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灰ノ血  作者: 春色
中央市街地へ
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 灰色の雲と蒸気に覆われた街は、昼夜問わず薄暗いままだ。足元に出来る影の薄さが、空を覆う灰色がどれ程分厚いかを物語っていた。夜になれば街灯が点くようになるからこそ、場所によっては昼間の方が暗いと感じる。吸血鬼は主に夜に活動すると本で読んだが、狼は時間に関係なく彼方此方に現れている。ロゼッタはいつものように狩りを行いながら歩を進めていた。

 遠出することを考えて少し多めに小瓶を詰めた鞄の中から、道案内をするむっちさんの声が届く。中央市街地へ行ったことのないロゼッタは、其処へ続く道をしっかりと覚えている訳ではなかった。むっちさんもむっちさんで、地図は覚えているものの鞄の中から外を見る方法がなく、自分達が何処にいるのか把握しきれない。時折何処にいるのか、目印はないかと問われる度にどうにか場所を伝えると、意外と早く目的地に着きそうだと呟いていた。

 狭い階段や小道を抜け、大通りへ。此処は中央市街地と東の市街地を結んでいる場所だ。西に向かって進めば、中央市街地へと出られるはず。

 他の通りに比べ、幾らか人影は多いように見える。流石は中心地に向かう道だ。それなりに栄えている場所なのだろう。……その人影が、本当に生身の人間であればの話だが。

 物陰から様子を窺えば、大通りを歩く人影は皆、特に目的もなく彷徨っているように見えた。「嘗て人であったモノ」の欠片を手にして徘徊する者もいれば、低い唸り声を上げながら周囲を警戒する者や、壁に向かって一人で何やら話している者もいる。どうやら、意思の疎通が出来そうな者はいないようだ。

 残りの弾数にはまだ余裕がある。銃自体にも、ロゼッタ自身が貧血になる程の血液は供給していない。小瓶の血液を使うことが出来ればロゼッタの体調など関係なく銃を使えるのだが、残念なことにそれでは上手く魔法銃が機能しないのだ。だから動けなくなる前に、必ず血液を飲まなければいけない。

 念の為にと、小瓶の血液を少しだけ口にする。こんな所では悠長にワイングラスなど使ってはいられない為、仕方なく直接口を付けた。鼻腔を抜ける血の匂いを感じると、不思議と意識が覚醒していくような感覚に陥る。緊張と興奮で自然と速くなる鼓動を落ち着かせる為に深呼吸を一つして、物陰からゆっくりと歩き出す。

 近くにいる者から、出来るだけ一人ずつ、そして確実に息の根を止める。レイラの教えを一つ一つ脳内で思い出しながら、銃口を前に向ける。心臓に杭を打ち込まなければ死なないと噂される吸血鬼と違い、狼を殺すのはそう難しくない。心臓を正確に撃ち抜き、破壊すればいいだけだ。動きを止めるだけなら、頭部や足を狙い、使い物にならなくしてもいい。

 無防備に向けられた背中に狙いを定める。ゆっくりとした足取りの狼は、格好の的でしかない。

 渇いた銃声が鳴り響く。一発、二発、三発。躊躇いなく放たれた弾丸は寸分の狂いもなく心臓を撃ち抜き、抵抗する間も与えない内にその命を奪う。レイラに弟子入りして間もなくは狼に対する恐怖や殺すことへの罪悪感を感じていたが、慣れとは恐ろしいもので、今はもう躊躇うこともない。

 無機質な石畳に鮮血の彩りを添えながら歩いていくと、一際大きな壁が現れる。今でも華やかな装飾の残る城門を潜り抜ければ、中央市街地は直ぐ其処だ。

 だが残念なことに意気揚々と進むことは叶わず、ロゼッタは城門の前で立ち止まらざるを得なかった。


「……閉まってる」


 所々錆び付いているものの頑丈な落とし格子は、何人たりともこの先に通すまいとしているようだった。大人の腕よりも太い鉄格子は銃器でどうにか出来る代物ではない。機械を使わなければ持ち上げることも不可能だ。

 周囲に狼の気配がないことを確認してから地図を広げる。ロゼッタの知る限り、東の市街地から中央へと向かう道は此処のみだった。他の道がないか軽く調べてみたものの、残念ながら中央市街地に繋がる場所はこの門以外にないようだ。出入口が一つしかないのは、要塞として機能していた頃の城の名残なのだろう。

 それにしても、中央市街地に繋がる唯一の道が閉じられてしまうとは、余程のことがあったのか。暫し鉄格子を見上げて途方に暮れていると、むっちさんが何か思い出したのか不意に声を掛けてきた。


「なあ、此処の城門からちょっと先までは東の市街地だよな」


「そうだよ」


 この城門の先には広場があり、そこまでが東の市街地に当たると手元の地図には記されていた。広場と中央市街地とは、此処と同じように城門で区切られていると。実際、鉄格子の隙間からは噴水らしきものの残骸や、それを囲うように配置された街灯といったものが見え、少し開けた場所であるのが窺える。


