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8話 血の契約


――こんな落ち着かん風呂、はじめてだ


ところどころに松明やロウソクが火を灯し、その明かりが水面に反射し光が揺れている。そんなことを聞くと、幻想的な風呂に聞こえるかもしれない。風呂の真ん中に邪神がごとく、恐ろしく恐怖するような石の像がなければ。

巨大な浴場は、真ん中に邪神が降臨していた。神様をモチーフにした石像が神々しくたっているなんていうのは一つの建築の仕方として存在したし、流行もした。もっとも、風呂なんていうのはめったに持ってる人間はいないが。

なにが悲しくて鏡にうつる邪神を恐れながら、みだしなみを整えねばいけないのだろう。赤い目をして牙を尖らせたそいつは、いまにも襲い掛かりそうなぐらいリアルだった。


――やっぱり、魔族と人間は少し感覚が違う


こんなもの、魔物と話したりした俺ぐらいじゃないと感じなかったことかもしれない。明確に文化の違いを感じていた。


「こんなもんか」


銀張りの少し曇った鏡の前で、いろんな角度で見回す。

長いしがらみの遺産を捨てた。もう二度とワイルドなんて言わせない。

これで髪をきれば落ち着くのだが、俺の手元にあるのは短いナイフが一本だけ。さすがにこれじゃ切れないな。


「仕方ないか」


鏡を見ながら、長い髪をひっぱってそう言う。


「なにが仕方ないのかの?」


「おわああっ!?」


すぐ後ろにヴラドが立っていた。首を傾げて、大げさな奴じゃのうと言いながら笑って見せている。いや、まてまて。俺は鏡を見ていたのに、なんでヴラドに気が付かなかった。なんで、後ろは視界に入れていたはずなのに。

今一度、後ろを振り向いて鏡を見た。間抜けな顔をした俺と、遠くに邪神像が見える。その間にいるヴラドはうつっていなかった。急いで振り返る。そこにはヴラドがいた。


「どういう、ことだ」


「簡単だ。ありのままをみよ。妾は鏡に嫌われておる。それだけよ」


難しく考えるでない、小僧。そう続けられて鈴が鳴るように笑われる。


「鏡にうつらないのか。やっぱり、人間じゃないんだな。こんな、かわいいのに」


「なっ!?」


口を歪ませ、パクパクとなにが言いたげにしながら顔を真っ赤にしていた。ぶんぶんと首をふり、長い髪が振り回されている。


「ええい。人間の小僧と思ってあなどったわ」


ぶつぶつとどこかあらぬ方向を向いて、なんだか文句のようなことを言われていた。そんな後姿を見つめながら、疑問に思う。いや、ここ風呂だぞ。なにしてんだろう、と。


「ヴラドは、なにしに来たんだ」


「ほれ。なかなか一人では髪はきれんだろ。少し手伝ってやろうと思うてな」


手には黒鉄のハサミがにぎられていた。いささか大きく、ヴラドの小さな手には余っているように見える。


「それは助かる。このナイフだけじゃ、どうも難しくてな」


手でくるくるとナイフを回して遊んで見せる。久しぶりにやったせいか、滑稽なことにナイフを落とした。それを拾うときに、小さな切り傷が出来ていたのに気が付いた。適当に湯で流しておく。


「頼むよ、ヴラド」


「う、うむ」


そういって俺は鏡をみる。やっぱりうつってなかった。だけど、俺はしっかりとヴラドの感覚がある。髪をちょっと引っ張られきられる。なにか、お化けか幽霊のような存在が勝手に髪をきっているようで面白かった。

羊の毛刈りをみたことがあるが、あれは全ての毛を刈り取るから手際よく大きなハサミで羊を丸裸にしていた。その毛の落ちる様子をついつい思い出してしまった。俺の毛の色が理由か、はたまた丸裸で毛を斬っているのが理由か。


「白銀のが言っておったぞ。お主の髪は本当は綺麗な色なのに、僕が三日間走り続けたあとのようにくすんだ色になってる。綺麗にしてほしい、と」


「はは。あいつの毛並が綺麗すぎるんだ。一緒にすんな」


「……んっ。そう、だの」


少しだけ適当な返事があがった。その後、黙々と手を動かしてくれて綺麗に整う。ヴラドの手がとまったことを合図に、自分で髪に触れてみた。あれだけ重かったあとだからか、うそみたいに軽くなったような気がした。

振り向いてヴラドに見せようとした。


「おいっ! どうしたっ!?」


顔が上気し、表情を歪めていた。苦しいのか、体調の不良が疑うことをなく見えていた。


「い、いや。なんでも」


「なんでもないわけ無いだろ。待ってろ。ラルゴの奴をよんでくる。俺よりはあいつのほうが役に立つ」


「よせっ!」


力強い声が響き渡り、浴室に響いた。

息を荒げながら言う。


「お主のせいだ。お主が妾の前で血を流したろう。こんなことになるのは二度目だから、見覚えがある。ただの吸血衝動だ」


「吸血……なんだって?」


「妾はヴァンパイアという、人間の血を吸って力を蓄える種族の魔物なのだ。本能的に人間の血を好いておる。血を見れば、血を吸いたくなってたまらなくなるのだ。妾はヴァンパイアの中でもとりわけ力が強く、人間の血を吸わなくてもいいほどだった。……しかし、目の前で流されると」


