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眠い

やばい、寝ます。

かんへつしいた !

Tips 編でございます。


ここまで読んで頂いた御方に、まずは感謝申し上げます。

拙い日本語ですが、とりあえず「 逃亡 」はしないつもりなので、その辺り、お願いいたします ww

たまにこういう Tips も良いじゃないですか。

時系列にならわず、自分の管理のもとの時間軸で、好きなことを言える。

これほど面白いことはありません。


いきなりですが

「 天才の人間が考える事は、いつもシンプルで美しい。」

今、Youtube の動画を見ながら、そう思っています。

Youtube を考えついた人も天才と思います。

昔の動画やモノに、見てもらうという、価値をつける ... 。

凄い考えですよね。

そして今や、それがビジネスですから。

すんごいや。


僕が高校受験と重なったあの時代 ... ちょうど今 Youtube で見ているファイファン 7 が出て

プレステ戦争 vs セガサターン戦争に、ほぼほぼ終止符が打たれました。

少なくとも、僕はそう思っています。

セガは先を行き過ぎてます。

確か、セガサターン、アレって当時では PC でも珍しかった、デュアル CPU やありませんでした ?

それを、当時の同級生に言っても、信じてもらえなかった歯がゆさがあります。

確か、靴箱があっこやったから、中 1 の時かな ww



ちなみに、僕の幼少期は、それはそれは最初から大変だったようで ... ww

なんか、生まれつき肝臓かどこか ? が悪く、体の色が普通とは違い、母親があくせくしたようです。

それからも何とかすくすくと育ち ww 自分自身覚えている言葉が


「 おばあちゃん、ひこーきー 」


3 歳の頃、家の玄関を出てすぐ、飛んでいる飛行機を指さしながら、いきなり話し出したようです。

おばあちゃんが、驚いていたことを覚えています。

僕はまだ独身で、子供がいないので、遅いか早いか分からんね ww


ただ、これだけは言えます。

周りの方達の、凄い深い愛情を受けて、ここまで育ってきました。

割と「 家族愛 」って大事なんやなぁ ... と、今更ながらに感じます。

某掲示板でネタにされてた

「 Clannad は、人生。」

と言う言葉。

アニメやから短縮されてただけで、わりと人生の縮図やなかろうか。

親類や今まで出会ってきた人の愛を受けて育ってきたからこそ、悪い事は悪いと分かる。

人が傷付くと痛いと言うことを知っているから、人を傷付けずに ... 傷つけるの極論、人を殺める事もせずに、今まで過ごせてこれた ... ってのも、あると思います。



... 唐突ですが、3 歳のころ、地元の保育園で、誰と誰に、「 この滑り台は、5 歳まで乗ったらあかんねんで。 」と言われた事。


4 歳のころ、当時年長組、家が近くの先輩と、どんだけ口ゲンカした事。

そして、同級生を荷物入れの滑車 ? に入れて僕と、同級生の女の子で引っ張っていた時、いきなり僕がおしっこをしたくなり、その場で「 ジャー 」してしまい、先生に注意された事。

1 つ上の先輩が、レオタードを着て、当時体育館兼お昼寝室になってた所で ... おそらくあれはバレエやな ... を踊った事。

その時、僕は足を遊具で骨折していたのに、その子を真似て無理矢理踊らされた事 ww


5 歳年長児、保育園の裏山に上るので、年長組は集まってくださいと放送があったのに、僕と、もぅ一人友人は遊びに夢中で集合せず、皆が裏山に上っているのに、僕とその友人だけ、ぽつーんと教室内に残り

「 どないしよ、どうしよか ? 」

とか言って、二人で遊んでいた事。


スーパーマリオ 3 が出た時は、いつもの帰りのバスに乗らず、親戚宅近くまで行くバスに乗り、親戚宅を目指して、親戚の兄ちゃんが仕事に行ってる間に、プレイしてました ww

個人的には、各々のラストにボスがいてるじゃないですか。

あの音楽と、ボスの部屋が暗いのに怖気づき、親戚の兄ちゃんが結婚し、ファミコンをくれた後でも

「 にーちゃーん、ボスが怖い倒されへん、助けて ( ガチ涙目 ) 」

やった事。


その時のにーちゃんの言葉が

「 知らんがな、お前がやれや 」

ムチャクチャや ww



... そろそろお気づきでしょうか ?

