第一話 始まりの異邦人 / オープニングフェイズ:その少年少女は牧場を守っていた
彼は夢を見ていた。
家族が居て、学校の友達が居て、変わらない日常がそこにはあった。
朝早く、当時は寝起きが悪かった自分を起こす母の姿にもう少しと文句を言いながらも彼はしぶしぶと起き上がっていた。
二つ上の姉は、休日の練習だと言って朝食を女子高生にしては少々はしたないとも思える勢いでかき込みつつ、部活へ行くのをトーストにジャムを塗りながら見送っていた。
彼が今回見ている夢は、中学を卒業した春休みの一日だった。
特に春休みといった所で、中学時代には帰宅部であった自分には卒業した後にも自身の後輩へ指導しに学校へ行くなどの用事があるわけでも無く、暇であった。
朝食を終えて、普段見もしない朝のニュース番組を何とはなしに眺めていたら、自身のスマホに友達から連絡が来ていた。テレビから目を離しつつ、そちらを見れば食事の誘いが来ていた。
食事の誘いとは言っても、メンバーは野郎ばかりの自分への送別会のようなものであった。
諸々の事情で知り合いのいない高校へと進学することになり、しばらく疎遠になるというのでせっかくだからといわけらしかったのだが、当時は卒業式で散々別れの言葉を交わした上に今生の別れでも無いのだからとそこまで乗り気では無かったのだが、今にして思えばやってよかったと思っている。
そんなこんなで友人達との食事、高校にも入って居なかった自分達にはファミレスで騒ぐのがせいぜいであったが、その帰り道だった。
あの時は何を考えていたのだったか、確か友人との会話にあった高校デビューについて馬鹿みたいな話をしていたと思い出す。
ここは夢の中、彼自身の意思とは関係なく彼の過去をなぞるように自分の手足は自宅へと向かっている。
つまり、この後に起きる出来事は過去に自分に起きたことであり、幾度と無く夢に出てきたことだった。
毎度の事ながら、彼はこの後に起きる出来事を思うと憂鬱にならざるを得なかった。
家の近くの交差点、その時の状況をなぞるようにズボンのポケットからスマホを取り出し信号待ちのわずかな時間をつぶす。歩行者用の信号が青に変わり、スマホを閉まって信号を渡る。
そして、自分の身体が光に包まれていることに気づく。
自分の顔が光の方向へと向けられる。視線の先にはあつらえたように大型のトラックがこちらへと向かってきていた。
それは、数えて五十は軽く超えて見慣れた光景であった。
起きた当時はあまり分からなかったことだが、幾度かこの光景を繰り返すたびに分かったことがあった。トラックの運転手は明らかに意識が朦朧としており完全にこちらの存在には気づいていなかった。たぶん居眠り運転だったのであろう。
そんなことをある意味のんきに考えていられるのも、一重にこれが避けられない過去の出来事であるからだ。既に自分の身体はトラックから逃れようとしているが最早逃れられないことは知っていた。
それでも、自分の身体は動いていた。当時の自分も既に逃れることは適わないと察してはいたが、それでも死にたくは無かった。そのあがきと呼応するかのようにその手はトラックの方へと向けられて――――
――――今回の彼の夢は彼、高塔恭兵の普通の日常の最後だった。
――――今回も彼は普通の日常の最後をどうにもできなかった。
◆
馬小屋の藁束の中で高塔恭兵は目を覚ました。
「朝かー」
視線を巡らすと、肩を寄せ合って同じく馬小屋で寝泊まりをしている馬たちがいる。最初はあまりなれなかったが、今となっては気にならなくなっていた。
軟らかい藁に身をまかせたい衝動を何とか抑えつつ上半身を起こし、藁束の中から脱出する。
軽く背伸びをして体を起こしつつその視線を隣のもう一つの藁束の方へと目を向けるとそこには昨夜と同じくローブにくるまっている彼の旅の相棒の姿を確認した。
顔まですっかりとローブにくるまりながらすやすやと寝ており、当分は起きる気配はなさそうである。
「依頼だってのに呑気なもんだぜ、全く……しょうがねえなあ、今日の確認は俺がやってやるか」
