第一話 始まりの異邦人 / ミドルフェイズ 6:その一行は森の中でクマに遭う
今回は長いです。
「現状の確認をしましょう」
パオブゥー村と国境の町、マージナルの間にそびえ立つ山へと続く森の中、斥候の佐助を先頭にして一行は慎重に、しかしなるべく急ぐように移動していた。
村を出発して、少ししたところで一番後ろを歩いていたそんな時、エニステラが話を持ち出した。
「まず、我々は現在、この森を抜けその先にある山、ヴェルグ鉱山にある洞窟に潜む死霊術士であり、高位のアンデッドであるリッチを討伐するために向かっています」
「まって。鉱山? あの山って鉱山だったの?」
都子が木々の間からわずかに見える山を指さして、疑問を呈した。
そびえたつ山、ヴェルグ鉱山は一見、普通の山であり、鉱山であるならば採掘ように用いられるものが見受けられない。
第一、鉱山であったならば、パオブゥー村が全くと言っていいほど見向きもしていない様子であったのはおかしい。村では、鉱山による採掘物などの話は一週間の内に全く耳にしなかった。
そんな都子の疑問に答えたのは、注意深く周囲を観察しながら時折地面に触れ何かを調べている佐助だった。
「鉱山といっても、元鉱山なんっすよ。それも二百年前とかそれくらい前の」
「元?」
「ええ、村で聞いた話なんですけどね。何でも言い伝えではその昔にドワーフ達がこぞって集まって、産出した鉱石やらなんやらでの鍜治が盛んだったらしいんですよね」
「ドワーフか……」
ドワーフとは亜人類種の一種であり、身長は低く、しかしガタイはしっかりとしてけむくじゃら、そして力が強く、手先が器用であることから鍛冶を得意とする種族である。
この世界、グゥードラウンダでは、亜人類種と呼ばれる所謂、エルフや、ドワーフといったような。人に近く、しかし人と異なる特徴を有する種族が存在している。
よく知られている種族としては、特徴的な長い耳を持ち、細見である森や水辺の近くに住むエルフであったり、山や沼地を好むドワーフ、獣の特徴を備えた、平原や森に住まう、獣人種や、陽気ですばしっこい、小人族等がいる。
中には、竜の鱗を持つリザードマンであったり、翼の生えたハルピュイアなどといったものもいるラ篠田が、生憎と、恭兵自体はあまりお目にかかったことは無く、師匠からの人づての知識でしか知らない。
「しかし、二百年前に魔王軍の侵攻でドワーフがここから撤退……残った者も坑道と併設されてた鍜治場を道連れに全滅したらしく」
「その後は奪われた土地を人類が奪い返したのはいいのですが……、御存じの方も多いとは思いますが、亜人種に対して排斥的な国家が統治していたこととなり、生き残ったドワーフの士族たちが返り咲くことも敵わず。その後は誰にも手をつけられずにそのままだそうです」
「成程、それで鉱山と。でも、良くそんな中を通ってこれたよな。完全に潰れてたんだろ?」
「元々、ある程度はリッチが掘り起こしていたのもあるのですが、私とリッチとの戦闘でがれきとなった一角が崩れまして、恐らく私はそこから迷い出てしまったものかと」
「つまり、今は開通してはいるのか」
「ええ、恐らくは。少なくとも、私が行き来で来たのでその程度の道はあるかと」
エニステラの身に付けていたものは鎧にその手に持った特殊なハルバード。ある程度の大きさの割れ目なりなんなりが無ければ、通り抜けることは困難であり、まして気づかぬうちに抜けていたとあれば、尚更である。
問題としては、再び崩落を起こして、道が塞がれている場合であるが、通常通りの道のりでは士官がかかってしまうので、やはり山を通り抜けるしかなさそうである。
そう恭兵が、考えた所で都子が質問を投げかけた。
「急ぐのは分かるけど、本当に間に合うの? アンタが来て一日とは言わないけど、半日はたちそうなのよ。引き止めた私達が言うものじゃないと思うけど、もう、町まで侵攻してんじゃない?」
「いえ……それは恐らく大丈夫でしょう」
「随分と断言するわね」
