19話 空を駆ける流星は槍
魔法陣を抜けると、そこは戦場だった。
森と湖が共存していたはずの地形は、なにが戦ったらこうなるのだろうかと思う様な有様だ。森は焼き払われ、湖の湖畔に咲く花も地面ごと抉り取られている。なにかとなにか、とにかく大きなものがぶつかり合う、地面を転がる。それだけで穴があき、地面が歪められ荒れているようだ。
遠くに見える大きな高い山と近くにある広大な湖。絶景ともいえる景観を血肉を争う戦いで壊そうとしていた。
木々の隙間から見える様子に目を疑う。
湖のそばに立ちボロボロになっているフィンがいた。傷つき、地面を転がったんだろう。だが、その立つ姿は泥にまみれてなお凛々しく輝きを失ってはいない。意志に溢れ、力強く両手を動かす。左手が左に飛ぶ風龍のリタ、右手が右を飛ぶカトリーヌに連動し、まさしく手足の様に操っている。
その風龍が決して羽を緩めずトップスピードを維持しながら戦っている敵も、同じく龍であった。あまりの体格差に一撃をもらえば致命傷。そんなギリギリの勝負を数日間耐えきっていたらしい。目に疲労も見える。風龍の身体に刻まれた爪痕も一つではない。体はボロボロでも心が諦めていないから倒れていないのだ。いまだに戦闘を継続しうる胆力と精神力をもっていた。
フィンが退かない理由があった。
フィンのすぐ後ろで火竜が倒れている。遠目でもわかるぐらいに激しく呼吸しているが、見るべきはその姿の異様さだ。
――片翼を失い、胴体が黒く染まっている
噛みつかれて羽をもぎ取られたように、翼が根本からちぎられている。胴体も見る限り焼け焦げていた。
フィンの使い魔である火竜が生死の境を彷徨う。そんななかでフィンがそれを切り捨てて撤退するとも考えにくい。いや、もとより彼女は凄まじく勘がきく。ただのわずかに隙でもあれば、火竜を帰して撤退の選択肢があったはずだ。それを実行にうつせないと言うことは黒龍の速度が速く街まで連れてきてしまう可能性があるか、背を向けると強力な攻撃を食らい死を迎えるかだろうか。
だが、そんな無事では無いフィンを見て思う。
――あの相手をしてこれだけの被害で耐えていることは奇跡だ
風龍が爪を入れてなおわずかな傷しか残っていない怪物。相手の外傷は胸に一筋の裂傷があるのみだ。
黒い龍だった。後ろ脚が発達し、地上では二足で立てるような出で立ち。二本の角を携えて、その瞳は真っ赤に燃える。翼を羽ばたかせるだけで風龍はその風の影響を受けていた。
注目するべきはその大きさである。風龍が子供に見えるほどだった。子供に対する大人のような大きさで、体での勝負は足元にも及んでいない。
その黒龍が猛威を振るう。短いと見える腕を振るうが、それを食らえば風龍をしてひとたまりもない。風を切る轟音が聞こえそうなほどの一撃を風龍は避けていた。狙われていないほうの風龍がその隙をつき翼をうつ。わずかに空中で揺らしただけだった。
そんな様子を目の前で銀髪の少女と青い鳥が見ている。
俺は飛び出したい気持ちでいっぱいだった。いますぐフィンのとなりに立ち、安心させてやりたい。あいつの支えになってやりたい。
はやる心鐘を鳴り響かせ、歯をくいしばり、腕を握りしめる。
「主よ、まだ……まだまて。いま仕掛けたらどちらの助けになるかわからん。戦況が変わるのを待て」
「俺っちら両方とも遠距離の攻撃手段はあるんすけど、いまやればあの風龍のお嬢さんたちを巻き込むっす。マスター……口から血が出そうなほど歯がゆい気持ちは一緒っす。ただ、大丈夫っす。俺っちが約束する。誰も死ぬことはないっす」
フィンが腕をふる。それだけで風龍は黒龍にまとわりつき、二体の連携をもって接戦していた。
風龍の速度があがる。俺の頬を風がなでたような気がした。
「よし。風龍が気が付いておる。ラドルフの空気を感じ取りよったか。最後の一滴まで出し切って、我らに引き継ぐ気かのう」
