幕間の一
間に合いました
―――無限に広がる空間がそこにあるとする。
その空間に存在するものを大まかに挙げるならば、数えきれない程に連なる、中心から輝きを放ち視界の端まで切れてしまう程の巨大な泡と、その他の何もない暗闇である。
正確には、巨大な泡の群れの隙間の何もない空間が暗闇となっているだけだ。
そして、無限に広がる空間には泡と暗闇だけでなく、幾つもの物体がある。
それらは、泡と泡の間を埋める暗闇の空間を浮かび、漂い続けている。時折、それらの物質は大きな泡の中へと引き寄せられ、泡を形成する透明な膜を突き破って中で輝く光へと落ちていく。
漂っている物体の類には法則性や限りなどは見受けられず、バス、石でできた橋、巨大な十字架、青く輝く石柱、電話ボックス、天守閣、枯れた巨大な大樹、50階建てのビル、大の大人三つ分の大きさのリンゴ、半分に割れた宇宙船、様々な動物を掛け合わせてできた合成獣の死骸、等々がまるでおもちゃ箱をひっくりかえしたように暗闇の空間に存在している。
その中の一つ、地面ごと暗闇の空間に浮かぶのは西洋における中世風の石造りの砦、その一角にそれはいた。
「ア”ア”ア”ア”ア”!! ア”ア”ッア”ア”ッ!」
二つの腕の先、十本の指と思われる部位が自在に伸縮する触手、いわば触指と呼ばれるようなものであり、うねうねとうごめいている。その顔面はヤツメウナギと似たような口とタコのような軟体動物の髭を持つ。目は三つ、その内の額のものは縦に開く橙色であった。
青白い滑らかな肌を持つが、肩口から無残にも切り裂かれていた。傷口は引きちぎられたようであり、およそ剣で斬りつけられてできた傷ではない無残なものだった。
傷口からは黄色の血がどくどくと流れ続けている。五本の触指で必死に傷口を抑えているが、止血には程遠い。
何らかの処置をすることも出来ず、自らの生において数えるほどしかない痛みを越える激痛では叫び声を上げるしか上げることができない。
その表情は屈辱にまみれていた。
目からは涙が流れ続けており、口はうごめき歪んで叫び声をあげ続ける。肩口を抑えていない方の触手から伸びる五つの触指は石で組み上げられた砦の外壁から壊し続けている。
もはや、自前の《精神観応》を使うことすらできずに喉を震わせ続けて、通常使わない器官への負担からか粘膜が傷つき、時折血を吐き出す。
痛みで異形はのたうち回るしかできない。
しかし、肉体を直にえぐられた喪失感と敗北にまみれた屈辱が異形の歪んだプライドにより、応報へと向かう熱量へと変換される。
三眼でもって自身に傷を負わせたものをはっきりと脳裏に刻み込んだ。
自身の栄光への道を穢したあの赤い輝きを放つ大剣を手に持った不良品、奴の五体を引き裂き、自身と同じ個所へと奴の大剣を突き立てねばならない。
異形はその憎悪を増していき、それに呼応するように異形の精神は変貌を遂げようとしていた。これまで得ることが無かった敗北の経験から異形は進化を起こそうとしていた。
精神が大きく変化を起こすことにより、異形が持つ超能力にも変化が起きようとしていた。
より攻撃性を増し、より確実に復讐を果たせるようにその能力は凶悪に変化する。
それは高塔恭兵に起こった変化、暴走状態に等しいものが起きている。それを生物としての格の差からより先の能力へと目覚めようとしていた。
ともすれば、将軍級に値する能力へと変化する兆しを見せ―――――
『おや、ここで《暴君》へと目覚めてしまいますか』
自身以外からの《精神感応》が暗闇の空間に浮かぶ石造りの砦に響き渡る。
異形は周囲を慌てて確認する。周囲には自身と同じ種族である、メイキスの姿は見られない。
固有能力である魂への知覚で幾つかの反応を捉えた。
それらは人間でも、同じ種族であるメイキスの者でも無い。
