情報、進化論
AR(拡張現実)が視界に大きな黒い壁を作り出している。
目をこらすと、その壁に小さな短い白い横線が無数に描かれている。
だから正確に言えば、細かい横縞線の入った黒い壁が目の前にある。
「この壁の横方向が時間軸で、左が昔、右は未来です」
ミクは左から右へと指先を流す。
「で、この白い短い横線、一本一本が人間です」
「……人間です……って言われても」
例えば、とミクはある線をピックアップする。
「この線は夏目漱石です」
「うわ。明治文学の巨匠」
「この線の始点が誕生日で、終点が亡くなった日です」
そういう意味か。
ミクに指差された夏目漱石の人生。でもどう見てもただの線にしか見えない。
なんの特徴もない、一本の線。
「ミームから見れば、このように見えるのです。人間は。
けれど、漱石はやはり特別です。なぜなら、漱石の後の時代は、線の数が増えていますでしょ?」
「……言われてみれば」
人気作家、夏目漱石。
その影響を受けて小説家を目指す人が増えたのか、あるいは、戦後の高度成長期に作家という稼業が脚光を浴びたのか、横線の数は濃度を増しているように見える。
「説明が遅れましたが、このグラフは日本語小説というミームを持った人間達の寿命を書いています」
「寿命……」
まるで引っ掻き傷のような、白い線達。
多少の短い、長いのばらつきはあるけれど、どれもほとんど似たようなものだ。
巨視的に見れば、人間の寿命は短い。儚い。けれど、その短い線達が、日本語小説というバントを引き継いで、書き続けている。
「こちらは、いわゆる死語のミームです」
続いて表示された黒い壁は、一時期のブームになって、その後死滅した言葉の使い手の人生だ。
平成27年に、極端に白い線が増え、その後、一気に誰も使わなくなる。
言葉の死。ミームの死だ。
−−もし、自分がミームで、このミムセントリックを生き延びるとしたらどうするか?
嫌が応にも、そんなことを考えてしまう。
この死語のように、花火のように死んでしまうのではなく、日本語小説のように、長く、生き延びるにはどうしたらいいのか?
「ここでポイントなのは、今の2つの例は人間系にしか生存場所がないミームということです」
「え?」
「人間が全滅したら、そもそも小説の需要も供給もないですし、死語どころか言語自体が消えてしまいます」
「……まあ」
「だからこそ、これらは人間が作り出した人間ならではのものなのだ、という考えも出てきたわけです。でも実際には人間以外の生命体もいるでしょうし、彼らはまた言語的な情報系を使用するでしょうし、決して人間系だけのローカルな技術ではないと考えられます」
「うーん」
「あるいは、現状、人間系に閉じられた生命体であっても、そこに支配・被支配の構図はないと考えます。OSとアプリケーションの関係のようなものです」
「んー。そうか。PCのハードが壊れても、OSが変わっていっても、結局、その上で動くアプリケーションソフトは意味的には変わらない。私たち人間はPCだったりOSだったりするだけということ、だね?」
「そうです。今のところは」
「今のところは?」
ミクはウィンドウに人間のイラストを配置する。
人間の頭の上には吹き出しが描かれて、その中には『言葉』と書かれる。
「さっきまでの説明は、こういうことですよね? 人間系を生存場所としたミームです」
「うん」
人間と吹き出しがコピペされてずらり並べられる。
その群衆の上に、『人間社会』とキャプションが打たれる。
そこにまた吹き出しが描かれ、その中に『関係性・政治・経済』と書かれる。
「その発展系として、人間集合体、いわゆる人間社会を生存場所としたミームもいます」
「あー、ま、そうだね」
その人間社会の隣に四角イラストが描かれ、そこには『人工知能』と名前が付けられる。
「で、前に言いましたが、ここに人工知能を生存場所としたミームも出てきています」
「……よくわからないけど、そうなんだろうね」
今までのイラストを覆うような大きな四角が描かれ、その四角は『世界』と名付けられる。
「これらを総合して世界と呼んだ場合に、この『世界』を生存場所としたミームもいます」
「ん?」
その『世界』がコピペされてずらりと並べられ、『世界群』と名付けられ、
その『世界群』が奥行き方向に重ねられ、『多層世界』と名付けられ、
その『多層世界』が再びコピペされ、『多層世界群』と名付けられ……
「ちょ……」
「まあ、ここまでやるのは悪ノリというものですが、ここで重要なのは構造と各レベルに対応したミームがいるということです」
「はあ」
「そして、上位レベルのミームになればなるほど、重要度が増すということです」
「重要度……」
「強くて、長く生き延びることができる、子孫を多く残せるミームだということです」
例えば、とミクはごちゃごちゃしてきたウィンドウをきれいにする。
「先ほど出てきた 『日本語小説』と『平成27年に一年だけ流行った死語』はどっちが強くて長く生き延びてましたか?」
「あきらかに日本語小説だよね。死語は一時期は流行るけど、すぐに陳腐化して、逆に使うのが恥ずかしくなるし」
「となると、『日本語小説』という生命体は、重要度が高い、あるいは生命力が強いですよね」
「あ、でも、ちょっと待って」
「はい?」
「『日本語小説』って、範囲広くない? 本一冊一冊は結構流行り廃りがあるけど、日本語小説ってそれを全体的に言ってるよね?