恭兵はぶつくさと文句を言いながらも重い足取りで自身がいままでベッド替わりにしていた藁束のそばに置いた荷物の中から何やら丈夫そうな素材で作られた事が分かる上着を、あくびを掻きつつ取り出して着る。粗雑なデザインながらも動きやすい素材で作られており、ちょっとした用事程度をこなすならば十分な恰好であった。
未だ薄暗いながらも光が漏れ出ている小屋の戸口まで寝ぼけ眼をこすりつつも歩いて行き、恭兵は戸口に向け手をかざすように持ち上げ払うように手を動かす。
すると、何かに触れた訳でもなくひとりでに馬小屋の戸口が開いた。
夜が明けて間もない朝日が馬小屋の中を照らし出す。彼は眩しそうに目を細め、手でその朝日を遮りながらも戸口に立てかけてあった布で包んだ自分の身長ほどの高さの大きさの物を携えて、馬小屋の外へ出た。
馬小屋は柵で囲まれた牧場に隣接されており、さらに牧場を囲う獣避けの柵と繋げるように村は囲まれていた。
村の方でも早起きして農作業の準備をしている連中の声が僅かに聞こえてきているのみといったところで静かなものであった。
恭兵は馬小屋近くに作られた井戸から水を汲み取り、その水で顔を洗いながらぼんやりとしていた意識を完全に覚醒させていた。
「さーて、とりあえず馬小屋の全体チェックだな。今日でこの仕事も終わりとなると寂しいものがあるけど……いやそんなことも無かったわ。ひたすら待つだけとかあれだったし」
恭兵は言いながら、柵の方を見て回る。恐らく大丈夫であろうが、一応確認しておく。どの柵も壊された様子も荒らされた様子も無く、異常は見当たらなかった。
「さてと、あいつが起きる前にでも今日の報告を済ませるかー」
恭兵は馬小屋を囲う柵の傍から腰を上げると、村の中心部へと足を向けた。
◆
簡単に言えば、高塔恭兵はこの世界の住人では無い。
彼はそれまでごく普通の日常に生きる一中学生であった。
今からおよそ二年と一ヶ月ほど前にトラックにはねられたと思った次の瞬間にはこの世界、グゥードラウンダに迷い込んでしまった。
この世界に迷い込んだ直後は、混乱の極みにあった恭兵であったのだが、無理矢理開き直りとりあえず生き抜く事を決め行動を開始したのだった。
しかし、高塔恭兵には運があるとは言えなかった。
彼がさ迷い込んだのは異世界、グゥードラウンダでも有数の危険地域である樹海であった。
そのような場所に人里のようなものがある訳は無く。ひたすら彷徨い続けるも、勿論人と思わしき者に出会うはずも無かった。
彼を襲った脅威はそれだけでは無かった。
それは樹海を生きる脅威、モンスターの存在だった。
異世界グゥードラウンダには、人類の脅威が存在していた。それこそがモンスター、人々を襲い食い殺そうとする生物である。
モンスターは人里が離れた場所ならば異世界グゥードラウンダのあらゆる場所に存在していた。そして当然の如く恭兵が迷いこんだ樹海も例外では無かった。
襲い来るモンスターの群れ、ここで普通の一般中学生であったならばここで命を落としていたことであろう。
しかし、彼は、高塔恭兵は普通の中学生では無かった。
襲い来るモンスターに恭兵は手を向けて、力を打ち出す。
すると、手を向けられたモンスターは吹き飛ばされた。
彼、高塔恭兵は超能力者であった。
生まれた時から持っている異能、通常の人間が手足を自在に使うが如く用いることができる力、普通の人間が起こす事の出来ない現象を起こす異常、それこそが超能力である。
恭兵は物心ついた時から超能力を宿し、自在に操ることが出来た。
とはいえ、それを日常生活において積極的に用いることはせず、せいぜいゴミを正確にゴミ箱に捨てる程度にしか使ってこなかった。
そんな中初めてその超能力の最大出力をモンスターに向けて開放した。
しかし、樹海はグゥードラウンダ有数の危険地帯、故にモンスターの危険度も高いものとなるのは当然であった。最大出力の超能力であったとしてもモンスターを吹き飛ばす程度で、命を奪うどころか行動を阻害する程度の効果しかなかった。
それからは生存のためにモンスターを吹き飛ばしては逃げ、隠れる日々。ろくに食事も睡眠も出来ないまま日に日に衰弱していった。