僕の記憶力の微妙さに。


そうです。

働き出して、今の職場で、うつ病を 2 回起こしたのですが、2 回目の復職時に、

僕の職場にもついに ww 産業医が付きまして ... 。


数回、面談をして、とある某都道府県医師会所属の産業医に、こう伝えられました。


「 みゅうさんは、おそらく発達障害です。 」


と ... 。


「 そもそもなんなんそれ、なんかやけに僕の事をイビってく、2 回目の休職の元凶を作り出した、女性先輩社員から、そんな言葉聞いたことあるけど ww 」


とか思い、調べ始めたことを思い出します。

数秒で、怖くなりました。

やって、ばりんこ当たるんですもん。


「 ゑ? どっかにカメラついてる ? 」

ガチですよ。

ガチで、そう思えるくらいに当たってたんです。

そこで、改めて「 発達障害 」と納得しました。


ちなみに、つい最近、その女性社員さんが、凄い優しかったんやと気づけました。

先日から、本当に打ち解け、同じ課でも、先輩後輩として、ワイワイ本音で言えています。


ちなみに、発達障害は知能が ?

うーん、僕が低いか高いか知らんけど、小学生に入学する前の母子と先生の集まりで、皆さんが図書館に出向いた時。

皆が年相応らしく絵本を読んでいる中、僕一人、リニアモーターカーについて ... みたいな本を読んでました。

本棚には「 小学 6 年用 」と書かれていました。

やな小学 1 年生入学前の生徒ですよね ww


あと、保育所ん歳の時に、親父が壊れたテレビから、電磁石を作ってくれたんです。

今思えば、おそらく、電子銃の辺り ? の部品を使って。

僕の中で、親父の作ってくれたそれは、大発明でした。

だって、電池を繋げたら砂鉄がくっつき、電池を離すと、砂鉄が落ちるんです。

今まで普通の磁石では、砂のジャリジャリ ww が付いて離れんかったのが面倒だった僕は、本当にこれ凄いわ !! と思ったんです。

親父は、僕の中での、エジソンでした。


ちなみに、親父から小学生時に貰った磁石で、未だに理解が及ばんモノがあります。

僕は、物理学はテンで無理なので、知識のある方にお答え頂きたい。


結構な磁力を閉ざすことのできる物質が、30 年前にあったのか ... ?

その磁石は、今でも実家にあります。


おそらく、種明かしをしたら、凄い単純なんでしょうね。

でも、今の僕の持ってる知識を総動員しても ... 細胞生物学 ... 化学、物理に負けて、生物に逃げ込んだ人間でしょ ? と言われるのは百も承知。

それでも、曲がりなりにも、修士卒の人間が、考えても考えても分からないんです。

なんやアレ。

ホンマに、親父のかけた「 魔法 」としか思えん。



ちなみに今から話すのは ... 当時は ... 1995 年当時 ?

