6話 『契約を執行する』
その姿は異様だった。
目の前の魔物は、腹に深々と剣を刺され玉座に固定されている。それを痛くもなんともないように座りながらも、小柄な青い鳥がふてぶてしくこちらに視線を飛ばしてきた。蒼い光はこいつ自身じゃない。剣に裂かれた腹部から漏れていた。
こんな大きな城の玉座に座るやつがどんなデカい奴かと思えば、こんな小さな鳥が座っているだけだった。肩すかしにもほどがある。先ほどまでの威厳もどこか消え失せ、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「ウイッス」
「お、おう」
右手……じゃない。右の羽があがり、あいさつされた。
失礼かもしれないが、俺の方が目線が上で見下すような高さにある。それが申し訳なくて、とりあえず座った。ちょうど同じ高さに目線があった。
「いや、そんな見るからにガッカリしなくていいじゃないっすか」
「ガッカリはしてないんだが、驚いてる。聞いていいか?」
「なんでもどうぞっす。なにせ、こんな状態なんで。まずはお互いを知り合うことからはじめるっす」
俺が混乱しているというのに、向こうは冷静だった。
「その、痛くないのか?」
人差し指をさしながら言った。
深々と玉座と、この鳥の魔物に刺さった剣について聞いた。
「ああ、これっすか。痛くないっすよ。最初のころは痛くて、死ぬ寸前の状態と覚醒を繰り返しましたけど、いまじゃ全然っす」
途方も無い時間をこの剣と一緒に過ごしたらしい。その話はとても痛々しく感じた。
「つーか、そこっすか。ふつう、鳥がしゃべってるーとか反応しません?」
「ああ、本当だ。しゃべってる」
思わず言われて驚愕した。当たり前のように対面していたが、こんな大胆にしゃべられると怖いものがある。
「ニッブッ。ラドルフ、にぶっ」
首を上下に振りながら鳥が笑う。そうすると剣に身体をえぐられたらしく、痛みで自然に黙った。
この異常と言える環境の中で、こいつは一体なにをしている。その存在が信じられなかった。
「……俺には、わからんな」
「ふふっ。なにがっすか」
「なにもかもだよ。なぜお前は、という疑問が尽きない。ただ、一つ思うのは……お前もこんなところに隔離されて、取り残されてそうだな」
神妙な顔持ちで頷いたあとに、鳥は言う。
「いやはや、その通りっす。隔離っすね。そう聞いたら、そうっす。俺っちはここに囚われてるっす。時間もわからないこの場所で、誰とも会えず孤独っす。それなのに外は普通に時間が経って次第に忘れられていく。これは、隔離っすね。……ただ、お前もって言葉を使ったっすね。もしかして、ラドルフも?」
きょとんとした表情で的確に聞いてきた。
「いや、俺は……お前と比べれば、そんな」
「取り残されることに、大小がおありですかい? いっしょっすよ。キズのなめ合いでも、いかがっすか」
舌を出してなめるように動かす。鳥に気を使われていた。そんな事実に思わず噴き出した。どんな状況だよ、これ。なんだかそれがおかしくて、洗いざらい吐いてしまおうと思えるようになった。どうとでもなれと。
「召喚士って、知ってるか?」
「ひどいっすね。そんな新しい言葉知らないっすよ。歴史でも交えながら、教えてくれっす」
それもそうかと納得し、一つずつゆっくりと丁寧に説明していく。
時間の感覚が無いというだけで時の流れを感じなくなった。話し相手がいるというだけで心持ちが軽くなった。自分の心傷を晒すことで、胸のわだかまりがどこかに消えた。
「ひゃぁ。人間の変化はすごいっすね。昔、勇者が木の棒で魔王に立ち向かって来たってのは知ってますが、それに比べりゃ進歩したもんっす」
「何百年前だよ、それ」
「俺っちが忘れるぐらい前っすから1000とかっすかね」
「流石に知らんな」
