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女子高生と利己的な遺伝子

『この世界はミムセントリックであることが証明された』


朝、目が覚めると私はニュースを見る。ベッドの中で、いつものようにAR(拡張現実)越しに。

ほうほう。ミムセントリックですか。ミムセントリック……なにそれ。


素直にgoogle検索する。わからない言葉はすぐ調べる。私は成績としては中の下の女子高生だが好奇心や知識欲は人一倍高いのだ。


調べてみると色々な文献が見つかる。解説するwebサイトも個人のブログも見つかる。結構昔に提唱された世界理論らしい。

端的に言えば、『人間が「情報」を操っているのではなくて、人間が「情報」に操られている。人間は培養に用いられる大腸菌のようなただの器である』という考え方であるらしい。

え? 私の頭の上に『?』記号が浮かび上がる。言葉の意味はわかるけど、もやっとしていて理解できないので解説サイトを読み進めていく。


ある解説サイトでは『本型生命体』を例に挙げている。

例えば『本』が生命体であったならば。『本』は子孫を残そうとする。でも、『本』はそれ単体では子供を作ることができない。

だから、人間に読んでもらい、感銘を与える。人間は、自分もこんな本が書きたい、という欲望を感じ、作家になる。

そして『本』を出版する。これが『本型生命体』の生殖である。


あるいは『思想型生命体』。ある思想、例えば、『マヨネーズがおいしい』という思想自体が生命体だったとする。

彼は子孫を残そうと考える。そのために、マヨネーズがおいしい、ということを人間を媒体にして広めていく。

マヨネーズが一大ブームになって人間全体に広がっていく。ヨーロッパからアメリカへ、そして日本へ。

『マヨネーズがおいしい』という生命体はこうして子孫を世界中にばらまいていく。


今まではジーン(遺伝子)中心の世界、すなわち物質的な生命体が中心の世界観でした。

しかし、実際にはこの世界はミーム(模倣子、情報子)中心の世界だったのです。


と、ニュースサイトは唄う。

ほう。それはそれは。

……でも、で、それが、なんなの……?


私はベットから起き、パンをリクエストする。ARはキッチンにパンをドロップするアニメーションを見せる。

階段を降り、キッチンに向かう。ペットのネザーちゃん(ネザーランドドワーフ)が朝の散歩を期待して檻の中で跳ねる。

フードプリンターからパンを取り出し、コーヒーを淹れ、ネザーちゃんの檻を開く。勢いよく飛び出したネザーちゃんはフローリングの床に足を滑らせてしまう。


”これはコペルニクス的転回に等しいのです” とウィンドウの中でニュースキャスターが言う。


”はるか昔の人間は、太陽が昇り沈む、天空の星の位置が変わるのを見て、宇宙は地球を中心に回転していると考えていました。

人間は神の御姿に似せて作られた特別な存在なんだという思いも、その考え方を支える根拠になっていました。

しかし、注意深く天空の星々の動きを観察していたある人物により、その考えの間違っていることが明らかになったのです。

実際には地球は太陽を中心に回転している惑星の一つに過ぎませんでした。

そして、太陽もまた何かを中心に回転してる恒星の一つに過ぎず、その何かもまた何かを中心に回転している何かに過ぎないのでした。”


ウィンドウにはイメージ図が描かれている。

ズームアウトし続けるカメラ。ある構造はその外部の構造の一部に過ぎず、その外部の構造も更に外部の構造の一部に過ぎない。

そのズームアウトは止まらず、どこまでもどこまでもズームアウトし続ける。


”そして、それと同じく、私たちの世界もまたここで転回を余儀なくされます”


ネザーちゃんが私の脚を甘噛みする。かまってほしいというアピールである。

私はネザーちゃんを抱っこする。撫でながら、ウィンドウにフォーカスし続ける。


”今まで、私たち人間は知的な活動を私たち主体で行ってきました。行ってきた、と思っていました。

言葉を生み、技術を編み、文化を紡ぎ、数学を見出し、世界を定義してきました。

これは『人間中心の世界観』です。

しかし、逆の立場から考えると、どうでしょうか?

−−もしも、言葉が先に生まれていたら?

言葉という生命体が生まれ、人間に入り込み、人間の知的に発展に寄与し、自らの複雑性を獲得し、

人間を媒体にして進化し、増殖し、増えていっているとしたら?

私たちは言語型生命体に取り憑かれて培養・生殖させられる器だとしたら?”