僕が中学 2 年生の頃です。


当時、僕はポータブル CD プレーヤーが欲しかったんです。


「 カセットウォークマンでは巻き戻しや送りがが長い、時代は CD や。

でも CD プレーヤーは音が飛ぶ。

なんか、音楽データを詰め込むか、ピックアップレンズが動いて、キチンと読み込んでくれればいいのに ... 」

そう思っていました。


その当時の時間軸でも、3 年ほど前 ... 姉の使っていた「 SL-S100 」という機種があったんですが、音飛び防止機能は付いてませんでした。

「 CD は音がいいのに、音飛びが凄い災難。」

当時は 3 秒音飛び防止機能がミドルハイエンド機種についてました。

「 D.I.S.C.」 とか「 ESP 」知ってます ? ww

ちなみに親父は、某メーカーの D-777 の事を、革新的やけど、あまり好みではなかったようです ww

なぜなら

「 この形ゆーたらお前、ホタテやんけ ww 」


... まぁ確かにな、一理ある ww


「 それにお前、このプレーヤー、リモコン逝ったらどないすんねん ? 」


... 二理あった ww



それから、当時は中学校の成績が振るわず

「 ほなお前、学校のテストで上位 〇 % に入ったら、CD プレーヤー買-たるから、ちょい頑張れ。 」

言われて、まぁあなた、ちょいと本気出しましたよ。

みるみるうちに、成績が上がりました。

親も塾もびっくりするくらいに。

最大で、期待値の 2 倍の成果を出しました。

そして、僕のその成績を見届けるかのように、SL-S100 が故障。

1996 年の 1 月 1 日でした。

その日も、音飛びはするプレーヤーやけど、いつもの相棒 SL-S100 と一緒に、お婆ちゃんと初詣に出かけようってなったんです。


そこで、SL-S100 が、うんともすんとも言わなくなりました。

その時、僕は本能的に「 あ、ご臨終した。 」って感じました。


いきなりですが、その時、お婆ちゃんから、お年玉を 1万円いただきました。


事情を父親に話しました。

親父も、とある会社の機械直し屋やったんで、それなりに弄ってくれましたが「 無理や 」と判断。

そのまま、SL-S100 は息を引き取りました。


ちょうど時を同じくして、その日に新年初売りで、近くのサティで、S 社 D-265 が、

ちょうど 1 万で売ってたんです。


親父が言いました。

「 お婆ちゃんからもらったお年玉で、それ買いに行くか ? 」と。


僕は二つ返事しましたね。

親父にすぐ、連れてってもらいました。

そこで、やっとこ念願の ... 3 秒どころではない、10 秒音飛び防止機能付きの CD プレーヤーを手に入れたんです。

しかも、ワイヤードリモコン付きなので、本体はバッグに入れたまま、お手軽簡単操作。

すげぇなぁ、嬉しいなぁ、ずっと音楽聞いてたいわ。

音飛び、全然せーへんわ、超快適 ♫

そう思いながら、友人宅へ、学校へ、遠出する時 ... 。

肌身離さず持っていきました。


そして親が「 もぅそれ持ってくんな ww 」と言い出しました ww


D-265 のことではありません。

それは許してもらってました。


親は、もう動くことのない、SL-S100 を指差して言ってたんです。


僕は、機械も、親切に使えば、魂が宿ること、こちらに心を許してくれる事はある ... と思う派です。

壊れたら、それまでじゃない。

壊れてから、初めてありがたみに気づくこともある。

そこで、その機械が死んだフリしてるかもしれん。

「 お前の悪いクセはここやろぉ〜、ん〜 ? 」

して、イジイジしたら、くすぐりに負けて、息を吹き返す事もある。

少なくとも、僕は何回か体験しました。

無機物にも、魂は宿る。

ケンカする事もあって、その時は機嫌悪くしてエラーばっか吐き出すけど、キチンと面倒見たげたら

「 しゃーない、お前と俺との仲や、動いたるか。」

つーて、動いてくれる事も、ある。


少なくとも、僕だけでもえーから、そう思いたい。

無機物のマシンにも、魂は宿る。

やけ、無碍に扱ったらあかん。

その辺りは、女の子とおんなじや。

お前は女の子に手を上げるか ?

No. No. No.

ほんならお前、機械にも手を上げるな。

修理やない。

機嫌とったるんや。

機械がしてほしいことは何か、音や見た目で読み取れ。

絶対、何かしら、機械も体調が悪くなったら、SOS を出す。

それを読み取ってやれ。


親父もよくゆーてた。

「 壊れてから直すんは、誰でもできる。

壊れる前の、機械の悲鳴を汲み取れ。

それが出来て、やっとこさ、いっぱしの機械屋や。」


よしゃ、ええことゆーたった ww



... そして、ここでお気づきの方もおられるでしょう。

わからなかった方のため、もう一度。

さぁ、ね、もぅ一度ゆっくり、声に出して読み返してみよう。

さんハイ。


「 僕は、お婆ちゃんからもらったお年玉で、親父の車に乗せてもらって CD プレーヤーを買いに行った 」んです。





くそ !! やられた !! ( ガタッ )


~ 親父、ただ僕に CD プレーヤーを買っていいと許可を出し、車を出しただけの件について ~


コイツ、やりおる !!

