第二話 中立魔導保全都市、迎撃戦 /クライマックスフェイズ7:マナリスト神殿区域での決着
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流れの聖騎士、ヘンフリート=ヴァシュケンは神聖大陸各地を単独で巡る"巡回騎士"において尚、優れた技量と多くの危機を乗り越えてきたことで培われた経験に基づいた知見があった。
"巡回騎士"の中でも屈指の実力を持つ彼は、リンブルが自らの命を代償として肉体的限界を越えた力を身に付けたとき、守勢に回る危険性を知りながらもそうせざるを得なかった。
理由は二つあり、一つは攻め気を出してしまえば文字通りの決死戦となってしまい、先へと行かせたエニステラとの約束を自ら破ることになってしまうことを考慮したため。
そしてもう一つは、高遠恭兵が攻勢を得意としていない。少なくとも、自ら積極的に攻撃を仕掛ける性格では無いと判断していたためであった。
二週間の早朝の特訓を通して、相手の出方を常に伺い、その力量に応じて戦い方を決めているのだと、ヘンフリートは分析していた。
どの位の強さで、どの程度の戦いの駆け引きを用いてなど、特訓とは言え相手に合わせるような戦い方が身に付いていたのである。
自ら打ち込んでくる時があったとしても、それは攻撃のパターンを読ませないための攻撃であり、決して一撃で倒そうと狙っている訳では無かった。
他者に大怪我をさせないようにと恐る恐る戦っているような印象からは、まるでへっぴり腰の新兵のようでもあった。人を斬るとい事に恐れを感じるものの剣の使い方であったのだ。
剣の振り方や戦闘の組み立てなどは、彼の師匠であるアーレヴォルフに通じるものが読み取れるにも関わらず、その戦いに向かう姿勢がどうしても噛み合っていない印象をヘンフリートは抱いており、二人が師弟としてよく上手くいっていたものだという感想を抱いた。
友人が年を経てその性格が丸くなった、少なくとも自らを慕うものを上手く導くことができるようになったのだと、その成長を内心でどこか喜んでいたのは確かであった。
「うむ、吾輩、見誤っていたであるな」
弟子は師匠譲りに無茶苦茶な奴だったことを、宙に浮いた蜥蜴巨人を見てヘンフリートは思い知ることになった。
「ぐうぁううッ!?」
「ホーム、ランッッ!!」
地から屈強な足が離れ空中にその巨大な質量ごと浮かんだリンブルを、恭兵は振りかぶった赤い剣の腹を叩きつけてた。
見事に腰から入ったスイングは、蜥蜴巨人をよろめかせ、その背にある建物を破壊させるのには十分な威力を持ち合わせていた。
「グフ、やる」
「取り敢えず、おまけ付きでぶち込んでやる」
リンブルの返事を待つまでも無く、恭兵は次の攻撃へと移っていた。
フルスイングの勢いのまま、《念動力》を用いて大剣の柄を滑らすようにその手の位置を短く持つようにずらす。
長大で幅広である赤き大剣、その大きさに応じるように長い柄を短く持つことで単純な大振りでは無く、扱いやすいコンパクトなスイングを可能とする。
大剣の大きさからすれば大差の無い違いだが、それでも切り詰めることで次の攻撃へと繋がる時間を刻むことができる。
遠心力を生かし、左右の足を器用に動かして入れ替えて、素早く第二打席に立つ。
「ホーム、ランッッ!!」
それは一種の虚勢であり、体長八メートルを超える巨体を"生長外壁"まで飛ばせる筈もないが、その一振りに籠める力と心意気は、青空の彼方まで飛ばす勢いを込めている。
一打席目より素早くつなげることを優先したために威力は落ちているが、それでも崩れた態勢を戻させない。
リンブルの巨体へと撃ち込んだ一撃によって少なからず失われた勢いを、《念動力》を用いて大剣の剣先に運動エネルギーを伝えて、再びバッティングフォームへと器用につなげていく。
「ぬぐ、この程度で!」
巡る第三打席、リンブルはその股の間から自らの尾を槍のように突いた。
姿勢を立て直すことよりも、優先したのは敵の撃退、撃殺。一秒でも自らの命に時間があるのであれば目前に立つ敵を倒すことこそが、スーザの一族の誇りであり名誉であるがゆえに。
恭兵は自身の喉元へと向かう尾を見て、思わず笑う。野球に危険球は付き物だ。その程度はプロならば避けれて当然である。少なくとも師匠ならば鼻歌混じりに反撃で尾を斬り飛ばすことさえできるだろう。
(まして球速の体感など百二十キロ程度なんて、アマチュア未満の俺でも避けるまでもねえな)
鋭く重い、しかし遅い尾の先端を、短く握った赤い大剣を上から落とすようなスイングで迎撃してカット、尾は彼の背後の壁の残骸に突き刺さり判定はファールとなる。
