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01 私を騙る話




 夢。

 


 目が覚めて一番最初に思ったことはそれだった。


 なんだ……夢か。

 嫌な夢を見たものだ。


 私を突き飛ばした手の感触、

 階段を踏み外した時の浮遊感、

 状況が理解できないまま恐怖に絞られた心臓の冷たさも、

 階段を転げ落ちていく衝撃もまだ鮮明に覚えている。



(リアルな、夢だったな……)


 

 あんなに現実的な感覚を(ともな)う夢を見たのは初めてだ。

 乱れた鼓動を整えるように一度だけ深く息を吸うと、ふわ、と甘ったるい花のような香りが鼻腔(びこう)に広がった。



「……?」



 違和感にのそのそと身じろげば、また、覚えのない香り。

 嫌な夢を見た後だからか、どうしてもその些細(ささい)な違和感が引っかかり、寝起きの気怠さに沈んでいた目を一度、二度、と瞬く。



 横向きに寝転がった視線の先、薄いペールピンクのカーテンに透ける柔らかい光に照らされた、可愛らしい家具に、一瞬思考が止まる。




 「……どこ……、っ」

 



 ポツリとこぼした声すら自分の知らないもので、ゾッとして思わず口元を押さえた。

 慌てて身を起こし、自分の手に視線を落とす。

 日に焼けていない、綺麗な白い腕。



「なに、これ……」



 22歳の大学生とは思えない小さな手がそこにあった。

 掛け布団を跳ね飛ばすようにしてベットから飛び降り、部屋を見回す。

 

 本棚の絵本、子供用の机に、その横にかけられた真新しいランドセル。

 部屋に置かれた家具はどれも背の低いもので、この部屋の持ち主がまだ幼い子供であることを示していた。



 (子供部屋……?なんで私、知らない子どもの部屋にいるの……?)



 見回した部屋の一角に、おもちゃのドレッサーを見つけて駆け寄る。

 プラスチックのチープな質感。お姫様が使うものみたいにかわいらしく装飾を施された鏡の中には、呆然と目を見開いた幼い女の子が映っていた。

 

 鏡の中の子の口が、うそ、と動く。



 (私……?これが私……?)



 見覚えのない顔だった。幼い頃の自分という訳でもない。

 見慣れない小さな机の横のコルクボードに貼られた写真の中では、今鏡の中に映っている女の子が楽しそうに笑っている。それを抱く優しい顔をした若い知らない女の人、その隣でおどけたように笑う人懐こそうな知らない男の人、そしてそっぽを向いた知らない男の子……。




 もう一度鏡を見る。

 真っ青な顔をした女の子がこっちを見ていた。

 


 まるで世界の終りでも見ているみたいなひどい顔。








 頬をつねったり、変な顔をしたりして鏡の中の女の子が本当に今の自分の姿なのかと確かめていると、パタパタと軽い足音がした。



 誰かくる。



 咄嗟(とっさ)にどこかに隠れなければという考えが浮かんだが、どこに、と視線を彷徨(さまよ)わせている内に無情にも扉は開かれた。



「あら、今日から小学校だからって早起きね、鏡の前でおしゃれさんでもしてたのかしら?」


 身構えた私の前に現れたのは、コルクボードの写真の女の人。

 柔らかくウェーブした黒髪を肩に流した清楚な美人さんだ。

 ドレッサーに張り付いたままだった私を見て、女性は何を勘違いしたのか楽しそうに微笑んでいる。



「え、あ……えと……」


 

 口を開いて、結局言葉にできないまま閉じる、を繰り返す。

 誰……って、聞いていいんだろうか。

 私がこんな姿になっているのは、この人の仕業だという可能性もある。

 聞いた瞬間に態度が豹変するなんてことはないだろうか。


 心臓をバクバク言わせながら挙動不審に目を泳がせていると、「ママにも手伝わせて?」と女の人は歩み寄ってきて傍らに膝をついた。

 ドレッサーの引き出しからイミテーションのでっかい宝石のついたピンクのヘアブラシを取り出すと、鼻歌を歌いながら緊張でガチガチに固まっている私の髪に、スルスルとブラシを通していく。



「さやにお友達がいっぱいできますように」


 

 ……ママ。

 彼女の言葉を脳内で反芻する。

 言葉の通り、彼女の態度は母親のそれだ。優しい声からは敵意も害意も感じられない。

 それでも今の得体の知れない現状を考えると、どうしても背後の彼女の存在を警戒せずにはいられなかった。

 

 

 鏡越しに女の人の顔を窺っていると、髪を梳き終わったのか顔をあげた女性と目が合ってしまい、慌てて目を逸らす。不自然な行動だと思われたかも知れないと内心冷や汗をかいたが、女性は「ふふ、緊張してるのね。でもさやなら大丈夫よ」と微笑んだだけで、特に気にした様子はない。



 梳いたばかりの頭を優しく撫でられながら、ひとまず手に入れた情報を整理する。

 どうやら“この女の子”の名前はさや、というらしい。

 今日から小学校という発言やテーブルの横のピカピカランドセルから考えるに、年齢は6歳から7歳。



 (……っていうか小学校?私今から小学校に行かなきゃならないの!?これから……!?) 