親父はビタ一文、金払ってねぇ ww


そう思った時は、僕はもぅ高校生でした ww

気付いた時に、親父に言いました。

親父 「 いや、今更かい ww お前ほんまアホやの ww ちょと将来不安やわ ww 」

完全にアホにされました。

まぁごもっともですわ ww



話はポロポロ飛びますが、1995 年、その当時です。

僕は、親父と、親父も僕と寝たがる癖があったんです。

親子仲良くですね。

ぶっちゃけ、高校、大学、大学院になってからも、「親父、久々やし、一緒にねよーぜー」とかやって ... まぁバツの悪い時に父親、母親の部屋に「 バーン 」と入って、リアルに「 時間よ止まれ ♪ 」した事もあります ... ww


バツの悪い時ゆーたら、お前アレや。

な ? 察しろ ww

親同士が ... まぁ ... ラブラブちゅっちゅしてたんや ... 。

全部言わせるな ww

あんな ? お前らな ? マジでな ?

親の見たら

「 あーーーーーーー 」

ってなんぞ ww

「 ごゆっくりぃ !! 」

とかネタゆーてるヒマ、全く無いからな ? ww


まぁ、それはさておき ... 。

当時、親父が言った言葉を覚えています。


「 みゅう、お前は今 CD プレーヤー欲しがっとるけど、多分将来は、 CD とか MD って無くなるぞ。

次の時代は、お前が好きなパソコンでいう、ハードディスクやメモリやな、最初はハードディスクやろけど、そのうちメモリになる。ほんなら音飛びって概念が無くなるやろ。間接的に読んでないから、音飛びしようがないもんな。

その後はそうやなぁ ... メモリも時代の遺物になって ... そのうち、原点回帰でラジオみたいになるかもしれんのぉ ... 。 電波で音楽流しまくるんじゃ。」


23 年後、今がまさかのその時代ですよ、お父様。

あんたの予測した未来が、今まさにここにあんねん。


僕が浪人の時に、親父に話した言葉。

「 親父のゆーた通り、ハードディスクのポータブル機器が出たわ、すげぇなぁ、親父 !! 」

とある大手電機屋で見た、多分あれは初代 iPod です。

それを伝えました。


そしたら親父が自慢げになりながらも、朝に仕事行く前のコーヒーを飲みながら、こう言ったんです。


「 ほーぉ、凄いメーカーもあんのぉ。

ほんなら、次は音楽プレーヤーのパソコン化やな。

ほれ、そこにパソコンあるやろが。

アレを技術革新で、そのプレーヤーほどにしてみーや。

画面もつけてよ、ゲームボーイみたいにしてみーや。

ほんならお前、音楽だけやのーて、動画も持ち運べるんちゃうこ ? 」


そんなイノベーティブな思考の持ち主の親父。

でも、割と頑固で、筋が通らんことは大嫌いやった親父。

人が 1 の事をしたと言えば、1.2, 1.3 の事をしないと気が済まんかった親父。

お寺やら神社、古めかしいけど、自分が綺麗と思った所を津々浦々見回り、日本の美を、凄い愛してた親父。

自分は高卒なのに、自分が家の事情で大学に行けんかった事を負い目に、僕の望むままの学歴まで、子供にバイトもさせる事なく ( むしろ、許してもらえませんでした。 ) 学生時代を過ごさせてくれた親父。


... なんで、親父はここにおらへんねや。

なんでや。

なんで、もぅ、あんな口達者な状態やないんや。


僕が就職して 1 年後でした。

1 度目の休職中、昼間にいきなり電話がかかってきました。

その時、当時の趣味であったラジコン店から家に帰ってきて、車にパーツを取り付け、お昼寝をしている時間でした。


いきなり、携帯が鳴りました。

何でか知らんけど「 即座に出んと。 」と思いました。

虫の報せってやつです。


電話主は、母親でした。

涙声でした。


母「 お父さんが亡くなってん、あんた今すぐ帰ってこれるか ? 電車乗れる ? 」


僕「 あー ? あー、おかんのお父さんな、爺ちゃんか、まぁええ歳やったし、しゃーないんちゃう ? 」


母「 ちゃうがな !! アンタの父親の 〇〇 さんや !! 」


僕「 ... は ... ? 」



理解できませんでした。

僕の父親が亡くなる ?

なんで ?

