2.
――――チリン…。
来店の音がして、カップに移していた視線を入口へと向ける。控えめで温かいドアベルの音は、このカフェに新しい風を毎度送り込んでくれて、私はこの音がいつしか楽しみで仕方がなかった。
「あの、2名なんですけど空いてますか?」
「ええ、どうぞ。奥のテーブル席お使いください」
「どうも!」
「結構雰囲気のあるお店だねー!」
それは、こういった初めていらっしゃる方たちだったり
――――チリンッ。
「いらっしゃいませ」
「あら沙紀ちゃん!今日も寒いわねぇ」
「こんにちは菅野さん、最近は冷え込みますからね。どうぞ、カウンターにお座りください」
こうした常連のお客さんだったりと本当に様々で、荒んでいた私には刺激的で穏やかな毎日だった。木曜の昼間ということもあって、店内には少し若いカップルと常連の奥さんのみ。こんな時マスターは奥に引っ込んで新しいメニューの開発に力を入れており、仕事があって私が呼ばない限りは表に出てこない。初めは親切で丁寧で、まじめな方だと思っていたけど…今では馴染んだ分、遠慮なくこき使われているような気がしなくもない。
「今日は何になさいますか?」
「そうねぇ…アッサムをミルクでして頂戴。あと、今日のおすすめは何かしら?」
「今日は…イチゴタルトとシフォンケーキですね。ミルクならシフォンがおすすめですよ」
「あら、じゃあそうしちゃおうかしら。沙紀ちゃんはすすめ上手でおばさん太っちゃうわぁ」
そういってころころと笑う菅野さんはすらりとして可憐で、とても主婦には見えない。常連の方とこんな風に会話を楽しんだりできるから、まぁこき使われるのも悪くない。
紅茶が好きで度々いらしてくれる菅野さんの言うミルクは、ロイヤルミルクティーのことだ。普通のお客さんのミルクと違うので始めたての頃は混乱してしまったのが懐かしい。コクのある強い味わいのアッサムをポットで抽出すると同時にミルクティー用に仕入れている牛乳を用意していると、じーっとこちらを見ていた菅野さんが閃いた、とでも言いたげに手をたたいてにっこりを笑いかけてきた。
「そうだ沙紀ちゃん!お見合い、興味ない?」
「え、お見合い…ですか?」
抽出し終えた茶葉をサーブ用のポットに一滴残らず入れながら、私は思いもよらない言葉に思わず上ずった変な声をあげてしまう。思わず驚きのあまり振ってしまい雑味が出てしまわないか不安になるくらい、それくらい私には縁のないワードだった。
「うちの旦那の部下がいい人でねぇ、今年で31なんだけどとっても真面目で社交的な好青年なのよ~!沙紀ちゃん素直でいい子だからお似合いなんじゃないかしら…わたしが紹介してあげるから、一度会ってみない?沙紀ちゃんも早くお嫁に行かないと、歳とってからじゃいい貰い先が軒並みなくなっちゃうでしょう?」
一応言っておくと、矢継ぎ早にそういう菅野さんは100%善意である。しかし、私にとってその善意は正直有難迷惑でしかない。
そもそも、仕事というフィルターがあるからなんとかお客さんとも会話できるようにまでなったという人見知りな私である。友人なんてはっきり言って一人しかおらず、その人に会う時とこの仕事以外は一人で過ごすという完全に内向的な私である。そんな私がいくら常連さんの繋がりとはいえ見ず知らずの会ったことも話したこともない人と同じ席について、果たして会話が成立するのであろうか。
答えは否、考えるまでもなく無理だ。
グラニュー糖を溶かし温めていた牛乳を注ぎ入れた私の頭は、どうやって断ろうかとぐるぐる思考し続けていた。その間もこちらの苦悩を知らない彼女は日取りはいつがいいかしらと、どこかうきうきした様子で決定したつもりでいる。早めに断らなくては…とケーキと紅茶を出しながら思い切って私は口を開いた。
「あ、あの…菅野さん。私お見合いなんて…」
――――チリン。
その時だった。来店のベルが鳴って新たなお客さんの訪れが知らされる。
「い、いらっしゃいませ…って、相澤さん?」
「やぁ、沙紀ちゃん。カウンターいい?」
この店の常連、相澤さんはひらりと片手を上げ、いつもの感情の読めない笑みを浮かべて立っていた。