第一話 始まりの異邦人 / ミドルフェイズ 3:その少年少女は襲撃者と戦う
何とか間に合わせることが出来ました。
戦闘回です。
暗闇の中に一筋の閃光が走る。
全身を黒衣で包んだ襲撃者が、先ほど恭兵により取り上げられた物とは異なる短剣をどこからか取り出し、一直線に恭兵に切りかかる。
背中に背負った赤い大剣を抜く暇は無く、そのまま一歩後方へと下がることで、横に払う一閃を回避する。
(明日から忙しいってーのに、何でこうめんどくさいタイミングで来るかね)
恭兵はそのまま、後方に下がりながら思考をする。
現在、恭兵と都子は依頼を完遂するべく、宿兼見張り場所である馬小屋に戻った所、謎の襲撃者に襲われていた。
月明りでのみ確認することが出来た黒衣の軽装という特徴から、襲撃者は恐らく暗殺者の類であると推測することが出来る。
というか、十中八九途中で薬屋から抜けた商人の護衛をしていた軽装の三人目だと、正直恭兵は思った。
あんまり顔の印象がはっきりとせず、はっきり言えば影が薄かったのでどのような人物か特定できるほど覚えてはいなかったのだが、思いつくかぎりの人物で一番怪しかった。
勿論、誰にも気づかれずにこの村に侵入した刺客だということもあり得るだろうとも恭兵は考えたが、とりあえずその正体については脇に置いてことにした。
正体が何であれ、襲撃してきた目的は恐らくお尋ね者の都子であろう。
(ここで大剣を振り回すには狭いか……!)
背中の大剣の重さを意識しながら考える。
一振りするだけの広さは辛うじてありそうだが、そんな気を使った攻撃が襲撃者に当たるとは到底思えない。
ここで話は変わるのだが、現在この馬小屋には馬はいない。
その理由としては、飼育している馬が恭兵に全くなつかず、終始警戒の唸り声を挙げていたという以外には、二つあった。
一つ目は、ナスティさんが飼育している馬は特殊な品種であるらしく、なるべくストレスを避けて飼育する必要があるらしかった。そのため、他の飼育小屋からは離れた村を囲う柵の近くの場所にわざわざ馬小屋を作って飼育する必要があった。よって、慣れない人物が居てはろくに馬を休ませることなどできないため、現在は臨時の手段としてもう一つの飼育小屋を整理してやりくりを行い、そこで件の馬たちを寝かしているらしい。
そして、二つ目は単純に信用問題であった。
見知らぬ旅人の冒険者に自身が飼育している馬を傍に置き、盗まれるという事態を防ぐべくということである。最も、これは当然の話であり、貴重品を見知らぬ他人の前で無防備に晒しておくという方が無理があるだろう。
当初は納屋に泊まるという意見もあったのだが、そこは村の外周とはやや離れており、即応性に欠けるために使われることは無かった。
つまり、何が言いたいのかと言えば、現在この馬小屋で暴れる分には致命的な問題にはならない。
一応、恭兵も依頼のこともあるのでむやみに馬小屋を荒らしたくは無いのではあるが、流石に命には代えられないだろう。
しかし、恭兵にはこれらの問題以外にこの馬小屋をむやみに破壊できない理由があった。
(どう考えても、俺が大剣で壊した所から外に出られる。そして、都子の首筋にあの短剣を当てられて詰み、と)
現状、相手の目的は都子であるとされる。
生け捕りか、それとも殺されるかは定かでは無いが、彼女と直接戦わせる訳には行かないだろう。
魔法使いであり、また異世界に迷い込んで二ヶ月程の都子にあの襲撃者の攻撃を躱せるほどの身のこなしを期待する訳には行かない。
何より、後ろで魔法による補助を行う魔法使いなどを守ることも前衛を務める者の役目でるのは確かだ。
