カルチャーショック
どれぐらい歩いたか分からなくなって随分時間が経った気がする。それでも日は暮れてないのだから、せいぜい数時間しか経っていないのだろう。
ハナはといえば相変わらず色んな事を話してくれている。まともに相槌を打つことも出来なくなって「ああ」とか「うん」しか返せていない俺に嫌な顔一つしない。明るく元気でいい子だと思う。
だがもういい加減限界だ。そろそろ本気で休ませてくれ。
休憩したいと言うたびに「もう少しだよ」という言葉に何度俺が騙されたか。今時こんな言葉に騙されるのは子供でもいないだろうと思うが、ハナの一点の曇りもない瞳を前にしてそれは無理だった。ただ俺とハナの身体能力に天と地ほどの差があっただけで、ハナにしてみればもう少しなのだ。
俺は年甲斐も無く懇願した。休憩させてくれと。
ハナはしょうがないなーという顔をし、ちょっと探してくると言い残し近場の木に登り始める。だが俺が腰を下ろし靴を脱ぎ始めた時には、その両手には果実を持ってもう戻ってきていた。
ありがとうと果実を受け取った俺は、口に頬張りながら木を見上げる。しっかりとした太い幹に緑で多い茂る枝。ハナが指差して教えてくれるが、どれだけ目を凝らしても実がついてるようには見えなかった。
食べ終わり一息ついてると、ハナの耳がピクピクと動く。何も居ない森に向かって「おーい」と声をあげ大きく手を振り走り出す。向かった先に人影が見え、ハナよりは年上と思われる獣人が居た。
慌てて靴を履き立ち上がると、既にハナは俺の元に戻って来ていた。
「しとさま連れてきたって教えてきたのー」
先触れを出してくれたのかと思ったが、得意気な顔で笑うハナを見て、自慢したかっただけかもと思い直す。
「あそこがハナのおうちー」
指を差す方へ手を引かれ、視界の悪い森の奥へと進むと急に開けた場所へと出る。そこには小さいながらも、整然とした田園風景が広がっていた。
「ふぁー……」
都会生まれ都会育ちの俺には、田舎と呼べるものが無いにも関わらず郷愁を感じさせる見事な景色。綺麗に映える緑に呆けている俺を余所に、ハナは「あれ、あれがおうち」と俺の手を引っ張り自分の家アピールに必死だ。
ハナさんや。いくら俺が懇願したとはいえ、村の目と鼻の先で休憩取らんでもええんちゃうかなぁ……と呆れてしまった。
ハナに案内され田畑を抜けると、これまた整然とした街並みが俺を迎え入れた。
「すっげー……」
俺は獣人に勝手なイメージを持っていたようだ。良くて作れてログハウスのような物を想像してただけに文明の高さに唖然とする。
電柱や街灯といったものは無いが、街路樹が等間隔に植わっており、白く四角い2階建ての家がそれに沿うように綺麗に並んで建っている。家の壁は砂漠地方なんかに見られる泥や土で塗り固めた物かと思ったがどうやら違う。まさかコンクリート? 歪み無くまっすぐ建つ壁には、嵌め殺しの窓が見えガラスが用いられている。扉もしっかりとした頑丈な物で、ただの木製の扉ではないようだ。
まるで都市開発シミュレーションゲームのような街並みや、今にも屋根を取って「ハーイ」と言い出しそうな見事なヘーベルなハウスにカルチャーショックを受ける。いかに自分が「異世界は文明の遅れた世界」だと偏見を持っていたかを思い知らされた。
元居た住んでいた地域よりも綺麗な街並みに愕然としている俺を、お構い無しに手を引っ張り家へと招き入れるハナ。
扉をくぐると6畳程の広い空間に迎えられる。靴が綺麗に並べられ、片隅には農耕具などが置かれていた。ハナは段差のある玄関を汚れた足のまま上がり「おかあーさーん」と奥へと走り去ってしまい、俺はぽつんと放置される。さすがに他人の家にずかずかと上がりこむわけにもいかないので、ハナが帰ってくるのを待つ。
「また裸で~、外行く時は靴ぐらい履きなさい」
ハナが怒られているようだ。どうやら全裸は良くても靴は履いた方がいいらしい。理由は多分家の中が汚れるからだろう。母親らしい理由だと思う。
間もなく奥からハナが大人の獣人女性を連れて出てきた。
俺は相手を見るや否や頭を深々と下げ嘆願する。
「初めまして。私はアシヤ サヤヒトという者です。とある事情で命が危ない所をこちらのハナさんに助けていただき感謝しています。ただ右も左も分からない為、ご迷惑とは思いますがお願いです、助けて頂けないでしょうか?」
何か考えていたわけでもない。とっさに出てきた言葉使いに失礼は無かったか、頭の中がぐるぐると回り不安になる。と同時に今更ながら気づく。
あれ? 言葉が通じてる?
