悪童のようなことを言い始めた王子に、さすがのセシアも目を丸くする。

「いやいやいやいや!恐れながら王子殿下!私の個人的な復讐に王子のお力を借りるわけには……」

「何故?マリアの友人は俺の友人も同然だ」

 本当に何者なんだ、マリア!とセシアは心の中でおっとりと微笑む友人に訊ねる。


「いや、でも、個人的な……本当に個人的なことなので、王子の……権力に頼るのは、違うのではないかと……」

 セシアは目を泳がせる。

 彼女がしたいのは、セリーヌとレイモンド、そしてディアーヌ子爵家をギャフンと言わせることだ。

 学園中を騙してセリーヌとして通っていたことに関しては、セシアとて共犯だしそれを暴いたところで何も利はない。金も手に入らないことだし、この煌びやかで華やかな大舞台で連中に盛大に恥の一つでもかかせてやってから、王都からトンズラしようと考えていたのだ。


 マーカスは、視線を下げてしまったセシアの姿をまじまじと見遣る。

 セリーヌとして見つかってしまっては困る為、図書館でクリスに出会う前から既にセシアは本来の容姿に戻っていた。


 セリーヌのように磨き上げられた金の髪に青い瞳の美女ではなく、顔立ちは似通ってはいるものの黒髪に紫の瞳の、セリーヌよりはやや精彩を欠いた、捨て猫のようなセシア。


「セシア・カトリン。それが本当の君の名前?」

 マーカスに言われて、セシアは頷く。カトリンは、亡くなった父の姓だ。

「いい名だ。……君は勘違いしているようだから、訂正しておこう」

「ん?はい?」

 話がころころ変わるので、セシアはつい疑問を口にする前にマーカスの話を聞いてしまう。

 これが人心掌握術の一つなのだとしたら、さすが王族、侮れない。

 うきうきと話すマーカスは、実に楽しそうだ。


「俺は王子としても権力を使って、大上段に君の従姉や伯父を断罪しようとしているわけじゃないぞ?」

「え、そうなんですか?」

「そんなの簡単すぎてつまらないじゃないか!」

 こんなこと言いだすのが第二王子で大丈夫かな、この国。

 セシアが疑わし気にマーカスを見たが、彼の奥に控えるクリスは平然としているので、恐らくこの王子、これが通常運転なのだろう。

 ますます大丈夫だろうか。マーカス第二王子と言えば、国民に大人気の筈だが。


「人間って何をされるのが一番嫌だと思う?」

「……人によって違うのでは?」

「その通り。ならば、人は、他人を傷つける時、自分がされて一番嫌なことを相手にすると思わないか?」

「……まぁ、そうですね」


「では、簡単。レイモンド・チェイサーもセリーヌ・ディアーヌも、権威主義だ。自身の地位が高いことを鼻にかけ、自分よりも地位の低い者を見下している。なんて分かりやすいんだ、弱点を晒して生きているようなものだ」

 朗々と、まるで演説でも行っているかのように語るマーカスの言葉は、油断すると納得しそうになるのでセシアは気が抜けない。

 この男、会ったばかりだが、かなりのひねくれ者の要注意人物だ。

「さて、そこで彼らが一番悔しがるような権威を持つ者が君の目の前にいる。王子だ。この駒は有効に使うべきだ」

 ぱちん!とマーカスが上機嫌で指を打つ。


 セシアは、彼に翻弄されながらも朧げながら全体像が見えてきた。

「……王子、本日はお一人でパーティに出席を?」

 彼女が言うと、マーカスは悪童そのものの顔でにんまりと笑った。





 そして、今に至る。

 まるで有名なお伽話の魔女のように、ドレスや靴や宝飾を用意してくれた王子は、着飾ったセシアを完璧にエスコートして登場し、まるで大切な恋人のように扱ってくれる。


 おまけに最高に愉快なのが、王子のパートナーとしている以上、会場中の貴族達が恭しく彼女に首を垂れるのだ。


 セシアをイジメてきた大勢の女生徒も、それを見て見ぬフリしてきた教師も、ディアーヌ家の屋敷を訪れた際にメイドとして働いていたセシアを人扱いしなかった貴族達も皆、だ。


