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第2話 アメリカへ

1905年10月31日


■アメリカ合衆国ワシントンD.C


俺と桂首相との会談でイタリア王国及びアメリカに『満洲と朝鮮の門戸開放は確実にする』との確約を桂首相から貰ったが、調印は来年以降と御茶を濁された。まあこの辺は政府としても精一杯の事だと考えたし、満洲に合弁会社や資本提供をするのは1906年からになるので、及第点だと考えた。問題は小村寿太郎だが、ハリマンと違って日本政府は俺に10億円も借金をしているから何とか成るかなーって思ったんだが、一抹の不安はあるな。


しかし、このまま日本にいることも出来ないので、ハリマンの会社であるパシフィック・メイル社のシベリア号で、10月14日に横浜発した。船には当然、アリスやハリマン達も一緒でアメリカへ移動した訳だ。何故なら俺って以外と忙しいんだよ、日露戦争の観戦武官だけじゃ無くて、イタリア王国特別全権大使、OTOメラーラ社とアンサンドル社などを筆頭とするセッテントリオナーレイタリアングループ(北部イタリア企業連合)とパレルモ造船所、カステッランマーレ・ディ・スタービア造船所なんかを統合する両シチリア企業連盟とかの会長としての仕事など色々あるから、各種ライセンス権とかの話し合いもあった訳だから。色々動き回らなきゃ行けない訳だ。


ハリマンは、2カ月間の日本滞在中に柔術に関心を抱くようになったようで、シベリア号には招致した柔道家の富田常次郎・前田光世や6つの柔術・力士団体が一緒で、船上で他流試合とかを見せるので、皆が楽しんだんだが……けど何故に、俺が試合をするはめに?


「殿下、華麗な姿を期待しておりますわ」

これだよ、アリスのせいなんだよな。前世で黒帯だった俺が柔道家の試合を見ていながら、つい技の解説をしてしまって、それを聞いたハリマンが『殿下、余興で良いですので御願いしますよ』と試合をするはめに、本来なら王族の俺に対しての不敬じゃないかと言う事になるんだが、俺が何だかんだでハリマンと馬が合ったのと、アリスの御願いに折れた訳だ。


で、試合は、最初は講道館でも一番下のと試合したんだが、何とか勝利して、皆を驚かせたんだ。ここで辞めておけば良かったんだが、アリスが更に試合を強請ったために、なんと富田常次郎四段と試合するはめになり、案の定、負けた訳である。そりゃ無理だって相手は”講道館四天王“だぜ。けど試合後に『殿下はスジがあります。二段相当です』って言われた。


試合を見ながらアリスは笑っていたけど、皆が皆俺の健闘を称えてくれてそれ以来、アリスの誘惑が強くなったんだよ。アリスの誘惑を堪える15日間は辛かったが、仕方ないんだよ。相手は大統領令嬢だぜ、下手に手でも出したら国際問題に成りかねんし、新聞に書き立てられて大変な事になるからな、それにアリスは新教徒プロテスタントで俺は旧教徒カソリックだから、色々宗教的に問題があるんだよ。


そんな訳で、18000トンのシベリア号で15日間の船旅のあと、28日にサンフランシスコへ到着。それで今回のアメリカ行きは、ジェノヴァ・イタリア製薬会社が発表した各種ビタミン製剤やペニシリンなどをアメリカのチャールズ・ファイザー&カンパニー・インク、いわゆるファイザー製薬がライセンス生産する事や、その他の経済関係に関してのアメリカ政財界の重鎮と会うためなんだよね。


それにしてもアリスは、思わせぶりな誘い方してきたんだけど、誘惑に乗らなくて良かったよ。何故かって?実はアリスは婚約していて、随員の上院議員の一人が婚約者だったんだよ!危ねー。危うく修羅場になるところだった。


そしてサンフランシスコに着いたら、駐イタリア公使から緊急電が入っていて、15日に帰国した小村寿太郎がハリマンの満鉄資本参加(資本金2億円中、ハリマンが現金1億円を出し、日本政府が現物で1億円分を出す。それを担保に俺が1億円貸すと言う約束)と俺の満洲朝鮮利権を聞いて、激怒し桂首相に詰め寄ったそうだ。


