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第3話 悪友

1905年11月22日


■大西洋 イタリア客船ミケランジェロ


「うむー、風が心地良いな。これでタイタニックのシーンのようにケイト・ウィンスレットの様な美女がいればなー……」

「殿下、艦首で黄昏れていても仕方がありませんぞ」

「メッセ、判っているさ、たまには風にでもあたっていたいのだよ」

「仕方がありませんが、風邪だけはひかないでください」

「大丈夫だよ、言うだろう馬鹿は風邪を引かないって」

「はぁ、御自分で言いますか」


溜息をついているのは”ジョヴァンニ・メッセ“そうあの名将メッセだ、1901年に陸軍へ志願したのを探して、兵役2年経ってからヌンツィアテッラ陸軍士官学校へ推薦して、日露戦争の観戦武官として児玉源太郎の元に送っておいたんだよ。一応、今回もアメリカ経由の帰国も教育の一環という理由付けで一緒に来てもらっている。


しかし、ミケランジェロは早いぞ。何たってこの当時としては画期的な船だからな。パーソンズ直結タービン2基4軸で経済速力24ノットだからな。しかも船首はクリッパーの上に、水面下にはバルバス・バウ搭載だ。これも早取りなんだよな、確か1911年にアメリカで考案されたはずだから、既に特許取得済みだし。最初は衝角と間違えられたりしたけど、イタリアでは既に新造装甲巡洋艦のレジナ・エレナ級に搭載している。


レジナ・エレナ級は本来なら30.5センチ単装砲2基、20.3センチ連装砲6基の変な戦艦として建造されるはずだったけど、変更して20.3センチ連装砲8基の装甲巡洋艦として4隻が竣工している。何故かと言えば、俺がクニベルティ造兵官と一緒にアイデアを出し合って、アンサンドル社で建造中の新型戦艦『ドナテッロ』正式名は『ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディ』が来年にも竣工だからだ!しかも英国戦艦『ドレッドノート』より先に出来て、世界最初の弩級になる予定だ。


最初は、イタリア初の弩級戦艦ダンテ・アリギエーリを記念して同じ名前にしようかと思ったが、打級戦艦ってなんかパット来ないから、ドの付く人名を探してやっと二人見つけたけど、一人はローマ第11代皇帝『ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌス』だが、スゲー評判が悪くて、キリスト教徒を大規模迫害とか、元老院の議決無視とか処刑とかしまくり、軍人としては落第点で、浪費家で、財政破綻させた上に増税をするという始末。そして最後は暗殺されたうえに記録抹消されるという始末に……

こんな名前の艦建造したら、ただでさえ1870年来冷戦中のローマ法王が激怒しそうな気がするから没に、それで芸術家の『ドナテッロ』にした訳だ。


常備排水量19000㌧、全長170m、全幅25m、主機はミケランジェロと同じで、重油専焼缶でパーソンズ直結タービン2基4軸32000馬力で速力23ノット、主砲は45口径30.5センチ連装砲を背負い式に2基ずつ艦首と艦尾方向に装備だからな、完全に『ドレッドノート』を凌駕する存在になれるぜ。まあ、チート国家のアメリカや戦争と恋愛は真面目にやる英国ならば、直ぐに凌駕する艦をだしてくるんだけどね。


「しかーし、艦艇史に一石を投じることは出来るのだ!」

「殿下、妄想も良いですが、そろそろ夕方ですから」

うぉ、すっかりあたりは暗くなってきてるや、うむー寒いし入るか。

「判った」


1905年11月24日


■英国 プリマス


いよいよ着ました英国へ、しかもニューヨーク~プリマス間3122浬を5日と9時間15分、平均速度24.2ノットで走破して、1904年に東回り航路でブルーリボン賞を受賞した独のカイザー・ヴィルヘルム2世に勝った!従って我がミケランジェロが東回り航路ブルーリボン賞だぜ!


万歳万歳!史実じゃ、西回りでレックスが1933~1935までブルーリボンを持って居たけど、東回りは史上初だい!船長以下の船員も喜んでるし、乗客もお祭り騒ぎだ!


