第二話 中立魔導保全都市、迎撃戦 /ミドルフェイズ10:作戦はお早めに、行動は迅速に
遅れて申し訳ありません
―――真辺実は解毒を行うことができる魔法を扱うことができるか?
否である。そもそも、毒を体内から取り除く魔法は神聖魔法によるものか、或いは生命機能に関与することができる生命操作の分類される魔法であり、極めて高い魔法技術の精密性を要求されることから、才能も無く、魔法を学んでまだ二年程であり習熟が足りていない彼には未だ不可能な代物である。
だが、魔法使いは魔法を扱うのみがその役割では無い。
実は前もってこのような状況に陥ることを鑑みて用意していたものがあった。
実が鞄の中を探るこの瞬間にも、バディスネークは自らの共生相手であるジャンガリアゴリラの腹部へと巻き付いた状態で首を伸ばしその毒の吐息を、一行を覆い尽くすように垂れ流していた。風向きを考えれば完全に覆われるまでそれ程時間は掛からないだろう。
「時間はどれくらいかかる?」
「解毒した端から再度毒になられてもキリが無い。まずお前達はこの当て布で口と鼻を塞げ、戦う間ならこれで十分だ」
「魔法じゃねーのかよ!」
「誰が魔法を使うと言った。それに魔法を使わずとも危機を退けることができれば上出来であるに越したことは無い! それに魔法を使う触媒はタダじゃないんだ使いどころは見極める必要がある!」
バディスネークが放つ薄紫色の毒煙が迫る中、実は取り出した瓶の中身の液体を人数分の白いハンカチに垂らして濡らしたものを差し出した。
魔法使いの戦い方と高らかに宣言をしておきながらその対策は基本的な予防策であり、魔法を欠片も感じることができない策であったが提案した実自身にはなんら負い目があるようには見受けられない。
「皮膚に接触する分には大丈夫なのかよ?」
「あいつらは共生しているといっただろう。その関係上、バディスネークが持つ毒の抗体を共生関係となったモンスターは得ることができるが、そのために感染性や毒性が強いものでは無い! 皮膚感染を防げば一先ずは大丈夫だろう。幸い、あのゴリラの攻撃は傷口を作る類のモンスターじゃないからな。傷口を必要以上に警戒する必要もない」
「あの丸太の如き剛腕で殴られたらそれだけで死ねそうだけどな……!」
先ほどは樹上から落下してきた関係上、その正確なサイズの実感を掴むことができなかったが、改めてドラミングを行ってこちらを威嚇している大猿、ジャンガリアゴリラを見るとその四肢は丸太に等しく太く、その体長も二メートルは優に超えて三メートルに届きかねない。
そのサイズに見合う体重を有しながら樹上をかなりの速度で渡ることを可能とする腕力はまともに食らえば人間は一たまりもないだろうということはこの場の誰もが理解できた。
「付けたけど、それでここからどうするの? あの毒は厄介だし……ここは一度逃げてもいいんじゃ兄? 私達の目的はあくまで犯人の手がかりを見つけるんでしょ?」
「確かにそれも有りなんすけど……このまま地図に記したように他のモンスターの縄張りの境界線上に沿って逃げるのは難しいっす ましてここは足場の悪い森の中、誰かが転んで足が止まったら終わりっすね」
「それにこちらが逃げればまた樹上に上がって木を渡りながら折ってくるだろう。逃げながら遠距離攻撃で仕留めるということも出来ない訳では無いだろうが……」
「他のモンスターと遭遇してしまい、挟み撃ちの状況となれば最悪ですね……唯でさえ前衛が少ないこの一党では危険だと思います」
撤退は困難であり、尚且つより状況を悪くさせる目もでかねない。状況を打開するには、迫る毒煙を乗り越えた上で大猿とその腰に巻き付く蛇、三組のモンスターを討伐しなければならない。
毒の包囲網がせまる中、恭兵達は作戦会議に時間を掛けられない。
必然、先に動いたのは恭兵達であった。