ボール判定では無いのはサービスというよりもルールの違いだが、空振りでは無いだけましだろうと思いながら恭兵は素早く構え直す。
だが、既にリンブルとの彼我の距離は離れていた。
尾が弾かれた勢いを利用することでその場から立ち上がる事に成功したのだろう。例えその大きさが規格外となろうとも、動きが鈍重ではないことはこれまでの攻防で明らかになっている。
「二本足で立てて、てっきり地を這う蜥蜴じゃなくなったと勘違いしてるのかと、思ったより女々しくしがみついてんだな?」
「よく喋るようになった。飛んでくるのはつまらん冗談の類だがなッ!」
今度はこちら番だとでも言うように、リンブルが低く構えた瞬間にその顔を覆う影が突如として現れた。
それは、牛の頭を持つ大男へと《変身》によりその姿を変えた"迷人"、明動黄三であった。
「ダイッビングッ!」
一度小鳥の姿となってから敵に気づかれずに位置エネルギーを確保した後に死角から放たれたボディプレス、質量保存則さえも無視し、体重も変化させることができることで生み出される予期せぬ肉弾砲撃、思いもよらぬ反撃を受けた直後のリンブルに回避する術は無く、直撃した。
「なん、のぉ!」
側頭部へと体重百四十キロからなる一撃を受けたにも関わらず、強化された足腰と太い尾を用いてバランスを保つことでリンブルはその場で堪える。
倒れないことを承知済みであった黄三は素早く蛇へとその姿を変え、必死に捕えようとする手から巨躯を滑り落ちるように逃れる。
そしてその顔面に恭兵の四打席目、渾身のフルスイングが打ち込まれた。
その手応えは、鋼鉄の柱に文字通り金属バットを打ち込んだようであった。まだ蜥蜴巨人の首は落ちることなく、鋼鉄以上の硬度を持つらしい鱗によって、大剣の刃はいまだに血を流すには至っていない。
「硬いなぁ! 手がしびれんだけど!!」
「それだけやって、まだ切れねえのかよ、ヘタクソ!!!!」
「うるせえ!! 剣の一つでも振ってみてから言えよ、万国ビックリ野郎!! お前だってまともに倒せてねえだろうが!!」
「プロレスラーみたいにはできねえんだよ! こちとらレスリングだってまともにやったことねえんだぞ!!!」「フアハハハハハハ!! 我が鱗を貫こうとは大した自信だが……無駄だ。神へこの命を捧げた代償として、この鱗はドラゴンのそれに匹敵する――断つのは不可能だと言っておこう」
「「言ってろ、蜥蜴野郎」」
互いに罵倒し合い、何故か息を合わせながら交互に攻撃を叩きこむ恭兵、先ほどまでと違い、周囲に対して何ら遠慮することなく攻撃を仕掛けているのだが、その内心は晴れない。
(やっぱり、殺しきれない、か)
赤い大剣をチラリと見た後に血管が浮かび上がっているリンブルの鱗を見てため息が漏れかねたのを相手に悟られないように何とか飲み込む。
互いの武器をいくら打ち合わせた所で互いに損傷は無い。赤い大剣は依然として欠ける様子は無く、強靭な鱗も同様に剝がれる気配も無い。
赤い大剣の生半可では無い質量であるならば、例え切れずとも鉄塊で殴りつけることと同様に痛手を与えることができる筈なのだが、リンブル自身との体重差がある上に、自らの命をここから遠く魔大陸の神、アーセンゲイブへと捧げたことで得た身体強化は耐久力にまで及んでおり、同じ大きさのモンスターと比較しても、桁外れのタフさを持ち合わせている。
(厄介な鱗、それさえ突破できれば、頭を割るなり首を落とすなりで即死まで持っていける。少なくとも出血多量で殺せる目は出せるからまだ楽にはなるんだが………師匠なら簡単に切り落とすんだろうな)
恭兵はなりふり構わず反撃を行おうとするリンブルの攻撃を止めながら、活路を見出すためにかつて行動を共にしていた師匠、アーレヴォルフの事を思い出す。
自らよりも、はるかに巨大でそれ故に大剣であっても歯が立たぬ敵にどのようにして立ち回ったか。
『あ? こんなの的じゃねえか。剣で狙う位置を見定めないですむから楽だろ』
そう言って、十メートルを超える大蛇のモンスターの頭を見事に一刀両断していた。
大抵の相手は瞬く間に師匠によって運が良ければ手足、悪ければ最初に首を落とされていた。例え手足が先であろうとも最終的には首や頭が体から断たれるか、心臓を一突きにされるかの違いでしかなかったが。
兎も角、まるで参考にはならないことを思い出すことができただけでも収穫としておこうと恭兵は無理矢理納得させた。
(そもそも、その相手が斬れないことに困ってるんだけどな―――、何か言ってなかったか………?)