そう言って笑い合う。本ですら残って無いような時代だ。そもそも本が無い。
鳥の目が光る。俺に質問をあててきた。
「その召喚士になるっつーのは、難しいんすか? ラドルフがなれないってのは変っすよ。だって、人の世は召喚士であふれてるんすよね?」
「いやさっきも言った通り、なるのは難しくないはずなんだ。苦労しているのは俺ぐらいだよ」
「さっき言った二つの方法について聞くんすけど、そのランダム召喚っすか? 自分に合う召喚方法があるらしいじゃないっすか。それは、試したんすか」
誰もが思う質問だったことだろう。
「ガキの時に試して、出てきた魔物を他人と契約させちまった。友達と二人で同時に試したら、あろうことか双子の魔物が出てきやがったんだ。離れ離れにするのはかわいそうだし、その、守ってやりたい友達だったから……そいつにやった」
「うぐっ。油断したっす。良い話っした」
あんた男っすよ、そう言いながら鼻をすする人間みたいな鳥が泣いていた。
「もう一つの、魔物を倒して仲間にするのはどうだったんすか? いや、これ決定的な致命があるっすね。倒しちゃダメなのに、力を見せつけなきゃいけないっす。自分より弱い奴を主にするやつは珍しいっすから。それも魔物使いの側面もあるなら、魔物と手を取り合わなきゃいけないんすよね。暴力を用いて、和平するって難易度たけーっす」
「お前……それを今考えたのか?」
「そうっすけど」
思わず頭を抱えた。なんだか自分が恥ずかしくなる。
よくよく考えればわかることだ。恐怖をもって支配しようとしてうまくいくことは少ない。フィンと風龍のようなお互いに認め合い、励まし合う。さっきの狼のように、俺を導き俺を気遣う。そんな関係を築かなければいけなかったはずなんだ。
「俺はその矛盾に気が付かなかった。力で勝り、恐怖で押さえつければ頭は下がると思ってたんだ。実際、俺に頭を下げた奴はいなかったよ。魔物って、みんな強いな」
「ははっ。身体的な強さの驕りっす。強いことがアダになったっすね。それに、ラドルフは少し参ってた。魔物は心の強さを見抜くっす。俺っちの推測っすけど、きっとすげえ魔物を連れてる奴は精神的なものが強いっす。心当たり、ないっすか?」
俺が知りうる一番強い召喚士を思い浮かべた。いつも笑っていて、平気で二年も待っていて……それをなにもいわなくて。
「ああ。すげえ、ある」
でしょう、と誇らしげに鳥が言う。心の内が見透かされたような気分だ。ただ、悪いもんじゃない。
「まぁ、いまのアドルフなら大丈夫っすよ。心に余裕が生まれているし、俺っちっていうしゃべる魔物とあったことで、魔物に心があることを認識したっす。もう、召喚士にいじめられることはないっすよ」
「バーカ。言われなくてもわかってる」
頬をかきながら、そう返した。
「だーれがバカっすか! バカって心外っすね。この天才的な俺っちに向かってそういうことを言う輩は初めてっすよ!」
「……俺は自分で天才って言う輩が初めてだよ」
「天才って自分で天才って言わないっすか?」
「そりゃ、言わんだろ」
「ガーンッ」
羽を大きく広げてピクリとも動かなくなった。
「お、おいっ。……死んだか?」
「ふっ。死んだふり、だ」
「いやそんな満足された顔されても全然恰好よくないし、そもそも腹から剣生えてるからシャレになってない」
複雑な装飾がされた白い刃の剣が刺さっていた。近くで見ると恐ろしいほどに神々しい。
「で、お前は何もんだよ」
「あ、待ってくれっす。その前に、一つだけ大事な事を聞き忘れてるんすよ」
わざとらしく大きく羽を広げたあと、顎の下に羽をもってきて唸る振りをしてから言われた。
「なんで、召喚士を目指してるんすか?」
はぁ、とため息を落とす。最近、自分でもよくわかってなかったけど、振り返ってみるとよくわかった。つまるところ、一つなんだ。こいつと話して、かえりみた今なら言える。