それとたったひとつの死語を比較するのはちょっと違うような……」
「はい。そうです。すなわち、すでに対象のレベルが違ってるわけです。日本語小説、という言い方は死語に比べて上位レベルなわけです」
「だよねえ」
「だから、もしも一つのミームに着目して、生存戦略を考えるなら、自らのレベルをどんどん上げていくことが重要です」
「おお。ゲームみたいだ」
「言葉に関して言えば、自らのレベルを上げるということは、どんどん抽象的になるということでもあります」
「抽象的?」
「一つの死語をピックアップすると、それは具体的ですよね? でも、それらを総称して、『死語』とまとめると、抽象的になります。
『死語』も一つの芸能分野ですから、まとめてしまえば『芸能』になり、さらにまとめれば『日本語』になり、その上は『言語』です」
「『言語』とまで言われればもう死にようがない……」
「いえ、今のところ『言語』は人間系でしか使えませんので、人間が絶滅すると死にます。でも、そのさらに上の『情報』になれば結構強いですね」
ウィンドウに『情報』と書かれる。
身も蓋もない。
でも、ということは、ええと、どういうこと?
『情報』という言葉が一番上位にあって、そこから色々な概念が分岐して具体的に名付けられ、その概念に対して更に具体的に分岐して名付けられ、そういうピラミッド構造のようなものでこの世界は作られている。
情報−生命−植物−果実−りんご−日本産のりんご−農家の近藤さんが作ったりんご−343個目のりんご−今の目の前にあるりんご−その一切れ……
私はウィンドウの中にそう書き込む。
当たり前といえば当たり前の構造なのだけど、これがいったい、何を意味してるんだろう?
「こういう、分類分け、抽象化と具象化というのは言語があってこそ生まれたものです。もしも抽象化する機能がなかったら、例えば、りんごというものを認識できなくて、常に、この赤いのはなんだかわからない、となってしまいます。この赤いのがいっぱい箱に入っているけど、ひとつひとつ微妙に違うから違うものだ、などと考えてしまっていたら大変なことになります」
「ちょっと小さくても、ちょっと赤くなくても、全部ひっくるめて『りんご』だと認識するのも、ひとつの重要な機能なのか……」
「それだけ取れば、言語というよりも、脳のパターン認識機能かもしれませんが、でも、それを『りんご』というラベル付けするのは言語ですね」
「うーん。……で、なんか、脱線してない? もともと、こういう話してたんだっけ?」
ミクは何故か私をじーっと見つめていて、はっ、と突如気づいたように目をそらす。
「近からず、遠からず……、まあ、いいでしょう。では次に違う側面からの話をしましょうか」
●
ウィンドウには鳥の写真が写っている。
「那由多さんはダーウィンの進化論はご存知ですよね」
「んー、知ってるよ。生命は初め、シンプルな形からスタートして、長い時間をかけて環境に適した形に変化してきたんだよね」
「そうです。神様がひとつひとつ設計図を書いて作ってきたわけではなくて、いわゆる自然選択によって私たちは進化してきたんです」
「でも、すごいよねえ。ちょっと信じがたいところもあるよね。この目の仕組みとか、本当に自然にできたのかなあ」
「生命の仕組みを調べれば調べるほど精巧なカラクリのように見えて、誰か天才的な設計者が作ったのではないかと、誰もが思うはずです」
「そう思うよね」
「まさに鳥がその一例だと思います。なぜ、彼らは飛べるようになったのか」
「鳥かぁ」
ウィンドウには群れを成して遥か遠くまで移動する、渡り鳥の動画が写っている。
「ある時、ふと飛べるようになった、というわけではないでしょう。もちろん、飛ぼうと思って常に努力していたわけでもないんでしょう。
ただ、彼らの祖先は飛ぶ必要に駆られていたのです。命を守る為、あるいは、食料を得る為に。
いえ、もしかしたら私たちも、その欲求をまだ心の奥底に持っているのかもしれません」