俺の失態か。タオルを傷にあて圧迫する。こうすれば血も止まるだろう。だけど、この状態のヴラドはどうすればいいのだろうか。


「おい、その吸血衝動はどうやったら治るんだ。……辛そうだぞ」


「腹が減ったら、どうなおすのだ? なに、少ししたらおさまるだろうて」


そう言って白い肌が蒸気していた。なんだか年下の少女のそんな姿は目にいたかった。


「その状態は、はじめてか?」


「いや、二度目だのう。前に一度だけ妾の城に人間が来たことがある。そいつも目の前でやらかしおったわ」


「そのときはどうした」


「……すぐにおさまった」


ヴラドは目を泳がせてそう言った。まぁ、ウソだ。

血の臭いや赤い色がダメなんだろう。動悸も激しくし、その場にうずくまってしまった。この小さな体のなかで、とてつもない戦いが起こっているはずだ。本能と理性のその狭間で、巡るましく戦っているのだろう。

ヴラドは血が欲しいというのを、空腹で例えた。その例えをあてはめると、腹が減ってるときほど食べ物を目の前にすると抑えが利かなくなる。体も欲しがり、目算を誤るだろう。食いすぎで死ぬことはないが、食われ過ぎたほうは死ぬ。

こちらから与えれば問題はないか。

そう、心の中で決めたら行動ははやかった。

うずくまるヴラドの顔の前に、赤い水がしたたり落ちた。

目をむいた銀髪の少女が、赤い瞳で俺を睨みつける。だが、それも一瞬だった。滴り落ちる俺の血に目が揺れる。まぶたが重くなったような目をして、俺の血を愛しいもののように見つめていた。


「またナイフで遊んで斬った。捨てるのはもったいないから、お前にやるよ」


「……クソ不器用なやつよのう」


「よく、言われる」


ヴラドが耐え切れずといった様子で腕から指へと滴り落ちるその滴に舌を走らせる。

そのときに、言ったんだ。


――お主は、勇者にどこか似ておる



子猫に道具を使ってミルクをやるような状況を終え、俺は馬鹿みたいに広い浴槽につかっていた。ここだけサイズがおかしいのは来客の中に身体がデカいやつがいるからかもしれない。

浮かべられた香草の香り高いそれを胸にいっぱい吸い込んで、吐き出す。なんだかとてもリラックスしたような気分になる。ただし、その間だけだった。やっぱりこの風呂は落ち着かん。ひとたび目を開けてみれば見えるのは凛々しい石像。ひとまわりして、なんだか恰好よく思えてきた。それはそれで、いいのだがもう一つ、落ち着かない理由があった。


「いつまでそうしてんだ。ヴラド」


鏡の前で、崩れた態勢で寝ているヴラドにいった。尻を向けているせいでわからんが、ずっとぶつぶつと考え事をしているよう。呪詛のような重い響きが浴室に反響していた。

それが不気味で怖いとか、俺には言えなかった。

勢いよくヴラドが立ちあがった。ゆれる左右の髪をふりかぶりながら、大きな歩幅で俺に近づいてくる。赤い瞳は決心したような印象を受けるが、なぜか涙を流していた。怒りながら泣いているようにみえなくもない。


「ラドルフ!」


「なんだ」


だらしなく伸ばしていた体を正した。


「せ、せっ」


俺に人差し指を向けて上下に振りながら、なにか言いづらいことを言おうとしている。顔を真っ赤にして、目には涙を貯めながら。

セッ……? なにをいいたいのだろうか。


「せ、責任を取れっ!」


「はあ? 俺が、なににたいして、どんな責任だ」


「妾に対して、血を飲ませた責任だっ!」


思わず首に手を回して悩んでしまう。さっぱりわからん。


「女のヴァンパイアは、異性の血は一人しか飲めんのだ。それをのんでもうた。妾はっ! もう、お主の血しか飲めんのだ!」


「なるほどな。……ん。血は飲まなくてもいいんじゃなかったのか?」


「うっ……それは、そう……だ、が」


尻すぼみに小さくなる声を聞き返す。

モジモジと落ち着きが無くしたヴラドはようやく言った。


「……美味しかったのだ」


「ははっ! ああ、そりゃしょうがない。お前にとって血は酒とか嗜好品のような位置づけか。いいぞ、別に。血ぐらいやるよ」


「ほ、ほんとうかっ!?」


表情が明るくなり、目も輝かせている。わかりやすいやつめ。


「いいぞ」


「妾はかわりになにを差し出せばよいのだ?」


「いや、いらん」


ヴラドは口をポカンをあけて呆けていた。


「なんだそれは。まったくもって意味が分からん。魔族の取引は交換の上になりたつ。なぜ、こうも人間はそれを破るのだ。お主で話が通じんのは二人目だの」


前に来た人間もそうだったらしい。


「そう言われても、なにをもらえばいいのか、わからないんだ。逆に聞くけれど、俺が血をやるかわりになにをくれる?」


そう聞くと再び、もじもじと前で手をくんでヴラドは言った。

上目使いでのぞかれる。ふいに、どきりとした。


「お主が、望むのであれば、その……妾も契約して、だな、力になってやらんことも……ないぞ。魔王の元のロクデナシ共は従えておるだろうし、そういった力の面でも助けてやれる。他にも、魔術や魔物に対する知識なぞは長く生きとる分、魔王の眷属の中でも妾が群を抜いているのだ。ど、どうだ」