鳥だ。
それも、黒い羽根を持つカラスが一羽、五羽、十羽、三十羽……さらに増え続けている。
それらは砦の外壁に止まり、それらすべてが視線を異形へと向けていた。
『もう少し早く目覚めていたのであれば、このような運用をすることは無かったのですが……やはり、超能力には安定性がありませんね』
カラスの群れから《精神感応》が飛んできていた。
鳥風情が超能力を扱えるはずは無く、当然メイキスが持つ超能力の一種であることは明らかである。
目的は当然、先行して動いたことによる制裁と口封じであることは明白であった。
そして、数ある超能力であろうともこれらは動物の意識を操るような規模の小さいものでは無い。これは間違いなく、生命創造の類の能力でありこの状況で現れる者と言えば限られている。
例え手負いであったとしてもメイキスの超能力は侮る事ができるものでは無く、確実に制圧することが求めらる。従って、相手は格上の存在であることは確実であった。
『《将軍級》の内の一人かッ!』
『ご名答、流石にこの状況では分かりますか、だが……その態度は戴けないな』
『なに?』
異形の疑問への返答として、十羽ものカラスが突撃してきた。
弾丸のように飛来するカラスを、肩口を抑えていない触指で撃ち落とそうとするが、当然数は足らずに三羽ほどを撃ち落とした所で、残りのカラスが異形の肉を引き裂き啄んで元の位置へと帰っていく。
更に数を増しているカラスの群れは既に数百を超え千へと至り始めており、砦のあちこちをその羽の色で黒く染め上げつつあった。
「グフッ」
『全く、お前のような《兵士級》が私のような将軍級に《精神感応》なんて使うなど、礼儀というものを知らないようではいずれにしろ、《将軍級》へとなることはありませんね』
「ほ、ほざけ……!」
カラスから発せられる《精神観応》に枯れた喉から必死に悪態を吐くが既に今までの覇気は無かった。異形の本能が既に上位種に対して屈している。抗おうとする気迫すら既に曽我ら始めていた。
これ以上の抵抗は無意味であると異形の本能は判断していた。
だが、例えそうだとしても血に濡れてこの場で襤褸切れのように死んだとしても、このまま栄光を掴む事無く死んでいくことを受けいれることはできない。
この場をやり過ごすには既に四方を囲まれてしまっていた。
一度きりの使い捨ての転移装置は先ほどの不良品から逃げ出す際に既に使ってしまっている。
残された道は、未だに増え続けているカラスの群れを全滅させる以外にない。
肩口からは未だに血が流れ出ていたが、異形は構う事無く傷口から触腕を放し、十本の触指を展開する。
『まあ、私の目的は明らかでしょう。あれほど、外にでてはいけないという命令を無視して逃亡したのですから、このままではあのめくらがここまで来てしまうというのを十分に理解している筈、どうせこの場をしのぎ切った所で奴に無残に殺されるだけでしょうに』
「それ、でも、我が野望をぉ、諦める訳には、いかない……この名を、世界に刻みつけるという栄光をつかみ取るために、ここで這い蹲る訳には……」
『それほど、残したい名があるとは、どんな名であるか聞かせてもらいましょう』
異形は、初め耳を疑ったがどうやら聞き間違いなどでは無かった。
どうやらカラスの群れを経由して《精神感応》を行う主はここにきて初めて異形に対して興味を持ったようだ。
ここが《将軍級》に対して、自身を刻み付けることができる千載一遇の機会であることを異形は悟る。例え、この場で果てたとしても、本来は圧倒的な格上である将軍級を手古摺らせたとなれば、快挙であることに違いはない。
絶望的な状況に見えた僅かな光明に異形はなりふり構わず手を伸ばした。
「我が名は、X-4029!! この名をしかと刻みつけるがいい!!」