あまりにハナと自然に会話していた為、異世界語のことをすっかり忘れていた。話すのも聞くのも違和感が全く無いので、『翻訳』が発動してるかどうかは判断がつきにくいが今のところはこれで良しとしておこう。
問題があるとしたら礼儀のほうかもしれない。とっさに頭を下げたが、もしこれが異世界ではとり返しのつかないもの凄く失礼な態度だったとしたら、俺は……。ヤバイ、どうしよう。どうしても悪い方へ考え不安になってしまい焦る。
そんな俺を、しゃがみこみ不思議そうに見上げるハナ。三角に開いた口が可愛い。
顔を上げると大人の獣人女性も不思議そうに俺を見つめていた。
女性の風貌といえばハナと同じように全身を毛で包まれており、色はハナと違って艶のある黒だ。髪は胸の辺りまで伸び毛先の方は少しウェーブがかっている。身に着けているものはキャミソール1枚だけで、豊満な胸がゆとりのあるキャミソールを持ち上げお腹の辺りに空間を作っている。思わず見事な胸に目が釘付けになりそうになるも、ぐっと堪える。堪えたはず。……うん、男の性に逆らえなくてもしょうがない。
「私はハナの母親でミツと言います。大変だったでしょうに、どうぞこちらにお上がりください」
ミツと名乗った母親は、話し方から雰囲気がハナとは違っておっとりとしていて可愛らしい感じだ。
俺の言葉を疑ってないのかすんなり家に上げるミツさん。こんなにいとも容易く信じられると気味が悪い。
俺は靴を脱ぎミツさんに案内されるままリビングに通された。
室内は広く綺麗な刺繍のタペストリーで装飾され、木材の家具が配置されている。座るソファーやテーブルはしっかりとした作りで、絨毯も高そうな雰囲気があって踏むのを躊躇してしまうほど。
俺の暮らしていた部屋よりも温もりがあってオシャレな部屋になんだか納得がいかない。
立ったままだった俺は、ハナに促されソファーに座る。横に座るハナが嬉しそうに笑いかけてくるのが可愛かったので、思わず頭を撫でてしまった。
撫でていて気づいたが、よく見ると結構ボサボサ。テーブルに置いてあったクシで髪をといてやると、嬉しいのだろうが尻尾がブンブンと邪魔をする。
ハナの毛づくろいをしていると、ミツさんが淡い青色のマグカップに飲み物を入れて持ってきてくれる。ハナも慌てて自分のコップを持ってきて俺の横に座り直す。
「ありがとうございます。わざわざすみません」
礼を言いマグカップを受け取ると、凄く冷たい。……魔法だよな? まさか、冷蔵庫や水道完備ってことは……。
口をつけると爽やかなお茶の味がした。
「早速ですが、私の現状を説明しますので聞いていただけますか?」
ミツさんの雰囲気からどうしていいか分からない様子だったので話を切り出す。
自分が転移させられ、帰る方法がわからず行く所もないということ。落ち着くまでこの村で生活させてほしいこと。そのためにも村のリーダー的立場の人がいるなら話を通してもらいたいということ。
一通り説明し終わり、この村で当分生活させてもらうことを考えたら今日中にでも村長に話を持っていってもらいたい、と考えていたら扉が叩かれる音が聞こえる。
「ミツさん! ブランディです! 開けてください!」
ミツさんが「ちょっと失礼します」と玄関へ向かい連れてきたのはエルフ、しかもダークエルフだった。
ダークエルフは黒髪ロングに長い睫毛、長く尖った耳に褐色肌な恵体で……と、言葉にするとただの黒ギャルセクシー女優の風貌だが、なおそれら全ての印象を台無しにする服装に目がいく。それ、甚平だよね?