エニステラの反応に驚く都子。現に昨夜は無理を押して、一人で出ていこうとした張本人が一番焦っているものだと思っていたが、エニステラは歩みを急かすことは無く、それどころか周囲に警戒を配ることを優先して慎重に動いている。
自分達が帰った後に何らかの心境の変化があったらしいことは、協力することを了承したことから察せられたが、どうやらそう単純な心変わりというものでもないようである、と都子は感じ取った。
「これは基本的、といいますか。私のやり方として屋内に討伐対象が居る場合には逃走を防ぐためとして予め出入り口を塞ぎます」
「うち漏らしを防ぐためっすか」
「その通りです。今回の場合は山の洞窟を隅々まで調べあげ、マージナル側へと通り抜けることが出来るものを、私が入ることが出来たものを除いてほとんどがドワーフの手で塞がれていましたが、神聖魔法による結界によって塞ぎました」
「穴を全部塞いだの……? 凄いわね……」
「いやでも、結界張ったって、相手は腕の立つ死霊術士なんだろ? 既に破られてる可能性があると思うんだけどよ」
「結界の基点となる場所は、洞窟の外に置きましたし、そもそもアンデッドが触れればそのまま浄化されてしまうものですので、いかにリッチといえど迂闊には触れることはないでしょう。他に出入り口を作り上げるにしても入り組んだ坑道が軒並み潰されているということもあり、町に侵攻する暇はそれほどないでしょう。勿論、時間の問題ですが」
「そんなに、凄い結界なら目の前で仕掛けてそのまま封殺! なんてできそうっすけどね」
「いえ、聖騎士の私であっても瞬時に結界を作り上げることはできませんし、結界を張るための触媒はもう手元にありませんでしたから」
少々お高いものでもありますので、と続けるエニステラ。
対魔十六武騎が少々高いって言われる触媒とは、と思った三人だが、滅入ってしまいそうになるので考えない事にした。
エニステラが三人の反応に苦笑した所で、先頭の佐助の歩みが緩まった。
どうしたのか、と恭兵が前方に目を向けると、そこは昨日、エニステラが倒れていた森の開けた場所であった。
森の開けた場所は、木々の間から漏れ出る日光のみで育たざるをえない他の場所とは異なり、多くの日の光を浴びて成長した雑草が生い茂っている。
傍には太い樹木があり、その傍にエニステラは倒れていたのだった。
そして、反対側には、と思考した所で恭兵は気づいた。
エニステラが倒したはずの巨大熊、ハングリーベアの死体がそこにはない。
確か、樹木に背中を預けるように倒れていたはずであるが、影も形もない。あの時はエニステラを連れ出すために死体は放っておいたため、自然と動く訳は無かった。
「地面、引きずられた跡があるっすね。こりゃ、他のモンスターが自分の巣穴まで持ってったんじゃないんすか?」
「それなら、問題は無いのですが……嫌な予感がします」
「というか、それだけだったらお前も別に立ち止まったりはしないだろ。前置きはいいから何が来てんのかはっきりと言え」
「まあ、とりあえず言えば前方ちょっと囲まれてたりしますかね」
佐助が顎をもって指し示した先、光が当たらず暗くそして木々と藪が重なり視界が良いとは言えない森の中、わずかに動く影がある。大型の獣のような影を一つ、そしてそのそこからあまり離れていないところにぽつぽつとある人間程度の大きさのものをいくつか恭兵は確認した。
グゥードラウンダに迷い出た先であり、師匠と二年間の修行を行った樹海での経験から、恭兵はあれが森に棲む種類のモンスターでは無いことが分かる。
獣と同様に獲物を隠れて襲うというのが森に棲むモンスターの特徴である。
ターゲットに気づかれないように忍び寄り、その背後から狙うといった行動とはまるで違う。あれらはただただ、小枝を踏み、藪を揺らしながら存在を隠そうとしていない。否、隠すという意志すら感じることが出来ない。
なにより、この距離ですら臭い立つ腐敗臭がその正体を物語っている。
「人型の歩行速度から言って、恐らくゾンビでしょう。リッチが尖兵を放ってきましたか」