「殿下、喜んでいる所済みませんが、御客様が港においでです」

「俺に客と言うと」

「はい、植民地省政務次官と名乗っていらっしゃいまして、乗船許可を頂きたいと」

執事のラファネッリが言うんだが。いやな予感しかしないんだよな。態々ここまで来る訳だからな。


「判った、英国の正式な役職を持つ方ならば会わないわけにはいかないからな。ラファネッリ支度を頼む」

「はっ」


それで、船が岸壁に着くまでの30分で支度をして貴賓室で待っていると、案の定、不貞不貞しい顔をした奴が入って来た。


「これはこれは、プリンス・ウディネお変わりなく祝着至極にございます」

ニヤリとしながらも不貞不貞しい挨拶をする此奴。

「久しぶりだな、ウィル、所でまた禿げたか?」


「ふん、いきなりのご挨拶だな、あ、フェルよ」

「お前と会うのにどうして礼儀が必要かね?」

俺が言うと、ウィルも笑い出した。


「ハハハ、違いないな」

「だろう」

此奴の名前は、『ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル』つまりは、第二次世界大戦中の大英帝国宰相チャーチルな訳だ。此奴が10歳年上だが、何だかんだで知り合って、今ではこの通り、気の置けない友人関係だ。


「所で、今日は何しに来たんだ?」

「ああ、お前さんが大統領令嬢に振られたと聞いたからからかいに」

「帰れ!」


畜生、流石は大英帝国だぜ、情報収集力は段違いだ。

「ハハハ、まあ、まあ、どうせ脈は無かったんだろう」

チッ、態と言ってやがるな。この禿が!