「好きな女と、正面から逢うためだよ」
「おおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!!!! も、もうちょっと教えてくれっす!!!!」
身体が固定されているのに、バタバタと羽を羽ばたかせて一番の食いつきを見せる。
「ったく。さっき言ったろ。俺は魔物を召喚して、そいつにやったんだよ。フィンってやつに。そいつがずっと気にしてるんだよ。あの時、俺から魔物をもらわなければ俺は苦労せず召喚士として生きられたのにって。たまにすげえ申し訳なさそうに眉をしかめるんだ。なによりそれがイヤで、それが辛くて逃げるように距離をとっちまった。……本当はすぐに召喚士になって帰るつもりだったんだ」
ボサボサに伸ばした前髪をたくしあげる。なんで俺、こんな髪伸ばしてんだ。バカだろ。
「だけど実際には俺がバカだったせいでうまくいかなくて、余計にいらん世話といらん苦労を増やす結果になった。この前あったときも、俺がこんなんなったの、どこか申し訳なさそうにしててさ。それをあいつは正面から受け止めてたのに、俺は逃げてるし。つまるところ、俺はあいつにあやまりたいんだ。お前と話してて、ようやくわかったよ。いままで立ち止まって振り返ることがなかった。いや、立ち止まってたけど振り返ることがなかった。一人で喋って、勝手に言うんだけど」
上を見上げて話してた視線を、目の前の鳥に向ける。ニコニコしてずっと話を聞いてくれていた。
「ありがとう」
「うっす」
優しい声音で、そう言われた。
目の前の鳥を指さした。わかっていたように不敵に笑いだす。
「お前の番だ」
「そうっすね。なにから、話せばいいっすかね」
うーん、と悩みだす。
この鳥は一体何者だろう、そんな気持ちが流行っていた。いや、もはや自分の中での答え合わせも兼ねている。
「俺っち、魔王なんすわ」
あっけらかんと出る答え。その答えに俺は動じなかった。つまり、予想していた。
人の規格では無い城の王。その城は魔物のものであることまでは、なんとなくわかった。そして城の部屋をのぞいてきたときに、あまりに生活様式が違いすぎた。そういったいくつもの理由から推測したことだ。
「この城に200年か。ながいな」
「……面白くねえっす」
新鮮な反応を期待したのだろう。残念ながら、驚きはあるけれど驚いたら次の話を聞けないと思って聞きに徹している。だって、もったいないじゃないか。
「200年前に、俺っちが討たれたのは知ってるっすよね。そのとき、なんで俺っちが討たれたか知ってるっす?」
「……あのときは正直、異常だった。人間が、ありもしない理想を信じて魔王を敵として恨み、魔王を殺すことが正義だという風潮がつくられていた。人間全員が熱狂していたんだと思う。理由はたしか、魔王を倒せば魔物がいなくなる。だれかが言った理想論を、都合よく解釈してさも事実にしたんだ。それで、勇者が魔王を討った」
「100点っす。話がわかってる人間だと話しやすいっすね。それが勇者が魔王を殺した理由としてあげられる歴史っすが、実際はやっぱりもうちょい複雑だったんすよ。だって、知識人たちは魔王を討っても平和にならないことを知ってたんすから」
ごくりと喉をならした。話に聞き入っていた。
魔王を討っても平和にならないことを知りながら、勇者は魔王を討った。俺の耳にはそう聞こえた。
「魔王を討てば平和になる、という理由で人間は魔王を悪者にしたてあげた。そして自然災害と魔物の責任を全部、俺っちに押し付ける。そうすると国の王様は不思議なことに良い人になるんすよ、それより悪い魔王がいるから。良い王様と悪い魔王様。これってなにかに似てません? いや、変に思うつもりはないんすけど、人間は神様は二人いるって言うんでしょう? 良い神様と悪い神様。その構図と一緒ですわ。その構図をつくっておいたほうが、信じるものがはっきりする。そう、この構図は人心を集めるのにちょうどいいんす。つまり、俺っちの言いたいことわかります?」