恭兵は赤い大剣を覆っていた布を手元に手繰り寄せ、先ほど絡めとった短剣手にする。刃渡りは凡そ三十センチ程で一般的にダガーやナイフの中間に位置する類のもので、斥候役などの身軽な冒険者がよく扱うものだ。使えるものは何でも使わなければこの世界で生きるのは少々厳しい、この際相手の武器でなれていない得物であったとしても文句を言ってはいられない。
しかし、その隙をとがめるように、襲撃者は低い恭兵のこしよりも低く体勢を取り、そのまま地を這う蛇の如く突撃してきた。
恭兵は、布を短剣に括り付けたまま、襲撃者へと投げる。
投げられた短剣は超能力により方向を補正され、咄嗟に投げた素人の勢い任せのものであっても、狙いは外れず襲撃者へと向かい。
しかし、襲撃者の短剣によってたやすく弾かれ布が括られた短剣は地面に落ちる。
襲撃者は短剣を弾いた勢いのまま、跳ね上がるように再び首筋へとその狙いを定め、放つ。
月明かり光る軌道は、今度は同じく月明かりに光る軌道により防がれた。
それは、先ほど弾かれた短剣を布により手元に引き戻した恭兵によるものであり、両者は短剣による鍔迫り合いが起きる。
襲撃者は両手を短剣に沿えている一方、恭兵は片手に念動力を使うことで力は拮抗していた。
恭兵は空いた左手を襲撃者のわき腹へと向ける。
「《念動拘束》」
念動力を使い物体を掴む。最も一般的な念動力の使い方はそれこそが必殺となりうる。
身体の一部もしくは全身に力を加えられた生物は、例えるならば身の丈を遥かに超える巨人の手により捕まえられることと同じであり、生殺与奪の権利を取ったに等しい。
だが、強兵の左手による位置の指定が行われる直前、
何かを察したのか、両手の力を抜き恭兵の短剣に弾かれる勢いを利用して、地面を蹴って後方へと飛んでこれを回避した。
再び両者の距離は開き、にらみ会いとなった。
(まずいな……できれば一撃で決めたかったところだけど……)
直接手を向けて拘束を試みれば、魔法か何かと警戒されて避けられると踏んでの動き、短剣を拾わずに真っ先に拘束をせず、一度攻めさせて警戒心を薄めてから拘束するはずであったが、上手くいかなかった。
魔法などについて恭兵は詳しくは知らないが呪文を唱える必要があるものでも、実力のある魔法使いは無言で魔法を使うことができたり、例え魔法を使う事ができない者であっても、持ち主の意思一つで発動できる魔法の道具であったりなどがあると師匠から聞いていた。
現状その類のものは背中の大剣以外匂わせてはいなかったのだが、それでも何故か攻撃は察知されてしまった。偶然だと考えることは簡単であるが、恭兵はいつも軽くあしらわれた自身の師匠のことがあり、断定することはできなかった。
(いつも仕掛ける前に、向けた手を避けられて一発もらうというのがパターン化してたしな。……いや、おかしくない? 何でことごとく手を向けた先から避けれるんだ?)
師匠との手合わせと称してボコボコにされた思い出に薄ら寒いものを感じ身震いする恭兵だが、気を取り直して、目の前の襲撃者に集中する。
いずれにしろ、偶然であるかどうか確かめる必要はあると恭兵は判断した。
「《念動拘束》」
素早く空いた左手を襲撃者へと向け、再び拘束を試みる。
これが決まればそのまま止めを刺しにいける、そうでなくともこの不意打ちの反応により相手の実力を測ることができる。
問題は無いと判断した攻撃は、しかし左手が向けられた瞬間に地面を蹴って、飛んだことで襲撃者は念動力による拘束から逃れる。
その目元は黒い頭巾により覆われ僅かにしか見えないが、恭兵にはしきりにこちらの左手に注視しているように見える。
やはり、恭兵の力はばれている、少なくとも何らかの力があるというのは知られてしまったようであった。
(そうとなれば、こっちも容赦する必要はないよなあ……!)
