第一話 始まりの異邦人 / クライマックスフェイズ 10:廃坑道での決着
遅くなりました
一万四千字程度と長いです。
異形の第三の能力、《恐怖怒涛》、その正体について佐助は異形に悟られる事無く、掴んでいた。
しかし、対策を取る時間も手段も彼には限られていたのだ。
開かれたヤツメウナギめいた口目掛け、左手一本で振るえる限りの手裏剣を投げた。
口の奥の暗い闇へと吸い込まれるように投げられた鋭利な刃を携えた種々様々な形状の手裏剣は飛んでいく。咄嗟の迎撃であったとしてもその狙いは外れることは無く、過たず命中することは誰の目にも明らかであった。
空気を裂き、鋼鉄の様相を呈した触手が振るわれる。
金属同士がぶつかる音が響き、しかし、生皮や肉を裂くような音は無かった。
この程度の迎撃は異形の予想の範囲内だった。
異形は息を吸いこみ、喉を震わせて吐き出した。それは恐怖の振動となって、この部屋という空間を音速で駆け抜ける。
異形の第三の能力、《恐怖怒涛》、それは大音量の咆哮で放つ特殊な振動波である。
異様な喉を震わせて空間に伝える振動、それもただの振動では無く、それが伝わる生物の脳を震わせることで精神に恐怖を生み出し、感情を支配する。
振動を受け続ける限り湧き上がる恐怖という感情に固定された思考は停止し、直前まで行っていた行動すら取りやめ、突然の感情の変化を抑えるために脳の機能を制限する。
落雷に怯える赤子のように、その場にうずくまり行動不能となる。そうなれば、十本からなる鋼鉄の鞭同然である触手に対応できるはずも無く、それは歴戦の戦士、対魔十六武騎であっても何の対策も無く受ければ同じことであった。
そして、この能力を持って異形は一度目の聖騎士との戦闘を勝利した。
とは言え、身動きが取れ無くなる前に神聖魔法を乱発されて乱されたために出来た隙を狙って逃走されたため、或いは聖騎士であるならばこの能力を把握している可能性があったが、それは無いと異形は認識していた。
極度の理由なき恐怖に襲われた人間は自身の精神を保護するために、そのことを忘れようとする傾向がある事を異形はこれまでこの能力を使った者共のことを通じて知っていた。
どれも、直前までの自らの行動すら忘れてしまう程の恐怖で異形のことすら自己防衛から忘れてしまっていた。
故に使おうとする時はそれに予め対処することができる可能性はほとんどない。
例え、耳を塞ごうとも、振動が頭蓋骨に伝わり、脳を揺さぶることが出来ればそれだけで恐怖を引き出し、相手の動きを止めるのには十二分である。
無敵、切り札となりうる能力だと異形が認識している上にこの能力を引き出されることこそが、相手は異形にとっての脅威であると認めていると同然である事は自明であった。
よって、異形はこれ以上に自分が追い詰められることなど考えもしなかった。
振動を続ける異形の眼前では、三人がそろってうずくまっていた。聖騎士も、餌も、うっとおしい虫でさえもこれまでの足掻きの一つも無く倒れ伏すように耳に手を当てる。辛うじて覚えていた聖騎士が教えていたのかも知れないが、その程度で振動が脳に伝わるのを防げるわけでは無い。
その眼前、異形の前に何かが通り過ぎた。
影だ、それは白い影であった。
異形が気づかぬうちに懐まで潜りこんだ影は白く丸い球体、人間の手で握れる程度の大きさの球であることを異形はその異様な三眼で確認した。
異形がその存在について疑問を形にし、対処を行う前に白い球は火薬が仕込まれていたのか、一人でに内側から弾けた。
佐助はすでに、手裏剣を目くらましとして煙玉を放っていた。
弾けた白い球の内から、煙が噴き出す。その色は佐助が先ほど用いた砂煙と同色、土気が混ざるものでは無く、土に赤を混ぜたような色であった。
何らかの攻撃かと想定した異形は拍子抜けした上で、相手の狙いはこの煙に乗じての撤退だと考える。その前に仕留めようと触手を三人がうずくまっている筈の場所へと伸ばす。
だが、異形が攻撃に移ることは無かった。