俺はおもわずヴラドの手をとった。その小さな手を両手で包み込む。


「そうだ。そうだよ。あのロクデナシ共は全員俺と契約して力を貸してくれてるんだけど、あいつらを使える自信がなかったんだ。ヴラド、俺の頭になってくれ。俺にいろいろ教えてくれ。俺は、話の通じる使い魔が欲しい。ラルゴの阿呆は論外だ。お前が俺を、そっちで支えてくれ」


バカみたいにデカく強い使い魔はたくさんいる。だけど、それを使えるかは別だ。正直、その自信は欠如していた。俺に、あの怪物たちを指揮する能力はない。だったら、その能力があるヴラドにそばにいてもらいたかった。


「ふん。そこまで言うのなら、やってやらんことはないぞい」


そう言った後に、ヴラドが向き直る。いまだ見せていなかった真剣な顔つきになった。


『我は原始の存在、不死の王にして、夜を統べる始祖なり。ラドルフを主とした契約を執行する。血を代価とし我が力を行使せん』


その契約は知らなかった。従者が契約を執行し、俺に契約を迫る。


「ふっ。まだまだ甘いぞ。妾の言葉に続けて言え」


そう言ってヴラドに言われるがままに言葉を紡いだ。


『ここに血の契約を成す』


それだけでヴラドとのつながりが生まれる。


「簡単なものよ。無駄な力は省くに限る。なにごとも良いものを楽に取り入れていかんといかんのう」


得意げにそんな事を言う。


「ヴラド、聞きたいことがあるんだが」


「よかろう」


なんでもどうぞ、と言う様なヴラドに俺は聞いた。


「ナヴィエ・ストークス」


「……ふっ。ばれたか」


「っていう奴がつくった契約魔術が主流なんだけど、いまのはどうも違うように思える。もしかして……すまん。いまなんか言ったか?」


なぜか顔を真っ赤にしてヴラドが両手で顔を隠していた。


「ど、どうした」


「なんでもない! なんでもないのだ、なんでもないーーーっ!!」


しゃがみこみ、顔を横にふるヴラド。

なんでもない、というのだからこのまま話を続けてみる。


「たった二年で彼はまた、契約魔術を使いやすいように変えたのか。……ナヴィエ・ストークスっていうのはな、契約魔術と召喚魔術をつくった人間だ。だが、個人の名前じゃなくて組織か、または名前をずっと使ってる家の人間かだと思うんだ。召喚士の前身が出来てからずっと一線で活躍している天才魔術師はまたも成果を上げたという事実に、俺は尊敬を隠せない。なあ、ヴラドもそう思わないか!」


「……はううぅぅ」


目の前の少女は、床にペタリと尻をつき、顔を真っ赤にしてクラクラと目を回していた。ここが風呂場だからか、湯気が吹き出ているような錯覚を覚える。いや、事実でているかもしれない。

いったいヴラドはどうしてしまったのかと考えて、俺は自分の馬鹿さに呆れかえった。俺は、気づいてしまった。


「血かッ! 血が欲しいのか! 顔を真っ赤にして涙ぐむぐらいならば、俺に言ってくれ! 俺は、お前が言ってくれれば応えるぞ」


ヴラドの目つきがこわばった。キッと俺を睨みつけて、わなわなと体をふるわせながら言った。


「バカアァァーーーーーーーーッ!!」


そう言いながら、ヴラドは小走りに出ていってしまった。


――俺は、なにかしてしまったのだろうか


そう悩みつめながら、風呂をあがりラルゴたちのもとへと戻る。ヴラドの姿はなかった。

ラルゴは不思議そうに言った。


「なんか、ちょっと嬉しそうに、けど泣きながらヴラド公が走っていったっすけど、なんかあったんすか?」


「……俺にもわからん」


はぁ、と納得したラルゴが入れ替わりに風呂へ行き、驚くような短時間で帰ってきた。濡れた羽が重く飛べないのか、全力で走りながらラルゴが叫ぶ。


「マスタァァァアア!! あんた最低っすよ! 風呂に血のあとが残ってました!濡れた髪のヴラド公が嬉しそうに泣いてました! あんたってやつは、故郷に女を待たせておいてそれはないっす!!それはないっすーーーっ!! けど俺っちは偉いから黙ってるっす。男と男の誓いっす。だからっすよ? 俺っちにどうかその殺し文句を教えてくれないっすか!!」


「お前はいったい何をいってるんだ」


「なるほど。忘れろってことっすね。わかったっす。男ラルゴ、このことは墓まで持ってくっす」


グフフと、時折気持ちが悪い笑い声をあげるラルゴがすごく不気味だった。


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