「いや、速度上がったんはいいんすけど……あれ、やばくないっすか。風龍もなんすけど……あの嬢ちゃんっす」
風龍が少しだけ速度をあげた。そんなちょっとしたこと。俺の目にそんな大層な違いは見当たらない。だが、それでできることが増えたらしい。たったそれだけのことで、守勢に回っていただけの二体の風龍が攻勢に転じていた。
リタが距離をとり速度をのせた体当たりをしかける様子を見せると、黒龍はそれに対して爪を持って迎え撃つ。が、黒龍が爪を放ったタイミングでほんの少しカトリーヌが黒龍の足を押した。それだけで黒龍の爪は空を切り裂き、リタの体は巨龍を射抜いた。
体当たりで体を傾けた黒龍が睨む。崩れた態勢のままに、反撃の姿勢を見せた。目にうつったんだろう。カトリーヌに狙いを定めて口を開いた。大顎があけられる。上空にいるカトリーヌに対して太い熱線のブレスがとんだ。
「お、おい」
口から光の束を吐き出した。赤く燃えさかる炎を凝縮させたような色をした光がカトリーヌにぶつかる。
「器用な龍っすね。あれ、熱をこうギュッとして綺麗に形を整えて同じ方向にビューンて飛ばすとああなるんす。いわゆるビームっす。食らったらめちゃくちゃ痛いっすよ」
ラルゴの落ち着いた解説が入った。その落ち着きは、俺に大丈夫と伝えた。
ビューンと飛んだ熱がカトリーヌを通過する。風が解けて幻影は消えた。カトリーヌの精巧な囮に黒龍は引っかかったのだ。
二体の風龍は黒龍の上空にいきなり姿をあらわす。リタの不可視の技は、あの二体をして同時に使用できるバカげた技だったらしい。その二体がブレスのモーションに入るが、黒龍は気が付いていない。
完全にふいをつく形で、二匹のブレスが黒龍を地面に叩きつけた。
「……すげえ」
黒龍が地面に激突し地面がえぐれる。湖に強い風が吹いたときのような波紋が走った。
この激しい激突の痕を見ると、風龍あたりが地面にぶつかった痕かと思ったが違う。どうやら、黒いほうの龍が激突してできたえぐれ方をしていた。戦いの内容はフィンが勝っているという証だった。
ふらふらとリタとカトリーヌの二体がフィンのもとへと飛んでいく。フラつくカトリーヌにリタが肩を貸すように飛んでいた。比翼の翼を持って飛ぶ姿というのは、こういう姿を言ったのかもしれない。
二体は水面近くに立っていたフィンの近くに着地することもできずに倒れ込んだ。フィンがゆっくりと歩いて近づき、その苦労をねぎらっていた。
俺は、フィンの後姿に手の届く距離にまで近づいている。風龍のブレスが黒龍を撃ち落としたときに、俺は飛び出した。生憎と甘やかされて育ったせいか我慢と待つのが苦手で限界だったんだ。
「フィン、代われ。あとは俺たちが引き受ける」
そう言うと、ゆっくりとフィンが振り返った。
いまにも泣き出しそうに、だけど嬉しそうにしながら言った。
「……やっぱり、来てくれた。わたしの王子さま」
フィンが右手を開いて、俺に伸ばした。
「遅くなって悪い。言い訳がましいかもしれないが、これでも力は尽くした。使い魔も世界中を飛び回ってくれてたんだ」
その手を取って、両手で握りしめる。
フィンの手も重なった。
「絶対にラドルフが来てくれるって信じてた。そうじゃなきゃ、とっくに心が折れてやられちゃってたわ。わたしもリタもカトリーヌも、みんなそれを信じて疑わなかったの。約束を交わしたわけじゃないのに、ラドルフが助けにきてくれるから耐えようってみんなで言い合ったんだよ」
その一縷の望みをつなぎ、俺が来るまで耐えた事実に言葉が出なかった。なにか言おうとするんが、言葉にならない。
「……よか、った」
「うん。わたしたちは無事よ。……でもね」
フィンの緊張の糸がきれた。
「イグニスが……わたしの火竜がやられちゃったの。あの黒いドラゴンが戦いの最中にわたしを狙ってきて、イグニスはそれをかばって……やられちゃった。……羽を噛み千切られて、至近距離でブレスをくらって」
