第二話 中立魔導保全都市、迎撃戦 /クライマックスフェイズ12:勝利への細道
一日程遅れてしまい申し訳ありません。
何とか更新いたしました。
その激突を、傍に控えていた魔軍参謀であるオークストは捉えることすらできなかった。
(右、ひ、左!? 何だ? 三回ほど交錯した後にっ、何を、何をやっているんだ??)
魔法都市マナリストの外周、都市を守る防壁である"生長外壁"、オークストによって呪術的に支配されたその頂上で、此度の作戦行動にて自らが仕える主であり、魔大陸における魔軍最強の八体である《八魔将》であるクドーラクセスと、神聖大陸最強と目される者の一人、《対魔十六武騎》の一人である聖騎士、エニステラ=ヴェス=アークウェリアとの戦闘が繰り広げられている。
繰り広げられているのだが、オークストはその戦いについていくことができずにいた。
その理由は単純明快にオークストの動体視力(樹木が人間のように眼球で光景を捉えているのかという議論は兎も角)が両者の間で行われている戦闘速度についていけていないのである。
この人型樹木の目には、輝く光の尾を空間に残しながらまさしく目にも止まらぬ速さで激突と離脱を繰り返す聖騎士と、それに対して目にも止まらぬ速さで徒手により何らかの対処を行っているであろう主の姿しか捉えることができない。
人間の視覚は、眼球で捉えることができない映像を脳内にて補間するという機能があるというのだが、そんな機能さえもまるで役に立たない程に互いの行動と状況が移り変わっていた。
(無理だ――、私が、この戦闘に対して何を行うことができるというのか)
こんな筈では無かった。と魔軍参謀であるオークストは思わざるを得なかった。
例え《対魔十六武騎》、神聖大陸最強の存在であろうとも、《八魔将》と同時に当たれば対処は容易に行えるなどと彼は思いあがっていたのだ。
しかし現実はそうはいかなかった。
(私が、何らかの魔法、呪術的支援を行うとして、掌握したこの"生長外壁"の上でなら、発動まで一秒を切る――、ここまでは事前の想定通りの状況だが……、その想定以上に私が目前の戦闘についていけていない……!)
オークストとて、何の策もなくこの場に立っている訳では無かった。
対象の動きを封じる類の呪術や、足場自体を此方の有利とする魔法の類の選別と用意は十分に備えた上で此度の侵攻に赴いていた。
しかし、実際に戦闘に直面し、それらを用いた所で状況が好転するとオークストは到底思えなかった。
(見ている……、奴はあの《八魔将》であるクドーラクセス様と戦闘を行いながら、私に対し注意を払っている――、いつでも此方へと攻撃を行えると、示している!)
視線が自らへと向けられていると感じたのは一度や二度ではない。
クドーラクセスを中心として絶えず動き続ける人型の光という形でしかエニステラを認識できていないオークストであるが、それでも目が合ったかのような錯覚が度々起こっている。
そしてその視線一つだけでその場に縫い留められてしまっていた。
そこで黙ってみていれば命は取らないとばかりに告げる闘志に満ちた視線は告げており、実際にオークストは動くことができずにいた。
「なんで、どうしてなんだ……こんな筈では無かったのに……」
自らの不甲斐なさに自らの樹皮が割れるほど拳を握りしめるが、それでもオークストがその場から動けないことに変わりはない。
その時、クドーラクセスがふと、オークストの方へと振り向いた。
「参謀。一つ、魔法を使う余裕はあるか?」
「……あ、ありますが……申し訳ありません。私の力量では、あやつめに直撃を与えることなど……」
「いや、そのようなものでは無く。お前の魔法で私の武器を一つ見繕ってほしいのだ」
「ッ、!」
