第4話 婚約者
1901年1月21日
■英国ワイト島 オズボーン・ハウス
ビクトリア女王の死期が近づき女王の子や孫が呼び寄せられていた。
正午頃、意識を取り戻し枕元にすすり泣きながら立つ皇太子バーティの存在に気付いたヴィクトリアは、手を広げるような仕草をして「バーティ」と呟いた。
「母上……」
皇太子はそれしか言えない。
女王は力を振り絞り、皇太子に話しかけた。
「バーティ、いえ、プリンス・オブ・ウェールズ、これから言う事を遺言として心せよ」
「母上、女王陛下」
皇太子も踵を只して女王の話を聞き始める。
「今、ブリテンは危機にあります。フランス、ロシア、アメリカ、ドイツとの関係も良くは有りません。それだからこそ、フィルとの関係を崩さないようにしなさい。あの子にお前が些か成りとも愉快で無い感情を懐いていたのを判っていますが、あの子の知識と財力は我が国に計り知れない栄華を与えてくれています」
「はい」
「けれども、あの子は少々危なっかしい所も有りますからね。他の国に利用されないように今の内から予約を入れておきなさい、私の遺言とすれば先方(イタリア王)も嫌とは言えないでしょう。その為に手元に置いてきたのですから、無論可愛かったからこそなのよ」
「判りました。して誰を?」
「あの子に相応しいのはビクトリアでしょう」
「確かに」
「それと、婚姻から逃げれないように、私からの遺産として、あの子が面白くなると言っていたソロモンを渡しなさい、持参金代わりには丁度良いでしょう」
「委細承知いたしました」
その後、子供の頃の話などの止めども無い話をした女王は他の子や孫との会話を楽しむと横になる。
「少し疲れました」
「お休みください」
家族が女王を優しく見つめるなか、暫くすると女王は叫んだ。
「まだ死にたくない。私にはしなければならないことがまだ残っている」
「母上!」
「お婆様!」
その言葉を最後に意識を失った女王は翌日、目を覚ました後。ウィンチェスター主教ランダル・デーヴィッドソンが祈祷を捧げ、子供たちや孫たちが見守る中、6時半頃、女王は81歳で崩御した。
その後、即位しエドワード7世と名乗った皇太子は精力的な働きで、ドイツを除く各国との関係を改善し『ピースメーカー』と呼ばれるようになる。
1905年11月25日
■英国ロンドン バッキンガム宮殿
「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく恐悦至極に存じます」
ウィルに連れられてロンドンへ来た俺は、翌日にはバッキンガム宮殿での晩餐会に参加させられて、たった今、エドワード7世に挨拶している所だ。
「ウディネ公も元気そうで何よりだ」
国王は、にこやかに笑いかけてくるんだが、今回の事を考えると、意趣返しかって思ってしまうよな。ヴィクトリア王女の年齢が年齢だし。しかし、60越えてから孫ほどの若造に意趣返しも無いかな。
「彼方此方を飛び回っております」
「チャイナに、日本、アメリカと羨ましい限りだ」
「気苦労が絶えませんが」
「そうだね。チャイナではあの老婆(西太后)を旨く誑かしたようだし、日本では1億£のカタに満洲と朝鮮か、それにアメリカとの関係も良いようだしね」
確り知っているんだよな、流石はスパイマスターの国だわ。
「チャイナは、無主地の諸島でしたし、霞浦シアプーもあまり重要では無いですからね」
「いやいや、プラタス(東沙諸島とうさしょとう)スカボロー(中沙諸島ちゅうさしょとう)パラセル(西沙諸島せいしゃしょとう)スプラトリー(南沙諸島なんしゃしょとう)はシナ海の交通には重要になるであろうし、霞浦は香港と上海の中間にあるからね。いざとなればチャイナや日本とヨーロッパの交通を牛耳る事が出来るだろうね。それに広州でのタングステン鉱山の利権とくれば香港も重要になるからね」
「流石にそれは……」
「フフ、そうだね、幼い頃から知っている私からすれば、公は母上に言ったように面白いからと動いているからね。それにしてもMr小村には困らせられるね」
凄いわ、流石はピースメーカーだわ、ビクトリア婆ちゃんの血を色濃くひいているのが判るよ。
「そうですね、ルーズベルト大統領とも話しましたが、小村は、と言うか日本人は縁の下の力持ちを評価しないようです」
そう俺が言うと、国王は俺を呼び寄せ、耳元で呟いた。
「ある国とある国が同盟したが、二国間戦争には参戦しないと言う条件だった。それでもある国は支援したいと考えた。さてどうしたと思う?」
完全に英国と日本の関係だよな、試されているか、ここはどうするべきか……
「公、いやフェルディナンド、母上をガッカリさせないでくれよ」
真面目に話せと言う事か、仕方が無いか。
「ある国は相手国の、艦艇の帰港を悉く拒否し、質の良い石炭は敵国には売りません。さらに敵国の同盟国にも圧力を与えます」
「ふむ、それで」
先もか。
「ある国は、禁制品を送るために、雑貨を積んだ貨物船を送りました。そのバラストを掘ると……」
ここまで言えば、バラストの中からは12㌅主砲身が出てきた事を知っていると言う事になるからな。
「正解だよ。小村いや日本人はそれを忘れている。いや忘れた振りをしていると言う事かな」
俺が肯定の頷きをすると、国王はにこやかに笑いなが、再度耳元で「流石は母上が見込んだだけはある」って言われたんだが、その威圧感が半端じゃねー!