「やっぱり、そうか」
専門家であるエニステラの言葉で一行は確信にいたる。あれらは死霊術士であるリッチが自身の秘術でもって死体を動く屍と化し、下僕としたモノ。腐った死体はそのままに思考することなく、下された簡易な命令通りに動く肉袋、ゾンビである。
そして、大型の獣というのは恐らく、
「私が倒したハングリーベアでしょうか。とは言え、神聖魔法による影響でアンデッドに作り上げるには向いていないと思うのですが」
「まあ何にしろ倒すのは厄介そうだな」
「どうします? 人型ゾンビの薄い所を一点突破すればそのまま切り抜けれそうっすけど。無駄に戦う必要はないでしょ」
佐助の提案を受けて再び互いの位置を考える。敵はハングリーベアのゾンビが一、人型ゾンビが八から九となり、数を考えればこちらが不利となる。それがこちらの前方を扇形になるように包囲している。
後ろに逃げることはできるがそんな時間は無く。同様に回り道をした所で時間を食うばかりか再度包囲されることも考えると撤退は厳しい。
この距離、相手はこちらの正確な位置を掴んでいる様子は無さそうだが、この開けた場所では隠れることはできずに直ぐに発見されてしまうだろう。
よって、戦闘は避けられない。かといって無駄な消耗は避けるべきであり、エニステラはその筆頭である。
そして、避けられないのであれば、一点突破。相手の包囲の薄い所を突破してそのままリッチの所まで駆け抜けるのが最善ではある。
が、エニステラは佐助の提案に首を横にふる。
「決して悪くはありません。キョウヘイと私の二人がかりで突破を試みれば難なく包囲を崩すことはできるでしょう。ですが、問題点が三つ」
エニステラは前方に注視しつつ、三人に向けて指を三本立てながら言う。
「まず抜けた後の移動速度で追いつかれてしまうかもしれないということ、これはハングリーベアゾンビの速度が未知数であるということからきています。経験からおおよその速度は分かりますが……得てしてリッチともなる死霊術士は改造を施しているので正確な所は現時点では分かりません。なので、突破した場合」
「私の足の遅さで追いつかれる、と」
都子が黒いフードの中から吐き捨てるように自嘲した。
現在、この一行の中で移動速度に欠けるのは都子である。
佐助やエニステラはいわずもがな、恭兵もある程度の短距離であるならば、念動力を用いて素早く移動することは可能である。
しかし、都子には現状移動に関わる魔法を有していない。呪いの魔導書に何らかの魔法が記されている可能性はあるものの、いきなり本番で使うほど追い詰められているでは無く、そのような不確定なものを当てにする訳にはいかない。
異世界に来て二ヶ月程度の都子では、体力はついたもののまだ平均的な女子高生を越えた運動能力を有している訳では無い。
少なくとも、野生の熊相手に逃げ切れるような超人的な体力など持てる訳も無い。
そんな自身の力のなさに歯がゆい思いをするも、黒いフードの中でそれを隠す。いまはそんなことをしている場合ではないからだ。
「ミヤコの言う通りではありますが、まず私達の誰かが立ち止まれば追いつかれるかもしれないことを考えれば変わりはありません。そして関連して二つ目の理由ですが、リッチがあれらの尖兵をだしたのみで終わるとは考えられません」
「つまり、第二陣だったり、罠があったりか。で、そんな物があれば追いつかれる可能性もあり、最悪包囲されると」
「俺なら事前に罠とかは避けれそうっすけど、時間がかかるのは確かなんで。まあ、追いつかれる可能性はありますね」
「ええ、相手が何を出してくるかは分かりませんが対処を考えるだけでも時間を取られます。それが第三陣、第四陣と続けば」
「結局追いつかれるってことか」
今回は時間との勝負であることと同時に、エニステラの消耗を抑えることが目的である。従って、力づくで突破していくことは何度も出来ない。
「そして、三つめ、例え私達が突破に成功したとして、そして追手を振り切ったとして、残ったあれらはどこに向かうと思いますか?」