《恐怖怒涛》を放つべく、恐怖の振動を奏でる発声器官、その粘膜が異常を発した。煙玉か放出する煙を吸い込んだために発作が生じる。次いで、鼻、三眼の粘膜にも煙は付着する。それらを取り除くべく、体内の器官は想定通りに働く。
つまり、異形は咳込んだ。
異形から発せられるそれは、悍ましき物を含み、聞くだけで身の毛がよだつものであり、聞きものは直ぐ様にその耳を閉ざす事を優先させるであろうことは容易に想像できるものであった。
だが、これで恐怖を生み出す振動は途絶えることとなった。
「《大いなる神の一柱、ウォフ・マナフよ。我が矛先に汝の権能を授け、魔を打ち抜きたまえ》、《神雷の槍》ッ!」
―――閃光が迸る。
雷の奔流が槍の形を成して、異形へと飛来した。
せき込み、その鼻と三眼から異様な粘液を吐き出しながらうろたえる異形もそれを察知して、切り替える。
着弾するはずだった雷の槍は、異形の肉体に飲み込まれるように消えた。異形の《吸収障壁》である。
異形は苛立ちを隠せずにいたが、いくら隙をつこうとしても、異形自身は《吸収障壁》でその身を守っている。魔法など効きはしない。
悶えながら、うっとおしい虫共を排除するべく触手を突きだす。
しかし、その眼前に火の球が迫っていた。
「《念動火球》ッ!」
全身を襲った恐怖の余韻を必死に押し込みながら都子がその掌に火の球を生み出して異形へと放ったのだ。
触手が対応することも無く、着弾。
されど火の球が直撃しようとも、異形の皮膚には傷一つ無い。
佐助は舌打ちせずにはいられなかったが、切り替える。
佐助は既に異形の能力について《接触感応》により把握しきっていた。故にその対策を《接触感応》 で二人に伝えていた。
初めからある程度の心構えが出来ているのならば、復帰は早い。
異形自身も《恐怖怒涛》に相応の自信があったのだろうが、佐助に言わせればあの程度は足止め程度にしかならない。
そして、佐助は異形の《吸収障壁》の穴についても把握していた。
(あの障壁はエネルギーによる攻撃を吸収することが出来る。しかし、この世界の魔法と超能力はその成り立ちから異なるもので、それらを何の障害も無く無効化する程に吸収することが出来るというのがおかしい。魔法がある世界で何ら問題なく超能力が使えている所為で誤解していたのかも知れないが、本来これらは違う法則で成り立っている)
《吸収障壁》はいわばエネルギーの変換器である。
攻撃としてもたらされるエネルギーを自身に蓄えることが出来るものに変換しているに過ぎない。
だが、それがなんにでも適応できるはずは無い。
熱を変換するには熱の、電気を変換するには電気の、専用の仕様に切り替える必要がある。
とは言え、それらを一々すべてに適応している訳では無い。
異形の《吸収障壁》はその世界ごと、つまりその世界を支配する法則ごとに切り替える必要がある。それが佐助が読み取る事が出来た情報、これらから異形が多少なりともこちらを警戒している理由は容易に推測できる。
(本来、異なる法則を持つ者同士を同時に相手することをそこまで想定してはいなかった。いや、想定したとしても対応する事は出来ない。雷を変換するフィルターと火を変換するフィルターを同時に使うことは奴には出来ない)
エニステラと都子は立ち上がり、互いを見て頷く。
作戦は既に佐助から受け取っていた。
「《大いなる神の一柱、ウォフ・マナフよ。我が矛先に汝の権能を授け、魔を打ち抜きたまえ》、《神雷の槍》ッ!」
「《念動火球》ッ!」
エニステラが手にしたハルバードから閃光を放ち、都子もその手から火球を放つ。
それらは同時に行われ、異形へと襲い掛かった。
《吸収障壁》を突破することが出来る穴、それは複数の法則からなる同時攻撃である。
異形は煙を抑えようともがく触手を置いて、迫る火球と雷の槍を視認した。防ぎ吸収することに選ぶことが出来るフィルターは一つ、異形は瞬く暇も無く選択した。
『あ、がああああっああああああ!!』
二つの異能の法則からなる雷火は直撃し、煙を巻き上げた。
苦悶の声を《精神感応》越しにまき散らす異形。その声は確かに痛みを訴えているものであった。
――エニステラと都子が放った攻撃のどちらかは吸収されずに残ったのである。
(効いたっ!)