エニステラからの攻撃を捌いているクドーラクセスがもたらした要求に対して、オークストはもたらされた戦功への道に対する焦りを必死に抑えこみながら、脳を全力で回して自らにできる最善を伝えることに尽力する。
「素材は足元の"生長外壁"を用いることになります。しかし、あの聖騎士に対して生半可な呪術を付与することはかえってその武器自体の強度は落ちることとなるでしょう。その場合、一合も持たないかと……」
「なら、強度を優先してもらおう。欲しいのは、そうだな―――」
オークストは主の言葉、告げられる注文に対して最速かつ最善を尽くすために、全霊を掛けて耳を傾ける。
武器を作成する魔法の準備を迅速に整え、準備は完了させていた。
オークストの様子を見てから、クドーラクセスはオーダーを告げる。
「鞭だ」
◆
(まるで付け入る隙がありませんね―――、いえ正確に仕掛けることができる隙ですが)
全身に《裁神》ウォフ・マナフから授かった聖雷を漲らせ、その場に留まること無く攻撃を仕掛け続けるエニステラは、クドーラクセスの周囲を駆けながら歯噛みしつつもある疑問を生じさせていた。
相手は《対魔十六武騎》が二人掛かりで挑み、ようやく相討ちを取ることができるという程の強敵、魔王を除けば魔軍の最高戦力である《八魔将》の内の一体である。エニステラとしてもそう易々と相手に攻撃を通すことさえ困難であると認識していたが――、彼女はそこに違和感を覚えつつあった。
(伝え聞く戦力差は簡単に言ってしまえば二倍以上、それだけだと切り捨ててしまえば済んでしまう話ですが――、こちらからの攻撃をただ捌くだけというのは一体?)
思考を途絶えさせずに、クドーラクセスへと高速で接近したエニステラは腰だめに構えたハルバードを横なぎに振りぬく。
狙いはクドーラクセスの胴体、直撃すれば一振りで体は上と下に分かれる一撃だ。
しかし、偉丈夫は高速の一撃をたやすく回避した。
動作としては単純に一歩後方へと下がったのみだが、それを行ったタイミングは絶妙であり、エニステラに生半可な追撃を許さない。
渾身とも思える一撃を躱されたエニステラだが、動揺一つ見せることなく聖雷を轟かせながら高速で離脱する。
対するクドーラクセスも、その場から離れるエニステラに対して追撃を行うことなく、その場で佇んでいる。
先ほどからエニステラが攻勢にでるばかりで、クドーラクセスからは攻撃を仕掛けることはない。
接敵時にクドーラクセスが用いた赤い霧の大蛇による攻撃どころか、その手で生み出し操作している筈の赤い霧をまるで使うことなく、エニステラの攻撃に対しての回避や徒手による牽制のみ。その牽制でさえも殺気はほとんど籠められていない。
(私の手の内を探っているということでしょうか……。それとも他に何か狙い――、時間稼ぎなどを行っている? 彼我の圧倒的な実力があるにも関わらず?)
今度は横薙ぎの一閃を仕掛けると見せかけて、柄の尻、石突きに備えた短槍で突く。
しかし、これも柄の部分を掌で押し流され、上手く対処される。
エニステラはクドーラクセスの狙いを掴み兼ねていた。
或いは、魔軍の目的がマナリストにある何かを探している、より核心的には神聖大陸へと逃亡した魔王の娘であるウルスラーナを捕えようとしているという事を彼女が知っていれば八魔将の狙いについて核心に迫れたのだが、神ならぬ彼女ではそれらの事情を見通す視点は無いために、致し方ないとも言えよう。
目の前で相対している自分以外の者に対して警戒を行っているのではないかという考えに至るには些か時間を掛ける必要があった。
しかし、エニステラ自身にそのような余裕は無い。
"生長外壁"から見下ろすことができる都市内ではクドーラクセスが発生させた赤い霧がまるで収まる気配も無く立ち込めている。
