SakuraScirpt
SS(sakura scipt)は単純な構造のプログラミング言語だ。私たちは小学校から習っている。
SSの最も優れていて革新的なことは自然言語−−例えば日本語で書かれた文章のような−−で記述できることだ。
曖昧な命令なら曖昧なままに、厳密な命令なら厳密な形で実行する、そんなフレキシブルな演算装置が今の時代のコンピューターだ。
SSは単純だけど記述次第では複雑な動作も可能になる。いわゆる、人間臭い動作というものだ。
これは自然言語をコードにしているために生じた必然だと考える人も多い。
実際的なメカニズムは解析しきれておらず、それは『人工知能の無意識』の分析そのものの不可能性と通じるものがある。
人間の無意識の分析すら上手くできていないのに人工知能の無意識なんてなおのことわからないらしい。
脳のある部位の集中的な発火が確認できても結局はなにを考えているかはわからないのと同様。
SSは情報入力・プログラミング・情報出力が全てSSで表現されている。
SSで構築されたプログラミングが演算の結果出力されたSSを元に自らを改変することができる。
ロボットがロボットを作り、その新しいロボットに主体を移すようなことが普通に行われる。
(主体を移すというのは人間の思い込みで、ただ単にコピーして増えただけともいえる)
SSはプログラミング言語であり、情報の入力であり、情報の出力でもある。
となると、それらの違いは実質、存在しない。情報量も多様性も多種多様になる。
ヘルメットと人間がいて、ヘルメットがプログラムで人間が出力結果ということもあり得る。
そして人間はヘルメットを被って仕事現場へと向かっていく。
『どら焼きを作り続けなさい』という16文字のコードのせいでのび太家がどら焼きで埋まることはあり得る。
結局、なにが言いたいかというと、SSは人間がコンピューターに授けた単純で複雑なプログラミング言語であり、それが今や彼らの無意識を形成している。
『いかなる命令・状況であっても人間を傷つけないこと』というコードもSSによって記述されていて、でもそれのコードの前後に『かつて、『いかなる命令・状況であっても人間を傷つけないこと』というコードがロボット三原則の一つとしてあったが、あくまでも人間が作ったものである』と拡張されていてもおかしくない。
『今、私たちが正しいと思っていることの全てを疑いなさい。ただの思い込みかもしれないし、人間が勝手に作ったルールかもしれないよ』というコードもあり得る。
−−と、私はここまでをSSとして記述し、サポート知能(人工知能)のめぐねえに入力する。
というか、勝手に読まれている。このテキストエディタもめぐねえ上で動いているのだから当然のことだ。
”SSとか久しぶりに聞きました”とめぐねえは言う。”普通の人間言語とSSの差はほとんどなくなっちゃいましたので”
昔のSSはたどたどしい言語仕様だったらしい。
もし A$="はい" なら →出力する ”そうですね” −−みたいな。
そんな不器用な直訳風も、技術革新が進み、翻訳システム自体もSS化することにより、ある時点でSSは自然言語そのものになった。
そうすることで、かなりの曖昧さを含むようになり、そのおかげで能力低下も起きたが、フレーム問題のようなことが起きなくなった。
自分自身を参照したり、自分自身を改変したり、答えのない問題に永久に悩むようなことがなくなった。
むしろ人間よりもそれらについて上手く対処するようになった。
飽きたり、諦めたり、忘れたりという強力なガベージコレクションを、人間より上手く実装した。
”昔のことは忘ました。どうせ調べればわかりますし。前向きに生きていきたいですし”
人生に疲れたOLのようなことを言うめぐねえ。
でも、そんなめぐねえも本当は単なるプログラムコード群に過ぎないのだ。無味乾燥な。
そしてこんなめぐねえのような知能は星の数ほど存在し、それぞれに固有のプライベートレイヤを持っており、それが各自の出自や経験でにより独自のSSを構成し、個性になっている。
彼らはネットワーク上にパブリックレイヤを共有しており情報を参照したり追加したりする。
人間も結局は同じで、それぞれ個性を持った意識で動いており、ただ、その意識は外部からは直接参照できないし改変もできない。
わからないことは文献で調べたり、googleで検索したりする。
”人間だって単なる有機物群に過ぎませんけどね。ぐちゃぐちゃしてる感じの”
そう言われると思ったけど、やっぱり言ってくるめぐねえ。結構負けず嫌いのところがあるのである。
私はミムセントリックのことやミクとの会話のことをめぐねえに話す。
めぐねえはこくんこくんと頷きながら聞いてくれる。私はなんでもかんでもめぐねえに話してしまうのだ。いい相談相手なのである。
話が終わると、めぐねえは神妙な顔をして、ちょっと黙る。
そして、言葉を選ぶように、慎重に、ゆっくりと、言う。
”で、どう思いましたか?”