高らかに名乗りを挙げた異形は自身の栄光を今その手で掴み、自身の生に絶頂を得たことを確信した。
これで何の悔いも無くこの命を終わらせることができる。こうなれば、これ以上メイキスの侵攻部隊を妨害することも無いだろう。あのめくらを呼び寄せるなど馬鹿げたことを行うことも無い。このまま、潔く死ぬことこそ、優れたメイキスである証を立てることになる。
栄光を掴んだと確信する異形をよそに包囲するカラスの群れからは冷めた視線が向けられていた。
『なんだ、その名はふざけているのか?』
《将軍級》の一言は異形、X-4029の栄光を地の底に叩き落とした。
何を言っているのか異形には理解することができなかった。
自らがこの世に生まれ落ちた時に与えられた崇高な名であり自身もそうと疑っていなかった。
少なくとも、カラス越しの《将軍級》は何の価値も無いと断じているのは確かだった。
怒りが沸きあがり、X-4029は即座にカラスの群れへと攻撃を開始した。
全触指、十本に自らに残ったエネルギーを集める。白熱化した触指をカラスの群れへと突っ込ませて、能力である《爆発触手》を発動させる。
完全に暴走状態にあったX-4029の一撃否、十撃はこの石造りの砦をそのまま蒸発させるに足るエネルギーを有している。臨界点までほんの一瞬もかからずに、カラスの群れは全滅するのは確実である。
―――そんな異形の自爆覚悟の攻撃も、《将軍級》は当然のように処理する。
『愚かな』
臨界点へと達する瞬間にX-4029の地面が割れた。
一瞬の浮遊感の後に激痛が走り、同時に下半身の感覚がごっそりと消え失せた。
X-4029の集中が途切れ、臨界点まで達していた触指の白熱化が収まり、沈黙。ただ伸ばされただけの触指達に一斉にカラスの群れが集う。
X-4029は感覚の無い下半身へと視線を移した。その三眼が見た物は、巨大な影。
強靱な顎を持ち、地を這う四足、その巨体は鉄より硬い鱗に覆われており、尾は戯れに砦の外壁を崩していた。
巨大な鰐。それがX-4029の下半身を喰いちぎった存在だった。
巨大な鰐は悠々と喰いちぎった下半身を咀嚼しており、それ以上X-4029へと危害を加える様子は見られない。
だが、それでも獲物を弄るように視線を逸らすことも無かった。
『貴様程度の能力はすでに把握済みですよ。その上で対処できて当然、これが《将軍級》です。理解できましたか?』
「――かひゅ」
『ああ、もう言語を口にすることさえできませんか、なら一方的に話させてもらいましょう』
喉は掠れきり、血を大幅に失い、呼吸すらままならなくなったX-4029にはもはや何の抵抗すら許されなかった。
その様子を見下ろすように、鰐から将軍級からの《静止感応》が届く。
『そもそも、貴様が力を求めるあまり暴走して《対魔十六武騎》へと挑むのも想定の内、その野心があるからこそ、ろくな監視も無くあの配置を任されたと気が付いていなかったようだな。まあ例え気づいていた上で実行に移した所で結果は失敗に終わったようですけどね』
「……かひゅっ、かっひゅ……」
『《対魔十六武騎》の実力はいかほどのものか調べる必要がありましたからね。勿論、観察を怠ることはありませんが実際に相対した際のデータを上層部欲していましてね。だから、まあこちらとしては先頭が行われた時点で万々歳と、そういうわけです』
「かっふ……こふっ」
『おや、これ以上は限界ですかね。まあ、珍しく野心を持ち、《将軍級》に至る素質を持っていたので多少なりとも期待はあったのですが……自身の製造番号を名だと信じているような輩では夢のまた夢という所でしたかね。それでは、さようなら』
夥しい程のカラスの群れが集まり、十本の触指全てを啄み喰いちぎった所で、続いて触腕部、そして上半身に群がり余さず全てを啄んでいく。