意識がもうろうとしている中でとうとう、空腹に負け樹海に自生していた毒キノコを食してしまった。
もはやここまでか、となった時、幸運にも樹海内の遺跡を探索するために来ていた恭兵の師匠となる冒険者の男がキノコの毒に苦しんで、もだえうっている彼を見つけたことで何とか事なきを得た。
それから、通じるかは分からない土下座と泣き落としで何とか冒険者の男の弟子にしてもらい二年程を遺跡の調査の傍らで面倒を見てもらいながら過ごしのだった。
そして、調査が終わったある日、忽然と消えた師匠が消えた。
当初は途方に暮れた恭兵だったが、師匠が書いたとされる置手紙に従い樹海を抜け出し、高塔恭兵は師匠の言葉を信じ冒険者となって旅を続けているのであった。
◆
そんな彼が今いるのがここパオブゥー村である。
パオブゥー村は国境の大きな山の麓にあり、山の林に囲まれた小さな村である。周辺には山を挟んで向こう側にちょうど国境の位置にある町、マージナルがあるのみで他の近くの村落には馬でも六日はかかってしまう。マージナルへと向かうにも山を越えるには険しく、旅人であるならば山道をぐるりと迂回するように三日はかかってしまう。
そのため、交通の便がよいとは言えず。マージナルとは馬で行き来できないことから、町に一番近い村であっても特にこれと言って栄えているわけでは無かった。
師匠の残した手紙に従い旅を続けているさなかに立ち寄った村であるのだが、ちょうど恭兵達が村に到着した際にある問題が起きていたのだ。
それというのも、近頃、村の近隣のモンスターが騒がしくなっており、モンスター避けの柵などが破壊されていた。そんな矢先、村で馬を飼育している男が策を破って馬小屋を襲ったモンスターと戦い、何とか退治したものの怪我を負ってしまった。
幸い、怪我自体は軽く一週間程度で完治する程度のものであったが、安静にしていなければならずその間にもまたモンスターが柵を越えて村に入り暴れだすとも限らないので、誰か代わりに馬小屋に泊まり込みで見張りをしてもらいたいということに。
とある事情から、現在金の持ち合わせが悪く、タダ同然で寝泊りできるとあれば願っても無いこともあったので、旅の疲れを取るには少々物足りないが、恭兵達は馬小屋の番を請け負ったのだった。
そんな恭兵は村の一角にある、村でも数少ない店の中にいた。店の中は幾つかの棚が並んであり、その棚には壺がずらりと並べてあった。一つ一つが独特なにおいを発しており、それらが混ぜ合わされて何とも言えない匂いが漂っていた。それらの壺を並べた壺の他にも色々ごちゃごちゃした雑貨のようなモノが置いてある一角があり、ここが雑貨屋を兼ねた薬屋であることが分かる。
「それでどうよ? ナスティさん。怪我の方はすっかり治ってるみたいだけど」
「おかげ様でこの通り、いやーあの時はどうなることかと思ったがアンタ達が来てくれて助かったよ」
「本当だよ、全く。いい歳してモンスター相手に大立ち回りして怪我をして。多少馬小屋が壊れたってかまいやしなかったろうに」
「何言ってるんだ。馬小屋どころか飼ってる馬ごとやられたら商売が成り立たなくなるだろうが、そうなったらこの先どうしろって言うんだ」
「そんときゃ、いい加減アタシの薬屋を手伝えばいいでしょうが。いい加減馬をどうこうなんて。そりゃ商人がいい値段で買っていってくれるけどねえ。命あっての物種でしょうが」
「ほっとけ、これが儂の生き方なんじゃい」
恭兵の前には左腕を包帯で吊った壮年の男と男の巻きなおした包帯を確認しながらも文句を言う、男の妻であろう女が言い争いをしていながらも仲睦まじくしていた。
男は、恭兵達が番をしている馬小屋の主であり、この村で馬を飼育しているナスティ・アージ、そして妻の方はマドナード・アージ、薬師である。
ここは、パオブゥー村唯一の薬屋。マドナードが店主を務めており、怪我を直すにも癒しの奇跡を扱える神官職がいないパオブゥー村では重要な役割を担っている。
「はあ、いい加減アタシも後継者でも探そうかねえ。全く、一人息子がどっちの跡を継ぐかなんてやってたらこんな有様だよ」