それに因ると『日本が2年間に渡る大戦で血を流し財を尽くして獲得した報償は、まことに貧弱である。講和条約を不満とする愛国の至誠が、暴動とさえなっている。その上また、この貧弱な戦果の半ば以上の価値がある満鉄をアメリカ人とイタリー人に売り渡してしまい、満州そのものを外国商業との自由競争の場に委ねてしまおうというのは、とうてい忍ぶことができない』なと言って、桂首相や高橋是清蔵相が『ハリマンはいざ知らず、イタリア王国を敵に回す訳には行かないし、10億もの金を借りているのだから』と、宥めたら小村は金借りていることを隠した状態で『日露の戦争を高みの見物をしたアメリカとイタリーが臣民の血と涙の結晶を掠め取ろうとしている』と新聞で書き立てやがった。


そのせいで、再度日比谷事件の様な事態が発生してアメリカ系、イタリア系の会社や教会に公使館まで襲われたそうだ、戒厳令下だったから日比谷事件ほど酷い事にはならなかったそうだが、それでも投石とか放火は有ったとの事。それにビビったのか、あれだけ釘さしたのに掌返したように政府も反対に回り始めたとの事。


その話を聞いた途端に、ハリマンは烈火の如く激怒して『日本は十年後に後悔することになるだろう!』って叫んでいた。まあ俺も小村自体の危険性は判っていたが、どうしてここまで外務大臣にまともな国際感覚が無いのかが判らん、東大卒業でハーバード大学へ留学し法律を学んだ筈なんだが、確かに後々不平等条約改正とかを成し遂げているから優秀なんだろうけど不思議だ。まあ、彼は彼なりに思うところが有るんだろうが、やり方が不味すぎだな。


「殿下、殿下の満洲朝鮮門戸問題も反古にされそうですぞ」

ハリマンが青筋立てながら迫ってくるんだが『もう六十近いんだがら無理すんな』と言いたい。

「ハリマン殿、私も憤慨はしているが、先ずは今後のことを考えるのが良いでしょう」

「確かに」


「ハリマン殿は、ルーズベルト大統領の特使として日本政府との折衝を行った様なものですから、それを袖にするなど正気の沙汰とは思えませんし」

「ですな」

「それに、小村がどうしてここまで意固地になったのか、そして裏にいる人物を知るのが良いでしょう」

”うむー“って言いながら両手を組んで考え始めたか、確か、ハリマンのクーン・ローブ商会のライバルはJ.P. モルガン&カンパニーに繋がりが有るとか言われていたから、あの辺かな?

ともかく情報収集は強化しないと駄目だな。


その後、怒るハリマンをアリス達が宥めてから、一緒にサンフランシスコからハリマンの仕立てた特別列車に乗ってユニオン・パシフィック鉄道でアメリカ大陸を横断した。しかもこの列車はニューヨークまで通常は5日の旅程をハリマンのはからいで73時間と言う時間で走破した。


その後、俺はルーズベルト大統領と会談をしたんだが、まあ色々あった。

「大統領閣下、いや大佐殿、始めまして、フェルディナンド・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ中尉と申します」

「よくおいでくださいました。始めまして、セオドア・ルーズベルト大佐と申します」

俺が大佐と言うと、大統領はニコリとして大きな手で握手してきた。


その後、経済や政治関係などの話をしながら、アリスの話も出たんだが、大佐曰く『アリスは、生まれて直ぐに母親を失い、叔母により育てられたので、愛情を過多に求めて、必要以上に異性に積極的な誘惑をするようになったそうだ』、そこで『殿下が手を出しても、全然平気でしたよ』と言われたから汗だくになりそうだったよ。


そこで、日本に関する話も出たんだが、大統領が親日だったのは忠臣蔵の影響らしいんだよな、まあその辺は良いけど、史実知っている俺にしてみれば、この当時の忠臣蔵は吉良は悪、浅野が被害者だからな、なんとも言いがたいものだよな。

雑談はおいといて、USAとイタリアとの経済、資源などの通商関係は更に強化される事になった。

極東関係では、色々あった訳だ。


「中尉、貴官が見た日本海軍はどんな感じかな?」

大統領が親愛の情を込めて俺を中尉と呼び、俺も大統領を大佐として呼んで答える。

「大佐、将兵の士気も高く、艦艇の整備状態も良好なのですが、一部古参兵には艦内で密かに夜間飲酒をするものなどがいて、それが原因で艦艇の火薬庫爆発などが起こっているようですね」