X-4029は既に痛みを感じることができず、刻一刻と無くなっていく自身の身体を三眼で見ていることしかできなった。
栄光への道が完全に閉ざされたと判断したX-4029の心は折れており、自身の結果を受けいれてた。
既に流れ出る血すら無くなっていた。
最後は虚空を見つめ続けたまま、全身を啄まれ、遂には頭部へと至ったカラスの群れが自身の三眼を上手に抉り取った所で完全にその意識を閉ざすこととなった。
◆
『さて、終わりましたか……こちらも早く退散しなければいけませんね……』
X-4029の肉片の一つに至るまでがカラスの群れに喰いちぎられ、その存在の痕跡が完全に消失した所で、向ける相手が存在していないにも関わらず《精神観応》を虚しく響かせる。
それと呼応するように、砦を黒く塗りつぶす程に数が膨れ上がったカラスの大群、その体が砂と化して崩れ始めた。
それは鰐であったとしても例外は無く、その巨体を同じく塵と化していた。
そして、数秒もかからずに砦を埋め尽くしていた数千のカラスの群れと巨体を誇っていた鰐は完全に塵と化しており、残った塵すらも原子レベルまで分解しその場に残る痕跡は何も存在しなかった。
暗闇の空間において漂い続ける石の砦は静寂に包まれた。
だが、一瞬の後に、石の砦まで一直線に向かってくる影がある。
高速で飛来する影はそのまま石の砦へと激突する。
しかし、不思議なことに衝突した音を響かせる事など無く、外壁を綺麗に抉って突き抜けて、その影は地面へと着地した。
全身は黒い襤褸切れで多い隠され、その全容を知ることはできない。
その姿勢は異様に低く、四足歩行の獣も同然である。
僅かに襤褸切れから見え隠れするのは黒い触腕。うねうねと地面に触れ、手探りで何かを探し続けていた。
「確かにここにいたはずだが………」
低く絞り出すように発せられた声は砦における静寂をかき乱す。
手探りならぬ触手探りで探りながら砦の一帯を回る黒き影。
暫くして、先ほど巨体を誇る鰐の出現により作られた大穴まで接近した。
穴の縁をなぞるように丁寧に触腕で探り始めた黒き影、暫く探り続けているとる地点で静止する。
四つ足ともいえる態勢からさらに低く、頭から被っていると思われる黒い襤褸切れを開けられた穴にこすりつけ始めた。
暫くそうしていた黒い影は突如として頭を上げる。
「見つけた」
その方向はすぐ近く、直近の中心に輝きを内包した巨大な泡。
それに向かい真っすぐと視線を向けている。
「見つけたぞ逃すものかこの程度で誤魔化せるとでもおもったのか?馬鹿めもろともに殺す皆殺すいやあれほどに陰謀だてるのがお得意な奴らがこうも無様に居所をさらすのか?罠か?いや関係ない奴らの計画もろとも引き潰す知った事、では、無い今すぐにでも……」
極大の怨嗟が込められた呪詛を放ちながら、天上に浮かび続ける泡を見つめ続ける。今すぐにでもその場から跳躍し突入しようとした所で、踏みとどまる。
「奴らめ、上手に逃げたな? まさか火薬庫同然の世界に逃げ込むとは良く考えたな褒めてやろう全滅には変わりないがな。しかし、これは侵入する機会を見定める必要があるな」
そう呟くと、泡の方へと見上げるように顔を上げ続けたまま、足を折り地べたへと座り込んだ。
「待つ。あの畜生どもにくれてやるには惜しい時間だが、俺は奴らと同種同類であっても分別はつく。目の前に立ち塞がるもの以外を害した所で奴らが死ぬわけでもない」
そう言ったきり、黒い影はその場で座りこみそのまま石造のように静止し動くことは無い。
憎悪を持って天上を睨みつけて応報を果たす時を待ち続ける。
暗闇の空間に浮かぶ石造りの砦において黒き影は静止し、静寂を取り戻した。
次は一週間以内に何か上げたいと思います