漸く一撃、異形へと通した感触を得る都子、エニステラもその手ごたえを確かに感じていた。
「ミヤコッ!」
「分かってるっ!」
そして、油断せずにエニステラと都子は続けて次弾を放とうと、構えた時、煙の最中から四本の触手が突きでた。
狙いは都子、彼女は思わずその構えを解いてしまう。
エニステラの判断は早かった、詠唱を中断、都子の前へと壁になるように出る。
鋼鉄の鞭同然の触手が振るわれる。
四つの方向、側頭部、右ひじ、左手、右足、それぞれから高速で迫る触手をエニステラは冷静に見て対処する。
側頭部と右ひじを狙うものは、ハルバードで一直線上に断つように対処、左手は聖雷を込めて瞬間的にその反応を高めて体の外へと弾き、動かぬ右足は左足を中心に回ることで避けて、無理矢理踏みつけることで応戦する。
四つの触手は弾かれ、異形の手元に直ぐに戻された。
異形をの姿を包む煙が晴れる。
得てして、二人の雷火は確かに異形に手傷を負わせることに成功していた。
例えそれが、十本ある触手の内の一本が焼かれた程度のものであったとしても、である。
「あれだけ? あの爆発で!?」
「いえ、恐らく私とミヤコの攻撃が同時に着弾しなかったのでしょう。僅かに早く着弾した私の《神雷の槍》を吸収してから都子の火球に対象を変更したのでしょう」
歯噛みしながらエニステラ、原因は自身の鍛錬不足であった。
これまで単独での討伐を行い続けて来たエニステラでは初めて組んだ相手と息を合わせての同時攻撃、それも着弾も同時に行うという連携をこなすにはいささか連携における練度が十分では無い。
この誤差を合わせるのも、エニステラならば後幾度も繰り返せば対応することが出来るだろう。
しかし、異形に幾度も通用するとはエニステラには思えなかった。
異形のその表情は苦悶に満ちたものである事は三人にも察することが出来た。
まるで生まれて初めて転んで膝を擦りむいた赤子のように、味わったこと無い痛みというのに今すぐその場を転げまわるのでは無いかと佐助は想像していたのだが、それに反して異形は触手の先からくる焼けただれるような痛みを耐え、反撃すら行ってきていた。
(過剰なまでに傷を負うことを避けていた奴の性格……それからして慌てふためいて隙を晒すと思っていたっすけど……思ったより冷静……これは撤退するかも怪しい……)
佐助は都子とエニステラの同時攻撃だけで異形を仕留めることが出来るとは考えていなかった。
手傷を追わせれば、その読み取った性格から自ら逃走を選択する可能性は十分にあり、仕留めるのであったとしても逃げる際に生まれる隙をつけばよいと考えていた。
しかし、実際は、異形は混乱する様子も無く直ぐ様に反撃に移る程であった。
《恐怖怒涛》を煙玉で妨害する手は二度も通じる相手では無いだろう。追い詰められているのはこちら側であることは明白であった。
うかつに攻撃をしようとも、既に異形は迎撃の態勢に移っている。唯一通用するだろう同時攻撃も、決定的な一撃となるには心許なかった。
何より、異形の《恐怖怒涛》を封じていた煙玉も既にその煙を出し尽くしてしまった。
異形の反撃が来るのは時間の問題であった、しかしその前に聖騎士が動く。
壁面や天井から崩れ落ちた瓦礫を、ハルバードの先、槌の部分に当て異形へと目掛け飛ばす。
決して軽くは無い質量に、痛みに悶える異形は触手での防御や弾くことを避けて、自らの足での回避を行う。
しかし、その回避先を読んでいたかのようにエニステラは次々と瓦礫や岩を異形へと打ち込み続ける。
「サスケ、ミヤコ! 相手が立ち直る前に仕留めます! あの声を出させる暇すら与えずに攻撃を!」
「ッ! 分かった!」
「了解っす」
佐助は手裏剣を、都子は魔導書による黒い鎖を異形へと放つ。
異形は負傷した一本を庇い、残りの九本の触手でそれらを迎撃する。
雨霰のように三人が繰り出す攻撃を、異形は避け、弾き、防ぐ。
異形は防戦一方の様相を呈しているが、それでも触手の防御は硬く、まともに攻撃を当てることは出来ない。
連携も付け焼刃所では無い即興のものであり、お互いの連携の隙間を縫うように、繋ぐように三人が必死に攻撃を繋ぎ合わせているだけだった。
全速力で攻撃を回し続けることでどうにかこの場を優位に保っているに過ぎない。誰かが息切れを起こしてしまえば、異形が《恐怖怒涛》を繰り出してしまう。佐助の手は既に知られている。今度も上手く行くとは思えない。
それでも詰める。詰めて、詰めて、詰める。隙を見せてしまえば全滅してしまうのは目に見えている。
(このままでは、届きません……! どうしても、後少しが……!)
