1話 二年の歳月
二年ぶりになる。
この街、ネビリアに足を踏み入れるのは。
時間が経ち、変わったものと変わらなかったものの違いを記憶の中で確かめながら街を歩いた。その中でやはり、惹かれるものがあって知っている店を選んで入る。「アップルポリッシュ」大衆食堂としては良い名前だと気に入っている。大きな町へ行けば必ずある安くて美味しい食事を出す店。俺が知りうる内の一つがここだった。大きな荷物を下ろしながら、シチューとだけ告げる。声を出したのは久しぶりかもしれない。喉が違和感を覚えていた。
待ちに待ったシチューが運ばれて、目の前に置かれた。運んできたのは、人懐っこい笑みを浮かべた女の給仕だった。
「召喚士ですか?」
持っていたスプーンが金属特有の高い音を響かせた。スプーンを落とした。そう、気が付いた。
「……俺は、召喚士、じゃ、ないです」
ぼさぼさに伸び切った髪をかきわけ、額に手をやった。
頭の痛い話だというのが伝わったのかもしれない。スプーンを取って来るという体裁のもとに給仕の女は逃げて行った。
――召喚士という単語に神経質になりすぎだ、俺
そう思うが、その単語には敏感にならざるを得なかった。
召喚士という職業がある
召喚魔術を使う人間のことをさす言葉だ。召喚するのは異形の獣たち――魔物とよばれる世界中に生息するモンスターだ。つまり召喚士とは、人間が魔物を呼び出して戦闘を行う奴のことを言う。
それが人間社会において認められるぐらいになるまで定着した。いや、認められるどころじゃない。今、一つの時代をつくっている。
剣を使って魔物を倒す時代が終わり、魔物を使って魔物を倒す時代が来た。
かつて、と言っても数字を出せば二百年前ほどになる。勇者と魔王が存在していたらしい。もちろん、勇者が聖剣を使って、魔王を倒した。魔王を倒したから勇者とよばれているのか、それとも最初から勇者とされていたのかという解釈までは知らないが、とにかく勇者という人が魔王という魔物を倒した。それは教えられている歴史であり、疑う余地は無い。……いや、疑う余地があった。魔王を倒したから魔王がいなくなったのはわかるけれど、なぜ勇者まで歴史の陰に隠れてしまっているのだろうか。勇者が魔王を倒したということ以降、勇者の名前は歴史に残っていない。その点だけは疑問かもしれない。
とりあえず、それが有史に残る、剣で魔物を倒した例だと思う。
そこから魔王がいなくなって魔物の脅威が減った時代がやってきた。そこからもしばらくは、人は剣で魔物を倒していたはずだ。いつ、それが代わったかというと百五十年ほど前だ。それまで人に対して使われていた主従契約の魔術があった。主に奴隷や犯罪者に対して使うことを限定的に許可されてきた魔術だったが、それを魔物に対して使えるようにした魔術師がいた。そこから、魔物を従えた冒険者――魔物を使って魔物と戦うことを生業とする者が増えた。
この時点ではまだ、魔物と戦う手段として剣と魔物が入り乱れていた。どちらもいい点と悪い点があったからだ。魔物を連れている者は魔物使いなどと呼ばれ、女々しいものとバカにされていた。その特性上、多くの時間を魔物と一緒に過ごす必要があった魔物使いは、あまり便利なものではなかったらしい。
それを解決したのが召喚魔術だ。自分が従えた魔物を任意に召喚する。たったこれだけで、どれだけ楽になるのだろうか。剣を持ち歩かずに街の外に出て、魔物が出たらどこかで待機してる自分の魔物――使い魔を召喚して追い払えばいい。なんて簡単で便利なんだろう。
と、思ってしまったかもしれないが実際には問題は山積みにある。重大な問題を一つ上げよう。そもそも魔物と契約を結ぶのが難しい。この一点につきる。この時代では、剣を持ち、魔物と敵対して戦い自分を認めさせてから契約する。これがオーソドックスな契約方法だった。
それもまた人間は血生臭く、努力と汗水と時間によって解決してしまった。ランダム召喚とか、しゃれた呼び方だとマッチング召喚などという、わけのわからない召喚魔術が生まれたのだ。誰と契約をしているわけでもない、野生の魔物を召喚し、そいつと契約を結ぶなどという魔術だ。自分の魔力や血を使って召喚を行うという魔術の特性上、自分と性格のあう魔物がよばれる。するとお互いに惹かれあい、契約が成立する。というのは後から付け加えられたもっともらしい説明であり、実際はこうすると高い確率で契約できる魔物が召喚される。というものであるという認識は広めておきたい。これも非常に使いやすい魔術になっており、少年少女が教養と社交性を養う学院の二年から三年にあがる昇級テストに実技テストとして出てきたほどだ。また、金を出せばなにからなにまでの代行がはびこっているのが現状である。
こうした環境の変化が人々の手から剣をはく奪し、魔物と手を結ばせた。