少し考えてから言った。
「人心を統制するために、魔王は必要悪として存在し続けてほしかった?」
「そういうことなんすよね。けど、勇者はやっぱり勇者なんすよ。いや、だれにとっての勇者かっていうと人間にとってのなんす。勇者は国の下についてたっすけど、国が囲い込める器の大きさじゃないんすよ。国の思い通りなんては、絶対嫌だったんでしょうね。魔王を倒せば正義という風潮を利用して、勇者は国王にとって必要なはずだった魔王を殺した。そして、人間は不満を言う。なんだ、魔王を討っても魔物はいなくならない――平和にならないじゃないか、と。そこでようやく人間は王様に疑問を思うんす。そして、だましていたのかと声を上げた。そのタイミングで勇者が革命を起こして、王様をも斬る。それが勇者のプランっす」
最期らへんは魔王は知らないのだろう。少し曖昧になっていた。
だが、俺はその事実を知っていた。
「……事実だ。だから、歴史から勇者の名が消えたのか」
超大国が革命によりバラバラになったのもその時期だった。いわゆる、動乱の時代。その背景が明らかになる。その時代を生き抜いた者の口から、俺は直接聞いていた。
「まとめるっす。勇者が悪としたのは二つ。絶対的な悪である魔王、絶対的な善である王様。その二つを、そのつくりだされた構図を勇者は悪として斬った。その二つが、多くの人を惑わしていたから。そうした勇者の行動の結果として人々は熱狂から冷めて落ち着いた。んすよね?」
「しばらく荒れてたがな。まあ、おかげで今は人間同士で戦うんじゃなく、競ってる程度だ」
そう言うと魔王は笑って言う。「そんぐらいがちょうどいいんす」よく笑えるものだと、頭が痛くなった。
「で、ここからは勇者と魔王のナイショの話。密約があったんすよ」
「聞かせてくれっ!!」
「おっと、良い食いつきっす!」
ひゅうっと吹けもしない口笛を吹く真似をして魔王は言った。
「実はっすね。魔王は死んでないんすよ。見ればわかるって? まあまあ。……弱い魔王は勇者に降参したんすよ。目の前で腕利きの眷属を二人倒されて耐えられなくなって、殺すなら俺を殺せ、と仲間の命を尊重したんす。勇者のやつが一番びっくりしてたっす。だって殺す気で来たのに、そいつが殺せという状況っすよ。どんなんすか」
目の前の剣を魔王は撫でた。まるで、愛しいものかのように。
「降伏する魔王を見た勇者は、悩んだ末に魔王を殺す必要が無いつって、だけど表舞台にいては困ると封印したんす。お情けをいただいたんすね。そうして、勇者が迷いながらも、その目で俺っちと話して俺っちを見極めて封印した。けど、勇者は長い眠りにつく魔王にね、夢を与えたんすよ。お前が語った理想のように魔族と手を結んだほうが人間も魔族も有意義だ。それを自分が形にして見せよう、と」
「勇者ってのは、なんでも背負い込む人間だったんだな」
「だけどっすよ、実際のところ。魔王の眷属の多くが目をこぼされ生き残り、魔王も生き残っている。そして人間は魔物と手を組み共に暮らしている」
はっと気が付いた。魔物と人間が手を組み、結びついて暮らす。それは……。
「「召喚士」」
狙っていたかのように魔王と声が重なった。
魔王の声に威厳が戻る。
「召喚士は俺っちが為し得なかった俺っちの夢だ。魔物を奴隷じゃない、人間と魔物のお互いを理解する形で結びつかせ、共に歩む。そんな甘い理想をずっと脳裏に描いてきた。言葉の障壁を乗り越えて心を通わせるその姿は、俺っちの夢だったんす。俺っちはラドルフが召喚士って言葉を出したときに心が躍ったっす」