すかさず恭兵は襲撃者を捕らえるべく、その左手を向ける。
例え避けられるとしても、この狭い馬小屋でいつまでもかざされた手から避け続けるというのは不可能に近い、いずれは逃げ切れなくなるはずだと、恭兵は判断した。例え馬小屋を壊しても抜け出そうとした時こそ、拘束する絶好の機会になるだろう。
襲撃者は自身にかざされた手から逃れるように地面を蹴る。そしてその逃げた方向へと、左手を合わせようと恭兵が向けるようとすると、襲撃者は突然その方向を変えた。
左足で地面を蹴り飛ぶようにして回避したことで、宙に浮いていた足を強引に地面に突き刺し、それを軸として方向を変え、恭兵へと飛んだ。
襲撃者は既に攻撃する姿勢に入っており、一瞬だが頭巾により分かりづらい視線が自身の首元を射抜くように向けられたのを恭兵は感じた。
左手は既に誰も居ない空間へと向けられており、引き戻すには間に合わない。右手を向けて超能力を発動するには握った短剣に意識が割かれてしまい発動は間に合わない。
「くっそ……!」
思わずでた悪態と共に右手の短剣で首元を守るように動かし、襲撃者の突きを短剣の腹で辛うじて受け止め、甲高い金属音が鳴り響いた。
再びの鍔迫り合い、襲撃者の足が止まったのを見る前に既に左手をもう一度、と向けるが既に遅く先ほどと同じく弾かれる勢いを利用して恭兵の魔手から逃れる。
前回の激突と違った点といえば、襲撃者はその場に止まることは無かった。
後ろに下がったと思えば、地を這うように前へ、右と思えば左に、左と思えば、とひたすら馬小屋を跳ね回るように高速移動を開始した。
これまでの動きとは格段に速くなっており、尚且つその場に留まる時間など無いに等しい。これではいかに超能力であっても、今の恭兵では捉えることは容易ではないだろう。それこそ、動きを先読みするか、偶然を頼りにそこら中に乱発するかしかない。
(立場が逆転したって所か……!)
困惑する恭兵をよそに、襲撃者はその脚を止めることなく動き続けると共に、恭兵の隙を伺うようにその視線を決して離すこと無く、見つめ続けていた。
◆
「さて、どうしよう」
都子は馬小屋から十メートル程離れて、その中の様子を探っていた。彼女の位置からは恭兵の後ろ姿が見え、幾度か襲撃者と思われる相手と斬りつけ合っている様子が分かるだけであった。
都子はこれ以上接近することはできない。
恭兵を前衛とした場合、後衛となるのは魔法使いである都子である。彼女の戦闘における役割は後方からの攻撃及び援護である。
恭兵が敵と接敵する際の手助けや、彼の攻撃の合間を埋めるように魔法を放ちその隙を埋めること、それが恭兵と二人で経験が無いなりに考えた連携である。
この連携は互いの距離が一定以上の間隔を保たれている必要がある。もし、これ以上近づけば、不意に都子の方へと攻撃の矛先が向かった際に反応が出来なくなる恐れがあり、また遠くなれば援護の際の魔法の判断に鈍く会ってしまうだろう。
よって、基本的に都子はどうしても恭兵と距離を取る必要がある。
恭兵が苦境にあったとしても、近づいて助けることが都子には出来ない。
奥歯にどうしても力がはいってしまい、手は白くなるほど握られている。
襲撃者の狙いは自分であり、それを命がけで闘っているのは彼であった。自分は厄介事を運んではそれを解決してもらってばかりである、そう都子は考えずにはいられなかった。
