第一話 始まりの異邦人 / クライマックスフェイズ 7:忍者は視界で踊る
すいません、前回の更新予告を一日過ぎてしまいました。
何とか書き上げたので、ご覧ください。
自称、加藤佐助は忍者である。
その生まれはかつて、相模の国と言われた現在は神奈川県にある山奥の村である。
その村で先祖代々、密かにあるものを伝え続けていた一族の一人息子として生まれ落ちたのだった。
他の村人さえ実態どころか、噂すら知る由も無くひっそりと伝来されてきたもの、それこそは、
――現代に受け継がれし、忍びの業であった。
忍者自体の存在は世間に広く知れ渡っており、古今東西から昨今まであらゆる創作物に登場し、その存在を知らぬ者は国内にはほとんど居らず、また、広く外国まで知れ渡っていた。
今ではその術を隠すことなく、所謂文化遺産のような形でその門戸を広く開けており、その気になれば誰にでも道場に通い忍術を学ぶことが出来るだろう。
では、佐助の家に伝わるものも同じであったのか、そう問われれば違うものである。少なくとも佐助自身はそう答えることになるだろう。
とは言え、自分が使う忍術と一般的にそう呼ばれ、また学ぶことができるものはまるで違うと言い切るわけでは無かった。
あれらは確かに古くは戦国の世や江戸の闇を駆けた忍びが扱ったものも含まれており、佐助に伝えられた流派にも共通した術や技は存在している。
しかし、それら違い佐助が受け継いだ術には殺傷性が高いもの、つまりは容易に人を死に至らしめるものが含まれていたのだ。
勿論、こう言ったものも他の開かれている流派には伝えられていてその危険性故に表ざたにはされない、或いは時代を経て忘れ去られてしまったのかも知れない。
ともあれ、佐助には確かに時代の影に生き、動乱を暗躍した術が引き継がれていた。
その流派の名は相模風魔流と呼ばれていた。
風魔流と言えばかつての戦国大名、北条家に代々仕えていたとされる風魔小太郎などが有名となっている。
佐助が受け継いだ相模風魔流はその風魔流の流れを汲んだものとされているが、それも定かでは無く、佐助に忍術を仕込んだ祖父曰く、場所にあやかって付けたものであると代々伝えられてきていた。
縁も無くば、所縁も定かでない忍術の流派、その上世間にその存在を知らせないようにひっそりと伝えられ続けているその忍びの流派、実態も無いそれに佐助自身も幾度かこれは忍びの術なのだろうかと疑問を持ったことが何度もあったが、それでも祖父に身に付けさせられた術は確かに世から隠れ、自らの使命を果たすための物であったのは確かであった。
まさに正体不明の流派だったが、忍びの技が異世界に迷い込んだ佐助を助けたと言っても過言では無かったのだ。
――自称、加藤佐助は異世界グゥードラウンダ唯一の忍者である。
◆
廃坑道の暗闇の中、明かりとなるのは恭兵の手から零れ落ちた、赤い大剣が放つ光のみであった。
異形は、《精神観応》越しではあったが、苛つきを周囲にまき散らし、眼前に現れた黒衣の獲物に向けその両腕から生やす十の指触手を振り回した。
鋼鉄の鞭を思わせるそれら十の触手はよくしなり、空気を裂いて風を纏わせながら、佐助へと殺到する。
一瞬にして放たれたものというには、正確な触手の操作で佐助を的確に包囲しており、虫網に捉えられる虫の如く、次の瞬間には佐助が触手に捉えられることは誰でも想像に難くない。
しかし、触手の包囲網に応じて佐助は既に動いていた。
いつの間にかその右手には逆手に短剣が握られており、向かってくる触手の内、最も早く自身へと到達するものに対して佐助は飛び込み短剣を当てる。
――金属同士がぶつかる音が部屋に響く。
一瞬後に佐助が居たはずの場所へと殺到する十からなる触手の群れは地面を砕き、土と石を巻き上げ、砂埃を形成した。
その破壊力たるや生身の人間であれば骨は砕かれ、肉は引きちぎられることは間違いないであろう。