ウィンドウには理科の実験で使うような小さなプラスチック容器が写っている。

その容器の中には大腸菌がいる。拡大された画面には細長くて繊毛が生えている大腸菌が蠢いている。

その大腸菌に蜘蛛のような生命体が取り付く。その生命体は本体部分からドリルのような触手を伸ばし、大腸菌の皮膚に穴を開ける。

触手からゼリーのような遺伝子が注入される。入ってきた遺伝子は大腸菌の中の遺伝子に組み込まれる。

そして、大腸菌の中で遺伝子の複製が始まっていく。時間が早送りされる。大腸菌の中で蜘蛛のような生命体の子供たちが蠢き、

やがて親の腹を引きちぎり、蜘蛛のような生命体たちが外界へと放出されていく。

その様子と、人間が風邪でげほげほとせき込む様子、エイズウィルスが免疫システムを媒体に増殖する様子、作家が本を書き出版する様子が

重ねられ、モザイクの掛かった政治家が街頭演説する様子が重ねられていく。


”人間が中心ではなく、情報が中心の世界。それがミムセントリックです”


ネザーちゃんを撫でる。

んー。と私は思う。とりあえず、わかった。言いたいことはわかった。私は頭が柔軟な女子高生だから。

わかったけど、じゃあ、どうすんの、という話になる。食べ忘れていたパンを急いで食べ、コーヒーを飲み干す。


そもそも、地球中心に宇宙が回っていようが、何かを中心に宇宙が回っていようが、私にはスケールが大きすぎて実感が湧かない。差がない。

極端な話、私たちは大きな亀の上にいる、という世界観であろうと、まあ、気持ちの問題なのでは。


と、思いながらも、いや待て、こういうことが明らかになっていくという流れがいったい何を意味しているかが重要なのでは、と気づく。

この流れは明らかに、人間は別に特別でもなんでもなく、なんとなく、ぽっと生まれた発光みたいなものですよ、という事実が続々と出てきているということを意味している。

私は生きている、特別なんだ、神に選ばれし生命なんだ、ということはなく、今日の登校途中に交通事故で死ぬかもしれない。

美しき地球、美しき生命、とか言っておいて、飛んできたデカめの隕石衝突であっけなく地球崩壊、みたいなこともありえる。


友達の理系クラスのミクがこの前、似たようなことを言っていた。


今のこの宇宙は奇跡的な具合にできていると。この宇宙を構成している様々な物理的パラメーターがあって、その数値がたまたま

いい具合なので、宇宙がわりと安定していて、私たちの地球周りも安定していて、私たちも存在することができていると。

このパラメーターがちょっとでも変わったら、一瞬で宇宙ごと消滅してしまうなんてこともありえる。


雨降りの水溜りにポッと生まれた生命体が、しばし我が春の時代と繁栄した挙句、晴れの日が続いて死滅する。

そんな儚いものかもしれないよね、とミクは言う。んー、と私は同意も否定もできなかった。話のスケールが大きすぎるからだ。


”では、続いて今日のスポーツです”