「それは……そうか、近くの村……!」
「ええ、あのハングリーベアゾンビが一体村を襲えば容易に壊滅させることができるでしょう」
エニステラは拳に力をこめ、身に付けた篭手からミシミシと音が聞こえる。
彼女にとっての本当の問題はここなのだろう。
――――一つの町は救えたが、一つの村はそのために滅んだなど、エニステラ=ヴェス=アークウェリアには許せるものではない。
恭兵とてその気持ちは同じである。世話となった村を易々と滅ぼされたいと思う奴がどこにいるのだろうか。
「じゃ、じゃあ。サイモッドとガーファックルの二人に任せるのは? 二人なら何とか守れると思うんすけど」
「それでも、二人に全てを任せる訳にはいきません。腕は立つと見ましたが、ハングリーベアゾンビに加えてゾンビまで対処できると希望するには彼らの実力は見ていませんしね」
「…………」
さて、問題は出そろった。というよりも大きな問題の根幹としてあるのは、ハングリーベアゾンビであり、アレの対処に頭を悩ませているということになる。
よって、問題を解決する一番簡単な方法は、
「じゃあ、ぶっ飛ばすか。あの熊ゾンビ」
「そうね。やるしかないでしょ」
「そうですね。っと」
「はぁぁぁーーこうなるかぁぁーーー」
恭兵は、首を回し首の骨を鳴らしながら一歩前に出て、続くように都子は懐の魔導書に手を添える。エニステラは思わず、飛び出そうとしたのを抑え、手に持ったハルバードを確めるように持つ。佐助はため息を吐きながら、地面から手を離して立ち上がり、短剣をどこからともなく取り出す。
「で、飛び出そうとしたエニステラは、あの熊ゾンビやれそうなの?」
「問題はありません。と言いたいところですが、温存する具合によりますね。魔法を使わずに倒せますが……人型を処理するだけであれば、消耗するわけもありませんが」
「よっし、じゃあそっちいってもらって。俺と都子であの熊ゾンビやるか」
「えっと、大丈夫ですか?」
「大丈夫、樹海の中じゃあ似たようなの結構相手にしてたし」
「ええ、問題ないわよ。恭兵、ちょっと、ここまで引きつけて……私、撃つわ」
都子が言った言葉に振り返る恭兵、相変わらず黒いフードにその顔を覆い隠しているがその不安は感じ取ることが出来た。
「大丈夫なのかよ?」
「大丈夫、こっちを使った方がいいでしょこの場合。私だっていつまでもって訳にはいかないし」
「……外しても気にすんなよ」
「余計な心配しないで、アンタもしっかり引きつけなさいよ。そういう訳だから、よろしく」
エニステラは二人のやり取りを受け、僅かに逡巡するが自分を消耗させないための作戦に歯がゆい思いを感じながらも直ぐに頷き、
「分かりました、お二人にお任せいたします。何か問題があればすぐさま駆けつけますので」
「あーそれじゃあ俺は牽制っすかね。不意打ち当ててもいいっすけど」
「ああ、こっちに誘導頼む」
エニステラは身を潜めるようにして、藪に隠れゾンビが包囲している左翼側へと向かい、佐助はそのまま気づかれないように音もたてずに木の上へと駆け上がる。
まだ、ゾンビの集団は一行に気づいていない。
ゾンビがどのような感覚器を用いて周囲の状況を判断しているかは定かでは無いが、それでもこの凡そ三十メートル程の距離であっても気付いている様子は無いことから、索敵能力はさほど高いものでは無い事が分かる。
そして、ゾンビが作った包囲網は森の開けた場所に残った恭兵と都子へと迫り―――その中でもひときわ大きな影が二人へと向いた。
所々指す木々の間の木漏れ日すら薄い森の深くで、濁った赤い二つの光が動く。
それは獲物を見つけ、歓喜の雄たけびを上げようとしたが自身の喉は焼けただれ腐っていて、獣特有の雄々しさなどとかけ離れた、詰まった残留物を吐き散らす音しか出す事が出来なかった。
だが、すでにそんな違和感を得ることが出来るものさえ失ったそれは、目の前の木々や藪を見ず、明るい場所に立つ得物にその爪を突き立てるべく、疾走する。