だが、十の触手のいずれもが肉を討った感触を異形へともたらさなかった。手応えを感じない。
異形の魂を探る機関が、この場にいる魂の存在を訴えている。獲物は生きている。
しかし、その場所が分からなかった。
黒衣の斥候は攻撃を避け、生きている。それが異形の結論だった。
包囲し、確実に攻撃があたったにも関わらず避けられた。その事実が異形を苛つかせる。
確かにそこに居た、そして反応する間もなく攻撃を加え避ける暇も対処を行う暇も無かったはずであった。
その三眼で周囲を見渡すが、自ら上げた土煙に阻まれ獲物の居場所を探ることが出来ない。
異形は土煙を払うべく、その触手を叩きつけた地面を引き抜き、内から外へと払うように振り回す。
触手が巻き起こす風圧により土煙は払われ、国威の獲物を捕らえたはずの場所が視界に映る。
しかし、そこには人影は無く、撃ち込まれた触手により砕かれた地面があるだけであった。
(恐れをなして逃げたか……姿を現した時にはまたもや不良品かと思ったが)
魂を知覚するが、この部屋にいる生物は自分を除いて
この部屋にいるのは間違い無かった。が、その居場所が特定できない。
異形の苛つきは収まらない。それは耳元には虫の羽音が届くが肝心の虫を捉えることが出来ないでいる心境と同じ物であった。
その気になれば捕まえる事などたやすいはずだった。しかし実際にはそこに居るはずのうっとうしいものを捕まえることが出来ない。
ただそれだけで異形は苛つきを抑えきれずにいた。
異形は必死で目を凝らす。視界には動いている影すら見つからず、部屋を巡らせた触手でさえ触れることが出来たのは割れた地面と石と土のみ。いるはずの獲物はその影すらつかめていなかった。
苛つく異形、既に獲物は逃げ出したのではないかという考えがよぎった時、
その視界の端に黒い布が映り、異形は虫を叩き落とすように鋼鉄を誇る触手を払う。
場所は異形の傍、右側に突如として黒衣を纏った影が短剣を光らせこちらへと攻撃を仕掛けた。
その狙いは異形の頭部、その特徴的な三眼の内、額の第三の目を狙っていた。
しかし、その攻撃が届くより早く、異形の触手は振るわれる。
佐助の後方、人間には視界外となる方向からの攻撃は異形を狙う佐助の視界に映るはずも無く。今度こそ、その体に打ち付けられる。
が、佐助は突如身を翻す。
すでに放たれた触手、異形には翻した佐助に再度その方向を定めることは出来なかったが、その軌道は直撃しないまでも当てて捕えるには十分であった。
飛来する触手、直前に気付けたのはよかったが、わずかに体を翻した程度では、触手を完全に避けることは敵わず佐助に当たり、
――金属音が鳴り響く。
佐助は先ほどまで確かに攻撃へと向けられていた短剣を、身体を翻した反動を用いて引き寄せて背後から飛んできた触手へと当てた。
手首を巧みに返す事で短剣を盾替わりに触手の軌道を逸らして、それでも伝わる衝撃を佐助は短剣の自壊と自ら吹き飛ぶことで受け流す。
逸らされた触手はそのまま何もない地面を砕く。
佐助は異形の懐から脱し、その距離を取るが、一度補足した佐助を異形は逃すことは無い。
残った触手、九本が逃れた佐助へと殺到する。再び作られる触手による包囲網、鋼鉄の網。今度も隙間は無く佐助は囲まれた。
異形は今度こそうるさい虫を捉えたと確信し、それでも佐助は動揺一つも見せることは無かった。
佐助はその場で異形の頭部へと剣身が砕けた短剣の柄の部分を手首の返しのみで投擲する。
忍びの手裏剣術により素早く正確に投げられた短剣の柄、異形は視線を遮るそれを包囲網に加わって無かった最初の迎撃の一本の触手でいともたやすく弾き、再び開かれた視線の先を見る。
そこには黒衣の斥候は存在せず、再び異形は佐助を見失う事となった。
(さて、どうするっすかね)