そりゃ、人間が戦うよりも遥かに強い魔物を従えて戦うほうが楽だし安全ということもある。その上に、個人が持つ戦闘力や武力というものが跳ね上がる。A級と呼ばれる召喚士は、かつて人が三十人かかって倒していた魔物を従える。それも一体じゃない、平均で三体だ。この戦力は人間で換算すると何人分とおけるのだろう。考えたくなくなった。
こういった時代背景があって、人間は進化した。魔物という外敵から身を守るために、個人がより強い力を楽に持てるように、と。
現状、剣を持っている人間が存在するのは、魔物が入れないとする場所――教会や城の中ぐらいになった。
つまり、手段としての剣が排他され、より便利な魔物に変わった。これが、俺が召喚士の時代だと言う理由である。
からっぽになった皿を見て、動かしていたスプーンを置いた。このスプーンなんていうのも昔から使われているけれど、いつかなにかに取って代わったりするかもしれない。いや、考えすぎかな。こいつは結構便利だ。
混んでいた食堂の奥から、若い男が二人歩いてくる。腹が膨れた、うまかった、そんなことを言い合いながら。ぴたりと足が止まった。俺を凝視していて、目と目があった。
「……間違いない。おまえ、ラドルフか?」
知らない男が俺の名前を知っている。こう思うと奇妙だが、俺が忘れている可能性のほうがはるかに高い。
「そうだけど」
そう言うと、「やっぱりか」と声にして俺に向き直った。どうやら座る気らしい。俺の前に腰を下ろした。付き合わされた連れも、しぶしぶ座る。
「ラドルフ……お前さァ」
男は口を手で隠しながら言った。親指と人差し指の間の空間から、いやらしく上がった口の端が目に見えた。
「まだ召喚士……目指してんの?」
学院――かつて通った学び舎の同級生だったらしい。
「ああ」
俺が肯定すると、目の前の奴が喜んだ。
「やっぱり! まだ! 目指してるんだ! つまり、まだ! 召喚士じゃない。いやぁ……そろそろ気づけよ」
白いシャツにベストなんていう身なりが良い男が「善意で言ってるんだよ」と恩着せがましく続ける。
「あのさぁ。普通、学院を出るまでにね、使い魔の一匹や二匹と契約するんだよ。いや、知ってると思うけどさ。それが普通なの、ふつう。ラドルフ、お前はふつうじゃない。学院を卒業して二年たったいまでも、契約の一つもできない! 才能のカケラも感じさせないお前がいまさら召喚士になったって、なにができるの?」
「さぁ」
――なってみないと、わからないだろうに
「だろう!? あのね、俺たちもだけどね。二年もあればDかCにまで召喚士のランクがあがってるんですよ。いわばこれは社会的地位ね。だって召喚士様だもん。お前はそのスタート地点にも立ててないっ! 遅れてる、遅れてるよ!」
「そうだな。多くの奴が数年でCランク近くまで行く。だが、そこまでだろ」
召喚士に歯向かうなよ、と俺に向かって歯を向いた。
「負け惜しみってやつ? はっ。悲しいねえ元優等生様」
「いや、客観的な事実だ」
「お前のそういう所がムカツクんだよっ!」
付き添いがいなければ俺に手を出していた。そのぐらいに興奮していた。付き添いの、気の良さそうな男が必死に俺に向かって謝っている。俺にムカツクほうは、こんなやつに謝る必要はないと言い、余計に興奮していた。
「忘れてないと思うけどさぁ。フィオナって女いたろ?」
「フィンか。あいつは優秀だ」
この街に来た目的だった。フィンがどうしているか。ただ、それだけ。そうでなければこんなところに戻ってきたりはしない。こんな風にからまれるのが、とてつも無く嫌だったから。
「あいつは今頃、華々しく戦っているよ! アリーナでAランクへの昇格戦だ」
フィンは、たったの二年でEから初めてAに手をかけているらしい。普通のやつらはD、Cで手ぐすねを引くらしいから、やはりあいつは才能のケタが違う。
「すごいな。やっぱり、あいつ。……すごいな」
「……そいつが言ってたよ。落ちこぼれのことなんか、忘れてしまいたいって」
がく然と、世界の光の量が落ちて暗くなったかのような錯覚がした。
フィンがそんなことを言っている姿は想像できない。だけれど、それを言っていてもおかしくないことを俺はした。人間なんて二年もすれば変わる。希薄になった人間関係なんてのは、薄まりに薄まって無くなってしまっていてもおかしくない。長く付き合った人間でも、離れるのは一瞬などと言われたりもするものだから。
「そうか。まぁ、しょうがないな」
すぐさま諦めた。こういうことばかり得意になってきている自分がいた。やめることと諦めること、この二つが得意技になりそうだ。
席に金を置いて、席を立つ。
「なんだ。言われたからって逃げるのかラドルフ」
俺に言葉をなげかけるそいつを無視して、少ない荷物を担ぐ。腰の、しかるべき位置に剣を携えた。
笑い声を背中に聞きながら店を出る。
強く噛み過ぎた唇から血が出てきた。俺はそれでも構わずに、行き先なく歩いていた。




