第9話 謝罪
お待たせしました。
1906年9月27日
■大日本帝国東京 皇居
皇居では首相西園寺公望をはじめとする面々が寝室で明治天皇に伺候していた。
天皇は26日に伝えられた、小村寿太郎がロンドンで発した無責任な談話を聞くと、玉座から立ち上がり顔面を真っ赤し『馬鹿め!』と叫ぶと、そのまま倒れたのである。
一刻は意識もなくなり西園寺公望ら、その場に居た者たちが蒼白状態になったが、侍医の懸命の処置により意識を取り戻した。原因は過度のストレスにより持病の糖尿病が悪化したのであった。
その様な状態にもかかわらず天皇は、朝早くから病床に関係者を呼び事後の命令を行ったのである。
「朕は、本朝未曾有の最中にもかかわらず、このような仕儀は無念ぞ」
天皇の悲痛な思いを知る公望らは悲痛な顔で話を聞く。
「陛下、先ずは病を治すことを第一に……」
「何を言うのか! アメリカでは小村の考え無しの発言で、折角の親日感が吹き飛び、またロンドンでもあの様な事をしでかして、日英同盟の危機にあるのだぞ、ロシアとの戦は英国、米国、伊国の支援を持っても判定勝ちであったが、今度は三国と戦になれば日本は確実に敗れるのだぞ! それを判らぬとは……」
天皇は興奮したのか息が絶え絶えとなる。
「陛下!」
慌てる皆が駆け寄る。
「早急に、公の見舞いに行かねばならぬと言うのに」
天皇が悔しそうに、動くことがままならない体を見る。
「全ては臣らの責任でございます」
公望らが頭を下げる。
「何とかせねばならぬぞ」
そう言うと天皇は目を瞑り溜息をつく。
ポーツマスから帰国した小村を護った山縣有朋は蒼白の表情で天皇に謝罪する。
「臣が小村の性根を計り間違えたために起こった、今回の仕儀、重ね重ね断腸の思いでございます」
「いや、そうではない、小村を向かわせたは朕の落ち度でもある」
「陛下」
「せめて、林君(林董)が大使であればあの様な馬鹿げた事をする事も無かったものです」
(林董は1900年から1906年にわたり駐英公使、大使を務め英国の気質に慣れ親しみ知人も多くいた為が、西園寺内閣成立で大使を小村寿太郎と交代して外務大臣に就任していた)
「しかし、ロシアを破った我が国ならば例え三国が聯合しようと日本海海戦の様に欧州から来る艦隊を迎撃すれば良いでは無いですか」
陸軍大臣寺内正毅の場違いな発言に山縣が唸る。
「寺内、馬関(四カ国聯合下関砲撃)を忘れたか、英国が本気を出せば、ロシアなんぞ目じゃないほどの艦隊を繰り出してくる」
「しかし、欧州から長駆してくればロシアの二の舞では?」
「英国にはシンガポールもセイロンもある、万全の態勢でくるはずだ、そうであろう海軍大臣」
山縣が斎藤実海軍大臣に話を振る。
「確かに、今の聯合艦隊では英国の派遣艦隊と戦って勝つ自信はありません」
斎藤は普通の軍人で有れば強がって言わない事を真顔で言った。
「そう言う事だ、陸軍とて三国を敵に回し海上交通を断たれれば常陸丸の二の舞になるだけだ」
「海軍とて、一戦ぐらいは勝てるかも知れませんが、二戦三戦とくればジリ貧間違い無しです」
ぐうの音も出なくなる寺内。
「父上」
そんな中、皇太子嘉仁親王が発言した。
「明宮、如何した?」
「はっ、ここは早急にウディネ公を見舞わなければなりません」
それは判っている事だと、皆が皇太子の資質に疑問も持つ。
「明宮、それは既に判っている事」
「いえ、父上はニコライ皇太子の時には御自ら見舞いました」
病床にある天皇には無理な事を言う皇太子に対して皆の顔色が変わる。
「殿下、陛下は神戸へ行ける状態ではないのです」
