第二話 中立魔導保全都市、迎撃戦 /ミドルフェイズ14:彼の休日の終わりに会ったのは
台風などで遅れてしまいました……
12000字と少々長めです。
「《大いなる神の一柱、ウォフ・マナフよ。我が手に汝の慈悲を授け、かの傷を癒したまえ》、《治癒》……これで、どうでしょうか?」
「っつ、ふう。悪いな、エニステラ。模擬戦のあとの治療までやってもらって」
恭兵はエニステラへと差し出した右手の拳を動かして調子を確かめる。
痛みは既に無く軽く動かしてみた所、動作の方も問題は無い。
ゴーレムの右肘を破壊した際の影響はそこまで残っていないようである。
「しまらないよな、殴った自分が怪我するなんてよ」
「ゴーレムの頭部破壊に用いた右足の靴も壊れていましたし……キョウヘイ、本当に能力の制御の方は大丈夫なのですか?」
「……正直言うと、一度暴走してから出力が上がったせいか、甘くなってきている感じはあるかな」
エニステラに対して誤魔化すことは出来ないと判断した恭兵は正直に答えた。
廃坑道での異形との戦いで自らもう一度戦うために外した枷の弊害が目に見える形で表れていた。
《念動力》はあくまで恭兵の認識する座標に対して接触、非接触を問わずに力を与えることができる能力である。
従って、自身の身体能力を直接向上させる力では無く、肉体の強度の限界を超える類のものでは無い。
無手での格闘に《念動力》を用いる際にその影響が及ぶ範囲の制御を誤れば当然、自分にも相応以上の反動が返ってくるのである。
「攻撃する時の目標がずれる訳じゃないし、寝てる合間に勝手に物があっちこっちに動かしちまうってわけでもない。ただ、使うってなった時に加減の感覚が掴めなくなってきてるな」
「それだけ、ですか?」
「いや、まあうん。そんなところだ」
「……そこまで言うのであれば、今日の所は言及せずにしておきましょう」
何かを言い淀んだ恭兵の様子に目ざとく気づくエニステラがその琥珀色の目を細めるも、それ以上の追求は止めた。
溜息を一つ吐いてから、彼女はマナリスト神殿方向へと歩きだした。
日は傾き、夕日となって空を赤く染めており一日の終わりを感じさせる。
"翡翠の兎亭"での恭兵とルミセイラとの決闘が終わり、恭兵はエニステラを治療院まで送り届けるべく帰路についていた。
ルミセイラの方は決着がついた後は、それまでの威勢はどこにいったのか、意気消沈したまま、行きと同様に実に引きずられてヴァンセニック研究塔へと帰っていった。実の話ではマニガスの方からルミセイラには叱責が飛ぶことは確実のようであり、恭兵というよりは寧ろエニステラの方の留飲は下げられていた。
トラブルはありつつも、兎も角、エニステラが無茶をして負傷が悪化すること無くデートを終えることができた。
今日一日は休養を取る筈が、結局怪我をする始末であり、恭兵自身はまるで休めた気はしなかった。
「今日はその、振り回して申し訳ありません。最初は私のお見舞いに来てくださっただけでしたのに……」
「治療院で模擬戦を申し込まれた時は正直、どうしてこうなったのかとか思ってたけど、それ以降はどちらかというと俺の事情につき合わせた結果だから気にしないでくれ。寧ろ俺のせいで気分転換も何もなかっただろ」
「いいえ、そんなことはありませんよ。確かに最後は、私も思う所はありましたが、それでもあの部屋でじっとしているよりも良かったです。本当に剣の一つも手に取れないどころか少し体を動かそうすれば、担当の方に止められますから」
「エニステラの少しはあまり信用できないから、俺としてはそこで止めた人の判断は間違ってないと思うけどな……」
まず間違いなく無茶をしていたであろうその情景が恭兵は思い浮かべてしまう。
無茶が完全に彼女の専売特許であることは恭兵も十分に理解できていた。
「ですが、本当に調子は元に戻っているんですよ? これ以上ベッドに縛り付けられているとそれこそ、腕がおちてしまうと思いませんか?」