苛立ちを隠せずに触手を振り回しながら佐助を探す異形、そこから凡そ六メートル程離れた左の後方に佐助は立っていた。
苛立ちにまみれたが振り回す触手が地面をこする音に合わせ足を動かし、異形の三眼の視界から僅かに外れた位置を保っていた。
(風魔流隠遁術奥義、呑牛……やっぱり人間以外に使うのは完璧じゃないっすね)
風魔流隠遁術奥義――呑牛、かつては加藤段蔵と呼ばれた忍びが用いたとされる術で、衆人観衆の中大の牛を一瞬の内に一呑みにしたと言われた忍術である。
その正体は諸説あるが、佐助に伝えられたものはその牛呑みを再現するために作られたものであり、牛呑みの現象を分析した佐助の先祖曰く、呑牛は実際に牛を一呑みにする術では無く、牛を一瞬の内に一呑みしたかのように見せかけて隠した術、何かを隠すという忍者において、隠遁に分類される術である。
その正体は複数の隠形を重ね合わせた上で行われる、視線誘導術である。
通常の隠形、音を殺し、匂いを殺し、気配を殺す。それらを極めた上でも視界に捕らわれれば逃れる術は無い。
そこでその視界から逃れる、否、視界を外させる。これにより完璧な隠形となるのだ。
相手の注意を逸らし、その隙に逃れる、言葉にすれば簡単だが故に難しい術であり、佐助も呑牛を完全に使いこなしている訳では無い。今も尚、極限の集中で綱渡りを行っているに等しかった。
(流石に人間の視界を前提に使う術っすからね。目の構造が違う生き物だと誘導もまた別の方法じゃなきゃいけない……)
異形の触手の動き、触手自体が立てる音に合わせて佐助は足場を変え、動き、時折土を放り、僅かに音を立て、石を異形の視界に映すことで注意を向けさせる。
対象の精神を把握した上で本人の無意識を働かせて視線をどこに移すかを誘導するまさに神業である。
――しかし、この呑牛は完全では無い。
異形の視界は比較的に人間に近いものであるが、しかしそこに額の第三の目の存在が佐助の呑牛による隠形を妨げている。
人間には無い視界、それを二人同時の視線を誘導するやり方を異形一体に向けることで何とか誤魔化しているが、そう長い時間は続けられないだろう。
途切れそうになる前に一度呑牛を解き、攻撃、それにより生まれる隙で再び呑牛に移る。
これにより何とか異形の傍にいるにも関わらず居場所を悟られずにはいるものの、それだけだ。
人間以外に仕掛ける難易度から、隠れている間は距離を保つ程度しかできず、近づこうとすれば集中力がそちらに割かれて異形に見つかる。攻撃に移ることも同様である。
かといって、時間を掛け続ければよいという物でも無いだろう。
何度も続けていればその内に術を見破られる可能性も存在している。そうでなくとも自棄を起こした異形が暴れ続ければその拍子に呑牛は意味をなさなくなる。佐助は隠れているだけであり、実在を消しているわけでは無い。
攻撃が来れば避けるが、それだけで術は解ける。
今は異形が素直にこちらを探しているだけで、次の瞬間には攻撃を仕掛けてきても不思議では無かった。
(……埒が明かないのは確か。このままエニステラを待ち続けても問題は無いが……恭兵から読み取った情報から考えれば、彼女と異形の相性は悪い)
恭兵は、異形の手から佐助が取り返したと同時にこの部屋の唯一の出入り口へと放って、今この場にはいない。
今頃、都子が引きずってこの場から離しているころだろう。恭兵の荷物自体は背負っていた大剣を除けば大したものは無い。女子一人でもどうにか引きずることはできるはずだ。
よって、二人の所に異形を生かせないことも佐助の目的の一つだ。いずれ、安全な場所に恭兵を置いた後に都子もこちらに向かってくる手筈となっている。そこまでの時間稼ぎと、もう一つ。
(異形の情報を《接触感応》を用いて探り抜くこと。撤退するにしても、それが上手く行くのか、それが良い選択となるかには正しい情報がいる。全てとはいかないまでも奥の手は探り当てておきたい……!