「まあな、大統領から言われたよアリスは多淫だって、手を出してもOKだったとね」

「それはそれは、旨く行けば、大統領の義息子だったな」

「フッ、修羅場はご免だぜ。イタリア男はナンパが仕事だが、命を落としちゃ本末転倒だからな」


「ハハハハ、確かにな、お前さんはチキンだと言う事か」

「なんの、お前こそ、ボーア戦争で捕虜になって便所から逃げたんだろう」

「チッ、いやなことを思い出させやがる」


「お互い様だ」

「まあな」

お互い笑い合うんだが、只単に世間話に来たわけじゃないだろうな、この禿ブルドッグは、まあ暫くしてから聞いて見るか。


「そうそう、お前に土産だ」

「ほう、それはそれは」


態々集めてきたものを渡してやると、値踏みするように見やがった。

「どうだ、お前の好きなものばかりだぜ」

「どれどれ」


小さな箱を開けると中から葉巻が、中ぐらいの箱からは紅茶が、大きな箱からは本が出てきた訳だ。

「どれも好物だろう」

「なるほど、違いないな」


「喜べ、キューバのパンチだぜ」

「流石は公爵殿下だな、ありがたいぜ」

おっ、スゲー嬉しそうな顔だな、やっぱり此奴には葉巻が似合うからな。


「それは良かったぜ、紅茶の方はチャイナの正山小種ラプサン・スーチョン、祁門きーむんだぜ」

「おい、スゲーじゃないか、中々お目に掛かれない品だぜ」

「しかも全部『特貢』(非常に高価ゆえに政府高官や国賓へのギフト用に使われる)だからな、心して飲めよ」


益々嬉しそうだな、そりゃ英国人と紅茶は切っても切れないからな。

「ありがたいな、けど、俺が貰って良いのか?」

「そりゃ良いさ、お前と俺の間柄だし、それに未だ未だあるから、国への土産もあるし、そっちの国王陛下や大物への土産もあるし、ぶっちゃけお前の分はオマケだな」


「チッ、言いやがるな、まあオマケでもこれは嬉しいぜ」

ツンデレ乙。

「それとそっちの箱は、チャイナや日本で集めた古書だぜ、辞書も一緒に入れてあるからな」

「おっ、それもありがてーな、辞書付きなら読むことも出来るしな」


「そうさね、チャイナの偉大な戦略家孫子の兵法書とかも入っているから、お前さんには丁度良いだろう?」

「ほう、孫子か、お前さんから話は聞いた事があるが、実物は初めてだな。こりゃ退屈しないで済みそうだな」


元々、日本には関心を持っていたが中国には持っていなかった此奴に、歴史をおそえたのは俺だかからな、

『優等文明は劣等文明を支配・指導する』って持論だから苦労したんだが、興味は持ってくれたからな。


一通り土産も渡して、紅茶の香りが漂う中で朝食も食ったので、そろそろ此奴が来た理由を尋ねるか。


「ウィル、ここまで来た真の理由を聞こうか」

俺の問いかけに目つきが鋭くなったな、流石は未来の宰相閣下だぜ。

「詳しい事は、これに書いてある」

そう言うと懐から書状を取り出したんだが、おい!封蝋の印璽がどう見ても英国国王のものなんだが。


「ウィル、いやチャーチル卿、エドワード7世陛下よりですか」

「ウディネ公、左様でございます」


チッ、碌な事をしやしねーや。ブツクサ言いそうに成りながらも、ナイフ代わりの小柄で封筒を切って手紙を出して読むと。案の定、バッキンガム宮殿での晩餐会へのお誘いだ。今後のことも考えると英国の支援は必要だから断る事も出来ないんだが、俺は国王が苦手なんだよな。


なまじ亡きビクトリア女王から可愛がられたから、皇太子時代の国王にかなりの鬱積を与えたんだよな。あれは1887年のヴィクトリア女王の在位50周年記念式典ゴールデン・ジュビリーに父上が参加した時に、僅か3才で参列したんだが、その頃から出来る子として有名になっていたから、ついつい式典の余興で女王陛下の前で知識をひけらかしたら、大絶賛で『天才』『鬼才』『神童』だとかとなって、それに母上がバイエルン王女だった関係で、ドイツ贔屓の女王に気にいられたんだよ。


エドワード陛下はフランス贔屓で女王としても面白くなかったのか、俺を気に入って、年に3ヶ月ほどは英国で過ごすことになっていた。そして1897年6月の在位60年周年記念式典ダイヤモンド・ジュビリーでは、イタリア王家代表としては、アオスタ公が招待されたけど、俺は別枠で招待されたというか、血も繋がっていないのに英王室の一員扱いで女王陛下の側に居る事になった。


いやー俺でも冷や汗が出まくったからな。女王陛下が何かにつけてエドワード殿下と俺を比べるから、針の筵だった。それでも普段はひたすら王族や貴族との付き合いをして、味方を増やしたけど……

エドワード殿下は、意外にも怨まれなくて『若い頃に散々母と父に迷惑をかけたから、今は仕方が無い』と言っていたけど、本心かどうかは判らなかった。


1897年の式典以来、殆ど英国住まいで女王陛下の話し相手状態で大変だったが、それ以上に苦痛だったのは料理が不味いんだよ。流石世界一不味いと言われる英国料理、期待を裏切らない不味さだった。特にウナギのゼリー寄せは元日本人としてうなぎの冒涜にしか見えなかったし、味もなー……


これは元々、複合的な要因から不味くなったわけであるから、それを何とかすれば良いんじゃないかと考えて、動こうとしたが、根強すぎて無理なことが判明。ジェントルマンの質素志向、フランス文化の排除、伝統料理の断絶、産業革命と都市化、ジェントルマンの「上流気取り」だからな。


そこで、切り口を変えて、各都市にイタリアや各国の軽食を安価に出す『Pasto leggero』ズバリイタリア語で軽食って言う店をファーストフード店として開店して展開、更に共稼ぎで忙しいお母さんの為に総菜を売る『Contorno』総菜も開店し、一寸したレストランである『Ristorante di famiglia』所謂ファミレスも開店。


そして、それらの店の従業員には貧困層を多く雇って貧困層対策に貢献、更に、ファーストフードと総菜は宅配までするようにしたので、爆発的な人気に、そのうえ、配達員には今まで過酷な労働を強いられてきた少年少女たち若年労働者を雇うことで、炭鉱とかの危険な仕事に就かなくても良いようにした訳だ。


このせいで、ロンドンとかのスラムの生活が向上して女王陛下やみんなから賞められたんだ。自分はハンバーガーとかが食べたかっただけなんだけどね。


その後、イタリア全土やアメリカにも同じ様なシステムで店を開店し続けて、イタリアの場合はマフィアの構成員がオーナーや店長で、貧困層に、ユダヤ人、ジプシーとかも仕事が出来るようにしたので、ストリートチルドレン問題も大分解決してきている。