赤い霧の発生を確認した直後に自らの《アーティファクト》である鎧とハルバード、《戦乙女の聖雷斧槍》と同調し、元凶と思しき者の居場所を身に纏った聖雷と赤い霧による反応から霧の濃度が濃い地点のあたりを定め、それを踏まえた上で彼女の歴戦の経験からくる直観にて探り当てた瞬間には既に飛び込んでいた。
そのため、エニステラ自身は赤い霧に接触したものに起きる症状は視界の端にしか捉えることはできなかったが、それだけで彼女が全身全霊を懸けるに値する事態であると判断するには十分だった。
外と内の境目である"生長外壁"の直上を除いて魔法都市の全域は赤い霧によって覆われている。都市内の人間の多くがその影響を免れないだろう。
一刻も早く目の前の敵を討ち滅ぼし、赤い霧をマナリストから取り除かなければ取り返しのつかない事になると確信していた。
(ですが――相手は不死身の吸血鬼。私が得意とする相手ではありますが、いかに《戦乙女の聖雷斧槍》とはいえ、心臓を貫いたとしても滅ぼせるとは思えません)
ハルバードの穂先、槍部を用いて行われる体の芯を通る正中線を突く高速の三段突きを放つが、緩やかな腕の振りにより的確に逸らされる。
対峙してから今まで、クドーラクセスは胴体どころか防御に用いている腕にさえ刃傷の一つも負っていない。
しかし、エニステラの表情には焦りの感情は浮かばない。
ひたすらに攻撃を仕掛けながら、動きを把握しつつまず一つの機会を狙っていた。
ただ一撃を通せばいいという相手では無い、致命傷の三つや五つ与えてからがようやく本番なのであろうとエニステラは想定している。
吸血鬼は代表的な不死身の怪物である。
多少の刃傷は煙のように消え、場合によっては頭部を割られようとも心臓を穿たれようとも復活する再生能力を持ち合わせ、尋常な手段では殺し切ることさえ困難なほどの再生能力を持ち合わせている。
神聖魔法による攻撃はそのような不死身を擁する相手に対しての特攻を持っており、エニステラ程の使い手であれば、神聖魔法を宿した得物で撫でるだけで並の吸血鬼の持つ再生能力は失われ、死に至る。
だがしかし、敵は《八魔将》であり、最強の吸血鬼である。
少なくとも過去八百年の内で歴代の《対魔十六武騎》が殺し殺されてきた《八魔将》の存在はそれほどに重い存在であると認識せざるを得なかった。
(まず、一度。致命傷を与えてからが本番といった所ですね。或いはそれほどの実力を示すことができなければ自らが相手を務めるに値しないということなのかもしれませんが……。で、あれば)
エニステラは高速で移動しながら視界の端へと視線を向ける。
その先にいるのは絶えず高速で動き続けているエニステラを必死に追い続けている人型樹木であった。
(この場にいるということはあちらの中でも重要な位置にいる将とみます。後衛職を先に叩くのがセオリーではありますが……、余裕を見せている八魔将を相手にあからさまな攻撃を行うのは致命的となるでしょうね。そこにいるだけで私への牽制となっていますか)
戦場となっている青々と力強い蔦で作られていた"生長外壁"も萎れてその色を失いつつある状況を鑑みて、早急に魔法使いである人型樹木も対処する必要があるとエニステラは考えていた。
だが、クドーラクセスがそのことを想定していない筈は無く、迂闊に攻撃を仕掛けてしまえばその隙を取られかねない。
オークストが単にその場で立ち尽くすしかないでいるのは、エニステラの速度に彼の反応が追いつかないから、翻って、エニステラがそれほどの速度で動き続けているのはオークストからの魔法を受けないようしているためであった。
エニステラは自ら高速で戦闘を行っているのではなく、そうするように誘導されたと感じ取っていた。
(いつまでも様子見をしている訳には行きません……何らかの変化を生み出し、主導権を握らなければなりませんか)
仕掛けるのであれば生半可なことはできない。