「そうかもしれないけどさ、また暇な時にでも体を動かすのには付き合うから。今は担当の薬師の人? だかの言うように安静にしておいてくれよ……?」
「いざという時に少しでも動けるようになっておいた方がよいのですが……」
納得がいかずにいるエニステラと話し込んでいる内に二人は治療院の前まで到着していた。
入り口には、マナリスト神殿を取りまとめている司教のメヌエセスが二人を待っていたかのように佇んでいた。
「メヌエセス様、わざわざお出迎えをしていただくことなんてありませんでしたのに」
「アンタが出歩くのを許可したのはアタシだからね。出迎えるのも当然だろうさ。それで……? 門限には遅れなかったようだが、街中で何かやらかしてないだろうね?」
「い、いや、特には問題を起こして無いぞ。エニステラは暴れてないし……」
「キョウヘイ、先ほどから思っていたのですが、私を一体何だと思っているのですか? 私はそこまで乱暴ではありません」
「アンタは乱暴じゃあないけど、騒動には首を突っ込むだろう。いいから、さっさと自分の部屋に戻りな。アンタを担当してる子を困らせんじゃないよ」
メヌエセスの言葉を受けて、しぶしぶとではあるがエニステラは引きさがることとなった。
彼女は治療院の方へと足を進めて、恭兵の方へと振り返る。
「今日はここまで、ですね。色々と付き合わせてしまってありがとうございました」
「ああ、こちらこそ。またお見舞いに来るよ」
エニステラは会釈をすると、治療院の門の中へと入っていった。その門の傍では件の担当の者がいたらしく、疲労を感じさせる表情をしながらエニステラをその腕を引き、彼女自身の治療室へと連行していったのが遠目にも見えた。
「あれに付き合わされてアンタも大変だっただろう。今日は宿に帰ってさっさと寝な」
「ああ、うん。それじゃあ、また……」
「そういや―――」
軽く挨拶をして恭兵が踵を返した所でメヌエセスが呼びかけた。
「そういや、アンタ、あの"大剣バカ"の弟子らしいね?」
「まあ、そうらしいな。生憎、師匠は自分の名前も碌に名乗りもしなかったから、確かかどうかは分からないけど」
「はっ。アレらしいね。大方、アンタを驚かせようとかそんな事を考えていたんだろうさ」
「そんなことだろうとは、俺も思ってるけど……やっぱ知り合いだったりするのか」
そうさね、と言ってメヌエセスは後ろ手に空を見上げた。
「私は今、司教をやってるんだが……元々、ここの生まれでね。神殿地区の孤児院で育ったのさ。それから、まあ長年のお勤めの果てにこんな地位にいるんだが……自慢じゃないが、司教ってのはただ長年神官をやればなれるもんでもなくてね。色々とやれる奴じゃあなきゃいけないのさ」
「知り合いかどうかって話じゃなかったのか?」
「そう話の結論は急ぐもんじゃないよ、黙って聞いときな。まあ、他の所だと巡回神官としての実績があるだとか、例えばその一人で普通の神官の百人分は働くとかそういうのさ、それで、アタシの場合は、目さ」
「目? 何か、いいものでも見れるのか?」
「この街のどこかの魔法使いが研究しているような《魔眼》とかじゃあない。それこそ、アンタたちと付き合いのある坊主のでもね。アタシが持ってるのは人を見る目さ。この両目で見た、その人物の本を見抜くことがどうにも他人よりも上手いらしくてね。痛い目を見ることもあったが、まあ何とか切り抜くことができた訳さ」
「……それで?」
これは長くなるだろうな、と考えていた恭兵の内心を見透かしたようにメヌエセスは笑う。
「まあ、言ってしまえば、こういうことさ。そんな訳で長年いろんな人物を見てきたアタシでもね。お前さんの師匠、あのアーレヴォルフは私の人生でも一、二を争う程の変人だったっていうことさ」
「俺の人生においてはトップクラスの変人だから、それこそ今更の話だと思うけどな」
「まあ、あれが変人なのは接していれば分かることだからね。まあ、アタシがアンタに言いたいのはその方向性さ」