熊が出す事ができる最高速度は、自動車に匹敵するというようなことをテレビ番組で見た覚えがあることを都子は今更のように思い出していた。
そして、ゾンビになったからと言って足が遅くなるわけでは無いということを改めて実感した。
ハングリーベアゾンビ――熊ゾンビは、恭兵と都子の二人を見つけるやいなや、その体に秘めた瞬発力を爆発させた。
こちらへと向かう最短距離の一直線上にある藪や、木の根等もろともせずに、駆け抜けたあとに残骸をまき散らしながらこちらへと向かってくる。
奇しくも、昨日のアイアンボアと同じく敵は突進を仕掛けてきている。
違うのは、猪のように突進するだけではないであろうという事、周囲の環境は森の中ということ、
―――そして、こちらは二人では無いという事だ。
ついには木の根っこを弾きその前腕で弾き飛ばすことで木が倒れる。
距離が縮まるほどに腐敗臭は強くなり、思わず自らの鼻を覆いそうになる衝動を抑え、限界まで引きつけるべく迎撃の姿勢を崩すことは無い。
正面、既に十メートルを切る、しかし未だに開けた場所への誘導は完璧では無い。このままでは巻き込んでしまう。
迫る圧力、次第に見えてくるのは肌が腐り落ちて、さらに中身すら腐った筋肉、体の脈動かそれとも蛆虫がうごめいているか定かではないが、ぷしゅりぷしゅりと音を立てて何かが残った皮膚の下を這いまわっている、
恭兵は背負った大剣を覆う布を取り払い、引き抜く。
大剣は、森のに差す日の光を受けてその赤い輝きを増す。左足を前、右足を後ろに構える事で左半身が前に出る。足を肩幅よりも開き、地面を踏みしめて踏ん張りをきかせる。赤い大剣を右手の手元に引き、左手は添えるようにささえ、右の腰溜めに構える。剣先は下に下ろされ、振りぬけば切り上げる形となるだろう。
恭兵が構えたのを認識して、熊ゾンビにも僅かに警戒する構えを見せるが、止まることは無い。よしんばその危険性を認識したとして、すでに静止する理性と生存のための野生は失われている。
恭兵の後方五メートルほど下がった位置に都子は居た。魔道書を取り出し、構える。準備するのは初手での起点となる拘束の魔法の黒い鎖、ハングリーベアゾンビを引きつけ次第、拘束する準備は整った。
そして、恭兵の視界の左端、藪の奥で動く影に、何かが踊りかかり、影が断たれる。エニステラがゾンビの掃討を開始した証であった。
次々と踊るように、森の中を駆け、交差した瞬間にゾンビのものと思われる影は崩れ落ちる。
熊ゾンビはそれに気づいた様子も無く、走り続け、恭兵と都子が待ち構える、森の開けた地へと誘いこまれ、踏み入った。
(まだ)
焦ってはいけない、ギリギリまで引き付ける。
熊ゾンビと恭兵の距離は五メートルを切り、熊ゾンビが通り去った後方の木の上から、何かが飛来する。
日の光を反射するのは、木の上に潜んでいた佐助が投射した短剣、熊ゾンビの腐った耳を衝き抜け、目蓋の上を抉り、地面へと突き立った。
熊ゾンビは思いもしない攻撃に反応し、四つ足での走りを中断し左前腕を自身の左前半身の空間をかきまぜるように振り回す。当然、その空間には何もおらず、当たればただでは済まないその一撃は意味も無く空を切る。
気を取られた熊ゾンビは突進を止め、左腕を振ったことで自然、その上体は起き上がる。
熊ゾンビの胴体部は、エニステラの放った雷により空けられた風穴を他の何かで補ったらしく、継ぎ接ぎだらけの皮膚が全面にあり、そのどれも腐敗が進んでいた。
その出来合わせの継ぎ接ぎを縫うように、熊ゾンビへと踏み込んだ恭兵は腰だめに構えた赤い大剣を切り上げる。
一閃。赤い大剣は腐った皮ごと中身を切り捨て、中から腐った血と腐臭の元であるガスが噴き出る。が、そこまでだ、肉を僅かに裂いただけで、深く傷を負わせるに至らなかった。
「くっそ、ゲッツーにはなんねーか!」
恭兵は佐助の何かしらの陽動に合わせるように、まず一撃を与えるつもりであったが、タイミングが合わず、甘い踏み込みからなる、浅い傷を作るのみとなってしまった。