フィンが下を向く。手の上に大粒の涙が落ちた。
肩に手をやり支える。その体が震えていた。
目を火竜にやると、もう手の施しようがないような状況だった。呼吸が浅く、血が火竜の赤い体を黒く染めている。
「邪魔だ。寝ておれ」
シャルのそんな声と地響きが聞こえた。黒龍が地面に叩きつけられている。
そんな音にまぎれてラルゴが飛んできた。火竜の様子を見て口を開く。
「あ、これ。あと十分程度で死ぬっすね。致命傷っす」
「……そうか」
どうしようもなかった。僅かに残った時間も、こんな状況ではなにもできない。
「こんなときですがラドルフに質問っす。神なんてよばれてる奴が世界に残したって言われてる三つの神器ってなんでしたっけ」
ラルゴは意味のない質問をする奴じゃない。その質問にまさかという期待を込めて言う。
「生命の炎と聖剣、それに英知の指輪だ」
「それぞれどんなものと言われてるっすか?」
「生命の炎は死者を蘇らせることが可能であると言われているほどの魔法。聖剣は武力の象徴で、斬れぬものはないと言われている。英知の指輪は知識の恩恵を受けるらしい。なんでも全知全能を形にした指輪だとかいう話だ。すべて伝聞である上に諸説があることを付け加えておく」
青い鳥が笑った。
「ほぼ正解っす。しかもそれぞれ使える者が限られてるっす。誰でも使えないっつーのは、難儀なもんっす」
そう言いながらも、二本の足で火竜に近づいていく。「神様の力を三つにわけたらそんなもんしか残んないんすかねえ」なんてため息をついて言いながら。
「ラドルフ、しっかりと覚えておくっすよ。俺っちの目の前では誰も死なせねえ」
死に向かっていく火竜の近くで、そう宣言した。
――ラルゴが姿を変える
青白い炎が湧き出る。その光景を、目を丸くしたフィンと共に見つめていた。不思議なまでに青い炎が燃えさかりラルゴを包んだ。その炎が収束する。炎で体が膨れたように、蒼い炎を纏った怪鳥――魔王が顕現していた。
「……綺麗」
フィンが漏らす。
その幻想的な鳥はそう値するにふさわしかった。
ラルゴは何も言わずに火竜の隣で翼を広げる。その翼が倒れた火竜に触れた。
「フェニックス・タッチ。なーんていうシャレた名前がついたっす。触っただけなんすけどね」
火が燃え移る。
ラルゴが触れただけで火竜に青い炎が纏わりついた。
傷を燃やす。火竜の黒くなった場所を青く染め、次第に従来の姿へと変えていく。翼が燃えた。燃える様子は根元から、段々上へと炎が燃え上がる。大きくゆらゆらと揺れる大火になると、ふっと消えた。それだけで食いちぎられたらしい翼が復元している。
――奇跡を目の当たりにしているようだった
ラルゴが疲れ果てている風龍にも羽をふれる。ふれただけで風龍の首があがった。
この光景はフィンと戦った試合のあとにも見た。倒れている使い魔にラルゴが触れると気が付き立ち上がって来たのだ。その力はもったいぶることもなく存分に使ってくれていたらしい。
最後にラルゴは撫でるようにフィンの頭に触れた。
「体が軽くなった。さっきまで、すっごく重かったのに」
フィンは立ち上がり手のひらを開いたり閉じたりしながら感覚を確かめている。顔に浮かんだ疲れも、引っ込んでしまっていた。
「ちなみに死んでもすぐなら生き返るっすよ! 体なんか、ココが生きてるかぎり生き返らせてやるっすよ」
ラルゴは羽で体の中心を押さえていた。決してあきらめるな。そういう伝言なのかもしれない。
「味方にしといたら最高な能力っしょ? ちなみに生命の炎は俺っちと同化してるっす。つまり、俺っちも死なないんすよねえ。どんな攻撃くらっても、それより俺っちの回復のほうはやいっすから。だからって聖剣ぶっ刺されるのは二度と勘弁っすけど。あれ、無力化まで入れられるんで、刺されると力はいんねーから動けねえんすよねえ」