だって、2 週間前のあの日、ちょうど連休で、ゆっくりしたいから実家に帰ってきたってことにして、母親は仕事やったから、親父と婆さんと僕の 3 人で、小旅行したんやで。


その時、親父の乗ってた初代 MPV に乗ってて

「 みゅう、お前も免許取ったやろ、運転してみるか ? お前たまには、親父を助手席に座らせて楽させてくれ ww 」

とか言われて

「 えーーーーー、いっきなりこんなでっかい車無理無理無理っむりいいりrっり ww 事故ってもええんやったら変わるで ww ええんか ww」

っつって、拒否ったのを聞いて、親父がゲラゲラ笑いだす。

婆さんもゲラゲラ笑っててんで。


海に沈む夕日見ながら、そろそろ帰るかって時間になって、親父が足元の石を拾って、海に投げながら

「 のぅ ... みゅう、お前 ... なんか仕事で辛い事ないか ? 大丈夫こ ? 今やったら全部吐き出してええんやぞ ? 」

と言われました。


でも、吐き出せんかったです。

「 うつ病で休職中 」とは。

大事に大事に育てに育ててくれた末路が、うつ病になったんですとか、僕的に、親父には絶対知られたくなかったんです。

親父の信念、育て方が間違っとるとは、どんな形であれ、絶対に思って欲しくなかった。



なんとか地下鉄や新幹線、ローカル線を乗り継ぎ、地元近くの駅まで帰ってきた時、親戚の人が迎えにきてくれてて、妙に明るく接しようとするから、僕は家に着くまで、ただのタチの悪い冗談やと思ってたんです。

思わんと、精神が持たんかったんです。


家に着きました。

現実が待ち構えてました。

親父が、冷たくなっていました。

久々に泣きました。

泣きまくりました。

自分がうつ病になった時でも、こんなに泣きませんでした。

聞くと、家の周りの方達も、親父ではなくお婆さんが亡くなったとばかり思っていたみたいで。

なんせ、数日後にあるお祭りのために、夏場に伸びている草やらなんやらを、村の人間総出で、親父もいつもと変わらず刈っていたらしいです。

最後に、アルコール飲料も飲みながら、また今年もいい祭りにできたらなぁ ... とも、言っていたらしいです。

なので、村の皆様も、寝耳に水やったみたいで。


お葬儀屋さんに、出来るだけお葬式を待ってください。

まだ心の準備が出来ておりません。

と、伝えました。

ありがたいことに、快く了承して頂き、防腐剤、ドライアイスなども、大量にご用意くださいました。


親父の棺に入れる、お手紙も書きました。

家族全員、それぞれで。


そして最期に、家族全員で、親父を中心に寝ました。

その日、家族誰一人、寝れた人は居ませんでした。

ずっとずっと、親父に昔の話を聞かせては、思い出し笑いをしていました。


それでも、お葬儀の日は来てしまう。

お通夜兼お葬式前日、どんよりとした空気に耐え切れず、僕から家族にこう言いました。


「 あー、こうなってもたもんはしゃあない。この家の長男として言います、村のお祭りには早いけど、親父の最期のお祭り、派手にやったろうぜ !! 」


と。


お通夜、お葬式、心の底から大泣きしました。

棺に入れるお花も、葬儀屋さんが「 これ以上、いけない !! 炉が壊れる ww」という、ギリッギリ、もぅちょっと、な、もぅちょっと !! と無理矢理説得してまで入れました。

最期のお辞儀もキチンとしました。

最期のお見送りまで、まぶたに焼き付けました。


そして、親父が、火葬炉に完全に入れられ、キーが捻られました。


今の僕に出来ることは、全部やれたかな ... 。

26 歳当時、社会人実質 1 年無し。

タバコを吸っていたので、裏方に回りました。

火葬場に喫煙所が無かったんです。


そしたら、火葬の裏方のお部屋の戸が偶然開いており ... 職員様の不手際では、断じてございません。

誰が悪いわけでもない。

ホンマに、ただの偶然やったんです。

... 火葬炉が ... 親父が入っている炉内が燃えているのを見てしまいました。

即座に職員の人に見つかり「 何しとんこんなとこで。見たらあかん、あかんで ! 」と凄い注意されました。


当時の職員様、すいませんでした。

... でも、なんでそんなに怒るのか、僕にはよく分かりませんでした。

なんでて、親父の入った炉の炎の色は、業火で焼かれてるような、クソ熱そうでも、痛そうでもなく ... 。

「 よー今まで頑張ったな、これが最期や、ほんまお疲れさん。」

ゆーてるが如くの、全てを包み込むような、柔らかそうな、優しそうな火炎でした。

僕は、家きっての暑がりやけど、あの火炎やったら、熱くなくなりそうな気がしました。

火やのに熱くないって ww 矛盾しとりますね。

でも、不思議と、そう思えたんです。


1 時間過ぎほどして ...