)
敵は依然としてその正体は不明であり、戦っていた恭兵の情報でも分かることは少なかった。
分かったのは、この世界の脅威では無いということと、幾つかの能力を有していること、その内の二つ、神聖魔法と超能力を無効化する領域を使う能力と、触手の先端にエネルギーを集めて爆発を起こす能力。
しかし前者は触手を短剣で迎撃した二度で、短剣を通した《接触感応》により異形の思考を問題なく読み取ることができた。そして、一瞬の交錯で読み取れた情報から、異形は無効化する領域を使うことができるのではなく、エネルギーを吸収することで無効化するという能力であることが判明した。
また、これをリッチに付与していた様子から遠隔で使えるようだが、そこについても違和感が生じる。
恭兵の考えでは、どうやら自身が触手を自在に操る都合上、その領域は異形の身体の表面にしか作用が出来ないということのようだ。
(神聖魔法も、恭兵の超能力もある種のエネルギーを放つ、というもの。つまり、唯読み取るという俺の能力は無効化されないということか……だが、それでももう一つの能力を使われるのはまずい……)
恭兵から得た情報にあったもう一つの能力こそが、佐助の鬼門であった。
第一のエネルギー吸収能力で得たエネルギーを利用して放つ、爆発。あの縦横無尽にして高速で放たれる触手を完全に避けるのは至難であり、そこにエネルギー爆発を織り交ぜられれば、完全に逃げ場は無い。
(そもそもの触手が早いのに加えて、恭兵との戦闘に続いている所為で警戒心が高い……油断した隙を突く……油断するまで時間がかかることはたしかか……今にでも爆発を使われればまずいな)
いくら隠れた所で爆発の猛威にさらされれば同じことである。
巻き起こる衝撃で、隠形どころでは無くなり、そのまま触手に囲い込まれた上で叩きつぶされるのが佐助には容易に想像できてしまった。
(それに加えて、まだ何か隠している……取り敢えずは爆発をださせないように、定期的に攻撃を加えつつ情報を探るしかない……これならまだ逃げた方が良かったっすかねえ)
思考の中でぼやきつつも都子の決意を見た後で自分だけ逃げる程、佐助は合理的にすべてを切り捨てることは無かった。
そう考えている内に、佐助の思考の内側からある思考が浮かび上がってくる。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。
消極的かつ自己本位、視野が狭く、兎に角目先の自らの命を優先するように思考が働くが、それを意識してコントロールして冷静さを取り戻す。
(これも、異形と対面してから、いや奴の食事後を見てからっすかね。何時の間にやら暗示が掛けられていた、と考えられるのが常っすけど……何時植え付けられたのかがまるで分からないとなると厄介っすね。恭兵君にもかけられてたみたいでしたし)
忍者となる上で必要とされた自己の精神の掌握、突発的な事態にいつでも対応できるように丁寧に仕込んだ自己暗示のおかげで、佐助は思考の混乱を抑えることが出来ているが、それでも思考に混ざること自体を止めることは出来ないでいた。
これが起きるようになったことと、その思考が”異形から逃げる”という方向性となることから、異形との関連は必ずある。
恭兵も同様な現象に襲われていたことから恐らく”迷人”に共通するものであると考えられる。
今の内にこの秘密を解かなければ、いずれここへ来る都子が異形と対面した瞬間にパニックを起こす可能性が高い。恭兵は何故か衝動を押さえつけたようだがそれが都子にも通じるとは思えない。
(前途多難っすねえ)
佐助は一度思考を打ち切ると、思考を沈め、呑牛が解ける時間ぎりぎりまで情報を集めるために視線誘導を続けながら、観察を続けることにした。
一方の異形は、苛つきを抑えられずにいた。
先ほどの不良品と同様にここにいるはずの餌も逃げ出しはしないでいる。
魂の反応から、確実にこの部屋にいることは分かっている。
異形の魂を探る感覚を誤魔化す類の能力を持っている可能性が青白い禿頭の脳裏をよぎったが、それならば先ほどの不良品を囮に出す意味は無いのでその可能性は捨てる。