防御の合間を縫って行われる触手の攻撃を全て撃ち落とすエニステラ、幾度そのハルバードで断ち切ろうとしても鋼鉄の鞭と化している触手には僅かに傷を付けるだけで終わっている。
乱れた呼吸では鋼鉄を断つことも出来ないのかと自身の不甲斐なさが身に染みるが、それでも動くことは止めない。
右足の負傷がひどくなりつつあるのが一歩動く度に、武器を振るうたびに、分かる。二つ目の賦活の丸薬で無理矢理絞り上げた活力も、その限界が近づいている事が分かる。
それでもと、力を籠めて右足を執拗に狙う触手をハルバードの石突の部分で迎撃して前へと進む。
佐助は短剣を片手に繰り出した手裏剣を数える。
全身に打ち込まれ、特に骨にヒビが入っている右腕と触手に打ち込まれた肋骨をおいて移動しながら弾かれた手裏剣を回収しながら、思案する。
このままの調子では、拾い上げる前に手裏剣が手元から消える方が早いだろうという予測が立てられた。それもそう遠くは無いだろう。
他の手を考えるにしても、佐助ではエニステラのように複数の触手を同時に撃ち落とすことは出来ないい。精々が弾き撃ち落とすことで精いっぱいである。
そのほかの攻撃手段も触手に阻まれて意味をなさないであろうと佐助は考える。
同様に生半可な術もちぐはぐな連携では使えず、今出来ることと言えば出来る限りに触手の注意を引きつけて他の二人の負担を減らす程度しか出来ない。
しかしここで生き残るにはそれ以外ない、自らの目的のためにもこの修羅場を乗り切らねば後に続かないだろう事は、佐助は理解していた。
都子はその喉が枯れ果てるまで、呪文を紡ぎ、黒い鎖を生み出し、火球を繰り出す。
精神の限界点、集中が乱れ始め、残りの呪文を使える限界もうっすらと感じ取っていた。
同時に超能力の使用限界を示す頭痛も起き始めていた。初めて達する領域、その限界は恭兵よりも早く来ていることに歯がゆい思いが沸きあがる。
これはツケなのだろうと都子は感じ取っていた。
普通の自分、元の世界の自分から外れないように、必要最低限の力しか身に付けようとしておらず、その癖厄介事に関わろうとした愚かな自分がその責任を問われているのだと、そう感じていた。
この窮地で、まだろくな手傷を負っている訳でもないのにもう限界が見えているのがその証拠である。
魔法使いの後衛に攻撃を通そうとしない二人の意志が、反って都子に刺さる。
自分が足手まといとなっているのでは無いのかという考えは、こうしている内にいくらでも沸いてくる。
事実、自分が魔法と超能力を同時に使えていれば解決している問題でもあった。
――――それでも、その手を、呪文を綴る口を、攻撃を躱す足を止めることは無い。
防ぎきれずに飛んでくる触手を紙一重で躱し、掠り、転び、それでも止まらずに戦うことを都子は止めない。
(諦めない。絶対に帰る。帰るっ!)
その一心を胸に、都子は自分に出来ることを行う。
限界は見え始めていた。
そもそも、これは終わらせないための時間稼ぎに過ぎない。
三人がそれぞれに突破口を思考しているが、迎撃しながらの思いつきなど付け焼刃同然であった。
幾つか思いついたとしても、その隙を突いて異形に《恐怖怒涛》を撃たれるのは必定である。
それでも、諦められずに動く三人に異形は苛立ちを隠すことは出来ない。
否、それは最早苛立ちでは無く、殺意。
栄光を掴むはずの自らの手を傷つけた者への報いを与えるためにしか既にその思考は割かれていない。
確実に、確実に三人を殺すために今度こそ、《恐怖怒涛》を当てる。
先ほどの妨害は自らも考えに及ばなかったが、それでも所詮は小細工の類であり、二度と同じ手を通用させる気は無かった。
異形は三人共にその体力の限界が近づいていることは感じ取った。
それは捕食者、生物の上位に常に位置し、狩るものとして幾つもの獲物を狩り、奴隷としてきた種族が為して来た感覚、獲物が弱まるのを的確に感じ取る事が出来る感覚である。
臨界点はすぐそこに来ている。
エニステラの足が僅かにもつれ、そこを突くように触手が差し向けられるが、佐助が異形の本体を狙い、都子が黒い鎖で引き上げることで、その場を乗り切る。
臨界点はすぐそこに来ている。
佐助の狙いが甘くなり始め、手裏剣を的確に弾いた触手が狙うが、都子が地面を火球で吹き飛ばして瓦礫による間接的な攻撃を加えて、エニステラが間に入ることで触手を弾く。