翼を今までで一番大きく広げた。威嚇ではない、敬意が向けられている。
「ラドルフはさっき、俺っちにありがとうと言ったっす。けど、それをそのまま返す。俺っちが長年ここに囚われていた意味が成った。人は魔王を忘れ、魔物と手を組み心を通わせている。魔王も望んでいたというのに、魔王がいてはなしえなかったこと……皮肉なことだ。ラドルフは、俺っちの大願を、夢を現実のものとして教えてくれた。俺っちが囚われていた闇に、光がさしたっす。ありがとう。ありがとう。……ありがとう」
魔王とよばれたその魔物は大きな涙を流して俺に礼を言う。
勇者が、あの時代においてこいつを生かした意味がわかった。魔王は人間の犠牲者だ。実害を与えて無いにせよ、その存在は都合よく利用された。そんな、犠牲者だ。勇者は表舞台から魔王をおろした。それだけだ。魔王が生かされたということは、魔王が生きていてもいいという勇者の判断。その判断も、その背景を知れば納得がいく。
繰り返すが、勇者は魔王に生きていてもいいと判断を下した。つまり、魔王は忘れられたころにこっそりと復活してもいい。だからこその封印だ。そういう意味だろう。
それにもう一つ、勇者に学んだことがある。
善悪の判断は個人の価値観によるものであり、大衆の価値観は流されやすくあてにならないこと。
そんな勇者は言っている。自分の目で見て善悪を見極めろと。魔王と言えば悪だ。悪の象徴だ。だが、俺の目に見えている、涙を流して敬意をつくすこいつは悪では無い。
痛々しく魔王にささった剣の意味を解釈する。つまるところ、勇者は魔王の処分を後世の人間に任せた。
――勇者が、いつの日かここに来た誰かに魔王の善悪の判断を託したのならば
――俺が魔王を救っても、いいのだろう
「魔王に問う」
俺は立ち上がり、魔王に向き直って口を開いた。
「自分の目で、いまの世界を見る意志はあるか」
「大ありっす」
「お前がはじめに俺に言ったな。剣を抜く覚悟があるか、と。俺は剣を抜く覚悟ができた。だが、抜いたあとのことは保障されていない。これをどう見る」
なにがいいたいかは、わかるだろう。こんなものは最初から意志確認だ。
「俺っちの力の行使をラドルフに託す。そうすれば、俺っちが暴走することはないはずっす」
その言葉に、深く胸に響くものがあった。
力の行使を託す。それは、俺に従うことを意味する。
「……俺と、契約してくれるのか」
「むしろ俺っちが頼むぐらいっす。ラドルフ、俺っちはあんたになら力を託せる。勇者の意志を正しく汲み取れるラドルフになら、その指揮でどんな敵を倒す事になろうとも信じる事が出来る。かつて、俺っちを信じて生かした人間――勇者のようにっす。今度は俺っちが人間を信じる番っす。ラドルフ、俺っちと契約を結んでください。その代わりといっちゃなんですが、ラドルフを世界最強の召喚士の座に導いてやるっす」
「バーカ、勘違いすんな。最後の一言は余計だ。俺は力が欲しくてお前と契約するわけじゃない」
「あ、そうっした。ただ愚直に、惚れた女のためでしたね」
「ふん。悪くない理由だろう」
「ええ。そんな奴に惚れたっす」
ひどく調子が狂う奴だ。
ぼさぼさの髪をがしがしとかき上げながら、魔王を見ていた。
一つ、大きな呼吸をいれる。すべての息を吐ききった。そんな様子を不敵な笑みを携えて、だけど目はずっと細めながら、小さな青い鳥が見ている。
――青い鳥、というのは幸せを運んで来るのだったか
幸せというものがなにかはしらないが、きっとそれは目の前にいるこいつが持ってきてくれるだろう。幸せの青い鳥が、俺になにかを渡すように、すっと羽を向けてきた。俺はそれを大事に受け取る様に、右手で受ける。
魔王と俺の手が結ばれた。