これまでのような一撃離脱の余裕をもち合わせた突撃や、まして周囲の状況を考察している余裕を持った一撃は通らないだろう。
さりとて、この一撃に全てを賭けすぎても、後に繋がるとは限らない。
《八魔将》は、たかが一人の命がけの一撃だけで決着を付けることができるほど容易い相手では無い。
切り札を切らずに死んでしまうという末路を辿る危険性を抱えたまま、か細い勝利への道を進まなければならない。
エニステラはそれを改めて心の内で確認し、覚悟を決めて勝負を懸ける。
その為に一歩踏み出そうとした瞬間に、クドーラクセスが振り返り、オークストから何かを受け取った。
(何らかの武器、ですか。ですが、何らかの隠し玉があることは想定内。たかが一つ増えた程度でひるむ訳には行きませんね)
エニステラは対抗策について、一瞬だけ思考するが即座に切り捨てて、決死の突撃に踏み込んだ。
足元の萎れた蔦ごと踏みぬくようなその一歩には渾身の力が籠められていた。
それは、クドーラクセスさえ避けえない突撃速度を得るために力を溜めであり、その場で一瞬静止する必要があった。
そこを狙い撃つように、音の壁を破壊しながら何かが静止したエニステラの首元へと迫る。
疑問を自らの脳裏に挟むことなく、彼女は体に刻まれた動きに合わせてハルバードの柄でその一撃を防いだ。
彼女が瞬時に視認できたのは、何らかの植物で編まれた何かであるということだけであったが、それ以上は考えずに突撃することに意識を割く。
姿勢は限りなく低くとり、全身を一本の槍とするようにイメージを固めて、一瞬の弛緩を挟んだ後に、力を解き放った。
続いて迫る六つの打撃を、姿勢を低くしたことで直撃を避けつつ肩や手甲に当てさせて被害を最小限に抑えながら、エニステラは一直線に標的へと跳んだ。
音速を突破したことで自身に掛かる負荷を聖雷で軽減しつつ、負傷を神聖魔法で癒しながら宙を飛んでいる様はまさに聖なる雷の矢の如く、触れるだけで大抵のものは焼き切れるだろう。
その聖雷の矢が向かう先はクドーラクセス―――、ではなく、ちょうど武器を手渡した関係で背後に立っているオークストである。
クドーラクセスが避ければ、視認も反応もできていないオークストに回避する術は無く、庇うのだとしても中途半端な手段では止めることは敵わない威力を秘めていた。
迫る聖雷の矢と化したエニステラに対して、クドーラクセスは僅かにただ、笑みを浮かべた。
大気中に雷鳴を轟かせながら、一本の矢と化したエニステラは二人の魔軍の下へと届く。
クドーラクセスは、避けていない。
(手応え――、今!)
その手に握る斧槍に手応えを感じた瞬間に、ため込んでいた聖雷を穂先へと集中させる。
「《聖雷開放》ッ!」
声と共に一気に集中させた聖雷を開放させて、穂先に刺さった対象へと流しこむ。さながら絶縁破壊と呼ばれる現象を起こしたかのようにその表面へと根のように分岐した模様を焼き刻んだ後に爆発を生じさせた。
爆発により、まき散らされた焦げた赤いような肉片に晒されながら、エニステラは思わず呟いてしまった。
「――軽い?」
こぼれた疑問を無理に解決しようとするまえに、即座に前に倒れるように飛びのいたエニステラに、九つの打撃が襲い掛かる。
エニステラの傍らに立っていたクドーラクセスの鞭が振るわれていたのである。
(三つは外れる、三つは弾く、三つは受けます!)
ほとんど同時に着弾する鞭の先端などという絶技に対する驚愕で自らが静止する前に外れる三つを避けながら、ハルバードで急所へと放たれた三つを弾き、残りを手甲にて受ける。
先ほど受けた六つの打撃より更に軽い打撃であった事を覚えながら、その衝撃を利用して後方へ下がろうとした所に、更に九つの打撃が飛来する。
(今度は、外れは二つ、五つは弾けて、二つは受けなければなりませんかっ!)