臨界点はすぐそこまで来ている。
呪文を紡ぐ都子の喉が渇き咳込んで、空中に黒い鎖が溶け、縛られた触手が襲うがエニステラが瓦礫を放ち、佐助が手にした短剣で触手を受け流す。
臨界点がすぐそこまで来ている。
それは今にも膨れ上がって、弾け飛び、目の前には栄光の道が開かれる、ビジョンのようなものが異形には見えた。
もはや三人をいたぶっているという感覚にさえ陥っている。
触手を振るう度に追い詰められる餌の様子に異形は喜悦の感情が溢れる。既に自身が傷を受けた憤怒も薄くなり始めている。
一方的な展開だ。このまま順当に行けば運命に従うように、勝利は間違いなく自分の元にもたらされると異形は疑いもしなかった。
永く夢見た栄光への道、自身を下に扱う、偉そうな同族どもに今こそ報いを与えることが出来るだろうと今、この時点で夢想を始めていた。
『はっはははあははははッ! 俺は手に入れるぞ、絶対なる力を! もう誰にも俺を無下に扱わせることは無いぃぃぃ。俺が、全ての頂点に立つ! 立つ! 立つ!』
もはや、その目に目の前の三人すら認識しているかどうかも定かでは無かった。
臨界点はすぐそこに来ていた。
喜悦を浮かべた異形が高らかに勝利を宣言する空間に、カツン、と音が響く。
異形は何故かそちらへと顔を向けた。向けてしまった。
黒い髪に所々破けた服装、革の鎧もその下地が見えている状態であり、ボロボロになっていることは隠しようも無く、破けた服の下に伺える肌は打撲の跡で痛ましい程であった。
その姿は異形にも覚えがあった。
不良品だった。
自らの手で先の三人のように散々いたぶったのを確かに覚えている。
ここからうっとおしい虫の手で運ばれたのも知っていた。
それでも、どこか安全な場所からここまで一人でくる体力すら残さず打ちのめしたはずだった。
それがそこに立っている。嫌に直立不動だった。
見た目にはそれ以上何も出来ない程で、事実今ここで最も役に立たないはずである。餌共の超能力の使用限界はとっくに来ている何にもならない不良品、残りの役割は一切の抵抗も無く自分の糧となるはずだった。
それがどうだ。突如現れたそれに触手は僅かに震え始め、口もカチカチと鳴る。傷を負った触手の先が今になってその痛みがぶり返した。
今ここで異形はその不良品に恐怖を覚えていた。
この恐怖、この抗いがたい絶対者のようは気配に異形は覚えがあった。
《将軍級》そう呼ばれる。今の時点の自分よりも高位の者達と同じ気配をその不良品が醸し出していた。
『ふ、ふざけるな』
《精神感応》が部屋に虚しく響いた。
応じるように恐怖が、否、異形にはもはや脅威に等しい何かがこちらに目を向けた。
その黒い眼差しは、深く深く、重い。
見続ければ吸い込まれるとさえ感じ、異形はその目を逸らし、逃れるように触手が差し向けられた。
『ふざけるなぁぁぁあああああ!!』
応じて、脅威は、その右手を顔前に構え、指揮者のように振るった。
「《念動岩拳》ァァァア!」
言葉と共に抑え込まれた猛威が噴き出されて、異形へと振るわれた。
エニステラや都子にまき散らされた瓦礫、その中でも大きな物が異形へと一人でに飛ぶ。その速度は異形が容易に避けられるものでは無かった。
岩が壁面に衝突して轟音が響き渡り、部屋を揺らす。
異形は自らの自己防衛本能に従い回避したが、肩口を掠って、僅かに血が流れていた。
憤怒が異形に再び沸き起こり、もう一度脅威へと視線を投げたが、既に部屋の入り口には誰もいなかった。
「九回裏、ツーアウト、ランナー満塁って所か」
声がした方向へと異形は振り返る。目の前の脅威から目を逸らせば自身の命が失われるとでも言わんばかりであった。
その脅威は三人の傍ら、否、三人を守るように先頭に立っていた。
「ピンチヒッター参上」
高塔恭兵は栄光の道を行く異形の前に再び立ち塞がった。
恭兵の登場に最初に声を上げたのは都子であった。
「え、ア、アンタ、怪我は!? というか能力もう使えないんじゃ……!?」
「まだ使えるようにして来た。怪我は結構ぎりぎりだけど気合いで」
「気合いって……アンタそんなんだっけ」
「まあ、そんなんだよ。そっちは大丈夫か?」
「あーもう限界っす。ちょっと後任せても……」
「エニステラ、そっちの足は?」
「無視っすか!?」
「え、ええ何とか動けます。とは言え、あまり言いたくは無いのですがあまり時間は……」