「それに、市内は、民が皇族の見舞いをさせぬようにしているのです」
「そうです、閑院宮はその為にお戻りになったのですから」
「閑院宮は見舞いに行く事が知られて邪魔されたのであろう。誰がその様な事を話したかだ」
皇太子に指摘されたことで、情報漏洩をした者が政府関係者にいることが想定されたのである。
「確かに、あの時点で宮が見舞いに行くとを知っている者はそれほどいないはず」
「由々しき事態です」
皆が喧々諤々するかな、天皇が皇太子に尋ねる。
「明宮、ならばどうすれば良い?」
「はい、父上や宮が動けぬと言うので有るなら、私が行きましょう」
「殿下、それでも何処から漏れるやもしれません」
公望が心配そうに聞いた。
「なんの、私はこの国難にも関わらず病弱のために葉山へ静養に行くだけなのです」
最初は何を言っているのか判らなかった皆であったが、天皇が気づき笑い出す。
「なるほどの、葉山の隣は横須賀か」
その言葉に公望らも気がつく。
「横須賀から軍艦で神戸まで行き見舞いしましょう」
「殿下」
「それに神戸では宮(有栖川宮威仁親王)が一人で辛いでしょうから」
普段から病弱であった皇太子の成長に天皇をはじめとして皆が頼もしく思った。
「明宮、頼むぞ」
「はい」
その後、天皇を静養させる為に皇太子をはじめとして全員が別室へと移った。
「殿下、如何為さりますか?」
別室に移ると公望が尋ねる。
「早ければ早いほど良かろう、但しあくまで葉山で静養とせよ」
「はっ」
翌28日、皇太子は葉山へ静養に出かけると発表された。
この時には、誰も邪魔する者がいなかったため、情報が漏れがなかったようである。
皇太子は、横須賀で外務大臣林董、内務大臣原敬、参謀部長大山巌、陸軍大将山縣有朋、陸軍大将乃木希典、軍令部長東郷平八郎と共に防護巡洋艦千歳に座乗し神戸へと向かった。
林は外交問題の解決に、原は東京を離れられない西園寺の代理として、大山は陸軍の代表として、山縣は小村の件について、乃木は自分の子息が出汁に使われたケジメを付けるために自ら志願して、東郷は皇太子が行く以上は自分も行きますと。
1906年9月29日
■大日本帝国神戸 エトナ
「シア、無事で良かった」
「貴方……」
感動の再会なんだが、俺はベットでシアもベットで再会だが、無事で良かった。
「貴方も御無事で良かった」
「ああ、俺には勝利の女神がついているからな」
そう言ってシアの頬を撫でると、シアは真っ赤になった。
親父殿、お袋殿は優しい目で見てくれているから正解だよな。
「貴方、恥ずかしいです」
「シアは最高の嫁だよ」
「けれども、赤ちゃんが……」
やばい、鬱状態になりそうだ。
「シア、確かに赤ちゃんは残念だったけど、二人とも無事だったんだから、赤ちゃんは生まれ変わって帰って来てくれるからね」
「貴方……」
泣き出したシアを抱き寄せることが出来ないもどかしさ、代わりに母上がシアを宥めてくれた。ありがとうざいます。感謝してます。
シアは暫く泣いた後、落ち着いて眠りに入った。
1906年9月29日
■大日本帝国神戸 エトナ
午後に成り、日本側から見舞いが来たと親父殿が伝えてきた。親父殿は怪我の具合を考えて『今日は止めるか』と言ってくれたが、相手が皇太子だと聞いた以上は会わないわけにはいかないだろう。それにしても大津事件では明治天皇が自ら来たが今回は皇太子か、まあニコライ二世の場合は皇太子だが、俺は王の従弟で格下だからな。
「殿下、日本の方々がお見えです」
「判った」
慇懃と対応すると、病室に八人の男たちが入って来た。