或いは、姿を隠す能力かとも考えたが、それならば攻撃の瞬間に姿を現す必要も無いだろう。
では、周囲の地形と一体となる能力はどうだろうかとも考えるがここまで触手を部屋中に張り巡らせて尚、分からないのではそれでは無い、と異形は結論づけた。
隠れる餌を探して捕まえる。異形は一度となくやったことである。
異形への恐怖におびえ、持ち合わせた能力を持ちいて命を懸けて逃げ、隠れする餌を見つけ、その努力と自慢の能力を無為にすることは良い愉悦を覚えたが、今回のそれはどうも気に入らなかった。
不良品は唯しぶとかった分、まだ痛めつけ弄る愉悦を得られたが、これはうっとうしいとしか言いようがない。
姿を隠した黒衣の餌の目はあの不良品同様に恐怖に怯えたものでは無かった。
ただそれだけの事実が異形を苛立たせる。
常に上位の立場から見下ろすように狩りを楽しむのでは無く、純粋な戦闘として行われているという事実が苛立ちを引き起こしているのだと結論づけた。
この苛立ちを抑えるためにも速やかに、隠れ、這いまわる虫を踏みつぶさなければならない。
《爆発触手》を使いエネルギーを消耗する訳には行かない使うのであれば、確実に視界に捉えてからである。かと言って、残る三つ目をただ餌をあぶりだすために使うのはプライドが許せない。
遠くで何かが崩れる音が響く、その発生源は確実にこの部屋まで迫ってきているようだ。
恐らく聖騎士がこちらに合流しようとしているのだろう。
未だに能力が分からない虫に加えて聖騎士を相手取る訳には行かない、これ以上時間を掛ける余裕はないと異形は判断した。
異形は三つの目を操り、黒衣の餌を探し続ける。
その目で捉えた瞬間に迎撃するべく、触手は常に緊張を保つ。
次にこの目に映った瞬間が、獲物の最後である。
その瞬間を想像すると異形の苛つきは僅かに治まるのであった。
(もうか。誘導が解ける間隔が短くなっている……)
佐助が観察を続けている内に、異形への視線誘導が甘くなり始めた。
視界の端にわざと映ることで、こちらも視界を意識しつつ、その視線を誘導することが出来るが、綱渡りでしかない。
直ぐに攻撃に移る。
思考を直ぐに切り替えて、袖から隠し持った短剣を抜く準備をしながら、狙いを定める。
触手は鋼鉄に等しい強度を誇る。極まった達人は鋼鉄をも断つというが、今の佐助にそのような技は不可能である。
やはり、呑牛を維持するにも目を削る、というのが得策ではあるが、それも先ほどの攻撃で見破られている。
(打診、からの点崩か……上手く体の構造を読み取れればよし、読み取れなくてもその情報を抜きだせばよし、と。二撃目は狙わず余裕が見えたら……打つ。取り敢えず二段構えっすかね)
サバーシヤ流見透術――打診、異世界グゥードラウンダで佐助が習得した術。
それは拳を打ち込み、それによる触診で生物の構造を把握し弱点を見つける打撃技である。
戦闘経験が無い、或いは情報を持ち合わせないモンスターに対して用いられるこの技、本来は幾つもの攻撃を重ねてモンスターの急所を探る技であり、達人であれば初見のモンスターの急所を一撃で見破ることができる。
佐助は、これに《接触観応》を用いることで一撃での身体の構造の把握を行うことを可能とする。
そして、風魔流の当て技の一つである点崩、本来は人間の背骨を支える仙骨に打ち込み、脱臼を意図的に起こすことで下半身の行動を不能にさせる、その名の通り点を打つことで相手を崩す技である。
点崩は対人用の技であり、その仕様上、人体の構造が明かされる人体が対象とされる技であり、通常はモンスターや亜人類種、ましてや目の前の異形に通用するはずも無い。例え人体に用いるのであっても、人によってその骨格は様々であり、高度な人体の把握が必要となる。
しかし、打診を予め打ち込むことでその肉体構造を把握し、下半身を支える部分へと打てばどの生物にも通用させることが出来る一撃になる。
異形の身体を観察するが、その軟体生物を思わせる外見に反して、その体幹は骨格が伴ったものと思える。