「方向性って、師匠がどんな変人なのかっていう話か?」
「そう、そして、あれの方向性はあのバカボンと方向性が似通っているのさ」
メヌエセスはそう言って、治療院の方へと首をしゃくる。
互いの共通点でもある彼女の指し示す人物は、恐らくエニステラのことだと恭兵は察しがついた。
「……師匠はあんなに人のためには戦わないと思うけどな」
「ハッハッハ。まあ、そうだね、アイツはあそこまで病的じゃあない。―――同じだっていうのは、戦いにおける姿勢さ」
いいかい? メヌエセスはそう前置きをした。
「普通、ここの普通は、まあ冒険者にしておこうかね。普通の冒険者、ペーペーを卒業して、三年、五年と生きられるような奴らだね。大体は依頼かなんかでモンスターと戦って、日金を稼いで、大きな仕事ができるようになったから一発大きい仕事をして、少し休息をいれて体を整える、と。まあ、生き急いでいるような奴じゃない限りはそんな感じだ」
それでも大変なんだがね。と彼女は言う。
「そんな奴らは、分けるのさ。戦う時とそうでない時とね。戦うってのは結構疲れるもんでね? まあだからアンタも今日は休んでるんだろうけどね? これは体力的な意味というかは、精神的な意味の方が大きい。誰かを切ったり叩いたりって言うのは相応にしんどいのさ――アンタもそこらへんは分かると思うけどね?」
「―――」
メヌエセスのその指摘に彼は何も言うことは出来なかった。
自身の心臓の音がやけにうるさくなっている。
「ま、それは置いておいて、それでも人は戦わなきゃいけないのさ。モンスターや、遠く東の大陸からくる魔王が率いる軍勢から生き残るにはね。だから、人は戦うだけじゃなく、休んで何とか気力を持ち直すのさ」
だがね、と置くメヌエセスが間を置くのに合わせて、恭兵は一先ず心を落ち着けながら彼女の話を聞く。
「アンタ達の所は知らないけどね、いるのさ、常に、休むことなく、戦いながら生きているような奴が」
「それは……例に出した普通の冒険者とはどう違うんだ?」
「生きてるっていうのは、ただそこにいるって話じゃないだろう? 朝起きて、飯を食って、働いて、また飯を食って、寝る。他にも合間に何か挟まるが、まあ生きてるっていうのは大体そんな感じさ。奴らはそこに戦いが加わるのさ」
「………」
「もはや、習慣の一つだね。それが無くても今すぐに死ぬ訳じゃあないにしても、それが自身を生かしているとでもいうような奴らだ。なんでそんな風になるのかは私にはしったこっちゃないが……変人なのはたしかだろう?」
「でも、それは具体的にどういう人なんだよ。聞いた限りだと先に言ってた生き急いでいる奴と違いはなさそうではあるけど」
「違うさ。言葉にするのは、というかアタシも本職じゃあないからあまり言えないがね。戦いへの姿勢が違うのさ、それがアイツらだね。そして、アンタの師匠はそれが極まっている。戦う為に生まれてきたと言うのはアイツのことなんだろうさ」
「……それで、結局何を言いたかったんだ?」
メヌエセスの言うことには、確かに一定の納得がいくようなものではあったが、結局知ることができたのは師匠が完全に極まってしまった戦闘狂ということと、多かれ少なかれ、エニステラがそれと同じ方向性の変人に属しているということであった。
彼女がそのためだけに自分をこの場に留まらせたとは恭兵には思えなかった。
「アンタはこれからもそんな変人どもと関わっていくからもしれないから覚悟しておけっていう話だよ。アタシの目が正しければね」
「もしかして、今日のように変な輩が突っかかってきたのも……?」
「やっぱり、なんかあったのかい? 司教を前にして嘘を吐くなんて大したもんだよ」
「い、いや。戦ったのは俺が自分の事情があって戦っただけで、現にエニステラは病み上がりの身体で無茶をするようなことはしてないのは本当で……」
「逢引きしてる連れに心配かけている時点で問題だよ。全く……これじゃあ随分と矢面に立つのが好きなんだね?」