「……やばい、愉悦が止まらない。これ気持ちいいですね、殿下」

「お前は案外いい性格してるんだな」

 口元を扇で隠し、セシアがそっと吐露すると、微笑んだままマーカスが小声で返してきた。

 その声に呆れの気配はなく、彼もどこか楽しんでいるのが分かる。

「……その言葉、そっくりお返ししますよ」

「セシアはお馬鹿さんだなぁ、王族なんて心臓に毛が生えてるか、凍ってないとやってらんないんだよ」

 意外にも朗らかに言われて、セシアはなるほど、と納得する。


 セシアからすれば、王子の権威を笠に着て愉悦を感じている時間だ。

 だが、マーカスからすればこの時間は、挨拶に来て媚びへつらう貴族達の我欲に塗れた視線に常に晒され続ける、苦痛の時間なのかもしれない。


「まぁ、今日はなかなか面白いぞ。そら、子爵家がやってきた。せいぜい愉快な演目を見せてもらおう」

 底意地の悪いことを言うこの王子のことを、セシアが恐ろしく感じると共に、マリアと丁々発止の掛け合いをしている時のような心地よさを感じていて、だんだん彼に好感を抱き始めていた。


 ディアーヌ子爵、セリーヌ、レイモンドが挨拶にやってくる。

 レイモンドの親は来ていないらしく、父兄の序列に従って最後の方の登壇だった。


「マーカス王子殿下……セシア、嬢、本日は、ご機嫌うるわしく……」

 ディアーヌ子爵が言いにくそうに、しどろもどろに口上を述べる。

 まさか、と思ったものの、近くで見れば王子のパートナーは確かに屋敷に監禁している筈の姪で、彼女は今、その王子に片手を愛おしそうに握られている。

 自分の見たものが信じられずに、子爵はセシアとマーカスに、視線を行ったり来たりさせていた。


「子爵、俺のパートナーがどうかしたか?」

 マーカスが真面目くさった顔で訊ねるので、セシアは笑いださないように唇を噛んだ。

「い、いえ……お綺麗な方で……」

 慌てて子爵は視線を下げる。


 レイモンドとセリーヌも、穴が開きそうなぐらいセシアのことを凝視していたが、ディアーヌ子爵に促されて前に出た。


「お久しぶりです、殿下。こちらは私の婚約者で……」

「お初にお目にかかります、セリーヌ・ディアーヌと申します……」

 二人が頭を垂れて挨拶の言葉を述べると、マーカスは鷹揚に頷いた。


「卒業おめでとう、二人とも。聞けば、とても優秀なのだとか。ギタリス博士の魔術構造理論は俺も興味があるんだ、あの説について君達の見解を教えてくれないか?」

 マーカスの言葉に、またセシアはぎょっとする。


 他の挨拶に来た生徒にも、それぞれ進路の話や領地の話など振っていたが、レイモンドとセリーヌに振るにしては唐突かつ難度の高い話題に感じたのだ。

 勉強嫌いなセリーヌには答えられない筈だが、学年2位で生徒会長のレイモンドならばさほど難しい問い掛けではない、だろうか?