「なんだぁ? 儂が悪いってのかよ。そりゃアイツには出てけって言ったがよう。外の世界を知るのもいい機会だって言ったのはお前だろうが」
「そりゃいったけどさ。まさか五年も戻らないなんて思わなかったよ。幸い、どうやってか商人づてに便りは届くから元気にしてるんだろうけど……これも誰かさんの影響じゃないかね」
「お前も似たようなもんだろう、っと話し込んじまったか。悪いな、兄ちゃん。いつもこいつと話すとこんなかんじでよう」
「ああ、いいって。俺も今朝の報告に来ただけだし、相棒もまだ寝てるだろうしな」
「そうか、それならいいけどよ。ま、俺の腕ももう明日には包帯も取れるだろうしな、仕事に復帰できるぜ。ちぃと寂しくなっちまうが、ありがとうな。クレイジーボアくらいまだやれるとは思ってたんだが、歳は取りたくないもんだぜ」
「何言ってるのよ、冒険者止めたのも膝やっちまったからでしょうが。続けてもしょうがないからってアタシをここまで連れてきたってのに」
「ま、まあまあ、マドナードさん。こうしてナスティさんも無事だったんだし、あんまり言わないでやってくれよ」
どうやら、このままでは夫婦のやり取りに取り残されそうだとここ一週間の付き合いで判断した恭兵はマドナードをなだめる。
最初に二人に会った時等、鬼の形相でナスティを責め立てながら治療するマドナードを抑えながら、依頼の内容を説明するナスティは恭兵達の目から見ても大変そうであった。
そんな、恭兵の様子にマドナードはため息を吐く。
「そういうアンタも随分無茶しそうだけどね。全くあの子も苦労しそうだねえ」
「はっはっは、ま、大丈夫だろ。それで、アンタ達はこれからどうするんだ? 何でも用事があるとか言ってたが」
「ああ、ちょっと山向こうのマージナルって町にな。流石に山を越えていくのは危険だっていうから、流石に迂回しながらいくけどな」
「それがいい。俺も若い時に山を越えていくんだって意気込んだはいいが、手ごわいモンスターがうじゃうじゃいるっていうんで逃げ帰ってきたもんだぜ。そこまで急ぐ旅でもないんだろう? 無茶した俺が言うのも何だが、命を大事にってな」
「そうそう、命が一番ってね。冒険者なら怪我はつきもので、命を落とすのもおかしくは無いけど、だからって怪我はするもんじゃないんだからね」
「ああ、心配してくれてありがとうな。……って言ってもアイツは無理しそうだけどな」
「そういや、マージナルって言えば何でも騎士様が今いるそうじゃないか、それも高名な聖騎士様きてるとか」
「今朝来てた商人が言ってたなぁ。何でも強力な悪霊がでたとか、あくどい呪いを使う魔法使いを追ってるとからしいなあ」
「へ、へえーそうなんすか。他には何か言ってました?」
ナスティの言葉に、少し背筋を伸ばす恭兵。動揺してしまい、質問した声をわずかに上ずったものとなってしまったが、ナスティは恭兵の様子にはまるで気づかなかったように質問に答えた。
「いやあ? あ、そう言えば巨人をひっくり返す剛腕をもつ新人の冒険者がいるとか言ってたな。俺も引退はしたがこういう話を聞くと血が騒いじまうぜ」
「はいはい、それでハシャいで怪我が悪化しても知らないよ」
「あ、あー俺はこのへんで、失礼しましたー」
呆れるように言うマドナードをよそに、恭兵は少し冷や汗をかきながら遮るように薬屋を後にするのだった。
◆
「あー怖かった。やっぱりもうここまで噂はきちまってるのか。思ったよりも早かったな」
時は正午といった所だろうか、村の方から郊外の馬小屋までの帰り道である。
恭兵は時々周囲に視線を向けつつも、考え込みながらも馬小屋へと歩みを進める。
村人たちは恭兵が通り過ぎるたびに幾つかの視線を向けているが、どれもよそ者に向けるそれであり以前と変わった様子は見られなかった。むしろ、一週間前に向けられていたものよりも視線自体は減っていた。
どうやら、噂はそこまで広まっていないようである。
いかに狭い村社会とはいえ、流石に今日着いたばかりの商人の噂話が広まる訳ではないようだ。
とはいえ、いつまでも長居をしているわけには行かないだろう。噂の流れて来た速度を考えれば恭兵達に怪しい視線を再び増やすことになることは当然の流れとして考えられる。