「さて、公、日本の事は、我が国でも疑念を持つ者も増えてきていてね。来年にアーサー(コノート公)が私の名代で天皇にガーター勲章を奉呈するために、公式訪問する事になっているから、一緒に行くと良いと思うよ」
なるほど、日本が一個人として遇しているハリマンだけじゃ無く、イタリア王家の代表者たる俺にまで唾を吐きかけた状態なのを英国としても危険視したか、つまりはコノート公の公式訪問でイタリア問題での圧力をかけてくれると言う事か、ここは、日本が増長して太平洋戦争に走らせないためにも乗るしか無いな。
「国王陛下、お言葉ありがたく頂戴致します」
「そうか、それは良かった。ルーズベルト大統領とは友人関係でね、彼からも公を支援して欲しいと言われたんだよ。我が国、アメリカ、イタリアが組めば日本も嫌とは言えないだろうからね」
「ありがとうございます」
「ハハハ、公から一本取れたのだから、大したことは無いさ」
「アハハハ、参りました」
「さて、余だけが公を独占していては、皆から怨まれるからな。あの話は、最後に発表するから、今は晩餐会を楽しんでくれたまえ」
「ありがたく」
あの話って婚約だよな。憂鬱だが、やっと解放された事でホッとはしているんだよ。
そんなこんなで、国王から解放されたら今度は、コノート公を始めする、王室のお歴々との再会や、各界の名士たちとの腹の探り合いなんかをして、陸海軍のお歴々との挨拶に疲れた。
「フィル君久しぶりね」
やっと飲み物でも飲もうかとボーイに注文していたら。いきなり愛称を呼ばれて振り向くと、子供の頃からお世話になって、今回あの禿チャーチルの情報から婚約者であるエドワード7世2女のヴィクトリア・アレクサンドラ・オルガ・メアリー王女がにこやかな笑顔で俺を見ていた。
「お久しぶりです。ヴィクトリア王女殿下」
「んもう、フェル君たら畏まって、昔みたいにトリア姉さんって呼んでよ」
俺が畏まって挨拶すると、37歳とは思えない無邪気さで頬を脹らませながら拗ねたが、年甲斐も無いが仕草は可愛いんだよな。
「判りましたよ、トリア姉さん、相変わらずですよね」
「何よ、その言い様はまるで私が困らせているみたいじゃないの」
実際に困らせているんだって、この人とは3歳の頃から何かにつけて世話をして貰っていたからな。あの時で19歳、今は37歳、下手すれば母親より一緒にいた時間が長いかも知れないな……
「いえいえ、そんな事はナイデスヨ」
「目が泳いでいるわよ」
「アハハハ」
「フェル兄様」
また俺の愛称を呼ぶ聞き覚えのある、久々に聞いた可愛い声に振り返ると、ビクトリア女王の三男コノート=ストラサーン公爵アーサー・ウィリアム・パトリック・アルバート王子の次女のパトレシア王女がにこにこしながらこっちを見ていた。
「久しぶりだね、シア」
俺が愛称を言うと、益々にこやかになって俺とトリア姉さんとの間に体を割り込ませてきた。
「シア、お行儀が悪くてよ」
「だって、フェル兄様がトリア姉様とばかり話していて私に気がついてくれないんですもの」
プクーッと頬を脹らませながら拗ねる姿は昔と変わらないから和むわ。
「ゴメンゴメン、シアを忘れていたわけじゃ無いんだよ」
「なら良いですわ」
あっと言う間に笑顔になった。シアは拗ねると大変だから機嫌がすぐに直って良かったわ。
「シアも元気そうで何よりだね」
「ええ、私ももう19歳ですから、父上と一緒に各国に赴いておりますのよ」
「そうね、シアは幼い頃から世界各国を旅していたものね」
そうなんだよな、シアの父親、コノート公は陸軍軍人としてボンベイ陸軍最高司令官、アイルランド最高司令官、陸軍監査長官で元帥だものな、そのせいでシアは幼い頃からコノート公の任地に一緒に行っていたんだよな。
「ええ、そのせいで、フェル兄様と一緒にいられる時間が少なくなってしまいましたわ。そのうえ、お婆様がお亡くなりになって以来、お兄様は海軍士官学校へ入校なさってしまって、卒業しても忙しいと言う話で殆ど英国へ来て下さらないんですもの、シアは寂しかったんですよ」
ウルウル目で、御願いのポーズ状態のシアには悪い事をしたかって感じるんだけど、本当に忙しかったし、そのうえで国王陛下(エドワード7世)が苦手だったからな。
「シア、ワガママ言っては駄目よ。フェル君は観戦武官や外交もそうだけど、国際児童基金、遺児育英基金の創立、困窮者保護活動に赤十字社への献金など大忙しだもの」
「そうなんですの?」
「まあ、そんな感じかな」
鼻を掻きながら伝えるとシアの顔にパーッと笑顔になった。
「フェル兄様、凄いですわ」
「いやいや、王侯貴族として生まれた以上はノブレス・オブリージュが義務だからね。あれだけ儲けていてがめつく溜め込んだら、それこそ人でなしになってしまうからね」