大概のモノは大剣で斬れると豪語していた師匠が、それでも斬れないものに遭遇した場合はどうするのか、と聞いたことを思い出す。
子供が親にするようなどうしても論を投げかけ、師匠を困らせてしまった―――――
『それなら死ぬまで殴り続けるだけだ。大抵の生き物は頭を殴り続ければいつか死ぬしな。というか戦いって正味そういうもんだろ、どっちが速く、自分が倒れる前に相手の顔面に攻撃を多くぶち込み続けるかどうかだろうが』
――――全然、困っていなかった。解答時間はコンマゼロ秒以下であり、むしろそんなことも知らなかったのか、と常識を知らない子供のように扱われたのを思い出した。どう考えても狂っているのは師匠の筈なのだが、妙な正論で丸め込まれてしまったことが死ぬほど悔しかったことを恭兵は今思い出した。
(何か腹立って来たな)
湧きでてきた過去の苛立ちを力に変えて目の前の敵に思いっきりぶつけた。
側頭部を狙った五打席目は、辛うじて手のガードが間に合ったことで直撃には至らない。
リンブルが的確に防御の前に会心の一撃が取れず、ジリ貧が続いてしまう。打率は最悪だった。
「自信満々に殺すとか言ってたくせに息切れしてんじゃねえか?」
「まともな攻撃ならお前だって対して当ててないだろう。その図体は見せかけ風船か?」
「この大きさを頭部に食らったくせにふらつきもしないアイツがおかしいんだよ!」
牛面で鼻息を荒くしながら話しかけてくる牛頭、黄三が声を荒げるが、そんな二人が会話を遮るようにリンブルが突撃してきた。
片や《念動力》を足の裏から地面へと放ち、横っ飛びに回避し、片や《変身》によってイタチにその姿を一瞬で変化させて突っ込んできた蜥蜴巨人を紙一重で躱す。
だが、リンブルの攻撃は終わっていない。
その体の前身が通り過ぎた後、続く大木の如太い尾が薙ぎ払う。
背後から頭部へと攻撃を狙っていた恭兵は、《念動力》によって強引にその軌道を曲げて迎撃した。ねじ切れるような勢いで内外から捻り上げる腕が悲鳴を上げるが、即死よりマシだと言い聞かせて全力を掛け続ける。
蜥蜴巨人は右手地面につき、支点とすることで回転、ドリフトのように突撃によって生んだ速度を維持したまま百八十度回転して再度向かってくる。
恭兵は勢いが付く前に《念動力》を打ち付けて勢いを殺し、同時に黄三が牛大男へと再び《変身》し蜥蜴巨人の下半身へと頭から飛び込むようにタックルを仕掛けることで止める。
すかさずリンブルが両手を合わせてハンマーのように打ち下ろすが、それを恭兵が赤い大剣を横合いからぶつけることで逸らし、空いた顔面へとすかさず取り出した石を目にめがけて投げる。
セットポジションから《念動力》によって生み出された剛速球だが、瞼にも存在する硬い鱗を貫くには足りていない。
互いに決定打が出ないまま、決定打を持たない恭兵は焦りを感じ始めていた。
そんな、一進一退の攻防を円形に囲みを掛けるように展開する聖騎士達はただ見ているだけしかできなかった。
自分達が助けに向かったとしても、上手く連携を取れないこの配置ではむしろ足手まといとなってしまうこがそれぞれ理解できているが故にだれもが歯がゆい思いを抱えながらその場で泊まっている。
そもそも、初対面であるその場で何とか連携を取れている"迷人"の二人が異常であるのだが、それが慰めになるような聖騎士はこの場にいない。自身の至らなさを真っ直ぐに受け止めることができる騎士達であった。