「――上からいくっす。援護を」
「了解、石でも何でも投げ込んでやる」
恭兵と軽く打ち合わせて、佐助は跳躍した。
全身の筋肉を一つの発条のように動かし、僅かな膝の屈伸からその場にいたあらゆるものの意表を突くようにして毒の煙を避けるように飛び越える。
跳躍した先は森の中に乱立する木の一つ、その幹に棒手裏剣とも呼称される苦無を突き立てて、ぶら下がる。
それを大猿が黙って見過ごすことは無い。
三組が三組とも、幹に突き立てた苦無へとぶら下がる佐助へと注意を向ける。
「第一球ッ! 振りかぶって投げたぁ!」
そこに恭兵は腰から提げた袋から取り出したる掌大の石を投擲する。
《念動力》による力とこなれたピッチングフォームにより射出された石は志穂梨により作られた《聖盾》の光を発する半透明の幕を通り抜けて最近接距離にいた大猿へと飛来する。
「! ジャァーッ!」
「ウオッフォ」
ここまで毒をまき散らすばかりだった蛇が叫ぶと、佐助に意識を向けていた筈の大猿は飛来する石に気づき、その丸太のような腕で石を防ぐ。
肉を打つような鈍い音が起こるが、大猿は僅かに腕を振るのみで痛打を受けている様子は無い。
「《念動火球》ッ!」
「いけ!」
恭兵に続くように都子が火球を放ち、実も布と同時に取り出していた投石紐にて石を括り投擲する。
標的はそれぞれ異なり、攻撃を集中させるのではなく、佐助への意識を逸らさせるのが目的であり、痛打を与える必要は無かった。
「それでも軽く払われるのは複雑な気分よね……!」
「すみません……私の方もこの《聖盾》を維持しなければいけませんし……」
「決定打とはならなくてもいいから放り続けろ!」
飛礫を飛ばし続け、大猿はその場に釘付けになる。
狙いを各々の頭部に集中させることで防御に徹っしさせているが、それでもその太い腕を傷つけるのみでダメージを与えてる訳では無い。寧ろ、防御を固まられられながら距離を詰められる可能性も十分にあった。
しかし、大猿はその場に留まり、時折、毒を吐き続けている蛇の方まで飛来する石や火球を庇いつつ佐助の方注意を向けて動こうとはしない。巨体による体格差の突進が有効であるにも関わらず、ひたすら距離を取ろうとしていた。
(野生の勘だかで、分かってる……こっちの決定打が少ないことを、そしてそれを警戒している……)
数少ない決定打の一つ、恭兵の《念努力》への警戒。
背負う大剣を奮えばその一撃で木を根元から折る斥力をまともに受ければ大猿とて重症を負うことを免れない事は承知している。故に、その大剣の届く位置より遠く離れた場所から毒による攻撃で弱らせて殺す方法をとったのである。
(半端に知能を持っているが故だな。ジャンガリアゴリラは群れを作り行動することはあるが、なまじフィジカルの強さを持ち合わせることで単純な数の暴力でしかそれを生かせていない)
これまでに得た知識と照らし合わせることでジャンガリアゴリラの行動を理解し、そしてその先の行動を思考する。
確か、ジャンガリアゴリラは元の世界では人間と同じ霊長類に属し、高い知能を持ち合わせるゴリラと同じ名を冠するだけあるのか、同様に高い知能と学習能力を持ち合わせている。
完全に野生の危険意識だけでなく、その危険に対してどのように行動するのかという作戦を立てられることができるのがその証である。これがイノシシやクマなどの類型となるモンスターならば持ち合わせた本能に従って即座に逃走するか、襲い掛かってくる筈である。
(あの三体も、三体ともにバディスネークと共生していて……強力な群れではあるけれど、それでもあそこには統率を取ることができるリーダーはいない。進んで危険を冒すことができる兵もいない。集団としての機能は高い訳ではない)
そしてこちらには進んで死地へと赴くことができる仲間がいた。