老女は呆れたように言う。それに対して恭兵は何も言い返すことは出来なかった。
「これじゃあ、話をする意味も無かったかね―――アンタも大した変人だったようだ」
「……そもそも、異世界から来てる"迷人"の俺達はそちらから見れば大概変人なんじゃねえの?」
「さあね。今まで出会ったことのある"迷人"なんて、アンタ達とウチの神官のあの子と、ヴァンセニックの所の小僧位だしね。それぞれ大概に変人なのは否定できないから、間違ってはいないんじゃないかい? と、もうこんな時間かい?」
メヌエセスの言葉に釣られて恭兵が辺りを見回せば、日は遠くマナリストを囲っている緑の壁の向こう側へと落ちており、遠く東の空に輝いている赤神星も淡く、その姿が消えかかっている。
「悪かったね、老人のお話につき合わせて。年の所為か、合間を縫って気分を入れ替えないと結構辛くてねえ。全く、あの娘が一人で行動するのを少しでも止めたと思って少し安心しても、こっちに迷惑かかってるのはあまり変わらなくて参ってしまうよ」
「つまりはサボタージュに付き合わされたってことかよ……!」
「いいだろう? たまには老人の世間話に付き合うのも悪くはないと私は思うがねえ。ま、ここまで付き合ってもらったんだから、最後にもう一つだけお節介を掛けておこうかね」
これまでの話もそうであったという口ぶりに、ここまで暇つぶしに付き合わされてきた恭兵は正直辟易していた。当然、メヌエセスもそれには気づいていたが、無視して話を続ける。
「そう大した話じゃないけどね……、さっきの話に絡める訳じゃないけど、この先苦労は絶えないだろうね。達でさえ、あの"災厄の魔導書"を持ち合わせてしまった子と一緒に行くっていうんだから、よほどの道のりだろうよ」
「まさか、アンタも言うのかよ、"本気を出せって”」
師匠に、ヘンフリートに、そして、都子にも言われたことが恭兵自身の口から出た。
辟易で済まなくなってきているのを彼は感じていた。
苛立ちを露わにし始めているそんな恭兵の様子を見ても、メヌエセスは落ち着き払った様子でいる。
「へえ、そう言われたのかい? なら、そうすればいいんじゃないか? 人に言われた事を試しにやってみるのもいいと思うけどね。ましてや、自分の師匠の言うことなら尚更だね」
「……そんな事も分かるのかよ」
「アンタの事はそこまで詳しい訳じゃないけど、アレが何にも言わずにいるような奴じゃないことは知ってるからね。説明不足ではあるんだろうけど、それはあの筋肉聖騎士も似たようだから」
「説明不足も何も、俺が本気を出してないってだけの話だろ。それは正直、自覚はあるけお」
「そうかい。自分で分かってるなら、別にいいんじゃないの?」
メヌエセスはあっさりとそう言った。
恭兵自身としても内心をそう軽々と明かす気は無く思わずもれた言葉であり、苦言を呈されるものと思っていたがそんなことにはならなかった。彼女は特に気にした様子は無かった。
「なんだい? アタシが説教するとでも思ったのかい? そんなのやりゃしないさ。これはお節介だからね、タダでさえ普段から説教ババア扱いされてんだ。休憩兼ねてこんな所に出てるのに余計疲れるだけだよ。それとも
、何だい? 叱って欲しかったのかい? その年で随分倒錯的なんだね……止めておいた方がいいよ?」
「誰が倒錯的だよ……! そんな趣味は無い!」
「冗談だよ。全く、打てば響くねえ」
恭兵が必死に否定するのを見て、メヌエセスはからからと笑う。
先ほどから振り回され続けている恭兵としては、何だか疲れるばかりであった。
「本気をだせって言われてるのは、アンタは元から強いからさ」
「……いや、師匠には全然勝てないし、エニステラにも俺は及ばないと思うぞ」
「あの二人もそうかも知れないけどね。―――アンタのそれは生まれつきのものさ。生まれつきアンタは強いから、それが分かる奴にとっては歯がゆく思えるんだろうね」
「歯がゆく……?」