実際の所は、恭兵の方も厄介事に巻き込まれてしまうような、どこか不運な所があるので一概にここまでの旅路での困難の原因が都子にしかないという訳ではないが、彼女は自分の責任を誰かに押し付けることを良しとはしなかった。
ましてや、相手は厄介事を両手で抱えきれないほど持っていた自分に師匠に頼まれているからと言って付き合ってくれていた。
そんな彼に全て押し付けてはいけないと考えてしまうのは自然である。
「けど、諦めたくない」
近づきはせず、かといって離れもしない。今の位置を動かずに恭兵の戦いから目を離さない。
現状、下手に魔法を放てば、相手に当たる所か恭兵の背中を撃つことになる。それは避けなければならない以上、こちらから手を出す手段は無い。
何もできなくても、足を引っ張る訳にはいかない。そんな事になるのだったら死んだ方がましである。
絶対に元の世界に帰る。そんな自分勝手な目的に特に文句もなく付き合ってくれる彼に思うことがないというわけでは無い。
それでも、助けてもらっているというのは事実だ。だから、
「チャンスは逃がさない。私が必要な時があるかもしれない、だからそれだけは絶対に」
逃したくは無い、そう呟き集中する。今なお馬小屋の中では先ほどまでの鍔迫り合いの起こる回数が段々増してきている。
それでも、焦りを行動に移さずにこらえ、じっとその機会を都子は待ち続ける。
◆
右、左、左、前、前、後ろ、右、左、右、前、後ろ、攻撃。
目に収まらない動きで恭兵を翻弄し続ける襲撃者は逆手に持った短剣でもって斬りかかる。
拍子をずらされながらも、追いすがるように右手の短剣で弾き、鍔迫り合いが起きる。
「《念動拘束》」
今度は、一度左手を向けても念動力による拘束を発動させずに相手が避けるのを待ち、動いた瞬間を捉えることにした。が、
襲撃者はそれを読んだのかその場を動かずに、鍔迫り合いとなっている剣身を滑らせて恭兵の首元へと刃を向ける。
首に刃が届く寸前で咄嗟に自身の右足を左足で蹴って無理やり転ぶことで刃の軌道を首元から頭上を通るように移動し、そこから左手を襲撃者へと向けたが、既にその場から離脱して、再び翻弄すべく高速移動を続けていた。
連続して左手を何も無い場所に向けるように何回か動かし、牽制の動きを加えて隙を潰して起き上がる恭兵、都合八度目の結び合いであったが、互いの攻撃はかすりもしておらず、短剣を用いた激しいやり取りが交わされたにも関わらず、両者に目立った切り傷は一つもない。
互いに狙っているのは一撃必殺のみ、当てれば勝負は決められるものを適切に選択している。
片や、恭兵は念動力による拘束が決まれば、その時点で生殺与奪の権限は完全に確保することができる。そしてそれは例え身体の一部であろうとも一度掴んでしまえば脱出は困難である。
片や、襲撃者が狙っているのは首の頚動脈の唯一つ、浅い傷をいくら作った所でその隙で捕まえられてし合えばいいは無い。故にその視線と腕の動きを避け続け、狙いを一転に集中して一撃で決めることが必要である。
とうに互いの狙いは掴んでいる。あとはいかにして自分の必殺を先に当てられるかが問題となっているが、現状として不利であるのは恭兵の方であった。