「分かった。俺も大して変わんねえから、さっさとあのタコ野郎ぶっ飛ばすぞ。それで? 作戦は?」
「タコ野郎って……まあいいわ。アイツの無効化バリアを私とエニステラが同時に雷と火の球、打ち込めばいけるはず」
「ふーん。分かった、じゃあ俺が何とか隙を作―――」
「そうも言ってられないっすよ」
佐助の声に応じて四人は、弾かれるように異形へと目を向けた。
異形は深呼吸で空気を吸い、吐き出す準備は既に万全となっていた。
『お前が、どれほどの脅威だろうが関係は無い。この《恐怖怒涛》を防ぐ手段は既にお前らには無い!』
恩讐が籠められた《精神感応》が各人の脳に直接響く。
恭兵は胡乱な目を異形へと向けて、親指で指さしながら佐助に疑問を呈した。
「なにアレ」
「あれ喰らったら終わりっすよ! 動けなくなって一網打尽にされるっす! くっそダメもとで投げるか!?」
「私が神聖魔法を打ち込みます! それで発生する音で何とか相殺を……!」
「あれ……最強超音波攻撃とかそういうやつなの? だったら都子ならいけんじゃね?」
「え?」
恭兵が何でもない風にあっさりと回答をもたらした事で、佐助の地が思わずでた。
エニステラが都子へと振り返ると、彼女は既に魔導書を開き、必要な呪文を紡いでいた。
「今の私じゃ、アイツがあれ撃つまでにどうしても呪文が間に合わなかった。でも、今回は何とかなるわ。まあこれも一回こっきりかも知れないけど」
「時間がねえんだから、これで終いにするしかねえだろ」
都子の言葉に応じるように、恭兵は都子の前に立つ。
異形は《恐怖怒涛》発動させることに集中していてこちらに十分な集中を割けていない。
「……取り敢えず、あっちの咆哮と共に煙玉をありったけ投げるんで触手は幾つか捌けるっす」
「了解、後は俺が突っ込んで残りを処理する」
「ミヤコが火の球を撃てるようになるまで時間はあります。それまで私も時間稼ぎに」
「上手く行かなかったら?」
「俺の師匠が言ってたよ。行き当たりばったりでも、兎に角仲間が作った隙に何かぶち込めばいけるって」
「ではそれで行きましょう」
「……要するに行き当たりばったりっすよね」
異形はヤツメウナギめいた口を開き空気を震わせた。
第三の能力、異形の切り札、《恐怖怒涛》を発動させる。
佐助は同時に、多数の手裏剣と共にありったけの煙玉を投げ込んだ。
そして、恭兵は異形へと一直線に向かう。
自身の身体に《念動力》をかけて、人形を動かすように自身の身体を動かす。
無理矢理動かす体は悲鳴を上げるが、既に脳内物質の過剰分泌でハイになっており、ある程度の痛みの感覚が飛んでいる恭兵は意に介さなかった。
続けて、エニステラが瓦礫を先端部分の槌の部分で打ち込むべく、ハルバードを構える。
それらの行動を意に介さず、異形は恐怖の振動を空間へと解き放った。
振動が伝わる生物に根源的な恐怖を抱かせ行動不能に陥らせる音の奔流。
その最強の能力、あらゆる恐怖を生み出す音を打ち破る呪文が都子により紡がれ、今こそその名が唱えられる。
「《沈黙》」
差し向けられた都子の指の先、異形の頭部を中心として、凡そ五メートル程の空間で発せられる音は全て掻き消えることなる。
音を媒介として振動を伝える《恐怖怒涛》は封殺された。
「一分よ!」
「十分!」
駆ける恭兵はその手を動かし、《念動力》で幾つかの瓦礫を自身の盾となるように動かす。
既にその《念動力》の規模は依然とは比べ物にならないほどに拡大していた。
異形は、自慢の《恐怖怒涛》を発動したにも関わらず、動いている四人を見て混乱に陥っていた。
確かに現在進行形で能力は発動されているのである。
にも関わらず、音が、振動が伝わらない。その事実に混乱をきたしていた。何が起きたのか異形にはまるで理解できずにいた。
そこを狙い撃つように、エニステラが放つ瓦礫が飛来する。
咄嗟によけようとする異形、それでもやはり反応遅く、僅かに瓦礫を掠らせる軌道で―――――
―――恭兵の右手が動いた。
「カーブッ!」
異形が回避する先に、エニステラが打った瓦礫が突如曲がり、突き刺さった。
急激に《念動力》で角度を付けたためその速度は十分でなかったが、異形に直撃して、その動きは止まった。
しかし異形自身の耐久力も尋常なものでは無い。
確かに胴体に直撃したにも関わらず、その動きは止まらない。
九本の触手が飛びかかる。