絶対に斬る能力と絶対に再生する能力がぶつかると、斬り続けられるけど死なないって状況になるのかもしれないと考える。
ラルゴは未だに勇者に対して根に持つことがあるらしい。結界で覆ったうえに聖剣を刺すのは、やりすぎだと思っているのだろう。だが、こいつなら時間をかけさえすれば結界を破りそうというのは納得できる。
「すまぬ。逃してもうた」
接近に気が付けないような身軽さでシャルが合流する。
いままで単身であのドラゴンを足止めをしていたのだが疲れた素振りも見せずにいる。その赤い瞳は空へと飛んでいる黒龍を見ていた。なにかを警戒してか、かなりの高さと距離をとられている。そんな黒龍はいつのまにか体中に細い切り傷のようなものにまみれ、疲弊していた。
「あー、あれもう降りてこないっすね。ヴラド公がいじめるから」
「かよわい妾になにをいうか。あれはあやつが勝手に暴れよった傷よ」
「言葉は正確に使うっす。体中に糸を巻かれて幻術で苦しみもだえさせられ暴れたら、体中が斬れたってところっすかね。最後は力で糸を引きちぎったみたいっすけど、俺っちはドラゴンに同情するっす。絶対許さないっすけど」
「あのような力馬鹿に対して力で抵抗できるわけがなかろう。勝手に自滅してくれたほうが楽だと思わぬのかの」
敵が降りてこないとの判断のもとで、それを目の前にして仲睦まじく話す姿に積み重ねた経験による余裕を感じた。この二人はきっといくつもの戦場を超えてきているんだろう。
「……いと?」
フィンが首を傾げて聞いていた。誰しもがドラゴンから決して目を離さないが口を動かす余裕はあるらしい。
「そう。決して目にはうつさぬ糸よ。聞いたことないかの。ほれ」
そう言われると俺の指に違和感を感じた。小指になにか触れている気がする。それがひっぱられる。隣にいたフィンの指――小指とくっついた。
「……ん?」
小指の糸というのは、なにかで聞いた覚えがあったような。
「運命の赤い糸! なんてロマンチックな力なのかしら」
運命の赤い糸を例に出して能力をわかりやすく、遊びを加えて説明してくれるのは俺も感心した。だが、ロマンチックという言葉のもとにボロボロにされた黒いドラゴンを見るとなにか違うんじゃないかと思ってしまう。
「ククッ。赤い糸っすか。なにで赤くなってるんすかねえ。グエエエッ」
言っているラルゴですら気づかないように、首の一部が連鎖になっているソーセージの連結部のようにすぼめられていた。音もなく気づかれずにこれだけの効果を出せる武器が糸ということを知り、俺の中で糸は武器へと昇格した。
ヒュー、ヒューというかすれた息をしているラルゴは羽でドラゴンをさす。見ると――思い切りブレスをしようとしていた。
「味方の気を引きやがって……ラルゴ、身体を張って止めて来い」
「し、死ぬかと思ったっす……死ねないのに死にかけるって、これ拷問じゃないっすか? ぶっちゃけ俺っち、この世の至る拷問を受けてきた気がするっす。で、俺っちのマスターは、次は体張って熱線のブレス止めろっていうんでしょ? はいはい、わかったっすよ」
口からはひたすら文句を言いながらに行動は迅速。すぐさま俺たちの前に躍り出て翼を広げて受ける姿勢をとっていた――が、その構えを解いた。
「俺っち良いこと思いついたっす。どうせ俺っちが生き返らせることができるなら、一度あれ食らってみるっすよ。ほら、そうすりゃ俺っちの苦しみもわかるっす。クハハ! 普段俺っちに乱暴ばかりするラドルフに仕返しっす! 焼け焦げて死ねぇ! やれえ黒いドラゴン! この白い髪の男を竜王だと思って殺せ!!」
がっしりとラルゴに抱えあげられて、矢面に立たされる。黒龍が笑っていた。全員を巻き込んでブレスをかますつもりだった。
「目の前で誰も死なせないなんて格好つけておいて今度はそれか!?」
俺は慌ててフィンを見た。どこにも見当たらなかった。
「安心せい。嬢ちゃんは風龍が連れて逃げたぞ」