「なるほど、何処の軍にもいる訳だな」

「まあ、そうですね。巡洋艦松島、戦艦三笠の爆沈はその可能性が高いようですから」

「ふむふむ、それは酷い状態だな、我が海軍も気を付けさせねばならんな」

あっそうか、未だこの頃はアメリカ海軍も飲酒は厳禁になってなかったのか。


「しかも、噂なのですが、後部砲塔火薬庫で信号用アルコールから臭気を飛ばし飲酒すために使っていた洗面器をひっくり返したのが原因という話も」

「それは、どうしようも無いな」

さすがにこの話には驚いたみたいだな。


「まあ、我が軍もワインを愛飲しておりますから、人の事は言えませんけどね」

「ははは、そうだね」

「イタリア人はワインとパスタと恋愛には妥協しませんから、武器が支給できずともワインは必ず支給しておりますので、その分、飲み方には留意していますから」


「ハハハハハ、これは愉快だ、なるほどね食事時間まで待っていればワインが支給されるならば、火薬庫で不味い工業アルコールなどを飲まずとも、良いわけだ」

「そう言う事です」


こんな話の後、真面目な話に移行した。

「しかし、日本政府は何を考えているのかさっぱり判らん」

そうだろうな俺も同じ日本人だが、あまりの意固地さに驚いた。

「そうですね、小村は何を考えているのかさっぱり判りませんが、ハリマン殿とも話したのですが、誰かが入れ知恵した可能性もありますね」


一応モルガンが怪しんだが、ここは訴訟の国アメリカ、証拠もなしに憶測で言ったら訴えられかねんから、ハリマンに全部丸投げで行こう。


「確かに、そうだな、しかしハリマンが私の代理としてタフツやグリスコムと共にMr桂へ挨拶させたのだが、小村は、それすら判らないのか?」

「小村は、どうもハーバード在学中に何か誹謗中傷を受けたのかもしれませんな」

「うむ、私と同期生の筈だがあまりその様な話を聞いたことが無いのだがな?」


「なるほど、大佐もハーバードでしたね」

「ああ、1876年から1880年までだね」

「小村は1875年から1880年ですね」

「そうなるね、日本からの留学生の話は聞いたし、同じ留学生のmr金子(金子堅太郎)とは付き合いがあるのだがね」


「そういえば、聞く所によると小村は講和反対派で、仕方なしに講和全権になったとか」

「なるほど、それでか」

「それでかとは?」

「いやな。条約が結ばれた深夜、ホテルの一室から妙な泣き声が聞こえてくるのを不審に思った警備員がその部屋を訪ねると、小村が大泣きしていたのを発見したんだよ」


「なるほど、残念無念というわけですか。セルゲイ・ヴィッテ殿(ロシア側全権)がマスコミに愛想良く対応したのに対し、小村は無愛想に対応してマスコミから嫌われた上に、北樺太を返還する代わりに賠償金12億を得るという秘密交渉をリークされ潰されましたな」


「左様、それで『金が欲しくて戦争したのでは無い』と言わざるを得なくなったと」

「その結果が日比谷焼き討ちですか、救われませんね」

「金も無い、人もいないの無い無い尽くしで、講和しか無いので、斡旋したのにもかかわらず。逆恨みされて我が国民が被害に遭った訳ですからな」


「御心中お察し致します」

「私は、日本贔屓だったが、考えを変えねばならないかも知れんな」

「まあ、取りあえずは、私は暫く待って日本政府を揺さぶってみます」

「なるほど、1億£はでかいからな」

「ええ、成功したら、合衆国にも是非にも参加をして頂きたく」

「無論、ハリマンが張り切るでしょう」


こうして大統領との会談を終わり、その後、政財界の重鎮とのパーティーを行った。



1905年11月2日


■アメリカ合衆国ニューヨーク


「殿下、此方がイタリア人街です」

今日はニューヨークのイタリア人街へ。来た理由は観光とか移民への激励とかが表向きの理由なんだが……


イタリア人街に着くと、街中のイタリア系市民が繰り出して来るほどのもの凄い歓待状態で驚いた。彼らにしてみれば、シチリアやナポリを侵略したサヴォイア王家の俺が来ても面白くない状態になるはずなんだがけれども、この歓待は予想されていたとは言え驚くほどだわ。


