9話 コウモリと泣く少女
その晩は、ヴラドの好意に甘えて寝室を借りて寝ることにした。
ラルゴはソファーで、シルバーはその横の石畳で寝入ってしまっている。俺はヴラドに案内された部屋で、窓際の椅子に座りながら窓から見える月を見ていた。この場所からは、月が大きく見える。その遠いようで近い月に、自分の心象を重ね合わせていた。
ラルゴを封印していた白い剣をなんだかんだで、持ち帰ってきてしまっていた。その白刃が月光に輝きを見せる。刻まれている装飾があまりに多すぎて、俺の趣味ではなかった。俺はもう少しシンプルで飾りの無い剣が好きだ。昔から剣が地味だと言われ続けていたな。なんでも持ち歩く武器には人柄が出るらしいとフィンが言っていた。あのころの女が好きなゴシップだろうと思うが、フィンが昔から飾り気を好んでいたことから、あながち間違いではないのだろうという思いになる。そう考えると俺は、あまり遊びがないのかもしれない。フィンと俺、足して割って丁度いいぐらいかもしれないな。
ノックの音が響いた。
静かに扉があけられる。誰だろうと考えるまでもなかった。ノックなんかして、ドアノブを回して入れるのはヴラドしかいなかった。
ヴラドが静かに入って来る。片手をあげて迎え入れた。銀の髪を下ろし、大人びた雰囲気になった彼女はマントで全身を覆っている。
「よい夜だな。人はこんな夜、一人でいるのは寂しくなるのではないか?」
「いや、そんなことは」
「強がりは、なにも得せん。やめたほうがいいのう」
そう言って笑いながらヴラドが俺の前の椅子に座った。
手には赤いワインのボトルとグラスが二つ。グラスをすすめられるが、俺は断った。代わりにヴラドが持つ透明なガラスのグラスに赤い液体を注ぐ。最初の杯を合わせるところだけ、一緒にする。俺は持っていた水の入ったコップを持ち、細い指がかかるグラスと静かに上にあげた。
「落ち着いた話をするのは夜に限る。そうは思わぬかの」
月を見上げながら、そう言った。その横顔は月光に彩られる反面、顔の半分に影がさしていた。
「なにか、話があるのか」
「いや、いまのうちに聞きたいことがあれば聞いておこうと思っての。不安はあるか?」
「あるわけないだろ」
「ふっ。なんとなくそう言うと思ったわ。本当にそっくりだのう」
「そっくりというのは、この城に来たことがあるもう一人の人間とか」
そう言うと、月から俺に視線がうつった。赤い瞳になにが見えているのだろうか。目を細めて俺を見た後、さらに細めて、次第に閉じた。
「あれの話は、いまだ誰にもしたことがない。……するのが、怖いのじゃ」
「だが、そのわりには引きずっている。俺という人間を招き入れたことがきっかけかもしれないが、よくそいつのことを口にしているだろう。口にするってことはな、お前は誰かに聞いてほしいんだよ。しかもそれは、下にいる二人に話せないことなんだろう」
そこまで言うと、目の前の少女の顔に、はっとしたような表情が浮かんだ。大きくなった目が落ち着くと、俺は言葉をつづけた。
「言いたいのなら俺が聞いてやる。胸に抱えるならば、それもいい。俺はお前の選択を尊重するよ」
「お主は本当に不器用だのう。だが、その不器用さが妾にはありがたい」
笑うヴラドに、俺は言った。
「一応はお前の主だからな。なにかしてやりたくて、仕方ないんだ」
心からの言葉だった。
「そういう素直さがもう少し表に出ればいらぬ苦労はせぬだろうて」
まゆをしかめながら言われる。そんな様子にそれもそうだと頷いた。だけれども。
「それができれば、俺はこんなに苦労はしてこなかっただろう」
無理だ、と返しておいた。
ヴラドがとっさにグラスをおいて笑い出す。話すと常に落ち着きを見せ、外見と中身が不一致な彼女だが、笑っている姿は外見相応に可憐だった。