そして、切りつけられた熊ゾンビが改めてその注意を恭兵へと向ける。
さほど高い知能を持ち合わせていないのか、どうやら直前に攻撃を仕掛けた生き物を目標に選ぶようだ。
丸太と同じ太さを誇る右腕を、ゾンビとは思えない速さで目の前の敵に向け叩きつけるべく振り上げたその時、
「《拘束》」
都子の黒い鎖が振り上げた腕に絡みつく、そして黒い鎖は一本だけでは無い。都子の手から放たれた何本も黒い鎖は開けた地を避けるように生えた、木を経由するようにして、全方向から熊ゾンビを縛り上げる。
手、足は勿論、胴体を重点的に縛り、その大きな口も鎖による轡をかまし、塞ぐ。
それでも尚、熊ゾンビは止まらない。
ミシミシと鎖を力任せに引き、自由を求めてもがく。黒い鎖を括られた木々はその太い幹に食い込まされ、直にもろともに引き倒されるのは時間の問題だろう。
恭兵は、切り上げた大剣を自身の手元に戻し、今度は肩に担ぐように構える。
構えは左半身を前に、今度は右足に重心を掛け、左足は右足にわずかに寄せ地面と爪先はわずかにこすらせるように浮かせる。
左脇を締め、右脇はわずかに空間を作る。
熊ゾンビは右手が拘束されたままに恭兵へと、無理矢理振り下ろす。
応じて、構えが完了した恭兵は、左足を踏み出し、腰を回転させる。
「フルスイングッ!」
大剣はすでにその腹をゾンビ熊の方へと向け、その軌道は当たるように、しかし当たらずに念動力で加えられた風圧のみを押し込む。
振り下ろされた腐った右腕は突如発生した風圧に圧され、わずかにその動きを遅くさせたが、止まらずに空気の壁を殴りぬける。
しかし、そこに恭兵の姿は無い。
巻き起こした風圧と、振った赤い大剣にかけた念動力を解除、踏ん張っていた地面を逆に蹴り上げる反動で、赤い大剣い引っ張られるに後方へと、下がる。
そして、彼女の準備は整った。
――ここ五年程に現れる"迷人"には固有の超能力を有する傾向が確認されている。
例えば、高塔恭兵の超能力は、自身の認識した領域に力を加えることができる《念動力》。加藤佐助の能力は触れた物の情報を読み取り、生物であるならばその記憶や思考を読み取ることさえ可能とする《接触感応》である。
では、明石都子は? 彼女は例外なのか? 異世界に迷い込んだ普通の少女であるのか?
否である。彼女も例外に漏れず、たとえ呪いの魔道書をその手にすることは無かったとしても、既に普通の少女からは逸脱してしまっている。
――――明石都子は超能力者となってしまった。
それに気づいたのは、グゥードラウンダに迷い込んでからで、少なくともそれまで普通の日常を歩んでいた彼女にはまるで無かった異常だった。
全くといっていいほど、その能力が目覚めた切っ掛けが思い出されない。しいて言うとすれば、異世界に迷い込んだ瞬間であるのだが、都子にはその前後の記憶は曖昧となっていた。
よって、いつの間にか身に付いてしまった力を彼女は理由も無く恐れていたし、どうしようも無い状況に陥り、使ってしまった後もその気持ちは薄れる事無く。むしろ、増す一方だった。
だが、それでも彼女は普通の日常に戻ることを諦めない。
必ず元の世界へと帰るためならば、自身が変わってしまうかも知れないという矛盾をその意思でねじ伏せ、恐怖を勇気に変えて撃つ。
左手に魔道書を携えながら、右手には人間の頭部よりも一回り大きな、火の玉が浮かんでいる。
安定性が無いのか、揺らめきながら、突発的な膨張とそれを抑えるように収縮が繰り返され、その度に周囲に熱が撒き散らされる。
「《念動火球》ッッ!」
――明石都子の有する超能力は、自在に熱を操り、火を生み出す。《念動発火》である。
解き放たれた、火球は熊ゾンビの胴体、恭兵が傷を付けた跡に吸い込まれ、腐ったものも腐りかけているものも関係は無くその肉を焼き、その内に溜め込まれたゾンビが発する腐臭の元となったガスに引火し、爆発を起こした。
「やっば…!」