ニュースの話題があっけなく変わる。まるでなんでもなかったみたいに。小さな事件だったみたいに。うーん。まあ、いいか。

アインシュタインの相対性理論の発表も、ヒッグス粒子の発表も、案外あっけなかったと聞く。

まあ、税金が上がるとか、そういう話じゃないし、そんなものかも。


私は歯を磨き、ネザーちゃんを檻に入れ、制服に着替える。

母親はまだ寝ている。学校に行ってきます、と言うと、んぁーい、と寝ぼけたように答えてはくれた。



私は学校へ早めに行く。


6階に休憩室という名の大きな展望台があり、そこでぼんやりとするのが好きなのだ。

そして、そこには必ずミクがいる。私は今日のニュースをミクと議論したくて、階段を駆け上る。


期待を裏切らず、ミクがいる。

ミクは展望台−−プラネタリウムのような巨大な球形のガラス天井の真ん中のテーブルにいて、ARを展開している。


「おはようミク」

「おはよう、那由多」


ミクは高校生にしては小柄で細くて、体重が軽い(たぶん)。

黒髪のショートカットで前髪はちょっと長め。頭良さそうな顔をしているのだけど、目はどこか眠そうな印象がある。


「ミク。この世界はミムセントリックだそうだよ」


私は直球でふっかける。なんのひねりもない。ストレートすぎるとよく周りから言われる。

ミクは、ぱちり、とまばたきをした。でも、特別びっくりもしていない。


「……まあ、そうニュースで言ってましたけど、私は、今更か、と思いましたが」

「そうなの?」

「何年でしたかね、リチャード・ドーキンスという学者が提唱していた話ですよ」


パブリックレイヤーにされたミクのARに『1976年 利己的な遺伝子』という書籍が浮かび上がる。

おー。かなり昔だ。


「世界というのは色々な見方ができるものです。神が作りたもうた世界、と見ることも、

この世界はゲームなんだ、VRMMOなんだと見ることも、俺が世界を作ったんだ、と見ることも。

でも、現実は現実でしょうから。私たちは、やっぱり物理的に生きているし、考えているんです」

「その『考える』ってこと自体が生命体なんだって言ってたよ?」

「そういう考え方もありですよね。まあ、生命体の定義次第です。いうなれば、雨粒だって生命体といえます」

「……んー、じゃあ、別に大したニュースじゃないってこと?」

「どうでしょう。ただ、昔と今ではちょっと時代背景が違いますしね」

「時代背景?」


ミクのARが展望台全体に展開される。

天空全体に広がるARは事実上、私の視界全体を覆い尽くしている。


「今は人工知能がすごい勢いで発展してます。もしも本当にミムセントリックだとしたら、ミームは人間より人工知能を媒体として選ぶでしょう。

人間は確かに動物的な生命体としての、本能っていうんですか、獣の嗅覚みたいなところがあって、情報処理に関してある種のカンが鋭いところがあります。

でも、人工知能は演算能力がとにかくすごいですからね。例えば単なる順列繰り返しでもいいのであれば、人間に負けません。

4桁の暗証番号だとすれば、10000通りしかないですし、俳句だとしても、5、7、5の52音ですから、52の17乗に過ぎません。

だから、要は、情報中心の世界ということは、情報としては人間と人工知能の2社購買を考えますよ、という話なのです」

「……2社購買って何?」

「そうですね、例えば新しいARを買おうとして、メーカーとしてA社とB社があるとしますよね?

那由多さんはA社とB社を比べて、どちらにしようか、決めるわけです。当然、性能がいいとか安いとかで決めますでしょ?

それと同じく、情報は自分の判断で、これを人間にやらせるか、人工知能にやらせるかを考えるわけです」

「……んー。情報が、決める、のか。んー……」


視界を覆うARには俳句の全パターンが表示されている。


『あああああ あああああああ あああああ』

から

『んんんんん んんんんんんん んんんんん』

まで。


情緒も何もない暗号のような俳句がほぼ全てを占めている。


「例えばですよ? この俳句全パターンを人工知能に読ませて、意味の通るものだけをフィルタリングしましょう」


別ウィンドウで呼び出された人工知能(体験版)が文節解析をして振り分け始める。

当然ながらほとんどの俳句が消される。その中で、さらに『意味付け』レベルが高いものだけをフィルタリングする。

小説を自動的に生成する人工知能の体験版も呼び出す。売れる、という視点でのフィルタリングもする。


フィルタリングされて残った候補の中から『既存の人間の発表作』とのマッチング率をチェックする。

すると、0.001%と表示された。

では、フィルタリングで弾かれた俳句の中でのマッチング率は?

−−ほぼ0%


「ということは、人工知能は人間よりもいい俳句を書くということです。

人間がまだ見出していない俳句を、人工知能が歌ったということです」

「……ちょっと待って、ミク。私の頭がついていけてないんだけど……」

「人工知能が作った俳句の、その中身をちょっと見てみましょうか」


那由多さん 那由多さんって 那由多さん

那由多さん ああ那由多さん 那由多さん

那由多たん 那由多さんって 那由多なの


「めっちゃ、私について歌ってる!」

「わかりやすいところを持ってきました。まあ、基本は総当たり式の自動生成ですから、これが延々と続きます」


でも、とミクは私を指差す。


「この情報生成の多様性は、人間にはありません。

ですから、おそらく、このミムセントリックについて、まず初めに意味することは、ミームがその主要活動場所を人間から、人間以外のところに移すぞ、という表明に他ならないということです。

それは、とりあえず直近のところは、人工知能なのではないでしょうか」


ミクの声が展望台に響く。

ARいっぱいに、私についての俳句が並んでいる。

この場面を誰かに見られたら、絶対誤解されると思う。


どれだけ私のこと、好きなんだよ……


−−しかし、現実は、そんなことを考えている私、ミクの遥か斜め上へ向かって変化していくのだった。


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