結局、ジャンガリアゴリラを長時間足止めすることは敵わない。
所詮飛び道具ではろくな傷を与えることができず、いずれはこちらの意図が高い知能から気づかれる可能性も存在する。
しかし、足止めをした時間は無駄では無かった。
木漏れ日が差す森の中、日の光が差し込むために決して暗くは無いが、しかし木々は確かにそびえて影を作る。その影に瞬間的に潜み、僅かな限られた時間の中で見出した機を狙い、躍り出る白刃。
「! ジャァーッ!」
「ウオッフォ」
自身に付きつけられる刃を感知したバディスネークが反応、直ぐ様その尾を締めることで腰に巻かれている大猿にも伝わり迫る刃を防ぐように腕を振るう。
されども、その一閃は防御に回された剛腕に触れることもなく空を切り、代わりに手がそっと添えられる。
(《接触感応》、完了)
木の影から飛び出してきた佐助は手にした短剣による一閃を囮に、防御に回させた腕に手を付き片手での空中前転捻りを行い回避して再度跳び、大猿の後方へと着地、見事にモンスターの群れの中へと踊り出た。
着地した瞬間、佐助は地面に手を付き即座に《接触感応》により周囲の状況を把握、即座に自身に迫る攻撃を察知してその身を丸めて着地の勢いを生かして転がるようにしてもう一体からの腕力任せの一撃を躱す。
「ジャァーッ!」
「ッ!」
回避の隙間を縫うようにして、蛇が噛みつく一撃を放つ。
佐助は虚を突かれた一撃を転がった姿勢から無理矢理体を捻ることで毒牙から袖を僅かに裂かれながら餌食になることは無かった。
(流石に情報量が多いモンスター越しにモンスターの動きを把握するのは厳しかったか)
ジャンガリアゴリラとバディスネークは共生関係にあるために正に一心同体のモンスターとも言える動きを見せるがあくまで個別に存在するモンスターである。従って、《接触感応》による意識の読み取りは一瞬という短い時間のみでは接触した方のみしか読み取ることしか出来ずにもう片方からの動きを読み取ることができない。
《接触感応》における弱点が得てして突かれる形であり、加えてその丈夫な体毛に覆われた頑丈な表皮は佐助の手持ちの武器では傷つけることは困難であることから、その体格も鑑みて佐助とは相性が悪い相手であった。
「それでも、やるっきゃないっすね」
強がりか果たして余裕からの発言なのか、一人呟く佐助とその間に大猿を挟んで、佐助が稼いだ時間を活用すべく恭兵達も行動の方針を決めようとしていた。
「それで、使える魔法は?」
「下手な火力に意味は無い。足止めなら現状の石投げが精々だ、それにろくに連携ができていないのに下手に狙った所でアイツに当たるだけだぞ」
「三体の内、一体がこっちに来ればまだアイツもやりやすいとは思う。けどこっちは毒で足止めくってるし、かといって―――俺が行けば完全に無防備だ、それはまずい」
「――恭兵」
恭兵と実は意見を交わしながら打開策を探るが具体的な案は捻出されていない。
そんな最中、何か考えている志穂梨を置いて都子が恭兵に向かって声を掛ける。
「アンタ、私に気を使ってるんでしょ」
「は? 俺が?」
「特にどうだって言う訳じゃないけど、でも何となく分かるのよ」
図星だった、だがこの場所でモンスターとの闘いの最中で言い争っている場合では無いと判断した恭兵は話を切り上げるべきだとも考えたが、何となく話を聞くことにした。
(無理に話を切り上げようとしても、話し上手でも無い俺が上手くできるとは限らないしな)
そんな結論から、恭兵は一先ず都子に聞き返すことにした。
「それで? なんだって言うんだよ」
「私に気を使わなくてもいいから、アンタはアンタの……やれることをやりなさいよ」
「……どいつもこいつも同じような話をするよな」
「だったらどうだっていうのよ。私は別にアンタに最後の最後までお姫様みたいに守ってもらう気なんて無いわ。だから必要以上に気を使われるのは、むかつく」