(問題は全くの濡れ衣って訳じゃないとこなんだよなあ)
以前、村に立ち寄った際には怪しいということで闇討ちを仕掛けてきた輩もいた。勿論、村で威張りくさるような若いチンピラ擬きなど物の数では無いのだが、結局は村人に白い目を向けられるばかりか追い立てられて逃げるように村を飛び出すことになったのだった。
(あのチンピラたちが泊まってた空き家を報復で放火なんかしなけりゃもう少し穏便に……いや、結局こっちが家一つ吹き飛ばしたし、しょうがないか)
あれは派手にやらかしたもんだぜと、恭兵がため息を吐くと、もう寝泊まりしている馬小屋までたどり着いていた。
「戻ったぞー、起きてる?」
「起きてるわよ。流石にちょっと寝すぎたかもしないけど」
恭兵が馬小屋の戸口を開け、声を掛けると、それまで黒いローブにくるまって眠っていた人影は無く、代わりにそのローブを藁束に敷いてその上に座っている少女の姿があった。
肩より少し長く切りそろえられた、明るい茶色に所々赤い線が入った髪色。
日本人特有の黒い瞳を少し吊り上がらせたその目は近づきがたい雰囲気と共にある種の強さを持ち合わせている。
恭兵と同じく簡易的な布の服だが、恭兵の安い橙色では無く。少し薄い青いものを身に付けていて、それがワンピースのようになっている。
首には包帯が巻かれており、戸口が開かれた瞬間に隠すように抑えたが、恭兵の姿を確認するとともにその腕を下していた。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫よ。ちょっとびっくりしただけだし。それより、どうだったの? 依頼主のおじさんの怪我の様子は?」
恭兵が確認をとると、表面上は大丈夫そうであった。これ以上やぶをつついて、せっかく一週間守った馬小屋を吹き飛ばされたら敵わないので彼女に促されたように恭兵はナスティの経過は順調である事を伝えることにした。
「ああ、明日には仕事に戻れるそうだ。まだ、包帯は取れて無かったけどあの口うるさい奥さんがことさらに止めはしなかったし、大丈夫なんじゃないか?」
「そ、なら私達の依頼も明日の朝までって感じかしらね。じゃあ、明日の朝にでも買う物買って、マージナルに出発でいいでしょ?」
「いや、今日の内にそろえられるモンはそろえて、さっさと出ていこう」
「……もしかして、気づかれたの?」
「違えよ。けど、今朝来た商人が噂で言ってたらしいからな。面倒になる前に出ていこう」
「むう……思ったより早かったわね。やっぱり、この村も無視して突っ切っていった方が良かったかしら」
「もう少し食料とかに余裕があったらそうしたけど、ここから山を迂回していかなきゃいけないんだぞ。何日かかるか分からないし、マージナルまで村も無いって話だし補給しておくにこしたことは無かっただろ?」
「確か山を突っ切れば時間はかからないんじゃなかった?」
「それも危険な道のりだって言ってただろ。急がば回れっていうだろうが」
「……分かった。それじゃあ、買い出し行くわよ」
「りょーかい、ってお前も行くのかよ」
「流石に小屋に籠りっきりだと怪しまれるでしょうが。大丈夫よ、ちゃんと対策は考えてあるから。ちょっと先に出てて」
「分かった。じゃあ、待ってるからな」
彼女はそう言ったっきり、再びローブの上に開いた赤い装丁が施された黒い本に目を移して行ってこいとばかりに、しっしと恭兵にジェスチャーをなげる。
恭兵は荷物から持ち金が入っている巾着をひっぱりだして、どんな対策を立てるのかと疑問に思いながらも小屋をでた。
◆
少女は恭兵と共に旅をする仲間であり、名前を明石都子、魔法使いである。
彼女も恭兵と同じく、異世界にある日突然迷い込んでしまった一人である。
都子はこの世界に来たのは三ヶ月前、高校の帰り道に意識を失い、気づいた時にはとある城下町に迷い込んでしまった。
恭兵とは違い、城壁に囲まれた町に飛ばされたため、命の危険は無かったのだが、そこで問題を起こして現在追われる身となっている。