辛うじて、指示を出した当人であるメヌエセス当人が余裕を持ち合わせて戦いを見据えていることが、彼らの不安を和らげており、エニステラに対して誰も犠牲者をださないようにすると誓ったことが、彼らの自己犠牲を抑えていた。
(さあて、いつ仕掛けるもんかね――、下手に拮抗している分、一気に決めないとこっちに犠牲がでる……何を甘い事を、と鼻で笑いたい所だが……あの子が前進するのを止めることは野暮だしねえ……)
もう少しなんとかならなかったと考えざるをえないメヌエセスだが、それ以上に頑固な対魔十六武騎を送り出すにはそれしかなかったというのも事実ではあった。
とにもかくにも、過ぎ去ったことはどうにもならないことを彼女は知っている。
タダでさえ、自らが信じ奉る神を、感じ取ることができないためにその力を借り受けられないことで苦労してきた分、どのようにして困難を乗り越えていくのかということだけはよく知っているつもりで、できることと言えば何時もそれくらいだった。
(私にはあそこで戦っている所にドンピシャリで神々の力を届かせる腕なんてありやしない。できるのは、事前になけなしの祝福を授けることと、考えること位だ)
それだけを武器に司教の座となりマナリスト神殿の統轄を任された。メヌエセス・マナリストは自らの家を守るために常に全霊を尽くしている。
それをこの場においても発揮させるだけであった。
作戦は滞りなく、聖騎士達に伝わっている。歴戦である流れの聖騎士、ヘンフリートにもこちらの動きに合わせるように伝わっていることは確認しており、準備は完了している。
後は兆候を待つのみであり、それは程無く訪れた。
彼女は卓越した観察眼はそれを見逃さずに捕え、迅速に聖騎士達へと取り決めた合図を出した。
作戦決行の指示がついに伝えられ、聖騎士たちは歯がゆい思いから解放され、自分達の神殿を守護するために動き出す。
(私にできるのはここまで、できることといえば精々他の神官達の補助位さね。あとは頼んだよ)
後は見守ることしかできないと、自らの役割を定めたメヌエセスは移り行く戦場を見据える。
(ようやく動き出したか? それにしてはここに飛び込んでくるような輩はいないようだが)
目前で繰り広げられる”迷人”と魔軍の戦いを見守ることしかできなかった聖騎士達が走る。
それまで静観していた聖騎士たちが動きを見せたことに対してリンブルは警戒を強めるが、目の前の敵を優先するべきだと結論を下した。
(四人一纏めでくる場合ならいざ知らず、連携が取れない聖騎士たちに余計な集中を払う気はない。注意を向けるべきは三人)
恭兵から繰り出されたコンパクトスイングを右腕で弾き反らしながら、続く大牛男となった黄三のタックルをいなし、後方でじっと構える屈強な聖騎士に警戒を払う。
前衛で戦い続けている二人の援護をするでもなく、微動だにせず構え続けるヘンフリート。
恭兵が攻勢にでてから剣先から放たれる聖なる白き線による行動の妨害さえも起こしていない。
隙を伺っている様子は感じ取れるが、より消極的な対処を取っているようにリンブルの目には映った。
(小僧どもがこちらを殺せなかった場合に備えているのか? 時間切れに備えられれば不味いな――賭けにでるべきか?)