「………」
呆れてものも言えなかった。
本気を出せと言われているような気がした。それもよりによってあの普通を重んじる都子からである。
彼女とて恭兵が本気を出すということを、彼女風に言うのであればやれることをやるという意味は理解している筈だ。それが彼女の好みでは無いということも。
それを何故正面切ってむかつくと言われなければならないのかと恭兵は憤慨していた。
彼女に配慮していたのは別に頼まれてやった訳ではないし自分が勝手にやったことだが、それでも彼は素直に頷く事はできなかった。
そんな言い争いを始める雰囲気を放つ二人に実は痺れを切らして苦言を呈す。
「いい加減にしておけよお前等、ギスギスするなら帰ってやってくれ。直ぐそこまで毒が迫ってるんだぞ、志穂梨の《聖盾》もずっと保つ訳じゃない」
「分かってるわよ。でも必要なのよ。あそこにこいつ送れば私達を気にせずに戦えるでしょうが、それをここで悠長に置いておくことも無いでしょ」
「お前……あの内の一体に抜かれたらどうする氣だよ」
「何とかするわよ、何とか、私の、私も本気をだしてやれることをやるから、そうでもしないと私はちゃんと帰れないかも知れないから」
「……………」
都子は既に覚悟を決めていた、それを前にして恭兵は自分が何とも小さく見えて仕方なかった。
「……だが、それでも問題はある。状況は確かに動くが確実性がない」
「でもこのままだとあの忍者が何とかするのを祈るばかりよ、ここで石投げ遊びを続けても―――」
「いえ、大丈夫です。纏りました」
それまで黙っていた志穂梨が声を上げた。はっきりと通る自信を感じさせるその声に恭兵達は思わず向き直った。
「折衷案で行きましょう。恭兵さんにまず一体倒してもらいます」
「一応、どういう作戦かは聞こう。依頼主はお前だしな」
そして志穂梨は自身の考えた作戦を話始めた。
「――これでどうでしょうか?」
「どうもなにも、今の所作戦もなにも無いからな、それで行こう」
「そうね。その通りにいくならまあいいんじゃないの」
「問題も無い。それで行こう」
作戦会議を完了して、恭兵は一度自身の背に赤い大剣を納めた。
そして、彼は都子に言う。
「分かった。もう変な気遣いはしない、だけど――」
「だけど?」
「後で文句は言うなよ」
それだけ言い残して、恭兵は未だに立ち回りを続ける佐助と三組のモンスターの方へと向き直る。
未だに納得はいかないし、正直自分が苛立っているのが分かる。そして苛立ちは《念動力》を制御するにはあまり良いものではないということも恭兵は分かっていた。
だからこれは完全な八つ当たりでしかないが、それでも鬱憤を晴らすのにはとても丁度いいのがいる。
丁度よいので奴らで憂さ晴らしをすることにした恭兵はその手に握った石に自然と力が入ってしまっていた。
佐助を囲むように近づき、猛攻を加える三組のモンスター、決して容易に回避できず跳躍で木に飛び移る事が無いようにと距離を計る攻防のなか、文字通り一石が投じられた。
「《念動投擲》」
半透明の光の幕、《聖盾》の向こう側からの石の投擲と火の球の援護が大猿へと降り注ぐ。大猿は頭部を守るように丸太のように太い腕を動かす。肉を打つ音が響くがそれでもダメージの蓄積は足りていないように見受けられ宇。その動きに負傷による衰えは見受けられない。
(いや、確かに腕の動きは鈍り始めている)
だが、佐助は《接触感応》により大猿の動きが僅かに精彩を欠き始めていることを読み取っていた。僅かではあるが、恭兵たちの投擲による負傷は確かに存在している。
それでも決定打となることは無く。小さな傷で切り崩すには相手の丸太のような拳を相手取る必要があり、一撃でこの均衡が崩れかねなかった。