「全然よくないがよかった」
ドラゴンが必殺のブレスをうつために勢いをつけたときだった。
――空に流星が見えた
銀の筋を描きながらそれは迫る。
ドラゴンのブレスなんかよりも、それがここに落ちるほうが怖く思った。こういうときの勘というものは働くもので、近づいてくるそれは目にもとまらぬ速度で飛来して……
――――黒龍にぶつかった
「なっ!?」
あまりの出来事になにが起こったか目を疑う。黒龍が弾き飛ばされたと同時に血をまき散らしている。その衝撃音が耳に届いたとき、再び黒龍が吹き飛ばされていた。
――空中で黒龍がきりもみ状に回転しながら飛び跳ね回っている
見えないリタが数十匹いて打ち合わせ通りに攻撃をしかければ、このように見えない敵に吹き飛ばされるというような状況がつくりあげられるのだろうか。いや、そんなもの理論的にありえない説明でしかない。事実はそんなことではない。だが、俺は目の前のことをしっかりと目で観測していた。
黒龍が空中でなにかにぶつかり続けて、吹き飛ばされ続けている。かわいそうなぐらい弾かれ続けている。
こんな自然現象があるのだろうか、あるいはまさか、これはなにかの意図の元の攻撃なんだろうか。見えない攻撃という点で、シャルを見てみる。が、違う。シャルをして目に尊敬の念を浮かべながらも傍観している。フィンのリタでもないだろう。
俺を抱きかかえているラルゴが言った。
「近くで見せてやりたかったんすよね。これ、グングニルっつー百発百中の技っす。そりゃ知覚外から攻撃されたらこうなるっすよね」
「ふふっ。こんなもの、見ただけではわからぬよ。これはな、お主の使い魔の仕業よ」
シャルの声に思考が止まる。
――俺の使い魔がこれをやっているというのか
「俺っちら使い魔のうちで誰がエースかって会議したことがあるんすよ。誰が一番強いかっていうのは状況により変わるんで、なんとも決着がつかなかったんすけどね。誰と一番戦いたくないかって聞くと満場一致でした」
「誰よりも優しく紳士で、情に厚く情にもろい。普段は小鳥と戯れたりしながらリンゴでも齧っとるような男よ。よく言うだろうに――優しい奴ほど怒らせたら怖いと」
そいつは風と共に目の前にあらわれた。
――――オオオオオーーーーーンッ
白銀の毛並を決して血に濡らしてはいないが、靴下をはいているのかというぐらいに前足を真っ赤に染めていた。幾たびの衝突 をして知っているもの以外には認識すら許さない白銀の狼――シルバーが吠えた。
毛並が逆立ち青白い光を纏う。シルバーの周りに時折光が走った。
その姿は恐ろしいを通り越して――神々しい
「神威を纏いよった」
「この状態の白銀公を目にするだけで俺っちは恐ろしいんすけど」
黒龍は空中を落下している。それにシルバーは狙いをつけて俺を振り返った。
――殺すか生かすか決めてくれ
その判断を迫られ、俺はそれにすぐさま応える。
「生かせ。フィンにやる」
俺の言葉に歯を見せてシルバーが笑う。そんな残像を残して流星が尾を引いていた。青白く光る姿はまるで一陣の槍のように美しく突き刺さろうとしている。
「神をも殺す槍――ロンギヌス。フェンリルのこの一撃は竜王をしてそう評価されたっす」
槍が突き刺さる。
空中で黒龍のうごきが静止した。まるでその瞬間に勝負は決まったように、うそのように静かに落下する。地面にその巨体が倒れ込んだ。
猛威を振るった黒龍がぴくりとも動かなくなった。脅威が去った瞬間だった。
「シルバー!」
思わずそう叫んでいた。
ラルゴが俺を地面に下ろす。
「オンッ!」
そんな声と共に目の前に姿をあらわした。よぶと必ずお座りをするが、その前足が濡れていた。どうやら姿が見えない間に洗っていたらしい。
そんなシルバーが頭を下げる。俺はその頭をなでた。
「お疲れ様。来てくれてありがとう。助かった」