「アンタが言ったような、本気っていうのは要するに思いっきりやるってことも含まれているんだろうね。それを抑え込んで、つまらなそうな顔をしてるのを見れば、そんな事を言う奴もいるだろうさ」
「そんなに顔に現れてるか……?」
「いま正にそんな顔をしてるよ。言われんのが嫌なら隠すか、もう少し楽しくやっていくんだね」
メヌエセスがそう言って、神殿敷地内の建物へと歩き出した。
そして肩越しに恭兵の方へと振り返り、言った。
「まあ、お節介だけどね。この世界は、あんたの師匠やあの責任感の強すぎる聖騎士なんかもいて好き勝手やってるんだ。そっちの元の世界のことは分からないけど、アンタがちょっとやそっと、暴れた程度でどうこうできるもんじゃないからね。―――下手に遠慮なんてする必要はないんじゃないかい?」
◆
街灯に魔力を注いで明かりを点ける魔法使いの傍を通り過ぎながら、恭兵は"翡翠の兎亭"への帰路を歩いている。
正直、今日はまるで休むことはできなかった。
エニステラの見舞いで済むと、軽く考えていたのが甘かったとしか言いようが無いが、模擬戦はまだしも、ルミセイラとの決闘まで行うことになるとは想定することができなかった。
そもそも、そんな想定をしながら一々行動することなどをしない恭兵には降りかかった不運としか言いようのないものであるので致し方ないものではあった。
とはいえ、恭兵としてはこれらの出来事は不運により起きたことであると既に割り切っており、彼に残っているのはただの疲労感のみであった。
(部屋に戻ったら、取り敢えず寝るか……明日はまた依頼があるしな……)
面倒だな、と考えながら恭兵は少し立ち止まって夜空を見上げた。
そこでは月の光と共に星が光を放っている。
元の世界でも特に気にしたことが無かったからなのか、こうして改めて見ると暗い宇宙の遠く彼方で輝く星々の煌めきは恭兵にも綺麗だと思えた。
今、見えている僅かな星空でさえそうなのだから、研究塔などで遮られない高い場所ならば、どれほど壮大に映るのだろうかとそんなことさえふと思ってしまった。
これまでは特に気にしていなかったものをこんな風に感じ取れるようになっているのは自分がどこか干渉的になっているからなのではないか、とそんなことを彼は考えてしまう。
「―――街中で空見ながらあるくとこけるわよ」
声が掛けられた。
それは、よく聞き覚えがある声である。
声の主は真っ直ぐにこちらへと向かってきて恭兵の傍らに立った。
「……なんだ、都子か」
「こんな道の真ん中で何してんのよ。怪我……するかは知らないけど、他の人とぶつかると迷惑でしょうが」
「いや、ちょっと、ぼうっとしてた」
明石都子がいた。
ヴァンセニック研究塔からの帰りの途中であるようだが、一人きりであり、エニステラの代行の監視役であるはずのヘンフリートの姿は近くには見当たらない。
「ヘンフリートのおっさんは? いないのか?」
「え? あれ、さっきまでそこにいた筈なんだけど……居ないわね?」
「さっきって、何時位だよ」
「アンタを見かけて近づく直前位? だと思うわ。正直、あまり話さないから……時々いつの間にかいなくなってる時があるのよね」
「それ、大丈夫かよ……」
周囲を見回してみてもその影も形も見えなかった。大柄の金属鎧の聖騎士はそう簡単に身を隠す事など容易では無い筈だが、本当は都子が一人で歩いて帰っていたという方がこの状況を説明する筋が通っている気さえしてきた。
「いつもこうよね……見張りとして部屋までついてくるのに、口出しをしない限りはそこにいることも忘れるっていうか、存在感を感じさせない気がするのよね」
「あー、確かに俺達だけで話してる時も必要な時以外は突っ込んでこないし、本当に一歩引いた位置にいる気がするよな……」
二人で話している内にひょっこりと口出しをしに現れるかと考えていたが、全くその気配は無い。