三頭の大猿は佐助へと拳を振り下ろす。同時に三頭の蛇は隙を伺いつつ首を伸ばして噛みつく。三組はまずはのこのこと飛び込んできた佐助を叩き潰すことに決めたのだ。
絶妙な間を突くように頭上から、足元から、後方からと風を切る音を鳴らしながら暴力性の塊が迫る。
それらを時に潜り抜け、時に短剣を盾にするように、時に腕を跳び箱のように見立てて躱す。それでも避けきれず蛇の持つ毒牙に皮膚は割かれずとも黒衣は裂かれ、大猿の拳に掠りのけぞりながらも足を動かして避け続ける。
手を添え、短剣を添え、それらを通して《接触感応》により読み取った情報による行動の先読みを用いた回避運動、それも大猿と蛇を合わせて六体のモンスターの動きを読み取り続ける至難の技を行い続けていた。
紙一重の攻防が続く中、次第に大猿達は目の前にぶら下げられた獲物を仕留められずに焦れ始めていた。
そして、その内の一体がとうとう痺れを切らせて、投石を続けていた恭兵達から完全に意識を逸らした。
「今です!」
その好機を逃す事無く。恭兵の両手が大猿の方へと向けられる。放たれるのは不可視の巨腕。
「《念動拘束》ッ!」
「ウォッフォ!?」
木を伝いながら樹上を軽快に動くことができるその全身の筋肉を最大限に駆動させて佐助へと飛び込む瞬間にその全身を不可視の圧力がかかり、その場で金縛りにあったかのように指一本すら動かすことができない。
「そのまま引きずり込んでやる!」
「ウォッフォ!? ウォッフォフ!」
次の瞬間にも飛び掛かる姿勢で静止している大猿は恭兵が付きだした空の両手に地面を引きずりながら引き寄せられていく。地面に指先を突き立ててその場に踏みとどまろうとするが、大猿が突き立てた地面もろともに恐るべき牽引力を発揮する《念動力》で引き寄せられ、遂には樹上を動きまわるために必要な大木の表皮を確実に掴むことができる握力を振り切って、引き倒されて引きずられる。
大猿は背中を地面に打ち付けられながら必死にもがくが一度、その不可視の巨腕に捕えられれば逃れる術は無く。そのまま恭兵達の元まで引きずられ引き寄せられていく。
その先に待つのは蛇がまき散らしていた筈の毒の煙が立ち込めている。《聖盾》が毒に対しての防壁となるように作用しており、恭兵達が毒を吸い込むことが無いように防いでいた。
その毒の煙の中に大猿は引きずりこまれた。
「確かに、ジャンガリアゴリラにはバディスネークが持つ毒に対して抗体を持っています。しかし、だからと言って進んで毒を食らいたい訳では無いでしょう。野生故に自ら飛び込んでいくのならば兎も角、その場に引きずられてしまった場合、果たして平静でいられるのでしょうか」
「ウォッフォファッ?!?!?」
志穂梨は淡々と言葉を紡ぎ、そしてその通り、毒の煙が充満する空間まで引きずり込まれた大猿は自らの身体が持ち合わせている筈の毒の抗体のこと等を忘れてもがく。
不可視の力、《念動力》による全く未知の攻撃ということからくる衝撃も相まって、大猿は必死にその場から逃れようと足掻き、腰に取り付いている蛇が諭すような動きを見せてもまるでその視界に入っていなかった。
もがき足掻こうとしたその瞬間に弾かれたように全身の拘束が僅かに緩んだ。
もがいていた状態から突然解き放たれたために一瞬の弛緩が生まれたが次の瞬間には毒の煙が充満する地帯から飛び出そうとしたその瞬間、大猿の視界の端に赤い閃光が落ちて――――
―――大猿の鎖骨に大剣の一撃が叩きこまれて鮮血が傷口から噴き出すとともに大猿はその場で倒れ伏した。
大猿の肩口から赤い大剣、既にその剣身は元の輝きか血の跡により赤く染められたそれを引き抜いた上で再度横薙ぎに払って大猿の首を重厚な刃でもって首の骨を折りながら落とす。
《聖盾》はそれらの攻撃を遮ること無く通す。神聖魔法が持つ神の奇跡とも言うべき都合のよさ、仲間の攻撃を通し、敵の悪意を弾くことができるその性質が遺憾なく発揮されていた。