「そうよな。お主は、我の契約者だったのう。……本当に、本当にどうしようもなく救いようがない、妾の罪よ。それでも、聞いてくれるかの?」
両手を椅子につき、体を前のめりにして上目使いに俺に聞いてくる。どこか不安で、どこか心配で。そんな様子が見るまでもなかった。
「……昔、盗んだ酒を飲まされて盗んだ奴と共に罪を問われた人間がいてだな」
俺はヴラドが置いたグラスをひったくった。その中に入っている赤い血のような液体を飲み干した。
「酒だろうが血だろうが毒だろうが、お前の身から出るものであれば俺は飲み干してやるよ」
俺も罪を背負ってやる。罪などというものを受け入れることはできないかもしれないが、知ったことでそれは罪の一端を担うことになるのではないか。ならば、それを素直に受け止めかつ否定しないと決めた。それが俺にできることだ。
ヴラドは笑う。口を隠して、目で笑っていた。
「そっちへ、いってもいいかのう」
俺は無言で席をつめ、隣をあけた。少し大きめの椅子に二人が座る。ヴラドの息遣いが聞こえるような距離だった。薔薇の花のような香りがくすぐった。触れればトゲがある前兆かもしれないが、その香りはくらくらと思考能力を失わせ、つい触れてしまう、そんな香りだった。
ヴラドの小さな頭が俺の腕にしだれかかったときだった。ヴラドがゆっくりとまつ毛の長い目を閉じ、かわりに口を開いた。
――――200年も、前のことだ。
妾の城の前に、人間が助けを求めてきた。全身が切り傷にあい、つけている防具もその機能を果たしておらんぐらいだった。ただ、そいつは目が死んでなかった。いまでも思い出せるほど、綺麗で美しく、強い目をしておった。緑水のような色で、輝きを放っておったのだ。聞けば人間に追われたという。どうしようかとも迷ったが、なくすには惜しいと思ってしもうての。中に招き入れてもうた。
驚いたことに、そいつは何日も目を覚ますことはなかった。妾が様子をみることも忘れたときに、ひょっこり顔を出してな。人懐っこく言ったのだ。「死ぬかと思った」とな。そいつは、名をアークライトと名乗った。起きてからがやっかいでな、腹が減っただの、お風呂に入りたいだのと喚いてひどくうるさかった。一応は客人なのでな、もてなしはした。が、今度はいつまで経っても出ていかんのよ。人間というのを招くとこんなにも面倒くさいものかと、二度と人間を招き入れんと腹づもりを決めたときだったのう。「見せたいものがある」そう言われて、なぜか月夜の庭に連れてかれてのう。そこで、全ての失態を気づかされた。
アークライトは聖剣を召喚し、光の魔術で妾を拘束した。アークライトと名乗る人間は、勇者だったのだ。ああ、そうそう。聖剣というのはそれじゃ。ちょうど、お主が持っておるその剣。それが無いと勇者は勇者の力を使えん。だからのう、妾も気づけんかったのだ。
妾は生来、光とは相性が悪くてのう。その術から逃げることはできんかった。それに、状況は最悪だった。外で拘束されて、それが解けんのだ。妾は光、とくに日の光に弱い。少しなら平気なのだが、長時間くらうと体が壊れる。それと同時に急速な再生がおこなわれての。死なんくせに痛みが襲い続ける。拷問のようなものよ。
今思えば、全て知っておったのだろうな、勇者は。妾の種族のこともよく勉強しておった。勇者は聖剣で、自らの腕を斬りつけたのだ。お主の前でもなったろう。吸血の衝動につき動かされてどうしようもない状態に。体を拘束されたまま、妾はそれになってもうた。頭がおかしくなるかと思ったよ。その本能の恐怖に勝てるようにはできておらんかったのだ。かなり、耐えたと思ったが、それに太陽の光が加わって妾は体も心も追いつめられての。そこでようやく勇者が要求をしてきて、それを救済と飲まざるを得なかった。いや、いまのは間違いよのう。弱い妾は、それにすがってしもうた。