当てる場所さえ把握出来れば、点崩を決めることが出来るだろうと、佐助は判断した。
(二撃決殺、態勢を崩して勝負を決める……というには触手が大分邪魔っすけど、あからさまな急所は確実に迎撃される。まずはこれを打ち込むことに専念するっす)
短剣を右手で逆手に持ち、眼前に構える。その役割は触手による攻撃への盾と、打診を打ち込むための囮。
本命は右を意識しないように硬く握らず、軽く構える。
空中ではろくな身動きが取れない、足は飛び上がらずに地面を駆けるようにする。
触手がうごめく音に合わせて、息を吐き出し、一気に吸う。まだ呑牛はまだ解かれていない。
視界内に入ることで再び呑牛をかけることを可能とする必要がある。
三度目の死界への侵入、異形は佐助を捕え次第、攻撃に移るだろう。
その反応速度は尋常では無い。まして、異形から伝わってくる緊張感、先ほどの反応を越えてくる想定をするのは間違いでは無いだろう。
――音を立てず、匂いをださず、気配は漏らさず、殺気を殺して、機を図る。
異形の触手が石を崩す音を、僅かにその視線をこちらから逸らした瞬間を、異形へと向かう道の選択肢を、その目で捉えて逃さない。
そして、佐助は三度、異形の視線上へと躍り出る。
崩れた足場を崩さず音も無く、されど最速で辿り付くように蹴り、異形へと踏み出す。
僅かに外れた視線、最後の視線誘導は佐助が動き出したことで切れ、風魔流隠遁術の奥義、呑牛はその効力を無くす。
それでも、最後に施した視線誘導が稼いだ時間は僅かに残っている。例え刹那のそれであろうとも、唯距離を近づけるには十分であった。
異形へと至る道は三つ、一つは触手を掻い潜っていくもの、一つは異形の背後へと回るもの、残る一つはこのままの直進する最短のもの。
佐助の選択は三つ目の最短経路。
時間を掛ければそれだけ危険性が増す。飛び込むならば他の選択肢はやや消極的であり、一撃を加えるには届き難いと判断した。
そして、二歩目へと右足が地面に接した瞬間、音もたてず、違和感を出さず、最速の一歩を作る踏み込みを意識して、
異形の三眼がこちらを捉えた。
今まで部屋中の空間を探っていた触手は、それまで保っていた緊張を全て解き放ち、うねるように佐助へと殺到した。
これまでのような鋼鉄の鞭のように振るわれた動きでは無い。
例えるならば蛇、生き物のようにうごめき、くねりながら各々の最短かつ、その複雑な動きは拍子を外したものであり、これまでのように一度に殺到するものでは無い。
生半可な回避では、触手を一つ避けた所で、次が来る。
その目的は一撃で確実に仕留めるのでは無く、捕えることに特化した物。つかんだ故に逃さない。二度と視界から逃れることは敵わずに締め落とす。それが異形の狙いである。
しかし、いくら拍子が外れた動きを作ったとしても、それを操るのは異形自身であった。
蛇行して迫る触手は鞭のように振るわれなかったために、その反応に反して、速度は遅い。
とは言え、得られたのはまたもや刹那だった。
けれども佐助が反応し、どのように対処するか思考するにはそれで十分だった。
描いていた異形へと至る道を素早く棄て、新たに作り出した道を踏み出した。
大地に踏み込んだ二歩目、次に赴くのは前でも後ろでも右でも左でも無く。
佐助は音も無く、気配も感じさせず、土を巻き上げる事無く、ふわりと空中に跳んだ。
両者は時が止まったかのようだった。
佐助と異形は互いに目が合った。
異形は彼ら流に笑みを浮かべたが、佐助の表情はゴーグルとスカーフにより誰にも分からなかった。
――とは言え、佐助も笑みを浮かべたのだろうと、推測することは出来た。
身動きが取れない空中にいる佐助を狙い、触手の群れが向かう。
蛇行する動きにより、異なる速度で襲い掛かり、先ず一本が佐助の足を捉えようと迫り、
その先が佐助の足の裏に触れた。
そして、佐助は三歩目を音も無く、気配も感じさせないように、違和感を起こさせないように踏んだ。
空中を再び浮く佐助、今度は僅かに滞空するだけであったが、最初に到達した触手を避けた。