時間はそれほど残されていない。例えここからこの場にいる者たちを皆殺しにできたとしても、リンブルが猛威を振るうことができるのはこの神殿区画までだと判断せざるを得ない。
リンブルはそれでも笑みを浮かべる。ここまで食い下がり尚戦い続ける者どもをここで殺せば後に続く魔軍に対し残せるものとなるであろう。
狙いは相対する二人を通した向こう側、包囲している聖騎士の中で油断している筈のものを選定した。
腰を落とし、両足に力を溜める。
「それは何度も見た!」
動きを止めた一瞬でリンブルの狙いを見破った恭兵は赤い大剣を背に提げ、両手を用いた《念動拘束》により捕え、その場に食い止める。
「フハハハハハ!! それはこちらの台詞だッ」
取り込める限りの空気をその肺へと取り込んだリンブルは即座に吐き出した。
尋常ならざる肺活量から繰り出された大気の塊は、暴風となり土を削りながら前面へと放出される。
人為的な突風に抵抗できず、恭兵の両腕が跳ね上がり、リンブルを縫い止めていた《念動拘束》が解かれる。巨人蜥蜴は静止させられていた間にため込んでいた力を一気に開放する。
「ガフファァァァァアッ!!!!」
雄叫びとともに放たれた渾身の突撃はこれまでに放たれたものとは一線を越えたものであった。
当然、その速度も埒外のものであり、間近にいる恭兵と黄三に回避する術は無かった。
「あ」
「や、べ」
悲鳴を上げる暇も無く、二人は上空へと跳ね飛ばされた。
リンブルは衝突によって失われた勢いを再び地をその足で踏むことで加速して取り戻す。
(手応えが浅い、が止めを刺すのは後回しだ)
宙へと舞った二人の"迷人"を無視し、包囲するように散開するように陣形を組んでいる聖騎士に狙いを定めて突撃する。
正面でリンブルと相対することになった聖騎士は迫りくる巨人蜥蜴に気圧される。その表情には恐怖が浮かぶが、それでも尚、なけなしの勇気を振り絞り、聖騎士はその場に立ち、その場に剣を突き刺し支えとして高く盾を構える。
「――ッう、来いッ!」
「良い気迫だ。我が贄とするに相応しかったと記憶しておこう――無念に染まるその屍もな」
リンブルは称賛の声とともに、爪を振り下ろす。
決死の抵抗も虚しく、勇気を振り絞った聖騎士は《聖騎士》との誓いを果たすことなく命を潰える。
「《御身、その力は定めること。人類を守護するその領域、定義するその力こそがその座に就かれた理由なり》」
それを許さない神へと捧げる詠唱が淀みなく紡がれていく。
[《どうかそのお力を、不肖の我が身に今一度授けたまえ、遥か高み、神位に座する偉大なる導きの光、フシャスラ・ワルヤよ》ッ、《聖地付与:聖域定義ッ!》」
ヘンフリートは二節からなる詠唱を完成させる。
同時にヘンフリートがその剣先から伸びる聖なる白線、その輝きが周囲を埋め尽くし全ての者の視界を奪う。
閃光が走り去り、周囲は静寂に包まれる。
「大した目くらましだが、この俺が敵を見誤るとでも思ったかッッ!!」
「ならば振るってみるがいい。神に見放されたその力を」
リンブルは瞬時に状況の変化を見るが、障害にはならないと判断し目前に立つ聖騎士へと振り下ろされる爪、―――それが、聖騎士が掲げた盾に触れた途端にその先から崩れる。
「な、まさかっ!」
リンブルは驚愕のまま後退する。
同時にその前身から血が噴出し、とめどなく流れ始めた。体の内側、内臓から骨に至るまでが萎れていく。
「神聖大陸を守護するあの防壁を再現したのかッ!」
「成程、知識はあったようであるな。それを乗り越えてここまできたのであろうから当然の話といえばその通りであるが」
ヘンフリートがリンブルへと近づき、聖なる白線を描き続けるその剣を振りかざす。
屈強な聖騎士へと振り向きざまに暴威を振るおうとしたリンブルだが、白線の光を拒絶するかのように彼の肉体自体が動くことを拒否していた。
「貴様らと我ら、神聖大陸と魔大陸の境目をこの場に定義することで魔大陸に座する我らが神の加護が剥がされたということか……白き光と黒き光がせめぎ合ったことに生じたその境界を作り上げるとは――、只人が行える所業では無いぞッ!」
「故に神の御業をお借りする神聖魔法である。それは貴様とて同じこと、その繋がりをこの神聖大陸までどのようにして繋いでいたのかは定かでは無いが、領域をこちらから定めることでその抜け穴を強引に断ち切らせてもらった。無論、相応に準備を必要とし、吾輩のみで行うことができなかったがな」
自分が崩した建物によって瓦礫が散乱していればなおさらそのような仕掛けは崩れている筈だと考えていたリンブルだが、ハッとなり、自分を取り囲む聖騎士達と彼らの足もとに視線を移した。