恭兵とは一ヶ月前に、師匠の言葉に従って、都子が偶然手に入れた魔導書を探している時に出会った。それから、魔導書の呪いで現在都子が魔導書を手放すことが出来なくなっていることもあり、共に行動することに至ったのであった。
これらの事情から強力な呪いを扱うことが出来る魔導書を手にした凶悪な魔女として名が通ってしまっている都子は普段は人前では姿を隠していて、人前には大抵恭兵がでることになっているのだが……
「どうにかするって、一体なにするつもりなんだか」
そうして、恭兵が外で待っていると、馬小屋の戸口が開いた。
馬小屋の中からは、腰まで届く滑らかな緑色の髪に、緑の瞳で色白の美女が現れた。
あっけに取られるように口を開けたまま固まっている恭兵に対して、馬小屋から出てきた美女が話しかけてきた。
「ちょっと、何か言いなさいよ。そんなに変だった?」
「え、あ、いや。都子、だよな? いきなり美女が出てきてビビった」
「何か癪に障るけど、まあ、成功したみたいだからいいわ」
都子はそう言いながら、くるりと回り自分の身体を見ている。恭兵は、仮面でも被って変装でもするのかと思ったが、明らかに顔が違っていた。一体どうやったのだろうか。
「ん? ああ、これ? あの本に見かけの姿を変える魔法があったからそれを使ったのよ」
「魔法って、大丈夫なのかよ。あの魔導書に呪い掛けられてるんじゃなかったか?」
「大丈夫よ。そこまで複雑な魔法でも無くて、姿もこれにしか変えられない上に時間も限られてるから、三時間。ほらさっさといって済ませるわよ」
「あ、ちょっと待てって。お前あんまり出歩いて無いのに村の中とか分かんないだろ!?」
そう言って、どこか機嫌がよさそうに村の方へと歩いていく都子を追いかけるように恭兵が駆けだした。
◆
「それで、効果時間を見誤らなければ完璧だったのになぁ」
「うっさい。初めてかけたにしては長続きしたでしょうが。一時間も持ったのよ!」
「途中から輪郭が崩れ出して、それを見た商人のおっさんが仕切りに目をこすらせた時には焦ったぜ。というか、事前にそういうのは練習しておくもんじゃないのか?」
「しょ、しょうがないでしょ。今朝ようやく使えるようになって、その時は三時間持ったのよ!?」
何とか必要なものを買い揃えた二人は馬小屋へと戻っていた。
実際、変装の魔法は上手く行っており、恭兵以外の人物にも都子はきちんと緑髪の美女に見えていたのだが、肝心の商人との厳しい財布事情を鑑みての値段交渉中に緑髪の美女の輪郭が崩れ出し、都子の茶髪の少女の姿と混ざりだして傍から見ればゾンビのような姿になっていた。
恭兵がとっさの機転を利かして超能力で強風を装い、商人の荷物を覆っていた布を引っ張り、落ちる商品を囮に商人の注意を逸らし、その間に都子を物陰に隠すことで事なきを得たのだった。
「ハイハイ。今後も使いそうだから、しっかりと練習しとけよ。それで、話変わるけどよ。アイツらどう思う?」
「あの商人の護衛とかいう奴らのこと?」
恭兵は商人の意識を逸らした後、何とか品物を買い付けた帰り道にすれ違った三人の男を思い出す。
どうやら、商人がこの村までの道のりで品物を守るために雇った護衛であるらしく、商人の方も、道中で襲われたモンスターを難なく倒した優秀な冒険者だとか言っていた。
「考えすぎかもしれないけど、俺たちを追ってきたのかもしれないって思ってさ。どう思う?」
「うーん。でも、それならとっくに仕掛けてくるんじゃないの? 相手は三人で、腕はそこそこ立つんでしょ?」
「まあ、こっちの方が頭数は不利ではあるから、襲ってきても問題はないけどよ……」
恭兵が言いにくそうに言葉を濁した。首をかしげる都子に言うべきか、逡巡するも黙っていても仕方ないと判断した恭兵は自身の考えを伝えることにした。
「いや、ほらお前呪いの魔道書を使う悪魔の魔女みたいに言われてるだろ? それなら相当な警戒してて当たり前だろ」
「うっ……、それもそうね。私としては甚だ納得がいかないけど、噂を聞く限り女子高生に付けるあだ名じゃあなかったわ」
「だろ? だから、夜にでも襲ってくる可能性も無きにしも非ずって奴だ。いずれにしろ、警戒の魔法は切らさないように