まあ何故かと言うと、イタリア移民は旧来の家長制が色濃く残っており、女性が働く事とか教育にも力を入れないで、義務教育すら拒否する状態だった事から、軒並み単純労働者として貧困層を作っていた。そのうえ南部イタリア出身者が多い移民だからな。


それを是正する為に、数年ほど前から細々とした財政援助や仕事の斡旋から教育などを、俺が資金を出して王家がしているイタリア本国の支援と同じ様にした結果、今までは棄民状態で有ったものが、最近は成功するイタリア系も増えてきたからなんだよな。


そして地元の代表者や市民達との歓迎会の後、ホテルの裏口から密かにある酒場へ移動。

俺の個人的友人であるヴィト・カッショ・フェロの案内である酒場行くために、車から降りると路地裏へ向かうんだが、背広姿だからなんか場違いなんだよな。

まあこんな場所で背広にボルサリーノ帽子なら、判る人間には判る姿なんだが、知らない阿呆共が絡んできた。


「ようよう、兄ちゃん、一寸金貸してくれや」

はぁー何処にも自分の力量を知らないで、強者に突っかかる馬鹿がいるんだ。

「ほらよ」

争うのも馬鹿らしいので、動こうとするヴィトを目で制しながら、ポケットから20ドル金貨ダブルイーグルを取り出して投げ付けてやるが……


「これっぽちかよ、もっと出せや」

俺らを御しやすいと思ったのか、とうとうナイフを出して威嚇してきた。

あーあ、何もせずに20ドル持って行けば、逝かなくてすんだのにな。

冷めた表情で相手を見ていると、付近に隠れていた連中が湧いて出てきて連中を包囲し始める。


「なっなんだ」

「なんだおまえら」

そう言われても連中は無言で奴らをあっと言う間に囲んで……

まあ、後の事は判らんよ。バドソン河に浮かぶか、どっかに埋まるか、さてどうなるか?

それを尻目に、俺達は酒場の裏口へ行くが、その最中にもヴィトが難しい顔をしながら謝罪してくる。


「社長、申し訳ありません。教育が行き届いていないようで」

「ヴィト、気にするなよ。お前さんがこのあたりの代表者なら失態だが、単なるオブザーバーだろう」

「ありがとうございます」


んー、真面目なのは良いんだが、怖いんだよな、顔が。

まあ、先ずは酒場へ入らねば。

ヴィトが酒場の裏口の扉を叩くと、小窓が開き、合い言葉を言うと扉が開く。

そして、素早く俺達は酒場へ入った。


酒場に入ると、別室に案内された。下では賭ボクシングが行われていて、皆が熱狂していたが、それを尻目にどっかり座ると、ヴィトが口調を変えてきた。

「ボス、あそこで試合してるのは、J・T・マッカーシーと言う奴です」

「ヴィトが紹介するには相当な奴なんだろう」


「ええ、本名は、ジョニー・トーリオと言いまして、イルシーナ出身です」

「なるほど、シシリー出身じゃないから、本流じゃ無い訳か」

「はい、しかし奴は有望です」

「判った、支援しておけ」

「はっ」


この後、地元のイタリア系犯罪組織(未だマフィアじゃ無い)との協定や、ボス同士の顔見せなどを行った訳……


いやー、王族がボスってどう言う訳かと言えば、まあこうなっているのは、色々あって、最初に始めたイタリア本国での公共事業、農村改革、その他諸々の支援によって南北問題が緩和した事とで、地元の組織と繋がりが出来てあれよあれよという間に、ヴィトと知り合い、ボスと言われる存在になった。

いやーマフィアにボスの中のボスと言われるヴィト・カッショ・フェロが友人であり部下になりました。



こうしてアメリカ訪問を終えた俺は帰える事になった。1906年11月20日アメリカからの帰国に関しては態々俺の帰国に合うように本国からニューヨークへ処女航海してきたイタリアン・ラインの最新鋭客船ミケランジェロ(22000㌧ 速力24ノット)のお出迎え付き、けどなーイタリアン・ラインは史実なら1930年頃にNGI社とLS社が合併してできた新会社なんだけど、俺が先に作っちゃった。


さらばアメリカ、また来る日までって感傷的に言っておこうか。

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