第一話
西岡高等学校の生徒を乗せた旅行用バスは蛇の様な道を走っていた。
すぐ真横にはガードレールが設置されているが、少しでも運転ミスをすれば奈落の底の落ちてしまう。
まさに運転手の腕の見せ所と言った所だろう。運転手はハンドルを切り、その額からは汗が流れ出る。
見ている側も運転手を応援したくなってしまう。
しかし、その必死な運転手とは真逆で後ろの座席に座っている高校生達は騒ぎまくっていた。
隣の席の友達と喋り、菓子を頬張り、固まってゲームをしている表情はまだあどけない。
高校生と言えどもまだ所詮子供である。気持ちが舞い上がり、周りが見えていないのだ。
運転手はバックミラーで生徒達をチラッと見ると少しキレ気味の表情を浮かべ、軽く舌打ちをする。
確かに自分が必死に険しい道を運転している側であれだけ騒がれていたら、客とは言え多少は頭に来る。
運転手はハンドルを大きく切り、自分の斜め後ろの座席に座っている生徒達の担任に呼びかけた。
「ちょっと生徒さん達静かにしてもらえませんかね?運転に集中出来ないんですよ、場所が場所だけあって」
「わ、分かりました」と、
腰の低い態度で担任の教師は頷いた。
髪の毛を七三分けにし、黒縁メガネを掛けている。頬も少し扱けていて、殴ったら死んでしまいそうな弱々しい風貌だ。
教師の黒沢は座席に座って笑顔で騒ぎ合っているこの生徒達が正直嫌いだった。
自分の事勉強を教えてくるウザイ奴程度にしか思っていない。生徒達の劣化は年々激しくなっていく事を一番理解しているのは自分だと思っている。
実質、黒澤が怒れば生徒達は冷たい視線を向けてボソボソと陰口を言い出すのだ。
十数年前は違っていた。完全に無かったとは言わない。だが、完璧に今とは違っていた。
少なくとも自分を尊敬してくれる生徒が居て、怒られたら半生をしてくれていたが、現在は違う。
怒られれば反発し、甘やかすと付け上がる。正直、人間のクズが存在するとすれば現代の学生達だ。
黒澤は胸の底から湧き上がる怒りを押さえ込み、席から体を通路側に乗り出した。
「皆、運転手さんがもう少し静かにして欲しいと言う事なんで、静かにしてくれ」
黒澤は勇気を振り絞って言う。
……だが、生徒達からの返答もブーイングも一切無し。まったくと言って良い程相手にされていなかった。
黒澤の言葉に気づく生徒は一人も居らず、殆どが先程と変わらない表情を浮かべている。
運転士も黒澤を呆れた様にバックミラー越しで黒澤の顔を見て、呟く。
「先生、もう良いですよ……」
「す、すいません」
黒澤は座席に戻り、唇を噛み締めた。抑えた怒りも今ので一気に爆発しそうだった。
額に血管が浮かび上がり、顔は真っ赤になる。その表情からは先程の腰の低い教師の面影はまったく見えなかった。
(クソガキ共がぁ……)
そして、黒澤は横目で生徒達を黒縁メガネを通して冷たい瞳で睨みつけた――。
背筋に寒気がする。そして誰かからの視線も井上大和は感じた。
大和は席から少し立ち上がり、バスの中を見渡す。
しかし、誰も自分を見ている者は居ないし、殆どの生徒は会話に夢中だ。
(運転手……か?)
大和はバックミラー越しに移る運転手を見た。
鏡からは必死な形相でハンドルを切る運転手が映っている。
あの形相で睨まれたら確かに背筋に寒気がするだろう。
大和はそう解釈し、自分の手の中に納まっている本を目を戻した。
井上大和は運動も出来て、頭も良い…………と言った完璧な生徒では無かった。人間は何かが優れていれば、何かが劣る。
大和はそれの良い見本だ。
小さい頃から空手を父親に遣らされて来ただけあって、運動能力は確かに良い。だが、勉強は大和にとって一番苦手な第一だった。
背筋に寒気がする。そして誰かからの視線を井上大和は感じた。
大和は席から少し立ち上がり、周りを見渡す。
しかし、誰も大和を見ている者は居ないし、殆んどの生徒は喋ったり、お菓子を食べている。
(運転士……か?)