火と共に広がる閃光よりも速く、飛び散る音と衝撃と熊ゾンビの肉片。咄嗟に下がった、恭兵は、自身の後ろに都子を隠し、赤い大剣を盾にした上で念動力を前面に壁上に張りめぐらせたことで、降りかかる熊ゾンビの残骸を防いだ。
爆発が止み、様子を伺うべく赤い大剣の影から、顔を出す恭兵、爆発が起こった中心では、僅かに残った残骸は、そこに今まで立ち塞がっていた熊ゾンビは見る影も無く、その肉体に詰め込まれたものは消し飛んでしまったのだろう、腐った皮の残骸がその場に落ちているのみであった。
とりあえず、起き上がっても大丈夫そうだった。
「……よし、もういいぞ。出てきても」
「ふう、もう、何なのよ。私何か制御間違えたの?」
「多分、制御に問題は無かったぜ。ただ火をつけたら爆発するとかいう爆弾みたいになってるとか思わなかったし」
あるいは、エニステラであったならばその危険性を指摘してくれたのであろうが、情報を確かめずに任せろと行言ったのはこちら側であるので、二人とも未熟であったという話であった。
「さてと、森に火は燃え移っていなさそうだな」
「足元に燃え移ったのも爆発でもろともに消し飛んだし……何とかなったかな」
流石に初手で火球を打ち込めば、木に燃え移り最悪で山火事となってしまうに違い無い。消火している時間すら惜しいのに、放火でパオブゥー村が壊滅の危機に陥るとか最悪でしかない。
「ま、何とかなったから結果オーライという訳で」
「うーえ、やっぱり臭いがきついわね。火を付けるんじゃなかったかしら」
爆発の煽りで、都子は黒いローブからその顔が露わになっていた。本人は突然の爆発の影響で気付いてはいないが、首元に巻かれている包帯まで露わになっていた。
都子が包帯の中身を見られるのを嫌うので、恭兵はこれ以上視線を向けないように、周囲の状況を確めるべく、視線を向けた。
あの爆発で散らされた腐敗臭は全て飛ばされたかに見えたが、周囲に僅かに散乱していた。その臭いは思わず口に手を当て、えづくには仕方ないものであるが、ここは我慢するしかない。
自分の方は、多少全身を打った程度で済んでいて、特に目立った傷は負うことは無かった。
兎も角、思ったよりも早く片付いてしまったが、他のゾンビはどうなったのだろうか、と恭兵は森の奥の方へと目を向ける。
エニステラに援護はいらないと思うのだが、一応何があるかは分からないので、都子を連れ立った合流するべく、臭いに咳き込む都子へと振り返る。
真っ黒な影のような手が空中から、都子の首へと向けて伸ばされていた。
気配は微塵も感じられず、突然まるで初めから空気の中に溶け込んでいたかのようであった。
「都子っ、屈め!」
叫び、恭兵はその手を黒い影へと向ける。今までの発動速度の最速をここで引き出すべく、集中を一瞬で尚且つ最大に練り上げ、放つ。
見事、練り上げらえた念力は最速で黒い影を捕え、黒い影の手が都子の首の包帯をかすめた所で静止した。
が、その手ごたえは良いものでは無かった。
まるで、煙のように確かに掴んだ黒い影は念動力による拘束から、離れ再び都子の首へと向かい――
―――白金の閃光が恭兵の頭の横を通り過ぎて、黒い影を貫いた。
閃光は、そのまま大木の幹へと突き立てられ黒い影を縫い付けた。黒い影を縫い付けたのは、槍の先に斧のッ文と槌の部分が付けられ、呪文のような紋様が刻まれた長柄の武器。閃光の正体は、エニステラが手にしていたハルバードが恐るべき速さで投擲されたものだった。
謎の黒い影はうめくような断末魔を上げ、現れた時と同じく空気に溶けるように消え去った。
「ふう、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ助かった。ありがとうエニステラ」
恭兵が顔を向けると、いつの間にか傍まで来ていたエニステラが安心させるようにこちらへ微笑んでいた。
すぐさま、顔を切り替え都子の方へとよる。
都子もとっさのことで何が起こったか分からず茫然とし、恭兵の言葉に合わせて屈んだままの状態でいた。
「ミヤコの方は大丈夫でしたか、首を狙われていたようですが?」
「え、あ、いやっ!」