瞬時に判断して、迫る五つの打撃をハルバードで迎撃した瞬間に、五つの先端によってその柄に巻き付いた。
咄嗟に鞭を振りほどこうとするが、偉丈夫の力が強く、ビクともしない。
「ふむ、久しぶりに鞭など使ったが……そこまで腕は衰えていないようだな。曲技の類も問題無く扱えたようだ」
「これが曲技、ですか」
エニステラは改めたクドーラクセスを見据える。
右手に持つその鞭は、途中からその先端が九つに分かれた特殊な形状をしていた。
まともに振るえば先端同士がぶつかるためにまともに武器として振るうことが困難である代物の筈だが、それをこうも容易く扱い、九つに分かれた先端が同時に直撃するように振るうなど一つの奥義にも匹敵する技である。
そんな技を曲芸扱いするクドーラクセスだったが、エニステラの意識は他へと向けられていた。
彼女の視線の先、そこにはある筈のクドーラクセスの左腕の肘から先が無い。
「見事な一撃だったな。私の左腕を取るとは」
「わざと差し出しておいて良く言えたものですね」
クドーラクセスの称賛の声にも、エニステラは冷徹に切り返した。
彼は衝突の際に、左腕をオークストの盾となるように差し出ていた。
そして、ハルバードの穂先が刺さり大量の聖雷を籠められた瞬間に左腕を切り離すことで全身に聖雷が流れることを阻止し、攻撃を受けきったのである。
聖雷の籠められた爆発を受けたことで左腕の切断面が焼かれたために吸血鬼の持つ不死に等しい再生力が阻害されているのか直ぐに元通りになる訳ではないが、《八魔将》であるクドーラクセスの力ならば時間の問題である。
(私としたことが、見誤りましたか)
エニステラは悔みながらも何が起きたのかを冷静に分析する。
左腕だけに刺さったのであればその手ごたえだけで判断し即座に切り離されることを見抜ける技量を彼女は持ち合わせていた。
何故か? その答えをエニステラは理解していた。
(確かに手応えはありました。少なくとも胴体の何処かに突き刺さったのでは無いかと判断しましたが……私の判断が甘かったようですね。まさか左腕一本で止められていたとは)
渾身の突進は四肢の一つに突き刺さるのであればそのまま切断することができると、それまでのやり取りで攻撃を捌かれた感覚から彼女は判断していた。
だが、彼女が見積もっていた以上にクドーラクセスの単純な力は想像を絶するものであった。
(吸血鬼の圧倒的な身体能力、ですか……モンスターを相手に単なる腕力のみで圧倒することができるというのがおおよその吸血鬼の持ち合わせる身体能力なのですが……、《八魔将》は当然のように格が違うようですね)
吸血鬼。血を吸う人型の怪物であり、不死身の存在であることは神聖大陸でも知られている。
神聖大陸に存在する吸血鬼の大半は、自らの命を永らえさせるために他者の血を取り込むことを選んだ死霊術士の成れの果て、リッチ達が該当しており、即ち後天的に魔法によって成ったものが大半であった。
対して、魔軍に属している吸血鬼はヴァンパイアという一つの種族である。
そしてそれらが持つ生態的な特徴として、他の種族であれば致命傷である負傷さえもたちまちに再生する不死性、霧や蝙蝠、多様な獣などへと化ける変身能力などが代表的だが、加えて身体能力という点においても特筆すべきものがある。
巨人に比べれば幾らか劣るが、その膂力は魔軍においても屈指を誇るものも多い種族であることに違いはない。
(八魔将相手にまともに戦えるとは思っても居ませんでしたが……まだ覚悟が足りていなかったようですね)
エニステラが渾身の力を籠めてハルバードに巻き付いた鞭を払おうとするが、クドーラクセスの持つ強靭な力も前ではむなしい抵抗となっていた。
「中々の強度の鞭だ。私がこうして振り回してもまだ原型を保っている。参謀は良い仕事をしたな」
「ぐ……う、」
対して力を籠めていないのだと告げるように余裕の表情を見せるクドーラクセスに対してエニステラはその視線を周囲に走らせる。