続いて、二番目に迫った触手を踏み四歩目を、三番目と四番目も同様にして足場と化して五歩目、六歩目として僅かながらに前へと進む。
異形も佐助の行動に気が付いた。
触手の向かう先を、佐助の真下からでは無く、後方から追うように機動を変えたが、佐助はそれを読んだ。
足裏に《接触感応》を極度に集中させて発動。
靴越しの発動に加えて、慣れない手以外の場所の発動、足の裏という感覚が曖昧である場所では、その発動は一瞬かつ得られた情報も僅かなもの、それでも次に迫る触手について知るには十分であった。
六歩目を浮かぶのでは無く、前進のために注ぎ込み、全力で踏みきる。
緩急を付けられた触手はこれに追いつかず、佐助は背後の五番目から八番目の触手を一気に避ける。
残るは正面、異形の本体と自己保身のために備えていた自身を守る二本の触手。
右手からは逆手に持っていた短剣を、体で隠すようにしていた左手にも袖口から手裏剣を三つ程取り出し投擲。
狙いは第三の目、短剣と手裏剣の投擲間隔を開けることで、異形と同様に着弾のタイミングをずらす。
異形は残った二本の内、一本で全て弾くため、佐助自身への迎撃に間に合わない。
残りの触手は一本。その使い道は当然、目前まで迫った佐助への迎撃である。
最後の一本、異形はこれを蛇行した動きから鋼鉄の鞭の物へと戻した。わずかな時間を与えれば再び飛び道具が飛んでくることを見込んだためである。
目的は対象の捕縛、直撃したのちに即座に絡めとる。例え抜け出せたとしても、その場で止まれば、捌いた触手の群れがこちらへと追いつく。
異形は触手をしならせて構える。対処を考える時間は僅か、しかし佐助はすでに決めていた。
打ち付けられる触手を無視して、右手で拳を作り本体の顔面を打つ。
触手はその動きを僅かに止めてその目標を右手へと変更され、鋼鉄の鞭が撃ち込まれた。
佐助には既に拳を打ち込んだ右手を引きもどすことは出来ない。
しかし、右手を囮とすることは可能である。
打撃の途上、中途半端に伸ばされた右腕、その肘を曲げ手首を返す。同時に迫る触手に合わせるように肘を中心に回転させることで裏拳による迎撃が為される。
ピシッ、という音が佐助に聞こえる。
その痛みと感覚から恐らく右腕の前腕骨にひびが入ったのだろうが、気に留めず触れた触手部分に意識を集中する。
(サバーシヤ流見透術――打診)
まず、一撃。
右腕を盾にすると同時に《接触感応》により異形の体構造の情報を抜き出す。
(ほとんど、軟体動物に近いか……。どんな体の構造だ、これが生物として成り立っているのが異常……!)
人間の骨格を支えるような軟体動物の肉、簡単に異形の身体の構造について説明するとこのようなことになるのだが、それでも専門家ではなくとも、点崩を習得するにあたって人体の骨格について把握している佐助には何故これが目の前で生物として活動出来ているのか理解できなかった。
とは言え、ここで硬直している時間は無い。
異形の触手は、打ち込んだ右腕をそのままからめとろうとしていた。
(点崩は無理っすね。でも、額の目を潰せばッ)
佐助は事前に右腕は、囮と盾、本恵美は別と決めてあった。
佐助は右腕を絡めとる触手を空いた左手で掴み、空中での支えとした。
そのまま、腹筋を使い下半身を振り子のように振り上げ。
異形の額へと蹴りを放った。
佐助の靴の先からは、仕込み刃が飛び出す。異形の目の強度は人のそれと同様に刃物で突き刺せば容易に潰す事は構造を把握したときに読んでいた。
異形ははすでに対処に用いる触手は無い。爆発を用いるにも事前動作のエネルギーを集中させる時間が必要となるが、佐助の蹴りが届くのは早い。それに今、触手を通して異形の行動を読むことが出来ている。
確実に額の第三の目を捉えた、佐助がそう確信した瞬間だった。《接触感応》から、佐助に異形の思考が流れる。佐助の脳内が危険信号を全力で発したが、それでも異形の方が早かった。
『第三能力、《恐怖怒涛》』
そして、佐助の感覚から音が消えた。
続きは今度こそ、一週間以内に投稿します。