 セシアがどうなるのかドキドキしながら彼らを窺うと、案の定セリーヌは何を言われているのか分かってもいない様子で目を瞬いている。

 では、レイモンドは、とそちらを見ると、驚いたことに彼もセリーヌと似たり寄ったりな顔をしていたのだ。


 セシアは戸惑って、思わず先程からずっと繋がれたままだったマーカスの手を握り返す。

「うん?どうした、セシア。君はあの説についてどう思う?」

 すぐに気付いて、彼はセシアに顔を寄せる。

 甘い恋人達のような仕草だが、どうなっているのか分からないセシアとしては、とりあえず王子の要求に応えるしかない。


「……ギタリス博士の魔術構造理論は、まだ検証途中ですが……昨年発表されたコートニー女史の論文と照らし合わせると、十分実証可能な学説だと私は考えています。……かの説の特筆すべき点は、従来の考え方を覆すのではなく、より進歩させた状態で利用可能な点かと」

「うん……君は、あの説を支持するってこと?」

 マーカスの言葉に、セシアは失敗したかな、と思いつつ頷く。

 革新的な考えである為、一部の古い学説を支持する学者からは煙たがられている説でもあるのだ。


「いいね。君との会話はいつも楽しいよ、セシア」

「いえ……これぐらいは、教本にも載っていることですし」

「それに引き換え……」

 ちらり、と見せつけるようにマーカスはレイモンドとセリーヌを見遣る。

 確かに少し難度の高い話題だが、学年2位のレイモンドと3位の“セリーヌ”にならば、訊ねるに相応しい話題だった筈だ。


 ゆえに壇上に立った二人が、王子の質問に答えられなかったことはフロアにいた皆からも一目瞭然であり、驚きが広がった。

 彼ら同様、セシアも驚いてレイモンドを見遣る。それから、屋敷で勉学を疎かにして美容ばかり磨いてきたセリーヌのことも。


「こんな質問にも答えられないの?」

 思わずセシアがそう呟く。


 そこで、ついに羞恥と怒りを我慢出来なくなったセリーヌが爆発した。

「な、何よ!!セシア!あんたその目!あんたが私を下に見るなんて100年早いのよ!!」

 セリーヌに偉そうに怒鳴られて、セシアは従姉の愚かさに眩暈がした。

 婚約者だとかハッキリとした文言で紹介されてはいないものの、現在、誰がどう見てもセシアはマーカス第二王子のお気に入りのパートナーだ。そんな彼女に、王子への挨拶の場での暴言。

 これが問題にならない筈がない。


 セシアが呆然としている隙に、セシアよりも下の段に立っていることが耐えられなかったセリーヌは駆けあがり、セシアの髪に掴みかかる。

「気でも狂ったか、セリーヌ!?」

 ディアーヌ子爵が思わず叫んだが、セリーヌは止まらない。


 邪魔なセシアを閉じ込めて、学年3位の成績を修めて、侯爵子息の婚約者と共に卒業祝いのパーティに出席する。

 セリーヌは、今夜一番位が高いのは自分だと自負していた。


 なのに、ドブネズミみたいな存在だと思っていたセシアが、自分よりも高い場所で、美しい男に傅かれている。

 元々学園に通わず、コミュニケーションを鍛えることなく我儘放題に過ごしてきたのだ、相手が王女や公爵令嬢ならばまだ我慢に我慢を重ねてこっそり相手のドレスにワインでも垂らす程度で許してやったものの、目の前にいるのは、あのセシアだ。

 セリーヌの癇癪は爆発していた。


 猪のように突進してくるセリーヌに、逆にセシアは落ち着いていた。

 マーカスの作る謎の流れよりも、こういう分かりやすい特攻の方が慣れているし、捌きやすい。

 何せセシアは常に徹底抗戦。飛んできた火の粉は、倍にしてお返しするのだ。


「この、ドブネズミが!!」

 セリーヌの美しい顔が怒りに歪んでいるのを見て、セシアは朗らかに微笑んだ。

「……あんたのこと、堂々とぶっ飛ばせるなんて最高の気分だわ」


「はぁ!?」

 セリーヌが意味が分からない、と顔を顰めたが、セシアは構わず魔法で彼女を吹っ飛ばした。

 極小の風をセリーヌの足元に起こし、まるで自分でドレスの裾を踏んづけてひっくり返ったかのように見せかける。自分のドレスの裾を踏んで転ぶなど、令嬢として一番恥ずかしい失敗だ。