 

 無理である。立て続けに試練を課すのは待ってほしい。

 こちとら今の状況すらまだ飲み込めていないのだ。

 



 ご機嫌で準備を手伝う女性……恐らくさやの母親に、まさか入学初日から「学校行きたくないです」などとは言えず、促されるままに淡い空色のブレザーと、揃いのチェックのプリーツスカートに着替える。女性は最後にブラウスの胸元で細いリボンを結わえて、よし、と満足げに目を細めた。

 


 さやの部屋は家の2階にあって、母親の後ろについて1階へ降りると、リビングの真ん中に置かれたダイニングテーブルの椅子には、すでに二人の先客がいた。


 片方は大人の男性で、髪をきちんと整えて、スーツを着ている。年齢は恐らく二十代後半。

 男は女性と一緒に降りてきたさやをみて「おっ」と声をあげて破顔(はがん)した。

「よく似合ってるじゃないか~!さすが、さやはママに似て美人さんだな」



「ありがとうございます」と一応お礼をいうと、「さすがパパの子、礼儀もしっかりしててパパは安心だ!!」と感激してケータイでパシャパシャと写真をとりはじめた。



 子煩悩な父親である。いや、この場合は親馬鹿と言ったほうが正しいだろうか。

 千尋の家ではあまりコミュニケーションがなかったので、こう大好きオーラを向けられるとたじろいでしまう。

 父は仕事熱心だったし、母は教育ママで成績と進路の話ばかりする人だったから。


 男が落ち着いたところで母親に席に促されたので、適当な椅子を引いてよじのぼる。

 隣に座っていた男の子が一瞬こっちを見たのに気付いたが、ボロがでないようになるべく話したくなかったのでテーブルの上に出された料理に意識を集中させてやりすごした。


――写真の男の子、多分お兄ちゃん、か




 サラダに目玉焼き、肉野菜炒めにお味噌汁。

 ごく普通の美味しそうな朝食は、黄泉の国の食べ物みたいに食べたら帰れなくなるやつだったらどうしようと思うとうまく喉を通らなかった。美味しかったが。




 優しい母親に、優しい父親。

 お兄ちゃんはよくわからないけれど、幸せそうな家庭だ。

 この女の子も、凄く愛されて育ったんだろう。

 部屋の可愛い小物や、サラサラの髪、女の人の髪を梳く手つき、男の人のデレデレした顔でよくわかる。








 分からないのは、

 どうして今ここに座っているのが、自分なのか、だ。








――――――――――――――――――――――










 ――さて、ここまで勢いで合わせてしまったけれど、これからどうしようか


 窓の外に流れる景色に目をやると、どこにでもある、けれど覚えのない街並みが飛んで行った。

 そういえばここどこなんだろう。もと住んでいた場所からは遠いだろうか。機会があればそれとなく聞いてみなければ。


 ……とにかく、私が“さや”って子じゃないって事は言わない方がいいだろう。これは食事中ずっと考えていたことだった。

 この状況の説明を、私はうまくできる自信がない。


 確実に痛い子扱い、悪くすればこの車の行き先は小学校じゃなくなる。

 幸い今から向かうらしい小学校も初日らしいし、この年齢だ。きっとごまかしがきく。


 これだけ優しくしてくれるこの子の両親には悪いが、きっともとに戻る方法を見つけるから、それまで騙されていて欲しい。






「なあさや」


 暫定的に方向性を定めた所で、運転する父親から声が掛かった。

「なんですか」と返事をすると、バックミラー越しに眉がハの字になる。

 呼びかけておいてその反応はなんだと思ったが、大して喋っていない自分の発言を思い返して敬語か、と思い当たった。

 年上の知らない人間に対して敬語を使わないというのは抵抗があるが、彼らにしてみれば昨日まで無邪気だった娘が急に冷たくなって敬語まで使い出したら不気味だろう。


 さやのフリをするのであれば、相応の努力が必要だ。


「緊張する、ね」


 誤魔化すように吐いたセリフは慣れない喋りかたのせいでぎこちなくなったが、それも緊張のせいだと思ってくれたのか「さやなら大丈夫さ」と母親と同じなんの根拠もない励ましをいただいた。似たもの夫婦である。






 ――そうかもしれない

 ――大丈夫だったのかも、さやちゃんなら






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