先ほどまでクドーラクセスの傍にいた筈のオークストの姿は既に無く。周囲を見渡しても影も形も無い。
エニステラの見た限りでは"生長外壁"の上にはその姿は確認することができなかった。
「側近は《聖雷開放》の隙を突いて逃かしましたか……!」
「奴には他に役割があるのでな、ここで棒立ちにさせておく暇などはないのだよ。奴としては私の援護をしたかったのであろうが、こうして役目の一つでも果たせれば満足であろう」
クドーラクセスが右手に握った鞭に視線を落としながらそう言ったが、その態度からはオークストがこの場にいようがいまいが特に問題はなかったと暗に告げているようにエニステラは感じ取った。
(今は、この状況を優先する方が大事ですか。とは言え、現状では下手に動くことも儘なりませんが……)
赤い霧の大蛇を切り伏せた一撃、高速での戦闘、それに加えた決死の一撃によって彼女が纏った聖雷が尽きかけて、その輝きは目に見えて弱まっていた。
再び、神聖魔法により聖雷を身に纏う必要があるが、現状ではそのような隙は無い。
残りの力でハルバードに巻き付いた鞭を焼くことも可能だが、その場合は聖雷を纏う神聖魔法を使う余裕を生み出せるのは非常に困難である。
(或いは切り札とはいかずとも、手札の一つは切る必要がありますか)
この場を乗り切るために策を練るエニステラ、その様子を笑みを浮かべながら偉丈夫が問いを投げかける。
「しかし、何というか……、貴公は何か私に聞きたいことは無いのか? 魔軍がこの時期にこの神聖大陸の中心へと侵攻を行った理由などを聞き出そうとする気配さえ無いが……」
「……他の魔軍であれば、制圧次第その余裕があれば目的を聞き出すことがあるかもしれませんが、その必要も無いでしょう」
「ふむ。それは私を倒せば全てが終わるから、という意味かな?」
「いえ」
段々と増す鞭の力に抗うように両足に渾身の力を籠めながらエニステラは返答する。
「相まみえたのならどちらかが死するまで戦うのが私達、《対魔十六武騎》と《八魔将》の定めでしょう。そこに時間や場所や事情は関係ないと考えています」
「《八魔将》は魔軍の為に、《対魔十六武騎》は人類の為に、ということか」
「何かおかしな点でも?」
「いや、正しいとも。我らが積み重ねてきた八百年の積み重ねから考えれば当然とも思える考えだ」
クドーラクセスは笑みを絶やさない。
ここまでの戦いの末に既に左腕を失ったにもかかわらず、表情一つ崩していない。
それはこの程度の負傷は直ぐに再生すると知っているからか、或いはこの負傷さえも自らの思惑の内にあるからか。
いずれにしろ、エニステラは未だにクドーラクセスの掌中にあるのは、ハルバードを抑えられているこの状況も含めて、事実であった。
「さて、絶妙な押し引きを楽しむのも悪くは無いが、そろそろ次の展開へと行くとしようか」
「ッ―――!」
笑みを僅かに深くした偉丈夫が鞭を持つ右手を軽く引っ張り上げた。
その動作だけで、エニステラの足が浮き上がりかけた。その勢いは無防備な空中へと投げ出される可能性を彼女の脳裏によぎらせる。
身体に残った聖雷を振り絞り起こした電磁力によって何とかその場にしがみつくエニステラだが、ハルバードごと引き抜こうとする力は加速度的に増していく。
その手に持つ武器を手放せば、空中へと投げ出されることも無くなる。
しかし、それは一秒先の死路を避ける代わりに、二秒先の死路へと足を踏み入れる行為である。
(宙に投げ出されたとしても、電磁力で――いえ、この程度の出力では余計な足掻きすらできませんか、ならば――)
故に、エニステラは今ここで切るべき手札を選ばざるを得ない。
並んである手札の中から、それが勝利へと繋がるか細い道であると信じて――彼女は選び、踏みだした。
そうして、力の均衡が破れる。
エニステラの身体が宙へと浮き上がり――、同時に彼女の持つハルバードがバラバラに分解された。
(存外に脆い……?)