「あの黒龍には手を焼いたのに、赤子の手をひねるぐらい楽にもってたっすね。しかも加減までして」
「加減せんかったら、あの龍は形をとどめておらんわ」
各々がシルバーを賞賛する。状況を一転させるどころか倒してしまったのだ。惜しみない賞賛を与えたい。当人もまんざらではなく、耳を動かしながら撫でられている。揺れる尻尾も目に見えた。
音を立てながら近くに風龍と火竜が着地する。
「わたしはいいって言ったのに!」
フィンがリタに対して怒っていた。フィンの許可なく逃げたことを戒めているんだろう。あのラルゴの軽薄さを見ると逃げる判断のほうが正解だったと思う。あの位置からシルバーを認識できるのはこの魔王だけだったろうから。それに、不安を煽ったのもこの馬鹿鳥だ。その行動を戒めようと睨むが、大きい体になろうともわざとらしく三歩、足を進めて首を捻っていた。忘れたといいたいらしい。
フィンを見るとシルバーに目を輝かせていた。
「綺麗な子。この子もラドルフの? ラドルフの使い魔ってなにか一つに能力が尖ってて、手が付けられないよね」
フィンがシルバーにおそるおそる手を飛ばす。グローブのはめられたその手をシルバーはじっと見つめて、ぺろりと舌を出してなめた。きゃーという黄色い声が上がる。
少しシルバーを撫でた後でフィンは俺に向き直る。
「助けてくれてありがとう」
屈託の無い笑顔だった。
なんだかそれがまぶしくて。
「ああ」
そんなそっけない返事だけをした。そう来るとわかってたらしい彼女は「やっぱり」と口にしてわらう。
俺は頭を押さえてフィンに言った。言いながら腕を組んで指を動かす。
「……いくつか言いたいことがある」
「うっ……はい」
なにを言われるか察したらしく、嫌な顔を浮かべていた。
「未開拓地の調査任務は複数人で行うのがセオリーのはずだが、一人でいったな。挙句に前情報がドラゴンと貰っていたにも関わらず、あの黒龍の領域を龍で侵犯し縄張り意識を刺激して戦闘しただろ。そもそも召喚士をしてワイバーンやドラゴンの違いなんていうのは付きにくいものだからと高を括っていたんだろう……いや、もういい。俺はこんなことを言いたいんじゃない。今のは違う……照れ隠しだ」
言ってる途中で何をいっているのかわからなくなった。つまるとこ言いたいことは一つだとまとめる。
「心配した。無茶はよせ。お前が行方不明だ、死んだなんて聞くだけで気が気でなくなる」
言ったあとに気が付く。
「いや、これは俺がお前にやってたことか。それなら俺は言えないか。いやでもあれは許されてたな。……無事だったし俺も許せばいいことか。次は気を付けろ」
そんな俺を見たフィンがすごく驚いていた。
「……ジケンだ」
ぽつりとつぶやいたフィンが口に手をあてて直立する。そして叫んだ。
「事件よ、これ。それも天変地異並の。ラドルフがすっごく良い子になってる。もとからこうだったけど、絶対口では言わなかったのに。口で言うようになってるのよっ!」
そういう彼女のあまりの剣幕からだろうか。大地が揺れて、森の木々がざわめきだし、湖の水が荒れているように見える。
ラルゴが地面を転がって笑っているのも見えた。
「どうしたの。なにか変なことでもあった? それともわたしがいなくて寂しくて変になっちゃった?」
握りこぶしをふりながら興奮したフィンがきいてくる。これを誘うようにでも言ってくれれば可愛げのひとつもあるというのに、大真面目に言っていた。
「どちらでもない。一時の気の迷いだ」
「なら、ずっと迷わせてなさい!」
指をさされて言われた。
「善処する」
そう言うと再び地面が動く。さきほどフィンが怒って揺れているように見えたかと思えば本当に揺れていたらしい。
地面からヨルムンガンドが顔を出した。森からは「もう出ていい?」と不安そうにベヒモスが出て来て、湖からはリヴァイアサンが出てくる。三体とも水を差すのを嫌って頃合いを見計らっていたようだった。