ダークエルフはジッと俺を値踏みすように固まっていたが
「お初にお目にかかります。私はこの村の村長をしているエルフ族のブランディと申します。使徒様の来訪と聞き馳せ参じました」
ブランディは俺を前に片膝をつき、ソファーに座る俺を見上げる。
ハナの言っていたブランディは先生だったはずだが……別人でなければ、もしや村長が兼任しているのか?
「初めまして、アシヤ サヤヒトと申します。使徒様が何者か存じ上げませんので、詳しく教えていただけませんか?」
「はい、使徒様とは過去に神より使わせられ、勇者や賢者と呼ばれた者達のことでございます」
うーん、ニュアンスからすると使徒よりも御使いという方が正しいのでは? なんて思っていると
「ケンジャー?」
ハナが首をコテンと横にかしげ聞いてきた。勇者は知ってるが賢者は知らないのかな?
ハッと気づいたブランディは「申し訳ございません、ここでは何ですので場所を移させていただけませんか?」と言うので席を立つ。
当然のごとく付いてこようとするハナをミツさんが諭し引き離す。どうやら子供には聞かせたくない話のようだ。
外に出るとかなりの数の住人に囲まれていた。皆目を輝かせ、その視線は俺に注がれる。ちょっとどころかかなり怖い。
ブランディが衆人に解散するよう命じている間に、ミツさんにお邪魔しましたと挨拶し別れを告げる。後ろから恨めしそうな顔で見つめくるハナに「また会いにくるからね」と言うと納得いかない顔でしぶしぶうなずいてくれた。
ブランディに先導され街路を足早に歩く。
歩きながら村の説明をしてくれ、どうやらこの村の全体像は東西に広がる楕円形をしてるらしい。北に商工区画、東西にそれぞれ居住地域を含む農業区画、南に学校等を含む研究施設。ここは東の居住地で、南の施設にブランディの家があるのでそちらで話の続きをしてくれるとのこと。
説明を受けながらキョロキョロと街並みを見渡す。白く四角い家でデザインを統一された居住区。ブランディいわくどうやら上下水は完備されてるらしい。道は歩道と車道に余裕を持って分かれていて、歩道はレンガ調に、車道はアスファルトのような物で舗装されている。時折馬車が走り去る姿が見られ活気づいている。
足早に歩いていたブランディが居住地とは違って一際大きい3階建ての建物の前で足を止める。
中へ招き入れられ俺は驚愕した。室内は3階まで続く吹き抜けで天井は高く、両サイドには各階に本棚が規則正しく並んでいる。まるで『世界の図書館』で画像検索すれば出てくるような美しい図書館そのものがそこにあったからだ。
奥の扉へと続く長い絨毯を、ブランディの後から恐る恐る歩く。
扉を潜りアンティークな調度品の並ぶ応接室に通された俺は、ソファーに座り大人しく待つ。高級品とは縁がなくドレスコードが必要な店にすら行ったことが無いので、場違い感が半端なくあまりにも高級感溢れる室内に萎縮してしまう。
ブランディが「お待たせしました」とお茶を用意してくれ持ってきてくれた。
そして萎縮する俺を前に、ブランディは気にも留めず話し出す。
「聞きたいことが色々ありますでしょうが、まずは先程の使徒様の件から話させていただきます。まず最初の使徒様は今からおよそ1000年前に現れました。」
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