首元を確認するように伸ばされたエニステラの手を、反射的にはたいた都子、自分の顔が露わになっていることに気づき、慌てて黒いフードの中へと隠した。
エニステラは都子の反応にはたかれた手を戻し、
「申し訳ありません。私の配慮が足らず……大丈夫です。誰にでも隠したい物はありますから」
「……いや、私の方こそ、助けてくれたのに手をはたいたりして」
都子はバツの悪そうな声で謝り、エニステラは会釈することでそれに応えて、自身の得物であるハルバードが突き立てられた大木へと向かった。
「あー大丈夫か。ほれ」
「う、うん。ありがとう」
どうにも気まずい空気が流れる中、恭兵は都子へと手を差し伸べ、都子はそれを支えに何とか立ち上がった。
都子はどうにか落ち着き、平静をとりもどし改めて周囲の状況を確認するべく、視線をめぐらせた。
何とも、落ち着かない空気のために、恭兵は切り替えるためにもエニステラにあの影について聞くことにした。
「エニステラ、あの影って何だったんだ? 掴もうとしたらすり抜けってたし」
「あれは、シャドウコラプスです。死霊術士が使役する使い魔のようなものの一種で、アンデッドが発する腐臭を元に死霊魔法により作られるアンデッドですね。その体は腐臭でできています」
「じゃあ、最初気づかなかったのもすり抜けたのも?」
「ええ、本体は気体ですからね。初めからあのハングリーベアのゾンビの中に潜んでいたのでしょう。あの爆発から察するにほとんど中身は無かったと思われます」
「それじゃあ、なんでその武器は当てれたんだ?」
「流石にアンデッド対策は万全です。所謂魔法の武器、といいますか。対死霊用の呪文を特殊な製法で刻むこと魔法を使うことなく、直接攻撃できるのです」
とは言っても、すでに爆発で弱まってましたが、と言い。ハルバードを引き抜き、恭兵へと振り返るエニステラ、見ればゾンビと戦った後であるのに、返り血一つ無い。恐らく全て跡が付くよりも早く倒したのだろう。流石対魔十六武騎である。消耗を抑えるだけでもこれとは、格が違った。
納得したところで、佐助がこちらへ駆け寄ってきた。熊ゾンビへの牽制が終わった後は、特にこれと言った動きは見られなかったので、よもや爆発に巻き込まれたものと恭兵は思っていたのだが、傷一つ無くピンピンしていた。
「大丈夫すか。大きな爆発がして、気が付くとエニステラさんが走って向かったんで大丈夫だとは思うっすけど」
「ああ、何とかな……お前、あの後何やってたの?」
「え、何その反応。ちゃんと仕事したのか? みたいな。失敬な! ゾンビのうち漏らしは確認しましたよ」
「それだけ?」
「しょうがないじゃないですか! エニステラさんが気付けば全部首撥ねた上で、丁寧に足とか潰してましたし!」
チラリ、と二人でエニステラの方を見る。
流石、アンデッド退治の専門家、欠片も容赦なかった。
「えっと、どうかされました?」
「いや、何でも。とりあえず、ゾンビは全滅、こっちはほとんど怪我は無しかな?」
「みたいね。それじゃあ、先をいそぎましょう」
一行は確認を終えると、再び佐助を先頭として隊列を組み、死霊術士のリッチが潜む、ドワーフ達の坑道跡地の洞窟へと向かった。
◆
暗く、入り組んだ洞窟の中、その中に不自然に設けられた一室。明かりはわずかに灯された燭台のろうそくのみで、うすぐらく顔を認識することは困難であろう。
その一室に一つの影がある。
影は全身を覆うローブに身を包み、ただその場に佇んでいた。
そして、なにかに反応し、顔を上げる。どうやら、自らの手下がやられたようだ。
あの、《聖騎士》は生きていた。そうでなくてはならない。そうでなくては、ここに居を構えた意味が無くなってしまうところだった。
影は懐を探り、しかし目当てのものが見つからず、首を傾げるが、再び静寂とともにその場に佇む。
――目的を果たすまでもう少し、確信に似た予感を脳裏に刻み、ただその影は約束の刻を待ち続ける。
続きは一週間以内に投稿するつもりですが、もしかしたら、木曜日になると思います