襲撃者の高速移動は徐々にその速度を増してきており、目で辛うじて追える事ができるといった速さに達していた。先読みして拘束を試みたところで、気づかれて逃げられてしまう。運任せでは当てるしかないが、既に腕の動きを見てから回避することが可能な速度まで加速していては恐らく意味は無い。
後に残されたのはカウンターであった。
襲撃者は真っ直ぐ首を狙って攻撃を行う。それを防ぐと同時に拘束する。自身より速い動きを行う相手を捕らえるにはこれしかない。
しかし、頼みのカウンターもことごとく失敗していた。
タイミングをずらし、位置をずらしと変化を加えたところでそのすべてが読まれている。
しかも、この場合相手からの攻撃を待たなければならず必然的に恭兵は後手へと回ることになる。結果的にいつ来るか分からない攻撃を待つ必要があり、例え攻撃が来たとしても首を取られる前に防がなければならない。必然的に狙えるのは短剣で攻撃を防いだ後の瞬間のみ、しかし、その全てが動きを知られているかのように交わされてしまう。
「ハァ、ハァ」
恭兵の息も乱れ始めている。それは高速で移動し続けながら何時くるか分からない襲撃者の攻撃に対応するための極限の集中による精神への疲れだけでは無かった。
時折起こる頭痛により、より集中力が削られ始めるがそれでも、隙を見せないように歯を食いしばり目の前の敵に集中する。
――――超能力は無限に使える訳ではない。
超能力は所謂、人間が備える機能の一つである。故にその機能を使い過ぎれば自然と負担が重なり、腕を酷使すれば腕が、足を酷使すれば足が肉離れなどの症状となることや、食べすぎにより胃がもたれてしまい消化不全となってしまうのと同じように、日に使い続ければ使えなくなってしまう。
その前段階に起こる症状として、超能力を使い続けた場合はまず頭痛が起きはじめるのだ。
頭痛がだんだんとひどくなり、次の段階として目や鼻、耳などからの出血が起きはじめる。この時になると能力が次第に制御できなくなり始め、出力が大きくなる、定めたのとはずれた場所に超能力が発動し始める、といったことになる。
そして、ついには何かが切れたように全く動かなくなり、同時に超能力本人も気絶することになる。
(師匠の修行で限界まで使い続けてぶっ倒れたのが、最初だったっけか。あの時は死ぬかと思ったけど――今回はそこまで行く前に死ぬかもな)
目の前の敵に制御ができない超能力を使えば隙だらけにしかならないだろう。後ろに通すわけには行かない以上、ここで恭兵が倒れる訳にはいかない。
次の攻撃で決着を付ける必要がある
(チャンスは一度、こうなったら出し惜しみは無しだ)
恭兵は頭に響く頭痛を手で押さえそうになるのを意思の力で押しとどめ、襲撃者を見据える。すると僅かな違和感を覚えた。
目を凝らして、相手の動きをより注視する。やはり見間違いでは無かった。
(僅かに、ほんの僅かにではあるけど、速度が落ち始めてる。少なくとも以前ほど加速することができなくなっている……!)
襲撃者とはいえ、人間である。人間であるかぎりはその力に限界があり、疲労も当然存在する。そして同時に恭兵の疲労も襲撃者には伝わっているだろう。
互いに疲れが見え始めている。となれば、至る結論は同じものとなるのは果たして偶然であろうか。
互いに言葉を交わすことは無いが、自然とお互いの考えが伝わる。つまり――
――次の攻撃で決着がつく……!