「それでも、多くの人が助かっているんだから、たいしたものよ。ねっシア」
「そうですよ、フェル兄様が素敵なのは確かですから」
んートリア姉さんは、知ってて俺の功績を称えてくるんだろうけど、シアは心底感動してみたいで、キラキラした目で俺を見るんだよな。単なるチート野郎なのにその純真な目が心苦しい……
「いやー、そんなに賞められると恥ずかしいよ」
「ふふ、奥ゆかしい所がフェル君の良い所よね」
「そうですわ」
「両手に花か、羨ましいね」
「パット君」
「パット兄さん」
「お久しぶりです。アーサー王子」
「久しぶりだね。ウディネ公」
いきなり話しかけて来た彼の名は、アーサー・フレデリック・パトリック・アルバート王子、コノート公の長男でシアの兄であり、俺の兄貴分でもあるんだが、親父さんと同じファーストネームだから紛らわしいんだ。それで1883年生まれで年が近いから、いろいろ悪さとかも教わったわけだ。
「プッ、ハハハ、堅苦しいのは止めるか、なあフェルよ」
「ですね、似合わないから止めよう。パッド兄さん」
「違いないな」
「兄様、何のようですか?」
シアが話を中断されたとむくれている。
「いやな、フェルがルーズベルト大統領の娘に振られたと聞いたので、慰めに来たわけだ」
げっ!兄貴、いきなり爆弾投下するんじゃ無い!
「あら、初耳ね、フェル君そこんとこ詳しく」
「ええ、兄様、詳しくお願い致しますわ」
二人が真剣な表情で俺に詰め寄るわけだが、やましいことはしていないぞ、て言うか、兄貴、笑ってないで否定しろや!
「まあまあ、二人とも落ち着いて、ねね」
「フェルよ、男らしく言い訳なんぞせずに白状する事だな」
兄貴!火に油を注ぐ行為は止めてくれ!
これから数十分にわたり、日本でのアリスとの会話や、ルーズベルト大統領との話まで語って、やっと納得して貰ったわけだ。心底疲れたけど、トリア姉さんは嫉妬というか、可愛い弟の成長を見守る感じがして、シアは完全に嫉妬でメラメラ状態という感じに、やっぱトリア姉さんは大人の貫禄だわ、全然動じないな。
シアはなー、好かれているのは判るんだけど、どうしても妹なんだよな。それにシアの場合は、ポルトガルの王子・ブラガンサ公ルイス・フィリペとマヌエルの兄弟や、スペインのアルフォンソ13世、ロシア皇帝ニコライ2世の弟ミハイル大公の后候補だから、可愛くても手が出せないんだよ。まあイタリア男としては失格だが、中身は日本人ですから、どうしてもシャイになっちゃうんだよな。
しかし、宴もたけなわなんだが、一向に発表が為されないが、まあその方が気が楽なんだけどね。
「フェル君、フェル君」
説明疲れでボーッとしていたのか、トリア姉さんが起こしてくれて、国王陛下の前に行くように言われたんだが、これが人生の墓場への一歩かと考えながらも、行くしか無いよな。
しかし、何故か、国王陛下の前に行くと、何故かコノート公と奥方(ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン)も一緒で、そのうえ、いつの間にやら親父(トンマーゾ・アルベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ)と母上イザベラ・フォン・バイエルンが来ていて、親父はニヤニヤして、母上は涙を滲ましている。これまで隠れていたみたいだ。
「息子の晴れ舞台に参加しない親がいると思うか?」
「そうですよ。今日は晴れがましいですからね」
普通は、トリア姉さんとの婚約なら国王陛下と王妃殿下が仕切る筈なんだが、あっそうか王妃殿下はデンマーク王女で大のドイツ嫌いだから、母上がバイエルン王家出身だから気に入らないのか、それでドイツ王家出身のルイーゼ小母様がトリア姉さんの母親代わりなんだな。
「さて、諸君、今宵は良き日だ、今は亡き我が母上にして偉大なるビクトリア女王陛下がこれぞと望んだ婿がね、ジェノヴァ公トンマーゾ・アルベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァの長男ウディネ公フェルディナンド・ウンベルト・フィリッポ・アーダルベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァと我が弟コノート=ストラサーン公・サセックス伯アーサー・ウィリアム・パトリック・アルバートの次女ヴィクトリア・パトリシア・ヘレナ・エリザベスとの婚約を発表する」
はぁ?トリア姉さんじゃ無く、シアが俺の婚約者だって?どうなっているんだ?あーーーーーーー!シアのファーストネームってヴィクトリアだったのか!