しかも、イタリア全土に店長聯合の監視網が出来たから、過激な労働団体とかの監視もやりやすくなった。

お陰で統領ムッソリーニの居場所も把握しているからな。


アメリカも、イタリア系移民を正業に就かせることに成功したが、先にフライドチキンやハンバーガーを出したので、あの企業たちが出来ないかも知れないんだよな。



1900年の女王陛下崩御の際も俺にも遺言があって『実の孫のように思っていました。何れは我が孫と』とあって、その時は有耶無耶にはしたけど、今回の招待を不安視している理由なんだよな。


更に、何と言うか問題が遺産相続まで命じられていて。無論断ったが、新国王になったエドワード7世陛下が、母の遺言だと相続させられたのが、俺が女王陛下に何れ面白い所になると言ったソロモン諸島……まあ、英国にしてみれば1893年に手に入れたばかりで土人しか居ない南の島々だからどうでも良いんだろうな、以前もヴィルヘルム1世がキリマンジャロ山が欲しいと強請ったら、最愛の娘の舅だからと、ヴィルヘルム1世の誕生日のプレゼントとしてイギリスからドイツへ割譲したぐらいだから意外に大雑把なんだよな。


お陰で、イタリア領ソロモン諸島が爆誕!まあジェノバ公領が正式なんだが、太平洋諸島に続いて太平洋戦争時の激戦地がイタリアの支配下になったと言う事に……日本はどうなるんだ?

ただ貰った後に調べたら一番重要なブーゲンビル島は独領だった。あそこにはニッケルと銅の大鉱脈があるんだがと地団駄踏んだものだが、良い経験だった。


「如何致しましたか?」

おっと昔のことを思い出してボーッとしていたか、流石にウィルも心配しているように見せるな。

「済まない、あまりの事にどうして良いやらと思って」


そうだよ、書かれていたのは国王陛下御自ら晩餐会を開くので参加するようにと言う話と、『婚約者が決まったのでお披露目をする』とも書かれていた……遺言なんて守らなくても良いのに。

「黄昏れているんじゃ無いぞ、俺が来たのは、お前が逃げないようにと命じられたからだ」


ウィルめ、酷い奴だ。

「それにな、お前の晴れの姿を見るのは面白いじゃ無いか」

「お前の理由はそっちだろうが」

「ハハハハ、良いじゃ無いか、英王室との縁続きだ、これで安泰だぞ」

「違いないがな、俺にも覚悟というものがあってだな」


「お相手は遺言通り女王陛下の御孫君だからな」

いつの間にやらざっくばらんな話かたに戻ったが、完全に面白がってやがる。

「女王陛下の孫で、独身っていたか?」


考える限り、英王室に独身が居なかった気がするんだが?

「曾孫なら、メアリー王女殿下がいらっしゃるが、適齢期じゃない」

「当たり前だろうが、王女は1897年生まれの8歳だろうが」

21歳と8歳じゃ完全にロリコンだぜ。


「ふっ、そうだな、いや女王陛下の孫で居るじゃ無いか、独身のお方が」

はっ?女王陛下の孫で独身……

「あー!ヴィクトリア王女か!」


ウィルの野郎、ニヤリとしやがった。

「当たりだな。女王陛下の孫であるヴィクトリア王女殿下がお相手だな」

おい待てや!ヴィクトリア・アレクサンドラ・オルガ・メアリー王女は1868年生まれだぞ、美人なのは認めるが、今年で37歳なんだぞ!21歳と37歳じゃ釣り合わん逃げよう。


「何処へ行くんだ?」

「やってられないから、アメリカへ亡命する」

「そうはいかんな、今回の縁談はお前さんの従兄こくおう(ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世)も親父さんも承知済みだからな。英国とイタリアの友好の為にも受けなきゃ駄目だからな」

いつの間に、外堀埋められたじゃ無いか。

「ひでー」

やっぱり国王陛下に怨まれていたんだな。


こうして、俺はチャーチルにドナドナされて、ロンドンへと向かうのであった。

ヴィトですら『運命ですからね』と言いやがって、四面楚歌じゃ!

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