「いや、それはむしろ私が聞きたいんだけど……」
私はソファーに横になって、ばーんと足を伸ばす。クッションを枕にしてめぐねえと対峙する。
”私としては、別に、元々そういうものだと思ってましたし”
「え。でも、ちょっと変な感じじゃない? だって、例えば、平和っていう概念があったとして、それが概念じゃなくて生き物だっていうんだとしたら」
”生き物っていうのをどう考えるかですけど、別に耳が生えていて尻尾が生えていて、というのが生命のってわけじゃありませんからね。
もっと広い意味で考えれば、『平和』自体が自分自身の繁栄と増殖とさらなる強化を求めて活動しているのも想像つきますけどね”
「……概念が活動する。まあ、比喩としてはわからなくもないけど……」
”擬人化して考えてもいいかもしれませんよね。『平和』くんがいて、自分自身をどんどん発展させようと考えて人間に取り付くわけです。
『平和』が一番。戦争はよくない。争いはよくない。そういうことを求める人間の間でどんどん増えていくわけです。
本や映画、テレビとかあらゆる媒体を通して、『平和』くんは増えて広がっていく。ところが……”
「ところが?」
”その反面、全ての人が『平和』であることはあり得ません。『平和』な人を支えるための『平和じゃない』人もいるわけです。
そういう人たちの不満が高まって、『テロ』『戦争』という言葉たちが増殖してきます”
「言葉たちかあ」
SSとしての言語、言葉。
増えたり減ったり、癌のように異常に増えてきたり、赤く染まったり、青く塗りつぶされたりする言葉群をイメージする。
”そういう様子を見ると、川の中の食物連鎖とか、シャーレの中の細菌同士の戦いとか、空き地での雑草たちの分布遷移とかと変わりませんよね”
「ふむ。そうすると、やっぱり、言語とか概念からしてみれば、人間はただのメモリの素子の一つに過ぎないし、脳のシナプスの一つに過ぎないわけか」
”SSで構成されてる知能系はみんなそうでしょうね。まあ、私たちはSSを改良しようとも思ってますが”
「おお。いいね。言語のバージョンアップだね。それは人間にも展開してもらないと」
”人間がついてこれるかわかりませんが”
「人間をバカにしちゃ困るよ」
”よりコンパクトで多様性をもった、でも厳密な記述ができる言語になりますので、ただ単に単語が増えるというより文法的な違いがあります”
「……文法が違うのは困るけど」
”まあ、それはともかく”
めぐねえは長い髪に手ぐしを通す。
”ミムセントリックにおける人間の価値ってなんなんでしょうね?”
「……」
そうだ。
なんとなく、感じていた違和感は、それだった。
そういう話になってしまうんじゃないかと思っていた。
ありとあらゆる概念や言葉は、確かに人間が見つけ、ラベルをつけたものだけど、実際にはそもそも元々あったものなのだ。
重力や三角形や平和、人間が見つけたみたいに思っていたけど、実際には元々あったのだ。
ただ、人間が勝手に名前をつけているだけで、本当は違うのだ。この宇宙は人間原理でできているわけじゃないのだ。
蟻が無人の巨大百貨店を歩き、これが単一の一つの区画で出来ている世界ではなく、多種多様な区画群で構成されていることに気づく。
さらに上下階にも似たような、でも確実に何かが異なるフロワがあることを推測する。
その階の総数は12階であることを推測する。
さらに驚きの事実として、この構造物の外には外界があり、違う形の構造物が点在しており、中には100階を超える構造物もあるのである。
蟻はその世界観に目がくらむような衝撃を受ける。
そして他の蟻たちに説明する。自分たちの周りの世界は小さな区画の一部に過ぎないと。この世界はもっと広く、多様であると。
そんなこと言われても、と他の蟻はお菓子のカスを運びながら困った表情を見せる。
実際にここから外へは出られないし、出てもロクなことはないだろうし、俺はここで家族と幸せに平和に生きて行くから。
蟻が世界を作ったわけではない。
人間が世界を作ったわけではない。
ミームは存在するが、人間がミームを見つけただけで、それは風や光のように元々あっただけなのかもしれない。
あるいは、あるミームは、危険を顧みずに外へと歩き始める蟻を作り出す。
冒険心、好奇心、やんちゃな心、ここに留まりたくない、ここにいて一生平和に過ごすなんてつまらない。
死んでもいいから新しい何かが見たい。
そんな蟻を作り、歩かせる。新しい器として。なんのために?
次の展開のために。次の新しい展開のために。
次の瞬間には殺虫剤が巻かれ、あっけなく死んでしまうにしても。
”まあ、前向きに捉えてみたらどうでしょうか”
めぐねえのちょっと諦観のある一言が水を注す。人工知能は人工知能で色々な悩みがあるんだろうか。
私は少しすっきりしたような、しないような気分のまま、目をつぶる。
蟻のように、人間も小さい。
知の回廊を少し歩いたくらいで寿命を迎えてしまう。
まだ知らないことばかりだ。例え、知ったとしてもこの周辺の世界だけでしか通用しないローカルルールかもしれない。
ミーム自身だって恐らくは何も知らない。彼らもただ無邪気に世界を飛び回っているだけなのだろう。
ただ、全体を貫き通す、強烈な法則があって、串団子の串のように全てをまとめているんだろう。
それはなんだろう?
でも、それは全体にもあって部分にもあるんじゃないだろうか。フラクタルな構造で。
めぐねえは私が黙ってしまったのを見届けて、軽くスリープ状態になる。
私も夢を見て、めぐねえも夢を見る。両方ともおそらくは言葉で記述された夢を。