空気がひりつく、互いに聞こえるのは、高速に移動し続ける度に地面を蹴り続ける襲撃者の足音のみ。薄暗い中で開いている唯一の出口である戸口から月明かりが恭兵の背を照らして、地面に影ができる。
そして、月に雲がかかり、一瞬薄暗い馬小屋の中がさらに暗くなった瞬間、
襲撃者は恭兵へと切りかかった。
最初に仕掛けた突進と同じく、地を這うように駆ける黒衣の襲撃者。その狙いは揺れることは無く、恭兵の首に刃を突き立てるべく疾走する。
今まで以上に暗い中、恭兵は敵の正確な位置を知る事はできない。それでも、今までの攻防の中で行われてきたやり取り、そこから導き出される予想に全てを賭けるしかない。
暗がりの中、地面を蹴る足音、幾つフェイントを混ぜるか、どのタイミングで仕掛けてくるのかそれらの要素を読み、恭兵は自身の右斜めに当たる方向へと向く。
その賭けに彼は勝利した。
確かに恭兵の向き直った方向から、確かに襲撃者は攻撃を仕掛けてきている。恭兵は目視で確認するまでも無く、首元を短剣で防ぐように右手を動かす。
だが、襲撃者はそこで地を這う態勢から体を強引に起こし、急停止を掛ける。速度の緩急を用いたフェイント、タイミングをずらし、再度突撃を行う。
その襲撃者の耳にわずかに風を斬る音が聞こえた。背筋を上った悪寒に従い、攻撃に移行しようとした短剣でもって眼前を切り払う。
金属音が響き、金属同士がぶつかる火花で一瞬だが、何が飛ばされてきたのかが理解できた。
恭兵が手にしていた短剣であった。
恭兵は短剣で首元を守るふりをしてそのまま投擲、見事に不意を突いた一撃となった。
しかし、それも襲撃者は慌てる事無く弾き、追撃の拘束を避けるべく身を屈め地を這うように動く。そして、そのまま喉元へと短剣を突き立てた。
守るべき短剣は弾かれた、引き戻す時間は無い程の速攻により他にこの刃を妨げるものは無い。そう確信した一撃は、見えない何かに遮られるように重くなった。
まるで、泥の中に突っ込んでしまったのかと思える程に空気を裂くように放たれた一撃は首元に向かい進む刃は鈍い。
否、それは首元へと向けられた一撃では無かった。
月を覆った雲が過ぎ去り、再び馬小屋の中に月光が差し込む、そこで襲撃者が見たのは自身の首を守りかつ短剣を掴むべく向けられた何も握られていない右手であった。
絡繰りとしては単純だ。短剣を投擲したのは右手を空け、鍔迫り合いと同時に相手を拘束するため。そして、右手の僅か前方に壁を作るように念動力を発動させる。圧力がかけられた見えない壁に突き刺さった短剣を包み込むように拘束をかける。一歩念動力で掴むタイミングを間違えれば右手は刺し貫かれていただろうが、そうであったとしても襲撃者は拘束できる。
が、敵もさるもの、右手がこちらに向けられていることで異常を察知し、握った短剣を捨てる。
同時に、空いた右腕の袖から再び新しい短剣、三本目となるそれを抜き斬りかかると見せかけたフェイント、そのまま、一歩だが左にずれるように踏み込む。
今まさに踏み込みを掛けた方向には恭兵の左手が向けられていた。そのまま、向かえば確実に捕まえられていただろう。襲撃者は用心深かった。
だが、それは恭兵も同じことだった。
左手はその場で止まることなく、まるで虫を払うような動きで左から右へと動く。
今回は左手を向けた方向にある物体のあらゆる方向に力を加えその場に拘束するものではない。左手から一定距離離れた座標を連続して、一方向から打撃し続ける。つまり点では無く線の攻撃。
「《念動圧殺》」
巨人の手に払われたかのように襲撃者に横殴りの一撃が加わる。無論、それだけで終わるはずも無く、馬小屋の壁まで押し付けるように叩きつけた。
「《念動拘束》」
そして、壁へと到達した瞬間に拘束をかけ、ようやく一撃が決まった。
頭痛が響く中、拘束を緩める事無く、襲撃者に近づく恭兵。敵は叩きつけられた衝撃で気を失ったのか腕を体の側面に付けた態勢で顔を俯かせ、宙に浮いたまま壁へと押し付けていた。
「ふう、やっと片付いたか」
思いのほかというべきか、これまでに襲われた襲撃者の中で一番強かった。正直、一歩間違えばやられていたのは恭兵であったのは違い無いだろう。