勇者に、魔王のことを洗いざらい吐かされた。性格や姿、生い立ち。なぜか、そういったものを聞かれておった。あげくには、魔王の城の位置。それと、いま誰が城につめているかまでな。そして、妾は血をもらいその対価として数日、妾の城から出れんような契約をくらった。「あなたも倒さなくていい魔物だ」なんて言って、命まで助けられたのだ。そうしておめおめと見逃がされたのだ。
妾がこの城から出れんときだったよ。魔王が、勇者に討たれたのは。
ヴラドはいつからか、大粒の涙を流している。だが、決してそれを見せようとせず俺の身体にぴったりとくっついていた。「まだだ」そう言って、しばらくしたあと、もう一度口を開いた。
――そのあと。魔王が討たれ魔王城に結界が張られて、だれも近づけんようになったときのことよ。
勇者が革命を起こし、それも落ち着いたころの話。だから、数年後だの。
贖罪ではないが、許せんかったのだ。おそらく、自分自身と勇者を。
勇者が納めている街へ足を踏み入れて、単身で夜襲をかけた。勇者と相打てば、救われるような気がしておったのだ。そのときに勇者は言ったよ。「待っていた」そう言われて激昂した妾は勇者を殺しかけた。いつぞやのような姿になった勇者はぽつりぽつりと言葉をもらしたのだ。「魔王は生きている。自分には殺せなくて、あとの時代に託した。自分は魔王と描いた理想を追っている」とな。やつの考えていることはまったく理解できんかった。勇者は、魔王も王も殺さずにその権威を剥ぎ取ったのだ。殺すよりも難しいはずよのう。王から力を奪い市民の代表に権力を与える。そんな体制をつくるのに命をかけておった。そのくせ魔王も生かし、魔王と理想をともにしておった。そして、言ったよ。「私を殺してもいい。あなたにはその権利がある。ただ、目標を引き継いでほしい。魔物と人間を結びつける術を開発してほしい」そんなことを抜かしよった。妾が今度は吐かせる番だった。魔王と交わした約束のこと、あの時代において魔王を討つ必要性があったこと。魔王の代わりに魔王の意志をくみ取っていること。妾はもう、本当にどうしていいかわからんかった。その時に、悪魔のようにささやいたのだ。
「人間と魔物を結びつけるのに協力してくれ。まずは、私とあなたからだ」
……こんなことを、言われて。妾は魔王に対する罪の意識から魔王に対する償いだと言い聞かせてその手をとった。その後、勇者のもとに何度か足を運びながら、この城においてずっと魔術の研究に時間を費やしたよ。勇者があっけなく死ぬときに、全てを妾に託された。魔王に勝った化け物も、ついぞ寿命には勝てんのが人間よのう。勇者が生きているうちに契約だけは実用化したのが、妾の功績だった。知っとるかもしれんがこの時は、なかなかうまくいかんかった。そのあとは、時間こそかかったが召喚の魔術を人間にも使えるようにし実用化させた。そうしてようやく召喚士と呼ばれるやつらが地位を得て、魔物と人間をいい形で結びつかせたのだ。
妾はナヴィエ・ストークスとヴラドの名をつかって、人間と魔族の両方に力を貸してしもうたのだ。妾は自分で自分がわからん。
――妾は、コウモリだ
牙があるから、獣といい。羽があるから鳥と言う。強い者には歯向かえん、コウモリだ。
人に見えるから、勇者にも力が貸せた。魔族に属するから、魔王の元で力を貸していた。
「妾は、コウモリだ。妾は、なんなのだ。魔王を裏切り、挙句には勇者に力を貸した。だが、人間にはなれん。魔族にも戻れん。妾は、なんなのだ」
寂しかったのだろう、辛かったのだろう。その感情が決壊し、水の形になって生まれていた。