「ぎゃん!!」


「おお、上手いな。やり方がえげつない」

「ふふ……この二年で、こういう小手先の魔法が鍛えられました」

 どや、とばかりにセシアはつい自慢してしまう。マーカスはそんな彼女を見て、快活に笑った。



「さて、パートナーへの狼藉は俺への狼藉に等しい!セリーヌ・ディアーヌ及び、ディアーヌ子爵、そして婚約者のレイモンド・チェイサーを連座として連れていけ!」

 ばたばたと警備兵が現れて、気絶したセリーヌと、喚く子爵、それから青褪めたレイモンドを引っ立てていく。


「……あ、待て待て。レイモンド・チェイサー」

 ふと、思い出したようにマーカスはレイモンドを呼び止める。

 一縷の希望を抱いた様子でレイモンドは振り向いたが、そんな彼にたまらなく美しい笑顔を振りまいて、マーカスはトドメの一撃を食らわせた。

「君の成績は不正によるものだということが、確かな筋から露見している。学園は、いかなる場合も不正を見逃しはしない。君とセリーヌの卒業資格は剥奪する」

「そ、そんな……!!!」

 レイモンドの悲壮な叫びを最後まで言わせることなく、無情にもマーカスは兵に合図を送る。


 三人が会場から連れ出されるのを、セシアも他の出席者達も呆然と見送った。

「……レイモンドが、不正?」

「その話は後でな」

 マーカスは翡翠色の目を細めて目配せをすると、仕切り直すように二度、手を打つ。

 ハッとしたフロアの目が、再び王子へと注目した。



「目出度い日にとんだ騒ぎとなったな。だが、学園の外ではもっと奇想天外なことが日々起こる。今夜の出来事は、その前哨戦だったとでも思って、大いに笑い話として喧伝しようではないか!」