(さて、気絶したコイツはどうするか……? とりあえず今の内に都子に拘束魔法でがんじがらめに縛っておいた方が、)
嫌な予感がした、恭兵はその予感に従い全力で頭を下げるが避けることに気を裂きすぎたのか、はたまた、疲労により集中力が下がっていたのか拘束が切れてしまった。
一瞬だけ見えたそれは細い針のようなものが数本、今まで顔の位置にあった場所を通り抜けた。同時に壁へと押しやった襲撃者も動き出していた。
予め口に仕込んでいた含み針を隙をついて発射、拘束の集中が乱れた隙を縫って馬小屋の壁を蹴るように脱出した。
「野郎、寝たふりかましやがった……!」
憤慨を隠せない恭兵は素早く馬小屋の入り口を塞ぐように陣取る。ここまで来れば逃げの一手を打つことになるだろう襲撃者を都子の前に無防備で出す訳には行かない。
襲撃者には確かにダメージが入っていた。動きもそれまでの軽やかな物ではなく、鋭さにもかけたものだった。
もう一度、拘束を掛ければ問題は無い。
そう判断した恭兵は左手を相手に向けて再び拘束をかける。
襲撃者はその向けられた左手を避けれず――――自身の左手の袖から何かを落とした。
恭兵の拘束が襲撃者を捉えるより早く地面に落ちたのは手のひらに収まるような球状の物体、それは地面に落ちると同時に白い煙を勢いよくまき散らした。白い煙は瞬く間に馬小屋を埋め尽くし、恭兵の視界を覆う。慌てて、襲撃者が居たはずの空間へと拘束をかけるが手応えは無く。ただ、馬小屋に充満する白い煙の流れが拘束を掛けられた空間の座標で霞が掴まれたかのように動いただけであった。
(含み針とか煙玉とか、どこの忍者だっつーの……! いや、まずいまずいまずい!)
全く視界は晴れることは無い。完全に恭兵は襲撃者を見失ってしまっていた。
(どうする? あいつは逃げるのか? でもどうやって? 入り口は唯一つ、俺の後ろの戸口のみ俺をどかすかしないと流石にばれる。他にあるとすれば)
入り口が無ければ壊せばいい、つまり馬小屋の壁を壊して脱出するつもりだ、と。今のアイツの余力は分からないが、確実に壊せる壁を選ぶはずだ。つまりそれは先ほど自分が襲撃者を叩きつけた壁である、そう結論づけた恭兵は先ほど敵を拘束した壁の方向を向いた所で、ある異変に気が付いた。
それは音であった。
地面を蹴る音だった。
相手が高速移動を行っている時に地面を蹴っている音だった。
それがそこら中から聞こえていた。
襲撃者は逃げる気など無かった。壁を壊して入り口を新たに作るなど検討違いだった。最初から敵の狙いは恭兵を排除する。そのただ一つから全くぶれていなかった。
耳を澄ますと、地面を蹴る以外にも奇妙な音がする。それはまるで木がきしむような音である。そして決まってそれらは頭上から聞こえてくる。
(まさかアイツ、飛び跳ねてるっていうのか? |馬小屋のはりの部分とか天井まで? それで高速移動だ?)
悪い冗談だ。まさか、今までのは本気では無かったとでも言わんばかりにその動きは二次元のものから三次元のものへと変わっていた。これからは前から来るだけでなく上からも攻撃を行われるだろう。
追い込まれた、恭兵はそう確信した。
視界は全く見えず、相手は恭兵の後方を除いた全方向から攻撃を仕掛けることが出来る。今までの攻防からその動きを予測して防ぐことは不可能に近く、あてずっぽうに拘束を仕掛けた所で隙を晒して終わるだけだ。
相手も限界は近い、今すぐにでも仕掛けてくるのは間違いないだろう。
(九回裏、ツーアウト、ツーストライク、出塁した選手は誰もいないで絶体絶命)
何かをしなければ確実に終わる。何もできず、ただその命を落とす。
(ここで死ぬ。そんな訳にはいかない)
異世界に迷い込んだ時に初めて抱いた思いが再び心の底から湧き出てくる。
死にたくはない。
自分を助けてくれた師匠のため、互いに深い仲でもないくせに頼ってくれた都子の期待に応えるため、何より、
(まだ、そうまだだ。まだ、俺はこんなところで何も、何者にもなっていないままで死ぬわけにはいかない。何物でもなかった、何者にもなろうとしなかったあの頃の俺はもういない。おれは何かになるまで生きる。生きたい!)