考えられるのは何か用事があって、黙って抜け出した可能性も考えられなくは無いが、あの律儀と思われる性格ならば都子に一言掛ける程度はしておくこと考えらる。つまりはこれは奇妙な状況とも言えた。
「どうするの?」
「うーん。とは言え、俺達が心配するのもおかしな話だしな……案外、近くに居て何かの事情で俺達から身を隠してるってなったら、それこそ見つけられるとは思えない」
「……佐助とかに頼む? アイツなら見つけられるんじゃない?」
「生憎、朝の内に何だか用があるとか言ってどこかに行ったきりなんだよな。確か依頼中に装備がどうこうとか言ってたからそこらへんの調達だと思うけどな」
「……しょうがない、か。やらなきゃいけないのは確かだし」
都子はそう呟くと、顔を上げて辺りを見回し始めた。
暫くして、ある一点に目を付けたのかそこに指を指す。
「恭兵、あそこの建物、屋根の上に私を運べる? できたら一緒に来て《念動力》で問内ように保持してくれるとありがたいんだけど」
「あそこって、研究塔じゃねえか。いいのかよ、勝手に登って」
「しょうがないでしょ、ここじゃ研究塔に囲まれてろくに星空とか見えないんだから。一応、形だけでも探すわよ」
恭兵は都子が指さした研究塔を見る。
それは典型的とも言える塔の形に、先端が平面となっているものであり、中々の高さがある。
遠目から見る分には、頂上には自分と都子の二人が立つ分には問題がなさそうであった。
そこへとたどり着くという事を考えても、《念動力》を使った跳躍と周囲の研究塔や建物を使いながらかけのぼればいけそうだと、恭兵は判断した。
「いけそう、だな。他の建物を蹴っていけばいける」
「本当に出来るの!? 私、言った後、正直無理だなーとか思ってたんだけど」
「いやに正直に言うじゃねーか。まあ、師匠に木登りはできるようにしろって言われて散々練習させられたからな……じゃあ、えっと、どうしようか」
「どうしようかって、何が」
「いや、俺はこのまま跳んでくのを考えてたから……お前が俺に掴まるか、俺がお前を抱えるかしなきゃいけないんだけど……」
都子はタダでさえ吊り上がった眉を吊り上げて、眉間にしわを寄せる。
それを見て瞬時に、嫌そうであると恭兵は感じ取った。
「……思うんだけど、空中浮遊みたいに出来ないの? 仮にも《念動力》でしょ」
「お前を単純に運ぶだけならいける。安全に運ぶってなると、体を色々と支えないといけないから難しいし、下手したらぐるんぐるん回りながら飛んでいくことになるぞ、同じ理由で俺が飛ぶのもきつい。バランス感覚保つのもきついんだよ、ちょっと浮く位は大丈夫だけどな」
「………分かった。分かったわよ。アンタの案でいくわ。それで? どう抱えるつもり?」
「そっちが掴まないで大丈夫なのかよ? いや、深い意味は無いけど」
「アンタが落とさなければ大丈夫でしょ。それとも、自信無いの?」
「いや、だから……」
「一々、うじうじすんじゃないわよ。遠慮するなって言ったでしょ。こっちは信用してるんだから、揺らがせないで」
都子の声が恭兵に突き刺さる。
その視線も揺らぐ事無くこちらへと向けられており、信頼が込められていると彼は感じた。
それは勘違いかも知れないと考えつつも、向けられたものに応えたいとも思った。
恭兵は両手を都子の方へと差し出す。
「じゃあ、えっと万歳、両腕とも」
「……脇を抱え上げる感じでいくの? こう?」
「ああ、行くぞ」
顔が近くなるのは少々問題があるし、ハードル的にも厳しいものがあったので恭兵は後ろに回り抱え上げる形で二の腕を掴んだ。
「んっ」
掴んだ瞬間に都子の声が出た。
それに加えて掴んだ彼女の二の腕の柔らかさを感じた。
(平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心)
乱高下する感情の波を制御して、恭兵は集中する。
目標とそこへと至る道を十分に確認する時間は取れた。
「行くぞ。カウントは……」
「そんなぐだぐだやっててもしょうがないでしょ。何時でもいいわよ」