火葬炉から、親父の乗ってた台が、ゆっくりと出てきました。

当たり前なんやけど、これが現実。

親父は、もうすぐ、骨壷に入ることになる。

軽く軽くなって。

骨を挟むためのさいばしと、骨壷を持って、親類が待機。

皆、当たり前ですが、しんみりとした表情。

笑いなんか起こるはずがない。

そんな事を考える事態がおかしい事。


そして、その台がやってきました。


「 仏様のお遺骨です。」


施設の方のお言葉から、お骨拾いが始まろうとしました。


... その時に、見つけたんです。

足元に大量にある、茶色と黒い塊。

最初は「 え ? ちょと待って、親父なんか病気あったんか ? 」と、僕が一言。

え ? え ? ちょと待って ... 。どういうこと ? いやいやそんなん聞いてないで、知らんで、何やこれ 何やこれ、ちょっと待てよ ... 。


「 私 ( 母 ) も、なんも聞いてへんで ? 」


一瞬にして、ざわつく親類一同。

しかも足元 ?

片足だけ。

位置にして、左足。

いくら火炎が遠い位置と言え、皮膚とは考えにくい。

それなら、右足も ... って事になる。

おかしいおかしい、炉の熱量からして、まずたんぱく質ではない。

それ位の事は、少ない脳みそをフル回転させて考えました。

まだざわついている周囲。

僕は頭フル回転。

最終的に、皆が僕に尋ねてきます。

「みゅうくん、みゅうちゃん、なんで、なんでや、こんな事ありえるんか ? お前細胞生物学学んだんやろ ? 答えてくれ。 」

えー ? こんな時だけ細胞生物学出身を出してくるか ww

てめーら ww



...「 せや !! 」

ぴこーん、閃いた !!

「 そういや、飴を大量に置いたよな ? 親父の好きやったカンロ飴と黒飴 !! アレや、これ飴が溶け出して、また冷えたから固まったんや、殆どが糖分や。それなら話も分かるぞ !! 」

となって、一同爆笑 ww

え ? これ葬式やんな ? みたいな ww

体という器が無くなって、概念化した後も、人を楽しもうとさせる親父 ww

なーんか、親父らしいわ ww


お通夜兼お葬式も、親父があんまり目立ちたくない性格の如く、台風が間近に迫ってて、あんまり人が来れん状態やったな。

その辺りも、親父らしい。

「 あんまクヨクヨ振り向かんといてくれ 」って。



ちなみに、親父が乗ってた 初代 MPV は、デカイデカイと言いつつも、初心者マーク付きやった人間でも、大きさを把握 ... 空間把握というのでしょうか ... してあげれば、凄い運転しやすかった車やったのを覚えています。

一時期、僕の車になりました。

その車も、僕の大学卒業、大学院の近くまで家族で来てくれての入学式、旅行 ... 家族全員で道に迷ったG 市への家族旅行 ww ...そして、僕の大学院卒業、就職し、配属された所まで ... なぜか就職先の営業所がある県に僕が居たのに、一度帰って来いといわれ、そのあとに車で、またその県まで行くという、訳の分からない構図で ... 行ってくれましたが、エコカー減税のため、親のフィットの代わりに、ドナドナされていきました。


奇しくも親父が亡くなって 49 日が終わり ... 僕の家では、49 杯のお茶を容器に入れて、川に流しに行くのですが、母が容器を持ったままズッコケて、お茶を全てこぼしてしまい、家族だけでせっせと 49 杯のお茶を容器に入れ ww 最期の供養 ... 。

僕も異動し、職場に復職したそのあと、親父は見れませんでしたが、僕は見れました。

iPhone を。

日本では 3GS が一番最初ですよね ?