 あ、鬼だこの人。


 セシアは確信する。

 騒ぎの口止めをするどころか、青春の面白エピソードとして、セリーヌとレイモンドの失態を長く語り継ぐように、と言っているのだ。


 プライドだけは異常に高いディアーヌ家の者と、外面が異常に良いレイモンドにはこれ以上ない罰であり、長く続く屈辱だろう。


「……結局大上段に断罪してませんか」

 セシアがぼそりと言うと、マーカスはうきうきと頷いた。

「結果的にそうなってしまったなぁ」

 上機嫌なマーカスを見て、セシアは自分は随分擦れた人間のつもりでいたが、まだまだ小物だなぁ、と自覚するのだった。

 何せ正真正銘、鬼が横にいるので。






 冒頭でとんでもないことが起こったものの、その後は恙無くパーティは進み、大盛り上がりの内に終了となった。

 セシアも最初のダンスだけはマーカスと踊ったものの、その後は他の生徒と踊ったり、会場に用意された食事を堪能したり、と十分にパーティを楽しんだ。

 ロザリーや他の数名の令嬢達が何か言いたそうにジロジロうろうろしていたが、セシアは素直に事実を教えてやるつもりはない。

 “セリーヌ”は断罪されたし、セシアとしてはロザリー達は知らない令嬢なのだから。


「楽しかったか?」

 パーティを辞して、王子に用意された控室に戻ると、セシアはソファにどかりと腰掛けてタイを解くマーカスに聞かれた。彼女は素直に頷く。

「すっごく楽しかったです。性格悪いのかも、私」

「それは重畳」

 マーカスは、セシアの言葉にからからと笑った。


「……そろそろ種明かしをしてください」

 セシアが言うと、マーカスは立ち上がり彼女の前に立った。それから、柔らかく微笑んで彼女の手を指す。

「握っても、いいか?」

「……ええ。握ってください」

 彼女が確信を持って言うと、マーカスは手袋を脱いだセシアの小さな手をそっと握る。

 ひんやりとした。大きな手。男の人にしては、しなやかですんなりとした、女性的な手だ。


「……仕返しするなら、手伝うって約束しただろう?」

「……あなたとでは、ないです」

 セシアが言うと、ふぅ、とマーカスが溜息をつく。

 すると、それは魔力を帯びていて、マーカスの姿が陽炎のように揺らめいて変化していった。何一つ見逃すまい、とセシアは瞳を見開く。


 燃えるような赤毛は長く伸び、肩や骨格が僅かに変化する。

 マーカスの顔を知る者ならば、兄妹かな?と思う程度に似ている女性、マリアが、彼に代わってその場に現れた。

 ただし、セシアは先程からマーカスと手を握り合ったまま。今は、マリアと手を繋いでいる。



「……マリア」

「仮の姿はお互い様だからな、怒るなよ?」



 マリアは、セシアのよく知る姿、よく知る声で、マーカスのように悪童らしく笑った。







「王子が女装して学園に潜入してるってどういうこと……!!!」

「隠れ蓑には持ってこいなんですもの~~」

 ソファに項垂れるように座ったセシア。その隣に座ったマリアは上機嫌だ。

 儚い系美女のマリアにはよく似合う微笑みだが、中身があの悪童めいたマーカスだと思うと、気持ち悪い。やめてほしい。

 壁際のクリスを伺うと、彼はなんとも言えない表情を浮かべていたので、誰にでも肯定されているものではないようで、ちょっとだけ安心した。


「ちょっと私の友情返してよ!あんたが男だったなんて……え?何か不味いことになってないよね?」

 学園生活でのあれこれに思い至り青褪めるセシアに、ワイングラス片手にマリアは歌うように告げる。

「そこはぁ~一応マリアちゃん的にも気遣ったって言うか?着替えとかは一緒にならないようにしてたでしょう~?」

「えええ……いや、なんか絶対不味いことになってると思う……私……憧れの下着の話、とか……した……!」

「セシアったら、こう見えて可愛いレース系が好きなのよね……」

 セシアが頭を抱えると、マリアはわざとらしく頬を赤らめてみせた。


「こいつの頭殴ったら記憶飛ばないかなぁ……」

「はっはっは、落ち着けセシア。俺王子だぞー?不敬不敬」

「こんなとこだけ王子持ち出すの卑怯ー!!!」

 頭を抱えたままセシアは叫んだが、マリアはこの上もなく愉快そうに笑った。




 なんとか少し落ち着いてきたセシアは、マリアを睨む。

「どうしてマリア……が潜入してたの?」

「うん……最近学園への裏口入学、試験問題の流出などの不正が一部で横行していてな」