矢継ぎ早に飛び交う手裏剣を弾きながら、その内の四本が恭兵へと向かう。
顔前に浮かべている大き目の岩を盾のように動かし、鋼鉄の鞭として放たれる触手を防ぐ。
異形は触手の動きを変化させ、鋼鉄の鞭では無く、蛇行して動く蛇の動きで岩を回り込むようにして、恭兵の本体へと攻撃を仕向ける。
「《|念動岩拳》ァァァアアア!」
盾として動かしていた岩をそのまま外側へと高速で打ち出す。それまで抑え込んでいた力を一気に解き放った。
岩を回り込むようにして動かされていた触手は、当然のように巻き込まれる。
岩が壁面に衝突して、四本の触手が岩石と部屋の壁面に挟まれるようにして封殺される。
異形が懸命に引っ張るが、直ぐに引きもどすには時間がかかると思われ、何より先が潰れた触手は鋼鉄の鞭のように振るうことは出来ない。
そのまま、直進を続ける恭兵、彼の周囲に彼を守る岩、瓦礫等一つも無い。
残った触手は五本、内の二本を異形は脅威への迎撃に回す。
しかし、次に別の攻撃が迫りくる。
「《念動火球》ッ!」
「《大いなる神の一柱、ウォフ・マナフよ。我が矛先に汝の権能を授け、魔を打ち抜きたまえ》、《神雷の槍》ッ!」
雷の槍と、火球が恭兵の脇を抜けるように飛んでくる。
二度目にして一度目より僅かに差は縮まったが、それでも同時に着弾はしない。
しかし、今度は僅かに火の球の方が、着弾が早い。
異形はそれを見切った上で、苦渋の選択をした。
残った触手、二本を重ねて盾となるように動かした。
爆発と共に、着弾を起こした。
捲きあがる煙を恭兵は迫る二本の触手を意に返さずに左手を振るって、薙ぎ払う。
開かれる視界、重なるように盾となった二本の触手は一回目に犠牲となった触手よりも焼けただれたものとなっていた。
異形は着弾した火の球を僅かに吸収し、遅れてきた雷の槍の着弾に合わせる形で切り替えた。
残った火の球の爆発で過剰なダメージを受けたが、それでも聖騎士が放つ聖雷の一撃よりもはるかにマシであると判断したためであった。
二回目の攻撃も、異形に止めを刺すに至らなかった。
そして、一分を経たずして《沈黙》の効果が薄れ始めた。
最初に気づいたのは掛けた本人である都子、続いて掛けられた当人である異形と、最も近くにいる恭兵だった。
都子が《念動発火》を使うに当たって、同時に掛けてる異なる法則を元とする《沈黙》に干渉が起きたためでる。
僅かに漏れ出る、恐怖の振動。
それを受けて喜悦を浮かべる異形と、対象的に恐怖が引き起こされて苦悶の表情を浮かべる恭兵。
動揺を受けて空中に停止していた二本の触手が再度、牙を剥く。
異形の顔前に、幾つかの白い球が飛んでくる。
煙玉だと異形は認識して、一度目の出来事を思い出して、咄嗟にヤツメウナギめいた口をつむいで。防衛に回した残り一本の無事な触手で弾く。
弾かれた煙玉は壁面にポーンという中空を表す音を出した。
全て使用済みの者だった。
「残念外れっすね」
《恐怖怒涛》が中断された。
恭兵の表情に再び意志が戻る。それでも引き起こされた恐怖が前へと進む足を止めそうになるが、都子とエニステラが攻撃した時点で手元に呼び起こしていた。
それを握る。随分と長く手元から離れていたとさえ思える感触、重さが勇気を伝える、前へと進む勇気へとなった。
――――恭兵は赤く輝く大剣を手にして、眼前の触手を薙ぎ払った。
極大質量を叩きつけられて、ひしゃげる触手。思えば初めからこうしておけば良かったのだ。知らず知らずの内に異形に恐怖を抱き最後の最後でようやく自分らしくなってきた。
恭兵はそのまま、直進する。
異形は、残った無事な一本を恭兵へと向けて、その一本は背後から伸びた黒い鎖に絡めとられた。
赤い大剣を肩口に担いで、距離を詰める。
異形は、その足を動かそうとして、神聖魔法の詠唱が唱えられた。
「《大いなる神の一柱、ウォフ・マナフよ。我が矛先に汝の権能を授け、魔を縛る鎖と化せ》、《神雷の鎖》」
神聖魔法でかたどられた鎖、エニステラのハルバードの先端から伸びる聖雷を帯びた鎖は、閃光となって異形を捕えた。
異形は慌てて、《吸収障壁》を、神聖魔法を打ち消すように設定したが、結果は変わらずに捕えられた。
「《念動拘束》、やっと捕まえたぜこの野郎」
恭兵はその左手を向けて異形を捕えた。
透明な巨人の手で握りつぶされそうな錯覚さえ覚えた異形、そして迫る恭兵に恐怖を覚えた。