しないとな」
警戒の魔法。これも、都子が持つ呪いの魔道書に記されていた魔法の一つであり、指定した区域の半径五メートルに侵入した者がいる場合、これを仕掛けた本人に知らせる魔法である。
二人は主に、就寝時などに用いていた。とはいえ、半径五メートルの範囲ではいささか心もとない。しかし、この魔法をいくつも、村を囲っている柵に仕込むことで幅広い範囲を警戒することができた。
「そうね、あれなら一先ずは接近に気づくことはできるし、三人がかりでこられてもまずこっちが気づくわ」
「問題は魔法とかで馬小屋ごと焼き払われたりとかされなけりゃ大丈夫だと思うけど……」
「いきなり魔法で村の馬小屋焼き払うような奴いる? 魔法使いそうな奴は居なかったんでしょ?」
都子にそういわれた恭兵は、三人の服装を思い出す。大抵の冒険者は身に着けている武器などでその職業を推測することが可能であることを師匠から教わっていた。確か、一人は腰に下げた片手剣と左腕にくくりつけた盾を身に着けていた。一人は錫杖に似た武器を持ち、神官特有の僧衣を身に纏っていたのを憶えている、最後の一人は、
「たしか、軽装だったな。これといって武器らしいものは身に着けて無かったような……」
「それじゃあ、モンクとかじゃない? もしくはシーフとか?」
「だな。……いや、考えてみると呪い使う魔女相手に魔法使いがいないのに来るもんか?」
「神官がいるって話でしょ? 私が呪いしか使わないとか思ってるんじゃない?」
グゥードラウンダにおいて、冒険者には職業という所謂、役割分担を明確にする必要があるという不文律があった。
これは、個々の得意なものを職業として表すといったもので、例えば恭兵や商人に雇われた片手剣の男などは戦士、都子などは魔法使い、神官風の男は聖職者などと区分される。
なぜ、このような分け方をされているのかというのも、師匠曰く、少人数であらゆる場面に対応できるようにするためであるということらしい。
基本的に冒険者は複数人で集まり行動する。パーティーと呼ばれるものだが、大抵は三人から六人で構成されるのである。
「それでも最低でも魔法使いはいてもおかしくないメンバーだよな」
「それを言ったら私達も二人旅でしょ? 事情があるからだけど」
「だよなー。うーん、これ以上考えても仕方ないし、最大限警戒はしておこう」
「そうね、ここら辺にも警報つけとくわ」
そう言って、道の端に置いてある手ごろな石を手に取り、都子は傍らにしまってあった魔導書を取りだして開く。ブツブツとなんらかの呪文のようなものをつぶやくが、恭兵にはなんと言っているかはあまり理解できなかった。
グゥードラウンダではなぜか異世界にも関わらず、話すことに苦労することは無かったのだが、代わりに字は読めないので、恭兵には魔導書の内容もさっぱり分からなかった。
とはいえ、都子の方も字が読める訳では無いらしく、何故か呪いの魔導書に書かれている文字は理解できるというおかしな状況となっていた。
なぜなのだろうか、と恭兵が考えている間にも都子は石に魔法をかけ終えたらしく、しきりに石を確めるように眺めまわしていた。
「良し、上手く行った」
「うっし、じゃあもう一回、柵の周りとかかけ直すか。今日で最後だし、念には念を入れてこうぜ」
「え、ホントにやんの? まだ効果切れてないから大丈夫よ」
恭兵が早速柵の方へと歩きだそうとするのだが、都子の方は不満を表していた。
「仕掛け直しておいた方が安心できるだろ」
「あのね、魔法使うの結構疲れるのよ? おとぎ話みたいにそうそうチチンプイみたいに済まないのよ」
杖を手に軽く振る仕草をとる都子。恭兵の方もそう言えば出会った当初は警戒の魔法を数多く用意しては疲れて眠っていた都子を思い出した。
「ぐ、それもそうか。でも後どれくらい持つんだ?」
「たっぷり八時間位は。朝早いし、今の内に寝ときましょう?」
「それもそうだな」
「じゃあ、決定ね。それにしてもようやく第一歩って所かしら」