 それを聞いて、セシアはマーカスがレイモンドに言った成績の不正、について思い出す。


「……レイモンドの学年2位は、その不正によるもの、ということ?」

「然り。侯爵子息は女遊びに夢中でさほど優秀ではなかったようでな、金を積んで成績や生徒会長の地位を買っていた」

 で、あれば壇上でのあのマーカスの問いにレイモンドが答えられなかったのも納得がいく。


「学園の理事数名と、教師数名が加担していた。俺以外にも潜入している部下が数人いて、二年がかりでようやく検挙に至ったというわけだ」

 学園への入学は必須ではない。

 けれど、卒業すれば確実に箔がつくし、王城の希望の職へ就くことや、令嬢ならば婚約などに非常に有利に働く。

 その為、入学試験や定期考査などはかなりの学力が求められるレベルなのだが、それらを金で買っていただなんて、貴族社会の腐敗が明るみに出たことになるだろう。


「今後調べが続けば、遡って卒業資格を剥奪される者もいるだろうな」

「……結構大事ね」

 セシアは肩を竦めた。

 自分が令嬢達と小競り合いをしていたこの二年の間に、裏でマリアとその部下達が捜査を進めていたなんて夢にも思わなかった。


「最初は、レイモンド・チェイサーの婚約者で成績優秀なセリーヌ・ディアーヌも怪しいと思って、君に近づいたんだが……」

 言いながら、マリアの姿が揺らぎ、再びマーカスが現れる。セシアは気ごころの知れた親友ではなく、油断出来ない男が現れたことに身を固くした。


 それを見て、マーカスは一瞬だけ翡翠色の瞳を寂しそうに細める。


「俺の知るセリーヌ・ディアーヌは、愚直なまでに勉学に励み、追われるように成績をキープしている真面目な生徒だった。……でも、君は違う意味で、違反していた」

 本物のセリーヌと偽って学園に通っていたことは、成績を不正操作していたことと同じぐらい罪深い。

「はい……」

 身を竦めるセシアに、マーカスは彼女の手を握った。

 マリアの手と同じ感触なのに、マーカスの手はどう考えても男の人の手であることは、とても不思議だった。


「だから、セリーヌの卒業資格も取り消される」

「……はい」

 しゅん、と項垂れるセシアを、マーカスは優しい瞳で見遣る。握ったままの小さな手を持ち上げると、その甲に音をたててキスをした。


「な!?」

「その上で提案なんだけど、セシア。今度はセシア・カトリンとして学園に通ってみないか?」

「は!?」

「お前は、自力なのに素晴らしい成績だった。奨学生として補助を申請出来るレベルだし、将来有望な才女を失うのは国の損失だ」

 マーカスがすらすらと言う。


 だんだん慣れてきたからセシアには分かる。この男がこんな風に人に口を挟む余地を与えない時は、何か詐欺めいたことをしている時だ。端的に言うと、言い包めようとしている。


「無理です!私、平民ですよ」

「ディアーヌ子爵の縁者だし、学園には数は少ないが平民も通ってる」

「でも一回通いましたし!」

「セリーヌはな。でもセシアは、一度も通ったことないだろう」

 ぐいぐいと近づいてこられて、いつの間にかマーカスの端正な顔はセシアの目の前だ。彼の翡翠色の瞳がきらきらと輝いて、セシアを見つめている。


「ディアーヌ子爵家が、何か言ってくるかも……」

「何を?セリーヌの代わりにセシアを通わせてました、ってわざわざ恥の上塗りに来るのか?」

 それはしない。絶対に。

 王子のパートナーに対する狼藉で既に令嬢としてのプライドをずたずたにされたセリーヌだ。この上、学園での替え玉という不正を子爵家が自ら言える筈がない。



 うろうろと縋れるものを探してセシアは視線を彷徨わせる。

 無一文で、何も持たず王都から逃亡する予定が、ここに来てまるで違う道が開けていて戸惑う。しかし、そんなことが本当に許されていいのだろうか?


「……でも、いかなる不正も許さない、って」

「許さないさ。その上で再生の道を示すことこそ、権力のある者のすべきことだ」

 しれっと言われて、そういうものだろうか?とセシアは混乱する。

 彼女が混乱し、徐々に思考を放棄しだしたのを察知してマーカスは内心舌なめずりをした。


 好機を見逃さないことは、彼の数多くある長所の一つ。

 ちなみに長所と同じ数ほどに、短所もあるのだが。


「ディアーヌ子爵家とは、この件で縁が切れたようなものだろう?伝手も金もなく地方に行って、底辺の生活をするよりも、王都で王子の後見を得て学園に通い、卒業後は王城で仕官する方がずっといいと思わないか?」