『契約を執行する。汝は我が使い魔となりて、我に力を貸さん。力の代償に我は汝の求めに応えよう』
ずっと練習を重ねてきた、そのセリフ。いままで一度も使うことがなかった魔術だ。それをはじめてつかうことができた。ずっと、ずっとこの瞬間を待ちわびていた。この一瞬を求めていた。こんな形で訪れるとは思わなかった。
『我、神より炎を授かりし一柱なり。ラドルフ・ヴォルフを我がマスターと認め、契約を執行する』
――契約は成った
俺と魔王の間に繋がりが生まれる。この繋がりをたぐりよせることが召喚だと言われていた。持たざる者の俺にはいままでわからなかったが、ようやくそれがわかった。
右手を魔王を封じ込める白刃の儀式礼剣に手をかける。それを、一息に抜いた。
――封印を解いた
魔王を封じる刃を抜いた途端に、世界が割れる音がした。
真っ暗な世界に光が満ちた。キラキラとした輝きが辺り一面に振り落ちてくる。魔王の封印――乳白色の大結界が割れたのだ。魔王の封印が解かれたために意味をなさなくなったそれは、祝福のように輝き、賞賛しているようだった。
「これは、勇者の置き土産か」
「あいつ、良いやつだったんすよ」
王が座り続けた玉座から降りる。しかし、すぐによろけて地面に倒れ込んだ。
「おおっとっ!? 俺っち、立てなくなってるっす。時間は、俺っちに立ち方を忘れさせるっすかっ!? そんなっ!?」
「バーカ、弱ってるだけだ。よっと。俺が止まり木になってやるよ」
地面に倒れ込む小さな鳥を、俺の肩に乗せた。この鳥は羽を広げれば横にでかくなるが、たたんでいると本当に小さく、俺の肩にのってしまうほどだった。
「ヘヘッ。こりゃいいっす。世話をやかせるっすね。マスター」
マスターという聞きなれない単語が、妙にくすぐったかった。
――そういえば
「すまん。いまだに名前を聞いていなかった。なんて呼べばいい? 魔王では問題があるだろ」
「そうっすねえ。ラルゴって呼んでくれっす」
「了解だ、ラルゴ」
「うっす」
そうして、俺はゴーレムの残骸を横に見ながら広間を通り抜ける。
月明かりが照らす広間とは違い、薄暗い大きな通路をもどって城の外に出ようとする。
「おおっ。ここ食堂でしてね、普段から大食らいが多いために戦場と化してたっす。俺っちなんか体が小さいから、デカい奴らに食堂の席を奪われ続けたっす」
「……お前、偉いのに席が無かったのか」
「なにを言ってるんすかっ! 飯を食わないと死ぬんすよ!? あの戦場は、生存競争に等しいところなんす! そこに偉いなんて食えないもんがなんの意味があるんすかっ」
これが魔物の感覚なんだろうか。さっぱりわからん。
「飯はゆっくり話しながらでも食える。誰も取ったりしないから、今度からはそうしてくれ」
「ほおおっ。夢に見た平和なランチタイムっすか!」
興奮さめぬラルゴが俺の肩でバタバタと翼を広げ、俺が二度ほど怒鳴り声をあげながら城を進んでいた。
だんだんとラルゴが静かになり、城の出口も見えたというところで漏らした。
「やっぱ外、変わってるっすよね」
そんなつぶやきに、俺は足を止めた。もしかして、外に出るのが怖いのかもしれない。
「ああ。俺も二年いってなかった街が変わってて。なんだか寂しかったよ」
「そうっすね。環境はすぐに変わっちまうっすからね。そこには苦労するっす。けど、マスター。いいことを教えてやるっす」
ファサァと翼が片方、広げられる音がした。その翼が前をさす。俺は再び外に向かって歩き出した。
「形があるものなんていうのは、全て変わってしまうんすよ。でも、変わらないものも世界にはちゃんと存在するっす」
もったいぶったような言い方で言った。俺に視線を向けて、質問を促した。
「なんだよ。その、変わらないものって」
ラルゴの翼が俺の右目の視界を大きく邪魔しながらも、俺は城の外にでた。