都子がため息と共にこぼした。恭兵の方も彼女と出会ったからの一ヶ月を思うと早かったような気がしないでもないが、それでも追いかけられながらの旅は短いと感じるには少々つらいものがあった。
「あの予言者の言う通りならマージナルに行けとか言う話だったけど、マージナルに一体何があるのかしら?」
「さあな。とりあえず手がかりの一つでも見つかれば万々歳だ。闇雲に探すわけにもいかないだろう?」
「そうね。私としては一刻も早く帰りたいし、この世界は危険だらけでもうたくさんよ」
吐き捨てるように言う都子はしきりに首元を隠すように巻いた包帯に触れていた。
ここ一ヶ月の付き合いで、恭兵は都子が包帯の中をしきりに気にしていることを知ったが、それが何なのかは聞かなかった。
誰にでも秘密はあるものだ。
自分も都子には言ってないこともある。むやみに聞く必要はないと、そう考えた。
(帰る、か。ま、俺は少なくとも師匠の頼み事をやり終えてからだな)
都子の旅の目的は元の世界に帰ることである。
それはグゥードラウンダに迷い込んでから今までの三ヶ月変わらずに抱き続けて来たもので、これからもその重いは変わらないのだろう。
恭兵の目的は師匠の置手紙にあった頼み事を果たすだけだ。そのためであれば何時までも付き合おう。
――――どうせ俺に目的など無いのだから
そんな風に考えていれば既に馬小屋の前にまでたどり着いていた。
時間が経つのは早く、気づけば日は傾き、山の向こう側へと隠れようとしていた。
茜色に染まる夕焼けは、元の世界と同じものを感じる。異世界であっても変わらないものはあった。
だがしかし、東の空の中天。振り返り、仰ぎ見ればそこには赤く光る月というべき星が輝いていた。
赤神星、異世界グゥードラウンダの空において日が昇る時と日が落ちる時に限り現れる星であり、一年を通して同じ位置で輝く星である。
グゥードラウンダでは神の星と崇められていて、そこには神が住んでいるとさえ言われていた。
恭兵は隣を見る。
都子はうらめしそうに赤神星を見つめ、それから目を逸らして馬小屋へと歩いていく。
そんな都子を追いかけるように恭兵が止めていた足を踏み出し――――
――――閃光と間もなく雷鳴が轟いた。
「ッ!」
呼吸が追いつく間もなく、音がした方向へと振り返る。
高くそびえる山を背に村を囲う林の方角だった。
その聞くものにわずかな震えをもたらすそれは、確かに雷が落ちた音であった。
しかし、今現在、空を染める日が確かに存在しており、少なくとも雷が落ちるような雲は見当たらない。
恭兵の脳裏に元の世界での記憶が流れる。確か何かのテレビ番組とかの話で、光は音よりも速く先に届くことにより雷が光った瞬間と実際に音が届く瞬間にはずれがあるとかいう話であった。
それを利用して、雷と自分との距離が分かるというのがあったが、いまさっき鳴った雷はほとんど同時であった。
――――雷は自然に発生したものでは無く、その上非常に近い場所で発生した。
誰がやったのかなどと考えている場合では無かった。
抱えている荷物をその場に置き、全力で馬小屋へと向かう。
目的は自身の武器である。何が出てくるにせよ、依頼がある以上逃げる訳にもいかず、さりとて隠れる時間もあるかどうか怪しい。ならば、まず戦闘の態勢を整える方が先だと考えた。
都子の方は荷物を足元に置き、懐から魔導書を取り出していた。
どうやら、まだ警戒の魔法からは反応を示していないようだ。
手を払うようにかざし、戸口を開く。
馬小屋の戸に立てかけてあった恭兵の背程ある布に覆われたものを掴み、翻るように外に出ると、
――――大きな獣の雄たけびと共に林の方から何かが向かってきている。
雄たけびと呼応するように木々が倒され、段々と近づいてくるのが分かる。
恭兵は都子の方を見ると、彼女も彼を見ていた。互いに頷きあい、柵の向こう側の林へと再び視線を投げる。
何かが来るのは明らかであった。
そして、林を突き抜けて来たそれは鈍い金属の肌を身に付け、槍のように鋭く大きい牙を口の端から飛び出たせた獣、鉄で出来た巨大な猪であった。
まず一話を見ていただきありがとうございます。
続きは一週間以内に何とか投稿していきたいと思うのでよろしくお願いします。