頭痛がする。しかし、その奥で何かが叫ぶ、叫んでいる。それは恭兵の生存本能とでもいうべき何かであった。
――――■ ■
それは何かを叫んでいたが何を言っていたのかはまだ分からなかった。
恭兵は背中に手を回し、慣れた手つきでそれを引き抜いた。
完全に布が解かれたそれは月明りに照らされてなお、夕刻に見せたままの赤い輝きが馬小屋に現れた。
恭兵の背丈ほどある赤き大剣が抜かれた。
「これで、終わりだ」
恭兵は赤い大剣を肩に担ぐように構える。
右足に体重を乗せ、左足は軽く浮かせる。
もう、襲撃者がどこに居ようと何をしようと知った事では無かった。
左足を踏み込むと同時に右足を軸に腰を回転させ、左ひじ、右腕がつられて動き出す。
赤い大剣の剣の腹で空気を叩くように、念動力を掛け、力強くかつ鋭く振りぬく。
「フルスイング……!」
渾身の力で振りぬかれた赤い大剣は、称される如く赤い光を取りすぎたあとに残し、眼前の空気を叩く。
轟音が鳴り響き、続いて空気が風となった。
生み出された風ははそのまま、充満していた白い煙を部屋の隅々まで押し飛ばした。
閉ざされた視界は完全に晴れた。
開かれた恭兵の視界にはどこにも、襲撃者の影も形も無い。
恭兵の背後に、何かが落ちて来た音がした。
その影は背にある開かれた出口に目もくれず、手にした刃で眼前の首を落とすべくその手を振り上げ―――
「もし、俺の師匠が手をかざすしか使えないような力を放って送り出すような人だったら、ここで死んでたかもな」
襲撃者は動けなかった。体を巨大な手で握られているように身動きが取れなかった。
ついに、見えない巨人は完全に自身の敵を捕らえた。
「ま、ちょっとの間しか掴めはしないけど、十分だ」
恭兵は振り向き、念動力と共にその右手を握る。
腰を中心に回転し、今度こそ何もさせないために間髪入れず叩き込んだ。
「《念動超拳骨》」
放たれた一撃は、そのまま襲撃者を馬小屋から吹き飛ばした。
五メートル程吹き飛んだ時点で、地面へと落ち、そのまま土や雑草を削りながら減速して止まった。
辛うじて、襲撃者は息を繋いでいた。恭兵もすでに疲労が溜まっていたのか、そこまで力を籠めることはできず、さらに予め襲撃者が着ていた鎖帷子や身体操術を駆使して拳が当たる腹部に力を込めて何とか骨や内臓へのダメージを避けることは出来た。
既に吹き飛ばすために拘束は外れていた。ここは一度、態勢を立てなおすべく、と襲撃者が立ち上がろうとした瞬間、
「《拘束》
彼の全身を黒い鎖が縛りあげた。
背後からまだ若い少女の声が下る。
「アイツがここまでして、吹き飛ばしたのに私がしくじる訳にはいかないでしょうが」
都子は手に持った、呪いの魔導書を掲げ、襲撃者の脳天へと狙いを定めた。
「何か言っておくことはある?」
そのようなことを聞く都子に対し、少し考え込んだようにして、襲撃者は始めた声をだした。
「すいまっせーーーん! もう、降参っていうことで勘弁してくだせぇーーー!」
口から出たのはあまりに何というか三下染みた発言だった。これまでの激闘が吹き飛ぶほど気が抜けた宣言に肩を揺らして、俯きそのこめかみに青筋を浮かばせた都子の判決は、
「すいません、で済むかぁーーーーー!」
呪いの魔導書の角脳天直撃の刑だった。
また一週間以内に投稿したいと思います。