リンブルを綺麗な円形で包囲するように配置された聖騎士達はみな地面に自身の持つ剣を突き刺しており、それらを繋ぐように、聖なる白線が地面に描かれていた。
「本来、これは未開地におけるモンスター除けや魔軍侵攻においては急造的に陣地を用意するための神聖魔法を吾輩がアレンジしたものでな。神聖大陸における大地の守護者、旅先での迷い人を助ける道をつけ、無為な争いを分かつことで防ぐ神、フシャスラ・ワルヤ様の御力が現れたものだ」
「新たに領域を分かつことで、俺に力を授けていた神、アーセンゲイブとの接続が剥がされたのか……! 遠く神聖大陸にまでその力が及ぶように事前に準備を行ってきたにも拘わらず、剥がされたということは、神の権能を用いてこの地における加護の所有権を書き換えたという事……! 貴様やはりとは思っていたが、ただの聖騎士では無いな?! 凡百のものが扱える権限で無い!!!」
「しがない名家の落ちこぼれというだけなのであるがな――その上実家からはほとんど絶縁を言い渡されているである」
リンブルはヘンフリートとの会話を交わしている間に何とか自身の肉体の自由を取り戻そうと試みる。
しかし、まるで動かない。腕を上げようとすれば、骨から肉が零れ落ちそうになり、足を前に踏み出そうとするだけで崩れ落ちることが分かってしまう。煮えたぎる程に流動していいた血液は突如として行き場を失い、体中のあちこちから流れ出始めていた。
リンブルは刻限の前に既に満身創痍となっていた。
「やがて命が尽きるほどの強化がそのまま元の強度へと戻ってしまえば、それに適応していた筈の肉体は突然の変化によりついていけず、時間切れの前に限界を迎え行動不能となり――、もはや大きな腐肉の塊同然であるな。神経さえ焼き切れ、酷使された筋肉では何も殺せまい」
「最初からこれを行わなかったのは……、俺の強化度合いを見定め、強化を外側から無理矢理剥がされる反動で動けなくなるタイミングを計っていたのか……、だから貴様は時間稼ぎを是とした!」
「此方に貴様の鱗を抜く手段は無かったであるからな。貴様が自らの命の猶予を見極めて、本気になる前に殺す必要があったのである。何やら時間稼ぎを行っていたようであるが……。もはやこれでまでである」
ヘンフリートは止めを刺すべく、リンブルへと近づく。
血にまみれ、地に膝がつき、もはや動くことさえままならないリンブルはそれでも不敵に笑う。
「だとしても、そんな刃で俺の首を落とせるのか? いくら腐り始めているとはいえ一息で落とすには心もとないように思えるが?」
「吾輩に脅しを掛けても無駄である。これ以上貴様にできることは無い」
「あるとも」
リンブルは予め、この魔法都市マナリストのどこかで死ぬ予定だった。
そのための準備は万全にしており、例えば死後に敵に有利な情報を渡さないようにただの死体にはならない。加えてただでは死なない備えを仕組んでいた。
(一度領域を上から敷かれた影響で再度呪いを組み上げるにはもう少し時間を稼ぐ必要があるが――それまでに俺を殺しきれまい)
この場に残った生命を道ずれに今後十年と続く呪いの爪痕を残せることにリンブルはほくそ笑みながら、早急に呪いを組み上げる。
自らの専門ではないながらも、着実に再構成は進みつつあり、あと少し時間を延ばせば問題ないと彼は判断した。
「この身が腐っているならば、好都合。無残な屍となることで呪いを撒き散らす爆弾に―――」
「殊勝に時間を稼ごうとし、後へと続く魔軍どもに次を託そうとする努力は構わないであるが……それも手遅れである」
ヘンフリートが頭を振るのを見て、既に自身が終わったものとして扱われていることに疑問を浮かべるリンブルだが、自身の頭上に影がかかるのに反応して上を見上げる。
そこにいたのは巨大な鳥。怪鳥とも称される魔大陸に生息するモンスターが突如として現れ、その背から何かが飛び降りた。
太陽を背後に、そこから注がれる光をうけて赤く光る大剣が真っ直ぐにこちらに落ちてくるのをリンブルは辛うじて持ち上げたその目に収め。
「は」
「繋いで、繋いで、やっと逆転サヨナラホームランだ、この蜥蜴野郎」
輝きを失った鱗は驚くほどに脆く、腐った肉と潰れた骨では落ちる刃を防げるはずも無く、吹き出る血さえ濁っていて、地面に落ちた頭部すら、つぶれたトマトのようであった。
血を失い鈍った思考の中でこぼれた間抜けな一言が唯一の断末魔。
空から落ちてきた恭兵が振り下ろした赤い大剣によって首が落とされ、誇り高き魔軍の先兵、リンブル・スーザは何も残すことなく無残にその生涯を終えた。
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