一人は数日前まで一緒だった有栖川宮、一人は三笠で一緒だった東郷大将、あとの六人のうち判るのは、乃木大将、山縣大将、あとは駐英大使だった林外務大臣か、残りが大正天皇になる皇太子と内務大臣、参謀部長か。
そう思っていると、自己紹介が始まって、皇太子嘉仁親王から始まって有栖川宮、林董、原敬、大山巌、山縣有朋、乃木希典、東郷平八郎がそれぞれ挨拶してきた。
その後、皇太子からの謝罪が始まった。
「ウディネ公、この度は、我が国の現役軍人の起こした仕儀、謝って済むことではないが、真に申し訳ない」
皇太子が謝罪している以上は国の代表な訳だからな、ここで手打ちをしてくれと言うニアンスか。
「何処の国にも己こそが正しいと思う者はいます。その者が起こしたことを為政者が謝罪するは、その者が国家により事を起こしたと勘違いされます。努々忘れぬ事です」
「公……」
「しかし、今回は現役軍人の仕業です。その謝罪は受けましょう」
「公の寛大なお言葉真にありがたく」
「何の、皇太子殿下、御自らの謝罪を受けないわけには行きません」
「公、本来であれば天皇陛下が来なければならないところですが」
「いえ、ニコライ二世とは地位が違いますから」
「そうでは無いので、父は事件を聞いて人事不省になったのです」
「「「殿下!」」」
天皇陛下も心痛だった訳か。しかし、本来なら絶対に隠さなきゃいけない事をぶっちゃけるとは。
「誠意を見せるには、隠し事はしてはいけませんから」
「天皇陛下は御無事なのですか?」
まあ、死んでいれば皇太子が此処まで来ないだろうからな。
「今は静養している状態ですが、重ね重ね公へすまぬと言っておりました」
「陛下にはご自愛下さいとお伝え下さい」
「承りました」
その後は、有栖川宮からは警備の不備を謝罪され。林董からはロンドンにおける小村寿太郎の声明を謝罪され。原敬からは西園寺公からの謝罪を伝えられ。大山巌、山縣有朋からは陸軍軍人の教育不足を謝罪され。東郷平八郎は親しく見舞いを受けた。東郷さんは慈愛に満ちた顔で心配してくれた。
そして乃木希典の時に事件が起きた。
「賊が、勝典、保典の名を使い、殿下と夫人を襲った事、真に申し訳ない」
「乃木大将、貴方の責任ではありません」
「乃木よ、お主のせいでは無い」
「そう言う訳には行きません、この様な事を許しては日本の為にもなりません」
乃木大将は覚悟を決めたような顔だが、明治天皇が亡くなった時のように自決する覚悟か。それで許しを得ようと言う事か、そんなことをされても嬉しくないから。
「乃木閣下は自決するつもりですか」
「乃木、お前」
「乃木さん」
俺が指摘したら図星だったらしく目が動いた。それで皆が乃木に詰め寄った。
「この皺腹一つで日本が救われるなら……」
「乃木閣下、安易に死に走るのは逃げです。それにキリスト教では自殺はタブーです。その様な事を為さったら返って不快を感じさせます。それに、死んで花実が咲く事は無いです。それならば、死んだ気になって今後同じ様な事が起こらないように後進の育成に力を注いで頂きたい」
「殿下」
「乃木よ、公の言う通りだ、安易に死を求めるな」
皇太子にも諭されて乃木大将が男泣きしている。
この後、八人は帰っていったが、巷で聞いていた大正天皇の悪い噂はガセだったって判るほど皇太子殿下は立派な人物だった。
賠償などはニコライ二世の時もなかったので、寛大に貰わないことにした。
その後、俺とシアの傷が良くなるまで上海で1ヶ月ほど養生して後、11月28日にイタリアへ帰国した。
遠洋航海はアメリカ艦隊、イギリス艦隊と共に南米ルートで翌年2月に帰国した。
なんかグタグタです。
乃木さん生存フラグ立ちました。