大和はバックミラー越しに移る運転士を見た。
鏡からは必死な形相でハンドルを切る運転士が映っている。
あの形相で睨まれたら確かに背筋に寒気がするだろう。
大和はそう解釈し、自分の手の中で収まっている本に目を向ける。
井上大和は運動も出来て、頭も良い…………と言った完璧な生徒では無い。
人間は何かが優れれば、何かが劣る。大和はそれの良い見本だ。
小さい頃から空手を遣らされて来ただけあって、運動能力は確かに良い。だが勉強は大和にとって苦手分野第一なのだ。
しかし、そんな大和にとって本は別物。本は必要不可欠なアイテムの一つで唯一没頭出来る物の一つ。
どんな難しい本でも理解できてしまう。勉強とはまた別の意味で大和は頭が良いのかもしれない。
大和は中断された楽しみを続けようと文章を読み始めようとした……が急に本を上から奪われ、次の瞬間に頭に衝撃は走る。
思わず「痛ッ!」と声を上げ、自分の頭の上を見上げた。
そこには大和の本を持っている、少し天パの掛かった生徒が無表情で大和を見ている。
「何だ、マーチか」
大和は吐き捨てる様に言う。
「何だ、マーチかじゃねぇよ」と、
マーチと呼ばれた生徒が応答する。
勿論マーチと言うのはあだ名で、本名は門井将弘と言う。中学時代から大和と一緒で長い付き合いだ。
最初はそこまで仲良くなかったが、一緒に居る時間が長くなるに連れて親友と言う関係になったのだ。
「お前さ、もっとテンション上げろよ」
将弘はそう言い、奪い取った本を投げ返す。
「別に良いだろ?本が好きなんだからさ……」
大和は投げ返された本を上手い事キャッチし、それを自分の横の席に置いてある鞄の中へと押し入れた。
将弘は大和の横の空いた席と鞄を見て悲しい表情を浮かべ、溜息をつく。
殆んどの生徒が隣に女子を置いている。勿論将弘の隣にも女子が居るが、大和だけ居ない。
大和が自分は一人だけが良いと申し出たのだ。
「お前さ、もっと愛想良くしろよ。女子にモテねぇぞ」
「別に女子にモテたくないし、それに好きでもねぇ奴に愛想振りまく程俺じゃアホじゃねぇ」
「もっと優しくしろって事だよ。恋愛マスターの俺に言わせればお前はオクテなんじゃない?」
「お前何時から恋愛マスターになったんだよ。それにお前も彼女居ないだろ」
「彼女はいねぇけどさ、好きな子なら居るぜ。見てみ――――」
将弘が誰かを指そうとした時だ。バスが急ブレーキをし、全席の生徒達は一度前に投げ出されそうになり、シートベルトにお陰で引き戻されて、座席に叩きつけられた。
女子の悲鳴と男子の低い叫び声が交じり合い、バスの中はパニック状態に陥った。
上から自分の荷物が落ちてきて、手に持っていたお菓子等が床に落ちる。
一気に中はグチャグチャになり、まさに台風が来た後とはこの事だ。
大和はシートベルトを外し、席から離れて回りの見渡し始める。
しかし、思ったほど皆は平気の様子だ。
何故かと言うと女子はここぞと言うばかりに男子に怖がっている表情を見せてアピールしているのが一部居た。
(くだらねぇ)
大和は唾を吐きつけたい気持ちを抑え、何が起こったのかを確認する為に黒澤の方へと向かった。
「先生!黒澤先生!」
大和は必死に黒澤を呼びが、返事が返って来ないし、こんなパニック状態なのに教師や運転士は一度も此方へ来ない。
様子がオカシイと思いつつ、一歩一歩近づいていった。
「井上君、席に戻りなさい。着きましたよ」
すると、暗い影から出てくる様に黒澤が黒縁メガネを中指で上に上げて皆の前に出て来た。
黒澤はメガネ越し大和を見つめてくる。
大和はゾクッと寒気がし、背筋に悪寒が走った。
(あの寒気は黒澤……?)
「皆さん、着きました。『最終卒業試験会場です』」
黒澤がそう言うと同時にバスの入り口がプシューと音を発てるながら、地獄への入り口が開く様に不気味に開きだしたのだった。