「一」
恭兵の口から冷酷に告げられるその数字のカウント、それが反撃の合図であった。
「ッう 《拘束》ッ! 《念動火球》ッ!」
底冷えするような恭兵の声と引き起こした惨劇に衝撃を受けつつも、既に覚悟が決まっていたのもあり、自身の役割を放棄すること無く全うするべく、息絶えた大猿の死体から這い出るようにして逃げ出す蛇を地面に縫いとめる。
同時に火の球を叩きつけるように蛇へと打ち込み、燃やす。
「これ、で、二!」
佐助へ猛攻を掛けていた筈の二組のモンスターは流れるようにして始末された群れの仲間の姿を確認して、反応が分かれた。
片方は仲間を殺されたことに対する怒りから恭兵へと突進を行い。もう片方は直ぐ様に取って返してこの場から逃れようとしていた。
彼らはどちらも逃す気は無い。
「まあ、残り四体、内二体の主導権は他に握られているならもうその動きは手の内っす」
「お前達に逃げられると、モンスターに見つからないようにここまで進んできたのが無駄になる。悪いが逃がさんぞ」
恭兵へと向かった大猿の背に回ったのは仲間が殺されたことに対する衝動で行動を起こした二体の大猿の意識から逃れた佐助、目を自身の狙いへと向けた所で唯一その存在に気づいていた蛇が大猿へとその存在を伝えるべく腰の巻き付きをより締めようとした瞬間、その口が叫ばれる前に左手で苦無を突きだし流れるように蛇の口内からかっさばいた。
(確かに一心同体じゃない故に《接触感応》の通りは悪いけど、一心同体では無い故にどうしてもその意志疎通には間が空く、そこを突くには囲まれてたからどうしようも無かったけど)
そのまま、右手で短剣を振り下ろし、蛇の首を折りこのまま音も無く絶命させて当初の予定通りに自身の共生相手が死亡していることに気づいていない大猿の背後へと回りこむ。
そんな佐助と同時に、実は大猿を逃すことが無いように予めその配置を作戦と仕掛け時を図っていた志穂梨から指定された位置に見当を付けていた。後は気づかれる前、つまりは逃走を図る直前に仕掛けるだけである。
即座、即席に敵をその場に足止め、釘付けにさせる、尚且つそれは相手の想定外を行く必要がある。この時こそまさに魔法の出番であった。
実の左手には丁寧につまようじをより切り詰めた二本木片とその間に掛かる糸が納められており、右手で短杖を奮いながら呪文を紡ぐ。
「《糸よ、紡ぎ手の合理を持ちて、現れよ》、《蜘蛛の巣》ッ!」
唱えられた呪文により魔法は持ち主の魔力を肉として、実の左手に握られる触媒によりその現象は引き起こされる。
その位置は丁度、逃走を図る大猿の逃げ足のために踏み出される第一歩に作られるそれはまさしく蜘蛛の巣、踏み入れるものを逃しはせずに絡めとる虫の合理性より生まれ落ちたその魔法はその役割を果たして、踏み入れた大猿の足を中心にその五体にまとわりつく。
しかし、その程度であれば時間も置かずに突破されるだろう、ジャンガリアゴリラの怪力は依然として侮れるものでは無い。故に実は油断なく次の呪文を唱える。
その最中、佐助はすでに大猿の肉体構造は《接触感応》により把握している。大猿は巨体とは言え霊長類の範囲には収まっていた。少なくとも、佐助の術が及ぶ範囲内ではあった。よって、二撃決殺の合わせ技、崩一の一段階目、サバーシヤ流見透術――打診は必要ない。
その狙いは脳と肉体を結ぶ神経を保護する脊椎の内腰の部分を構成する腰椎、その一点を撃ち崩す。
忍者が放つ拳というには必要以上に右腕を引き、必要以上に腰を捻り構え、加えてその拳は握られている訳では無く鋭い槍のように三本の指を立たせた貫手を象っており、あからさまに隙だらけの構えを取り、そこから流れるように一撃が撃ち込まれた。
(風魔流骨法術、――逸氣通貫)