「おい。俺は誰も召喚してないぞ」
そう言うとみんなが笑った。そんなことされなくても来るのは当然だというように。この胸に湧く温かみはなんと言うのだろうか。その温かみは居心地がよかった。使い魔と険悪な関係を結んでいたならば来てくれなかったかもしれない。横並びで肩を合わせているからこそ、よんでもいないのに来てくれたのだ。そんな様子を目を細めてみる。
湖に山にと、こんなに広い場所なのに少し狭く感じていた。俺の使い魔が六体とフィンの使い魔が三体と未だに倒れている黒龍がいる。こうしてみると壮観だなと眺めてみると気づいた。
――黒龍を忘れていた
そう気が付いて未だに俺にギャーギャー言っているフィンに言った。
「フィン。黒龍と契約して来い。お前を守る使い魔が増えるのはありがたい。あいつならば大抵のドラゴンに襲われても対処できるだろう」
「待ちなさい。あれを倒したのはラドルフよ。なんでわたしが……」
「フィン」
「うっ。そんな凄まなくてもいいじゃないの。だって、あれは」
「フィン」
「ねえ。意見を変える気はないの? あなた昔からそうよね。カトリーヌのときも「いらん」の一点張りで地味に彼女を傷付けながら、わたしに譲ってくれて」
あれはあとでカトリーヌに一晩かけて謝った。
「フィン」
「わかったから! お話しましょうよ。ねえ!」
その後、俺から発する言葉は変わらずフィンが折れる。
「わかったわよぉ。契約するわよ。うぅ……ありがとう」
「それでいい」
そう言っていると周りから強烈に非難されたような視線が飛んでくるが無視した。
「はぁ。あのクソ不器用な男には苦労させられるのう。ほれ黒龍が気絶しとるうちに強制契約を結んでおいたほうがよい。いくぞ嬢ちゃん」
フィンより小さなシャルがフィンの腕を引いていった。迷子の子供のようにとぼとぼとゆっくり歩くフィンが印象的だった。
「あれはないっすわー。けど、なんでラドルフは黒龍と契約しなかったんすか? しちまえば楽だったのに」
「お前ら魔王勢は長年ドラゴンと揉めてきたろう。そういう隔たりを生みたくは無かった。その理由から俺がドラゴンと契約することはない。あと理由がもう一つ」
「なんすか?」
頷きながらラルゴがきいてくる。
「俺は空を飛ぶ魔物よりも、地べたを這いつくばって泥臭い魔物のほうが好きだ。見てる分にはドラゴンは嫌いではないがな」
そう言うとラルゴが大笑いする。笑いながら頭をぶつけてきて、羽で俺の肩を持つ。
「いやあ、わかってるじゃないっすか。俺っちもそういうほうが好きっすよ。まあ、飛べますけど」
「お前は食用だから飛べんようにする予定だ」
「だれが食用っすか!? 」
ラルゴと口汚く口論をする。しまいにはお互いに手が出るような戦いになるが、そもそもラルゴがこの状態で殴ろうが蹴ろうが俺が回復してしまうのでノーダメージ。加えて俺が殴ろうがダメージはない。歴史に残る泥仕合とはこのことだ。
「なにを騒いでおるのだ。……まったく、この二人は」
「わぁ、仲いいね」
いつのまにか周りにギャラリーが出来て応援されながらも退くに退けなくなった泥仕合をシャルが止める。どうやら契約は終わったらしい。
「チィ。勝負はお預けだなラドルフ」
「こんな泥仕合二度としてたまるか阿呆鳥」
軽い運動程度にもならなかった。疲れも無い。ただ時間を無駄にしただけではないかと思う。
「マスター腹減ったっす。帰るっす」
「言いたい放題だな。……と思ったがそうでもないか。朝から飛び続けてくれたんだからな」
せっかく集まってくれてもやることがないから申し訳ない。
「フィン、帰れるか」
「うんっ」
――なら帰るか
そう振り返った瞬間だった。
みんなが並んでいる俺とフィンをニヤニヤしながら見ていた。
おそらく見えたのは俺だけだろう。
――空から黄色か紫か空色かも識別のつかない光が落ちてきた
猛烈な風と光に襲われた