「……」
「そして、自然選択の結果、長い時間をかけて、簡易的にでも飛べるような身体のものが現れて、彼らの生存率が上がり、数として支配的になり、さらに飛翔するための効率性を上げていったというわけです」
「んー。適者生存というわけですな」
私は知ったばかりの言葉を物知りげに言う。
こくりとミクは頭を縦に振る。
「で、そのようにして私たちは進化の過程に生まれてきたわけですが、その中で自意識というのが出てきました」
「自意識ですか」
思わず私も敬語になってしまう。
というか、ミクはなんでずっと敬語なんだろうか。
「自意識の確立は私たちの言語も獲得と同期していると考えられます。もちろん、犬や猫だって自意識はありそうですが、私たちは言語によって自意識を抽象化することが可能になり、自意識を問うことができるようになりました。すなわち、自意識って、何? という問いです」
「おー」
「我思う、故に我あり」
「聞いたことある!」
「動物は世界を見る。意識で目の濁った人間は世界を見られない」
「聞いたことない!」
「前者は、自意識というのはまさに自分自身なんだということです。で、後者は、自意識は怪しいんじゃないかということです」
「え?」
「進化論的には自意識というのはある時期から獲得した能力です。自意識、言語によって多くのことを抽象化できるようになり、私たちの知的活動は爆発的に発展しました。その知的探求は私たち自身へも向かい、『なんで、私たちはこう考えるんだろう?』『なんで間違えてしまうんだろう?』などという認識のメカニズムにメスを入れることになります」
「ほう」
「その結果、意識というのは優れたシステムですけど、それによる弊害もあるということがわかってきました」
「そうなの?」
「例えば、幻視や錯視というものがありますよね? 視覚の認識メカニズムのように、私たちは見たものをそのまま感じているのではなく、脳内で処理して情報として考えます。
その結果、見えないものが見えたり、見えてるものが見えなかったりします。決して目というカメラからの情報だけで私たちは見ているのではないのです」
「……んー?」
「要は、自意識というのは、情報過剰を適切なサイズにフィルタリングする、ひとつの機能なのです」
「……」
私は力なくうなづくだけだ。
ミクは本当に理系なんだな、と思う。
ミクの頭の中では恋愛もドラマも美味しいご飯も全部『メカニズム』みたいになっているのだろうか。
「で、この自意識というのはまだ進化の途中です。今後もどんどんと更新されていきます。
例えば、戦場で戦う戦士にとって、痛みや死の恐怖というものは戦意喪失に繋がってしまう恐れがあるので、コントロールできるようにするべきですし、子供や女性を殺してはいけない、この人は人が良さそうだから殺してはいけない、などという迷いもまたコントロールできなければいけないと考えます」
「ミ、ミク、過激なこと言ってない?」
「まあ、最近読んだ小説の受け売りですけど」
「……でも、まあ、そうか。自意識というもの、ある意味、言語、すなわち情報だから、ミーム……なんだね?」
「そうですね」
「でも、まあ、どういう風に自意識が進化していくのか、というのはわからないけど、そんな殺人ロボットみたいな自意識はちょっと……」
「これもまた環境に依るんでしょう。もしも、戦争ばかりの時代であれば、そのように。平和な時代であれば、またそのように」
「んー」
「でも、私は思うんですよ。ミーム同士もまた色々な駆け引きがある。戦争を引き起こしたいミームもいれば、平和を維持したいミームも」
「平和がいいよね」
「そう思います。でも、平和をつかみ取る為に戦争を行うケースもあります。積極的防衛、という名の戦争は過去にありました」
「……」
「それはともかく、私たちの思考を支える自意識もまたミームなのです。」
……うーん。
そうすると、どうなんだろう。
私のこの思考も、本当の私じゃないってことなんだろうか?