ラルゴの翼は前を向いている。この月夜に照らされた平原だけは、かわらないと言いたいのだろうか。
「形あるものが壊れるならば、形のないものはどうっすか。たとえば、友情や愛情。情とつくものは、時間なんてものも易々と超えてみせる。まったく持って理解の範疇を超えることがあるっすよ」
右に広がっていたラルゴの翼が開かれた。右を向けと催促される。そんななかでラルゴの声が聞こえた。
「そんな情がきっと、仁義っていうもんじゃないすか?」
そこに、銀の狼がいた。
「オオオオオーーーーーンッ」
俺をここに導いた狼がハウリングし、俺に向かって首を垂れる。
「ワン公。お前まさか」
「ワン公じゃないっす。白銀公っす。俺っちの配下っすよ」
「オンッ!」
律儀な狼は、尻尾をふってラルゴを迎える。
「よく、俺っちを助けてくれる人を連れて来てくれたっす。ありがとう」
白銀公と言われた狼は、嬉しそうに尻尾をふって応えた。そんな中でなにか会話が始まった。ラルゴがふむ、ふむふむと相槌をうちながら聞いている。
「マスターに、ありがとうと。なんの義理立てもしていない人間が力になってくれるとは思わなかったと言ってるっす」
「ん。……ああ。そうか、お前はこいつを助けたかったのか……よかったな」
足の遅い俺に合わせて俺をここまで運んだり、果物をくれたりした理由が分かった。この狼は、封印された自分の王を救うためにずっと待っていたんだ。ずっと、果てしなく長い時間をこの城の近くで過ごしたんだろう。
その在り方は尊く見えた。
「あともう一つ。その優しさに誠意を持ってこたえたい、と。マスターの力になってくれるらしいっすよ」
――なっ!?
この狼も、俺と契約してくれるというのか。
どうしたものかと考えていたら、ラルゴが優しく頷く。それに俺も頷きを返した。
「ありがとう。おまえの力で、俺をまた導いてくれ」
狼に手を伸ばした。避けられることなく、飛び上がる事も無く、頭を撫でさせてくれた。
俺の肩からラルゴが飛び降りて、翼を大きく広げて言った。
「マスター! 世界にはまだ俺っちの眷属や配下がいる! 俺っちは、そいつらの顔が見たい。たぶんそいつらは、気前よくマスターに力を貸してくれることと思うっす! 世界中を回ると言っても、その神をも超える足――神速を持つ白銀公がいれば一日もかからないっす。マスターが待ち人を待たせているのは知ってるっす。けれど、一日だけ俺っちにくれないっすか。決して後悔はさせないっす」
俺は間髪いれずにこたえた。
「いいぜ。俺は二年待たせたけど、お前は二百年だろ。まあ、一日ぐらい。そのかわり怒ってたら、一緒にあやまってくれ」
喜んだラルゴが羽を羽ばたかせる。
「その時は俺っちが勇者にだけ見せたとっておきの謝罪を見せるっす! あまりに憐れ過ぎて、なにもかもがどうでもよくなりかけるらしいっすよ!」
「い、いや。そこまでは、いい」
「なんでっすか! めっちゃ気になるはずっす! 遠慮はいらないっすよ! なんなら、いまここでやってみせましょうか!」
「やらんでいい!」
俺の初めての使い魔、ラルゴと盛大に口喧嘩をしながら思う。
……しゃべる鳥と契約しちまって、それが魔王で、でも悪いやつじゃなくて。あきらかにふつうの召喚士とはかけ離れてしまったけど、いつか言われたように俺は召喚士の中でもふつうじゃないんだろう。だけど、もうふつうじゃないっていうのに怯えたりはしない。むしろ、それにわくわくとした童心を抱いていた。
やっと、召喚士というステージに立てたのだ。あの華やかな舞台に立てるのだ。
遥か頭上に輝く月に向かって、右腕を伸ばした。いまなら手も届きそう。
左手で胸に下がっているお守りをさわりながら、心の中で叫んだ。
この月の下にいる、俺の幼馴染に向かって。
――待っていろ