もし、あの時、親父が救急車を呼んでいたら。

もし、あの時、すぐに病院に行っていたら。

「 親父、体力付けるのもいいけど、年相応に程々な。

でないと、体が参るで。

ええか、万が一の時は、すぐに救急車呼ぶんやぞ、親子なんもあるけど、細胞生物学修士持ちの、一人の人間としての、俺の素直な意見や。 」

と忠告していたのを、親父がきちんと受け止めていてくれれば ... 。

... 全ては、後の祭りですが ... 。


親父が iPhone を見たら、どう回答していたか ... 。

今でも親父の思考には、たどり着きません。

たどり着けません。

何を言い出すか ww


ちなみに、僕が「 俺 」と人称を変える時は、ワリとガチもんの話の時です。

普段は「 僕 」です。

皆には逆に

「 そっちのが違和感やわ、みゅうさんなら「 ウチ 」やろ ww 」

と、よく言われます ww


色々話は逸れましたが、本当、良い親父でした。

ちょうど、今年の 10 月で、亡くなってから、早 10 年になります。


最低でも 80 歳は超えてや ... と言っていた僕のお願いに

「 アホ抜かせ、そんな早よ殺さんといてくれ ww

最低 90 歳やな。

お前、ワシに親孝行せーよ ww

お前のために、何千万ドブに捨てとーおもーとんじゃ ww

その分は利子付けて、じっくり返させてもらうからな、覚悟せーよ ww」

って、よく言ってくれてたのになぁ。


それやのに、真面目な場では

「 みゅうはホンマに、ワシの自慢の息子じゃ 」ゆーて、頭わしゃわしゃしてくれる。

「 車 ? 別にええぞ。我慢もしてない。おとんはな、もぅ年取りすぎたんじゃ、スポーツカーとか乗られへんて、乗りこなされへん、意味が無いんや、分かるか、意味が ? もぅホンマ、その気持ちだけでじゅーぶんじゃ。 」

そんな親父やったんに。


僕の職場の ... 復職してすぐ、とある営業リーダーをしていた方が、飲み会の席で、いい言葉を残してくれました。


「 いつまでもあると思うな、親とお寿司。 」


いやはや、全くその通り ww

無くして、初めて分かるんですよね。

皆様も、親御様がご存命の間に、少しでも親孝行ですわ。

光陰矢の如しですよ、ホンマ。



... さて、夜も更けてきたどころか、一周回って、既に明るいわ ww

長い事更新してなかった ... ってのもありますが、明日 ? 今日 ? はもしかすると、僕の人生の中でも、ちょいとしたイベントが起こるかもしれません。


もし結果が分かれば、この小説を読んでくださってる方には、サクッとお伝えしようと思います。


それでは、一旦おやすみなさいませ。


さーてと。ここからはちょっと独り言や ... 。


もし、なんかあって、そっち逝ったらよろしゅうな、親父 ww

そん時は、まずは駆けつけ一杯。

アルハラとかの概念は、そっちにゃ無いっしょ ww

飲みまくっても多分死にはせん。

既に死んどるんや ww

Angel Beats の世界かよ ww


そんでもって、会社の規模は違えど、やっとる仕事はわりと親子で似たり寄ったりや ww

まさに俺も、機械屋の方向に向かっとる。

っつか、完全なる機械屋よ。

専門は細胞生物学やのに ww

そんなん、全くお構いなしや ww

僕の教養やなくて、今の肌身の感覚に、会社が賭けてくれとる。

その感覚をもっと研ぎ澄ます予定よ。

それに誠心誠意、ご奉公する気や。


また親父と、機械についての方向性や考え方、視点 ... 究極的には「 信念 」とまで言っても良い、ぶつけ合いたいな。

親父 vs 息子やない。

1 人の機械屋として、全力全開、本気で意見をぶつけ合うんや。

小賢しい理論は遠慮は後回しや。

そんなん全く分からんし、意味ないから。

一回やってみたいよな。

俺も親父の全力、実は見たことがないし。

な、親父、ホンマやりあってみようぜ。

たぶんクッソおもろいぞ。

止まらんで、多分。

親父が亡くなる前の、電話みたいになると思うで、マジで。

今まで 3 分話せば長いと思とったのに、10 時間一気に話し込むとかな ww

そんなんなりそう ww


ま、そんときゃよろしくな。

一人の機械屋として、お願い申し上げるわ。



〜 俺の自慢の父、R が、この世を生きた証を刻む 〜

... zzz ...

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