「なんか色々将来設計が決められてしまってませんか!?」

 立て板に水の如く喋るマーカスに、セシアはストップをかけた。


「王子の、後見?」

「うん。俺。学生の身分だと、年齢に関係なく保護者が必要だしな」

「卒業後は王城に……?」

「大貴族の後継でもない限りそれが普通じゃないか?特に平民の場合は、卒業後の仕官を見越して学園に入るものだと思うが」


 無一文の罪人としての地方への逃亡ルートと、セシア本人としての再入学・卒業後仕官のルート。考えるまでもなく後者一択に決まっている。

 でも、


「上手い話には、罠がある気がして……」

「その用心深さは、これからも大事にした方がいいな。だが、まあ今回に限っては、友情によるサービスだと思ってくれていい」

 セシアはハッとしてマーカスに視線を合わせる。視線の先で彼は、意外な程優しく笑っていた。


「一人で頑張ってきた親友に、マリアじゃなく俺が出来ることをしてやりたいんだ」

 乾いた気持ちに染み込むような、落ち着いた声にセシアの目が潤む。

「で、どうする?」


 にやりと笑う悪童に、セシアが返すのは勿論、









 春。

 学舎の裏庭に呼び出されたセシアは、数人の令嬢に囲まれていた。

「あなた、平民のくせに生意気なのよ!」

「王子に身分を保証されているからって、でしゃばるのもいい加減にしなさい!」

 口々に責められて、黒髪に紫色の瞳の本来の姿のセシアは、深々と溜息を吐いた。


「はぁ……おかしいな、今回は真面目に目立たずに過ごしている筈なのに……」

「出る杭は打たれるってやつよねぇ~優秀なのって罪ね、セシア!」

 何故かいつの間にかセシアの隣にいる“マリア”を見て、令嬢達はぎょっとする。


「なんでまたあんたがいるのよ、仕事しなさい。クリスさん可哀相でしょ」

「息抜き息抜き!セシアだって私がいないと寂しいでしょう~?」

「いや、寂しがる暇はないわ、この子達が放っておいてくれないから」

「モテるわね~妬けちゃう!」

 ノリノリの見た目儚げ美女、中身成人済男性(しかも王子)に、セシアはうんざりと溜息をつく。


 再度入学試験を受けて、新入生として学園に通い始めたセシアはセリーヌの時とは違う科目を選択して、再び勉学に励んでいた。前回とは全く違う分野なので、一から勉強のし直しである。

 授業料やその他かかる費用は奨学金制度を利用しているので、上位の成績をキープする必要があるのだ。


 そんな彼女の元に、気が向けばマリアが現れる。


「もうここに来る必要ないでしょう?」

「ひどーい!セシアに会うっていう立派な理由があるでしょ!」

 プンプン!とばかりに腰に手を当てる可愛らしいマリアの姿を見て、げぇ、とセシアは舌を出す。

「いや、あんたほんとに自分のこと理解してからその仕草しなさいよ?泣くよ?全国民が泣くよ?」

 聡明で美丈夫の第二王子の中身がこれ、とは国家機密並みの秘密すぎて、バラした時にはセシアの命が危ない。


 あれから、レイモンドの不正が大々的に明るみに出、おまけに彼が学園の女生徒とあちこちで浮気をしていたことまで露見した。

 セリーヌが王子のパートナーに襲い掛かったこともあって、二人の婚約は破棄されることとなったが、チェイサー家、ディアーヌ家の双方が、あっちが悪い!といって慰謝料をどちらが払うかでまだ揉めているらしい。

 セリーヌ自身は暴力令嬢として悪評がたち王都の社交界にはいられなくなり、同じく替え玉を使って学園にセシアを通わせていた負い目のある子爵共々、王都を出て行った。


 マリアとセシアが小競り合いを続けていると、待っていられなくなったらしい令嬢達が騒ぎ出す。

「ちょっと!わたくし達を無視するんじゃないわよ!」

「そうよ、そういうところが生意気だって言うのよ!!」

 マリアの視界的な暴力と、マーカスの精神的な暴力に比べたら、この令嬢達の喚く声など小鳥の囀りのように可愛いものだ。


 ふう、と仕切りなおすように溜息をついたセシアは、彼女達に向き合ってニッコリと笑った。


「私に喧嘩売ってくるなんて、いい度胸よお嬢ちゃん達」

「きゃーセシアカッコイイ~!」



 セシアは常に徹底抗戦。

 相手が誰だろうと、この姿勢だけは変わらないのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