「だったら此処は東の支部の管轄な訳だよな。じゃあ教会に行ったら何かわかるんじゃねえか」


 確かにそうかもしれない。国という統治機関が完全に麻痺している今、各地域を統治しているのは教会のそれぞれの支部といっても過言ではない。東の市街地でわからないことがあるのなら、東の支部に訪れるのが正解だろう。

 教会の東の支部は中央市街地とは違い何度も言ったことのある場所だが、この城門とは正反対の方向に位置している。どちらかと言うとロゼッタの住む廃ビルの方に近く、来た道をかなり戻ることになってしまう。だが、此処で立ち止まっていた所でどうにもならない。

 城門に踵を返し、大通りを逆方向に歩き始める。今更のように物陰から出てきた狼に銃弾を浴びせながら進んでいく。来た時とは別の道へと足を踏み入れると、途端に狼の数は増えた。この辺りでは充分に狩りを行っていないのだろう。昔と比べれば狩人の数は増えたらしいが狼の数に対してそう多くはないだけに、こうして誰も狩りをしていない場所も存在してしまう。だが、教会へ近付くにつれ狼の数は減っていった。流石に拠点付近は徹底して狩りをしているようだ。

 やがて建ち並ぶ廃墟の間から、特徴的な尖った屋根が見えてくる。ゴシック様式の建物は周囲の廃墟より百年以上古いにも関わらず、その荘厳さは全く失われていない。聳え立つ鐘塔と立派なステンドグラスは、全盛期のこの国がどれ程栄えていたのかを窺わせる。ただ、今はその古さ故か廃墟に囲まれている為か、幽霊でも出そうな不気味さを醸し出している。それは吸血鬼の眷族とも言える狩人の拠点としては、正しい雰囲気なのかもしれない。嘗て神を崇めていた場所が、同じ組織名でも闇側の存在に使われているというのも皮肉な話だ。

 皆出払ってしまっているのか教会の前に人気はなく、聖堂への扉も固く閉ざされている。自分の背丈の何倍もある重い扉をどうにか押し開けると、蝶番の軋む音が響いた。全部開けることは難しい為、最低限だけ開いた扉の隙間に身体を滑り込ませるようにして中へと入る。物音からロゼッタの存在に気付いた男性が一人、彼女の元へと歩み寄ってきた。


「お疲れ様でございます、小さな狩人様」


 教会の定める黒い装束に身を包んだ聖職者は、幼い訪問者にも恭しく頭を下げる。教会の関係者は皆揃って、血とは無縁そうな柔らかく上品な物腰で聖職者らしい装束を纏う。東の支部を担当する彼もまた、どの狩人に対しても敬意を持って接するのだ。白髪混じりの頭や微笑むと目尻に皺が寄る所を見る限り、彼はそれなりに、少なくともロゼッタよりは長く生きているはずだ。……吸血鬼の眷族となった時点で見た目は殆ど変化しなくなる為、あくまで参考程度の年齢にはなるが。

 ロゼッタがこの教会を訪れる度にレイラのことを尋ねているからか、申し訳ないが今日も彼女に関する情報はないと、聖職者は残念そうに告げた。


「……今日は、別の用事で来たの」


 いつも通りの遣り取りを終えてロゼッタがそう告げると、不思議そうな表情を向けられた。専らレイラに関することしか尋ねてこない少女が珍しく口にした言葉に、思い当たる節もないのだろう。


「中央市街地に行きたいの。でも、城門が閉まってたから……」


 理由を知らないかと問えば、聖職者の表情は途端に曇る。ロゼッタに目線を合わせる為に屈んだ彼は、申し訳なさそうな顔を向けてきた。


「申し訳ありません。今は誰も通す訳にいかないのです」


「どうして?」


 ロゼッタが首を傾げると、聖職者はこう言葉を続けた。

 今から一週間程前に、中央市街地側に少々厄介な狼が現れたのだ。正しく獣の狼ような顔に大きな口と鋭い牙を持ち、その身体は分厚い毛皮に覆われている。両腕の爪は牙よりも更に鋭利で、捕らえた獲物を容赦なく引き裂くという。

 その存在が確認された時点で腕に自信のある狩人達が次々と狩りに挑んだものの、対峙してはなす術なく戻ってきた。無事に逃げ延びた者はまだよかったが、逆に狼に狩られてしまった者も少なくはなかった。

 腕の立つ狩人ですら手も足も出なかったのは、この狼の纏う毛皮が鋼よりも硬く、刃物による攻撃を一切受け付けなかったからだ。

 狩人の多くは剣や斧といった刃物を好んで使っている。刃の部分に血水晶を埋め込む、或いは血水晶そのもので刃を形作ることで、獲物を斬る程にその威力は増していくのだ。逆に言ってしまえば、血を流さない相手にはなまくらでしかない。この狼に対しては、余りにも相性が悪かった。