自身が歩むはずだった栄光の道が眼前に脅威が現れたことで叩きつぶされた。
異形の目には既に希望は無く、残ったのは恐怖と絶望であった。
異形は、自らが本当に死ぬことを生まれて初めて予感した。
「じゃあな、死ね」
恭兵は言った。
そして、赤い大剣が裁きを下すように圧倒的な質量を持って振り下ろされた。
袈裟切りに放たれた一撃は、重く、頑丈なはずの異形の皮膚、肉、骨をその質量と手に籠められた《念動力》で叩き切る。
鈍い感触と音、噴き出る異様な緑色の血液が噴き出るが、恭兵は構わず更に力を籠める。
異形が《吸収障壁》で吸収しようとも、吸収した端から《念動力》を叩き込まれ、かつその力は赤い大剣の柄の部分にしか働いていない。吸収して無効化しきれなかった。
異形は決断した。
十本の内の、最初に怪我を負った。一本、焼きただれた触手の先に何かが握り込められている。それは銀色に塗装されたボールペン状の物体で、それを異形は力を籠めて握りつぶした。
『リムーブッッ!!』
《精神感応》を発した直後、一瞬の瞬きも無かったはずの恭兵の眼前から、異形の姿が掻き消えた。
弾かれるように周囲に目を向ける恭兵だが、どこにも異形の姿は見られない。
「瞬間移動かっ!」
「サスケッ!」
「ダメっす。この廃坑道内にアイツの反応は無い……それに瞬間移動が使えるならとっくに使ってるはずっすだから……」
「手に持った何かがそんなアイテム……《アーティファクト》だったのね。それで脱出した……と」
「どうする? 一応探すか?」
「いや、それよりも優先することがあるっす」
「あ? なんだよ」
恭兵が佐助に聞くと、佐助は指を上に向けて答える。
「ふっるい廃坑道で所構わず暴れたせいで、更に崩れた道を無理矢理壊して通ったりして今にも崩れるっす」
「「先に言えよ!」」
「兎も角、脱出が優先ですか……他に生存者などは」
「いなかったっす。特にアイツの忘れ物は無しだと思うっす。そして確認する時間も無いっす」
「出口はどっちだ」
「このまま、この道を道なりに行けば最短ルートがあるっす」
「では行きましょう」
「あ、そういやエニステラの落とし物とかは……」
「私が持ってるから心配なし、それでまともに動ける?」
「俺は何とか、大丈夫だ。脱出までは何とかなるだろ」
「俺も走るだけならどうにかなるっす」
「ええ、私も遅れずに行けます、ですからだいじょう―――」
「恭兵、肩」
「了解」
「え、きゃあっ」
無理を押して動こうとするエニステラの動かない右足を支えるように、肩を奪うように貸して動く。
エニステラ当人は顔を赤くしながら文句を言いたげにしていたが、封殺して、恭兵は先導する佐助に続くように進む。
迷路のようになっている廃坑道を立ち止まる事無く進む。
どうやら佐助は抜け目なく、予め退路を確保していたようであった。
そして幾度か曲がったあと、息を切らす都子の背中を押しながら、恭兵達一行はそとの光を見た。
エニステラが予めアンデッドを外へと出さないように張っていた結界が発する光である。
結界を越えて、外へと出た。
新鮮な空気が一行を迎えいれた。思えば随分と長い事腐臭がする廃坑道を歩き回っていた気さえしている。
外はまだ暗く、僅かに遠くの山脈の先が明るくなっているのが分かった。
「脱出成功、かな?」
「そうっすね何とか――――」
佐助が言いかけた所で、その背後で大きく崩れる音がする。再び廃坑道のどこかが潰れたのだろう。少なくとも恭兵達が戦闘を行っていた場所は駄目になっているはずだ。
「一歩間違えれば下敷き……か」
「危ない所でしたね」
全員の顔を見回す、それぞれ大なり小なり怪我を負っているようではあるが命に別状は無さそうであった。
恭兵はようやく安心した。
「良かった。後は任せてもいっかな」
「え、どうしたのよいきなり――――」
恭兵は、自身の胸に手を当てると、呟く。
「《念動高速》」
《念動力》はその位置に力を働きかけることが出来る。それは自身の体内とて例外では無かった。
恭兵は、自身の心臓を無理矢理握りつぶすように止めて、自らその意識を強制的に閉じた。
「え、なん、で」
「キョウヘイ……?」
青ざめる二人の顔を最後にうつぶせに恭兵は倒れ込んだ。
――――遠く東の空に輝く赤神星は、それら全てを見ていた。
残すところはエピローグのみ
続きは一週間以内に出来れば投稿したいと思います。