鋭く打ち込まれたその拳は達人が放つ鋭い槍の如く、尚且つ針の孔を通すような正確さで目標へとその貫手は打ち込まれた。
その拳は大猿の表皮を貫く事は敵わない。しかしその目的は確実に果たす。
風魔流骨法術、――逸氣通貫、その一撃は一点突破の衝撃の浸透をもたらし、本来は頑強な構造により守られている背を打つ攻撃を決殺のものに変える。
大猿は飛び出すために踏み込んだ足、のみに終わらず下半身の感覚が唐突に衝突して、その視界が崩れ落ちる。
次の瞬間には地面に衝突するその瞬間に左側の視界が潰されて、大猿はその一生を終えた。
「三、と四、と。このピッキングツール、もう使えないっすかね……いや、丁寧に洗って伸ばせばワンチャン……」
佐助は大猿の目玉が思いの他小さかったために咄嗟に突っ込んだ開錠用の針金をこびりついた脳漿を自分の裾で拭いながらぼやきながらも、残された脳からの電気信号で電気を通したカエルのように僅かに筋肉を動かす大猿の死亡を確認していた。
それをよそに実は呪文を完成させていた。
「《水と生きるものよ、土と在るものよ、その意をどうかこの矮小な身に委ね、今この時手を取りその成果を産み落としたまえ》、《沼地》」
蜘蛛の巣に絡めとられてもがく大猿が強引にその糸を引きちぎって、腰に巻きついた蛇もその身に糸を纏わせながらもその鋭い毒牙で糸を引きちぎっていた。
その足もとに実の魔法は形成される。
水と土が混ざり合い生み出されるのは沼、踏みいれるものは自らの体重により沈みゆく自然が生み出した罠である。
当然足元で作られ、蜘蛛の糸で絡めとられた大猿では逃れることは能わず、その巨体が持つ体重によりずぶずぶと沈んでいく。
「そこまで深く作ることはできなかったが……ここまですれば足止めには十分だな」
もがき足掻く大猿の背後からそれらが接敵した時からの脅威が迫る。
大猿がその脳裏に思い浮かべるのは、先ほど自らの目で納めた群れの仲間の死であり、予感だった。
そしてそれは過たず訪れる。
「《念動歩行》、地面からちょっと浮くだけだけど……これなら沼には引っかからないな」
言葉と同時に背後より振り下ろされる赤き一撃で大猿はその意識を途絶えた。
「五、それで―――」
大猿の脳天に大上段から叩きつけた大剣を引き抜いた上で、膝まで沼に浸かった大猿の腰に糸が絡みついて雁字搦めになっている蛇を《念動力》で力任せにむりやり引きずりだしてそのまま沼になっていない地面へと叩きつける。
粘着性のある糸により地面に縫い付けられた蛇は生にしがみつくようにのたうち回っている。
「六っす」
その頭を縫いとめるように佐助の短剣が突き刺さり、蛇は絶命を落とした。
「周囲に敵影は?」
「一先ずは無い。他のモンスターがこっちにくる様子も無いな」
「俺の方でも一通り読み取ってみたっすけど、問題はなさそうっすよ」
「それはいいけど……アンタは傷の方は大丈夫なの?」
「ああ、まあちょっと服が破けたくらいで切り傷は全然、毒もまあ大丈夫っすよ」
「そういうお前は顔が青そうだけどな」
「お生憎様、それはアンタの目の錯覚よ」
「……………」
毒の煙が充満していた辺りの風上を回ってきた後衛組と合流を果たす。
互いに周囲の安全確認を行い、その後に互いの負傷具合を確認している中で、志穂梨は一人、押し黙っていた。
「おい、志穂梨大丈夫か? 《聖盾》の維持で消耗を……」
「……よ、」
「よ?」
「良かった~~~~皆さんが無事でした~~~!」
ようやく絞り出した一言と共に神官服の少女は安堵の声を上げるとともにその場で膝から崩れ落ちてしまった。
そんな彼らの、実が見通すことができるより、尚且つ佐助が読み取ることができる範囲よりも外から彼らをじっと見つめる影が一つ、彼らをじっと見つめていた。
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