 辛うじて鈍器による攻撃は通ったものの、止めを刺せるまでには至れなかった。心臓を潰そうにも、大きな身体が障害となったのだ。

 現時点で狩る方法がないからと言って、このまま野放しにする訳にはいかない。方法を模索する為の時間稼ぎとして、どうにか中央市街地と東の市街地との境界にある広場に追い込み、閉じ込めることにしたのだ。何かあっては大変だからと、広場には誰も入れないようにしている。中央市街地と東の市街地とは完全に分断されてしまった形だが、支部とは言えどちらにも教会は存在する為、其処まで大きな問題はない。


「方法が見付かるまで、暫しお待ち頂けますか」


 目の前の少々は答えないまま、眉間に皺を寄せた。頑固な性格の彼女が二つ返事で了承するとはそもそも思っていなかったものの、何人もいる聖職者の一人でしかない彼にはどうすることも出来ない。広場への城門を開けるには中央市街地側の許可も必要になり、此方側が勝手に開ける訳にはいかないのだ。たった一人の狩人、それも幼い少女の為に簡単に許可が下りるとも思えない。

 時間が解決してくれるのを待つように諭されても、ロゼッタは一向に首を縦に振らない。一年も東の市街地で大人しく待っていたのだ。これ以上待ちたくないという気持ちの方が強かった。


「それ程までに急いで中央市街地に行きたい理由があるのですか?」


「……レイラ様を、捜しに行きたい」


 敬愛する師匠の名前を出すと、聖職者の微笑みが少し引き攣った。レイラのことを口にすると、狩人や聖職者の殆どがこんな表情をする。長いこと狩人として生きているからか、彼女に頭が上がらない者も多いとの噂を聞いた。冷静そうな表情を無理矢理作ってしまうのは、それが理由だろう。

 師匠が戻ってこない、行方について情報も得られないのなら、自分から捜しに行こうと思うのは当然だ。この一年間でのロゼッタの活躍ぶりも知っている。だが、幾らレイラの弟子とは言え簡単に通す訳には――ロゼッタの目から見ても、聖職者はかなり困っている様子だった。自身の我儘で困らせてしまうことには、流石に罪悪感を覚えた。幼い少女を猛獣の檻に放り込めと言っているようなものなのだ。彼女の身や非難の声が上がることを案じるのも頷ける。


「貴女にもしものことがあれば、レイラ様が悲しむでしょう。今回だけは、わかって下さい」


 レイラの名を口にされてはどうしようもないのは、ロゼッタも同じだった。渋々頷きながら聖職者を見上げると、彼もまた複雑そうな面持ちであった。

 どうにか自分で城門を乗り越えなければいけないようだ。何処かから登るか、或いは壁や落とし格子を壊す手段を探すか。踵を返しながらそんなことを思案し始めたロゼッタの背に、不意に思い出したかのような聖職者の声が投げ掛けられた。


「そう言えば、城門の壁が一部崩落しているとの報告を受けました。子供一人がやっと入れる程度の穴が空いているそうですが……危険ですから、行かないで下さいね」


 彼の言葉の意味を少し考えてから、ロゼッタは頷いて足早に外へと向かう。扉の向こうに少女の背中が消えるのを見送ってから、聖職者は溜息を落とした。

 ロゼッタと入れ違いに教会に戻ってきた若い狩人の一人が、聖職者に近付いて声を掛ける。彼も先程から会話を聞いていたのだが、狩人の味方である聖職者の言動に疑問を感じていた。嬉々として教会を後にした少女の姿が無惨なものにならないか、心配ではないのかと。


「よろしいんですか? あんなことを言っては……」


「ええ、行かれるでしょうね。間違いなく」


 やはり先程の言葉は確信を持った上で放ったのだ。忠告ではなく、彼が許可出来る唯一の方法として。

 表立って立ち入りを許可することが不可能である以上、ロゼッタが忠告を無視して勝手に入ってしまったことにする他に方法はなかった。彼女もそれはわかっているだろう。自ら危険に飛び込むのなら、その身に何が起きても自己責任なのだから。

 一方で、微かな期待もあったのだ。彼女の武器は獲物の血に影響されることなく扱えるもの。他の狩人には不可能でも、彼女の武器なら攻撃が通る可能性はある。それに、彼女一人で東の市街地に残しても問題ないとレイラが判断したのだ。いや、レイラだけではない。彼の上役である教会の長ですらロゼッタの強さを認め、注目しているという噂だ。そんな彼女なら実力は充分にあるはず。もしも本当に危ないと判断すれば、直ぐに引き返すだろう。


「私が一番心配しているのは、レイラさんがこのことを知った時のことです」


 想像してしまったのか、若い狩人は微かに身震いしながら耳打ちしてきた。彼にとってはその辺を彷徨く狼や他の狂人達よりも、弟子が絡んだ時のレイラの方が余程恐ろしいのだ。

 そして、聖職者にとってもレイラの存在は同様のものだった。


「……呉々も、ご内密にしていただくようお願い致します」


 早くもロゼッタを送り出してしまったことに後悔を感じながら、彼は苦笑混じりにそう口にするしかなかった。

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