「じゃあいくぞ、《念動跳躍》ッ!」
感情の波が抑えられている間に、決断をして、跳び上がった。
先ずは、直近の研究塔の壁へと直進するように半ば斜め上に弾かれたような軌道を取った上で姿勢を制御して壁へと足の裏を向ける。そのまま接触して、上へとその力のベクトルを跳ね上げるようにする。
「《念動跳躍》ッ!」
二度目の跳躍だが、水平の地面では無いことと重力に逆らった上昇であるために屋上へと至るには跳躍する必要がある。
目標の屋上は今蹴り上げた壁となっている研究塔から二つ程離れている。
壁を破壊しないように、尚且つ十分な距離を稼げるように、跳ぶ。
「《念動跳躍》ッ!」
一つ隣の研究塔へと跳び上がる。
三角跳びの要領で、そのまま目標の研究塔への途上にある研究塔へと跳ぶ。
「《念動跳躍》ッ!」
そして、目標を飛び越えるような勢いで最後の跳躍を行う。
浮遊感を覚えながらも、その姿勢を足裏からの《念動力》により制御する。
都合四度の跳躍上昇によって、目標へと到達した。
「到着っと、気分とかは大丈夫か?」
「だ、大丈夫。ちょっとしたジェットコースターみたいなものだったからこれくらいなら問題ないわね」
恭兵が抱え込んでいた都子を放した所、彼女はふらつきながらも屋上に立った。
頂上となっている場所にはもはや道の際に備え付けられている街灯の光は他の研究塔に遮られているためか、その辺り一面は薄暗くなっている。
風もよく吹いており、二人の間を駆け抜けていった。
「……実行して今更だけど、よくよく考えればこれ不法侵入とかじゃ……?」
「……中に入る訳じゃないから大丈夫なんじゃないの? 不法侵入って法律もできてるかどうか怪しいし……」
「……魔法を盗む奴に対して不法侵入の罰則はあるとおもうけど……?」
「……………さっさと用事を終わらせて、降りるわよ」
「…………ああ、さっさとやってくれ」
両者に嫌な汗が流れたが、都子は気を取り直して懐から魔導書を取り出す。
依然としてその正体については確かなものは無いが、力があることは判明しており、持ち主である都子の手元から離れない呪いを持ち合わせている魔導書である。
都子はその魔導書の魔法を必要以上に使うこと、使えるようになる事を避けてきた筈であったが。
「《占術:星詠み》」
本人にも聞きとることができない発音の呪文を発声し、唱えた。
同時に都子を中心として、青い光で象られた魔法陣が半径三メートルの範囲に広がった。
「魔法による占星術ってやつね、だからちょっと星を見る必要とかあるのよね。いまから、あの聖騎士の場所を探すわ。正直見つけられるかどうかは分からないけど……これ、練習も兼ねてるから……」
「どういう経緯でそうなったのかは聞いてもいい奴なのか?」
「魔導書の正体を知るためにも、中に書かれている魔法の種類を把握するっていうアプローチもありなんじゃないかって、それで……やるって言ったわ」
「……嫌なんじゃなかったのかよ? この世界の星を見るのも、普通じゃない魔法を覚えるのも」
「結局、私の我儘でしかなかったのよ。この先、そんなことじゃ元の世界に帰ることなんてできないと思ったのよ」
「最優先は帰ること、か」
「ええ、少し思うことがあって、それで、ね。もう一回考えることにしたのよ」
自身の周囲に展開した魔法陣を指でなぞりながら、都子は答える。
一人でそんな事を考えていたなど、恭兵は思ってもいなかった。
遠慮をするなと、自分に言ったのもそのことがあったからであろうか。
「結局、私が優先したいのは帰ることだから、夜空を見てただ恨み言をいってもどうしようもなく展望も無い時期は終わったんだから、それに魔法を覚えても、使うのは結局私じゃない?」
「よく直ぐに割り切れるよな………」
「そうね、思ったよりもできちゃったのよね。それに、ここでこうして学問として学んで、研究してる人がいると思えば、結局は私達が学校で勉強してるのも変わらないのかもと思えば、受け入れられたわ」