クドーラクセスの内に疑問が生まれた瞬間、隙が生じる。
その隙を突くように、エニステラがクドーラクセスの懐へと飛び込んでいた。
鞭に掛けられた尋常ならざる膂力に引っ張られた勢いに合わせて自らクドーラクセスの下へと踏み込んでいたことで、クドーラクセスの反応を振り切ることに成功していた。
その手に持つ武器は唯一つ。
分解されたハルバードの先端部、穂先の斧と槍が一体となった部分を手斧の如く右手に握り、振りかぶった。
渾身の力が籠められた右手の狙う先は唯一つ、クドーラクセスの頭部のみ。
「ハァァッ!!」
渾身の力で振り下ろされた一撃に対して――、クドーラクセスは尚、笑みを崩すことは無い。
「面白い手だったが、その程度では私の手は間に合う」
右腕で振り下ろされるエニステラの手首を受けることでいとも容易く攻撃を封じた。
直上から振り下ろされた一撃であるにも関わらず、片腕の膂力にて完全に受けきり、決死の攻撃を封じ切った。
エニステラの攻撃を察した時点でクドーラクセスは彼女の攻撃する先にあたりを付けて虚を突かれて尚、防御することで間に合わせていた。
―――エニステラはクドーラクセスのその選択を待っていた。
彼女は左手を振り抜いた。
その手には、先ほどまで影も形も無かった手槍が握られている。
そして聖雷が籠められたその一閃は、クドーラクセスの右手を切り捨てていた。
「なるほど、見事だ」
槍の一閃にて切り捨てられ、聖雷によって焼き潰された左手を僅かに見下ろしながらクドーラクセスはそれを達成した者に対して称賛の声を掛ける。
「《聖雷装填》」
「もう少し、こちらの問いに答えてもよいのではないか?」
「申しわけありませんが。両腕を失った貴方に対してそのような余裕は持ち合わせていませんから」
切り捨てたと同時にその場から離脱したエニステラは度重なる激突にて消費した聖雷を神聖魔法にて補充し、その身に纏う輝きを取り戻していた。
彼女の右手にはハルバードの穂先が、左手には短槍が握られている。それは、ハルバードの柄の底、石突きの部分であった。
《戦乙女の聖雷斧槍》は幾つもの部品によって構成された武器である。
大まかに穂先と柄、石突きの部分に分けられており、穂先の部分も状況に応じた補助武装に取り換えることが可能な構造となっている。
エニステラは自らハルバードを分解して隙を生み出すことでまたとないチャンスを作ったのである。
「しかし、私の両腕と引き換えに手元に残された両手の武器はいささか短いのではないか?」
切り落とされた右手に握られていた九股の鞭も輝きを取り戻した聖雷によって焼かれて見る影もなく、残されていたハルバードの柄が転がっているのみである。
「興味深い武器を見せてくれたことに免じて、転がっている柄をひろう程度の時間は与えてもいいと思う程だ」
「いえ、お気遣いなく」
両手を失っているにも関わらず余裕を崩さないクドーラクセスの相手を利する言葉に対してもエニステラはまるで応じることなく拒絶し、くるりと両手に握る武器を回し宿らせ聖雷を輝かせた。
その動きに応じるように地面に転がったハルバードの柄が輝き、聖雷による電磁力が宿りエニステラの手元へと戻った。
彼女は引き寄せた柄に穂先と石突きを組み込み、ハルバードをその手に取り戻した。
その様子を確認してからクドーラクセスは手を失った両腕を掲げた。
「この有り様では貴公の槍捌きを防ぎきることはできまい、よって」
言葉と共にクドーラクセスの両腕が風船のように膨張を起こす。
聖雷によって焼かれた両腕の切断面が膨れ上がり押し出されようとする中身を押し留める栓の役割を果たすが、それも一瞬のことであり、瞬くまに中身がこぼれだした。
「吸血鬼の本領を発揮させていただくとしよう」
両腕から溢れるように流れ出しているのは大量の血液だ。
ワイン樽を割ったかのようにとめどなく流れ出す大量の紅い液体は、"生長外壁"から零れ落ちるほどに溢れでる。
クドーラクセスの体積を遥かに超えた量が流れるさまは正に血の濁流であった。
そして、そんな嵐に襲われた河川の如き血の奔流を目前に、最強の聖騎士は自らの信じる神へと祈りを捧げる。
「《大いなる神の一柱、ウォフ・マナフよ。我が斧槍に汝の権能を授け、魔から守る聖盾となしたまえ》、《聖雷の聖盾ッ!」
エニステラを中心として展開された聖雷による半球状の領域は、血の濁流を見事に遮断した。
彼女の定めた領域の中には血の一滴の侵入も許さないほど強固に閉ざされている。
「さあ、次のラウンドだ」
決して途切れることなく血を溢れさせている両腕を振りかざしながら、一切笑みを崩さないクドーラクセスを前にエニステラは、闘志を絶やすことなく手に持つハルバードを握る力を強めた。
――勝利への道は未だ遠い。
続きは一週間程度で更新する予定ですが最低でも一ヶ月以内には更新します。