「……本当に、大丈夫なんだよな?」
「大丈夫よ。私は私のできることをする、していけるようにするから、アンタもそのつもりでいなさい」
「………考えてみるよ」
「よく考えておきなさいよ?」
そう言って、都子は魔法陣に描かれている模様を指でなぞって操作を続ける。
幾つもの光点と、そして中心から離れる毎にリングとそこに繋がる大小の円形の模様のようなものが魔法陣上にあるのが恭兵にも分かるが、魔法に対する知識が無いためにその意味は全くといって不明であった。
しきりに上空に広がる夜天を確認しながら作業する都子の横顔をみる位しか彼のやることは無かった。
恭兵は仕方なく、周囲の警戒をすることにした。
「……やっぱり、上手く行かないわね……他の占術関連よりかはまだ親しみがあって分かりやすいものだと思ったけど……失敗かしら?」
「じゃあ、取り敢えず下に降りるか? 何時までもここにいてもしょうがないしな……ん?」
都子が魔法による探知を諦めた所で、恭兵も再びしたへと降りる道を探そうとした所で何らかの違和感を覚えた。
研究塔の頂上付近で吹き付ける風の中、何かの音が混ざっているように感じた。
「これは……金属音と……、だれか走ってるのか?」
「下で何かやってる音と勘違いしてるんじゃ……待って」
恭兵の推測に疑問を浮かべた都子だったが、彼女も何かに気が付いたようであった。
今まで展開していた筈の魔法陣に何かしらの反応があったようであり、魔法陣を急いでなぞり操作する。
「直ぐ傍まで来てる! 方角は南南西だから……私から見て三時の方向!」
「こっちか!」
都子の言葉に弾かれたように恭兵は反応する。
そこには薄暗い中、研究塔が並ぶその頂点を行き交うように幾つかの光と音があり、こちらへと向かっていた。
その姿ははっきりと分からないが、影は二つ、片方が逃走するように向かっており、もう片方がそれを追っている。発している光と音は両者が交差する際に刃物同士での切り結びが起きておりそれにより起こっているものだった。
互いに交差するように確実にこちらへと向かって来ていた。
「どうするの?」
「追われてる方は……多分、件の盗み屋なんじゃないか? 追ってる方は分からないけど」
「でも、決めつけて攻撃して間違ってたらどうするのよ」
「いずれにしろ、こんな夜に研究塔の上で戦ってる奴なんて怪しいだろ」
「私達も人のこと言えないけどね」
「……そうだな」
そうこう話している間にも両者はこちらへと近づいて来ている。
直にこちらも見つかってしまうのも時間の問題でもあった。
決断は迅速に行わなければならない。
「都子、こっちはどうせばれる。《念動発火》で光源作ってくれ、奴らの正体を確認する」
「いいの? 不意打ちが取れなくなるけど?」
「それより、間違って攻撃する方がまずい。この高さだと落ちたら怪我じゃ済まないだろうしな。俺達も怪しまれると問題しかないし」
「そうね……じゃあ、行くわよ《念動火球》ッ!」
都子の手の平の上に火の球が作られて、光源の無い研究塔の頂上付近にて彼女を中心として照らした。
露わになったその二つの影、追われている方はこの高さであっても軽快に動くために軽装であり、特徴的とも言えるのは僅かに淡く光る手甲や足甲であろう。
そして後方から追ってくるのは、これまた軽装であり薄暗闇の中では目立たない黒い装備である。手には短剣が握られており、顔は覆面をしているが、何故だろうか、恭兵にはそれがどこか見覚えがあった。
覆面の方がこちらの姿を確認するやいなや声を上げた。恭兵は嫌な予感がした。
「ちょうどいいところに恭兵君と明石さんじゃあないっすか! ちょっと、そこのくせもの抑えるの手伝ってください」
その声は完全に知り合いのものであり、仲間の忍者である自称、加藤佐助だった。
恭兵はため息を吐き、背負った大剣に手を掛ける。
どうやら彼の休日はまだ終わらないようだ。
続きは一週間以内に更新します