「お前は、俺と一緒だな」
ヴラドに、そう言った。置かれている立場の話だ。
「俺は人間だが、魔王を甦らせた大戦犯野郎だ。こんなこと、だれかに言おうもんなら過激なやつに首を斬られてもおかしくない。だけどなヴラド」
ヴラドの肩をつかんだ。この細身にいくらの苦労を重ねてきたのか。
うるんだ赤い瞳が俺を見たことで、言葉を放つ。うまく、届いてくれ。
「俺は後悔してないぞ。勇者に教わったんだ。自分の信じることをしろと。俺は、俺の心に従って魔王の封印を解いた。お前はどうだ。お前も、信じることをやったんじゃないのか。お前の信じる魔王を信じたんじゃないのか。お前はいつか蘇る魔王の許しが欲しくて、勇者と魔王の理想を信じたんじゃないのか」
目に涙をためながら、顔を歪ませた少女がほえた。
「そうだ。妾はそのために、ただそのために、辛く厳しい時間を生きてきた。これが報われるのは、ただ魔王が妾を許してくれるときだけだ」
「なら、お前はもう報われていいんだよ。魔王は……ラルゴのやつは性格が捻くれてて普段は馬鹿でどうしようもないが、言うべきことは言う。あいつは本当はバカじゃない。むしろ、その逆の方だ。ヴラド。お前、気が付かなかったのか」
目を閉じて思い出す。魔王は言っていた。大げさに冗談を飛ばしたかと思ったが、その顔が真剣だったためにどこか違和感を覚えて、記憶に強く覚えていた。あいつがヴラドに一番最初に言った言葉だ。たぶん、ラルゴのやつは最初から全部知っていたんだと思う。あるいは、勇者に聞いていたんだと思う。そのぐらいまでにヴラドに対する言葉が適切だった。それも、気づかなかったときのためにしっかり俺にも聞かせていた。やはり、あいつは……すげえ奴だよ、本当。
思い出して撤回した。あの馬鹿、こんなセリフにまで遊びを入れてやがる。しかたがないから、再現した。
『ふははは! 今までの非礼を詫びよう! 俺っちのために尽くしたその行動に敬意と感謝を示し、汝の罪を許そう!』
『大儀であった。長く待たせ、辛い思いをさせたっす。再びあいまみえてくれることに感謝を』
「ラルゴはお前に言ってるだろ。……気づけよ。お前の罪は魔王に許され、その後のことも評価されて労われている。お前は、報われてるよ」
事実を、俺が導いた。この役割は、すべてラルゴから回されたものだろうか。そんな疑問はきっとはぐらかすに決まっている。なんとなくだが、ラルゴがあんな個性的な魔王でありながらも多くの配下に慕われている理由がわかったような気がした。
思慮にふけていると、ヴラドが俺に抱き着いてきた。感極まった、という様子で、笑ってるか泣いてるかわからないような顔をしながら。
「ラドルフッ! ラドルフッ、ラドルフッ、ラドルフッ!」
何度も何度も俺の名前を呼ぶ。首に回された細い腕と、その小さな背中に腕をまわして抱きしめる。軽い体の重さとその温もりを感じながら、俺は聞いた。
「なんだ」
浅い呼吸を繰り返す。まるで呼吸が難しいときのような息遣いをしているが、しばらくしてようやく整えてから、一度大きく息を吸っていた。そのせいで、小さな胸のふくらみが押し付けられた。
「ありが、とうっ」
「ああ。良かったな。お前、すげえよ。誰が聞いてもお前の功績は立派なものだ。ヴラドが、いまの時代――魔王と勇者が望んだ環境をつくりあげた。そのことを知りながらもお前を非難できるやつがどこにいる。もし、そんな変な解釈をする奴がいやがったら容赦なく俺が処す」
「ふはっ! 妾を、甘やかせすぎるな。……我が主よ」
ヴラドが俺の事を契約してはじめて、主とよんだ。そのことが嬉しくて、ついヴラドの頭をなでる。何も言わずに、だけれども少し恥ずかしそうにしている俺の使い魔は、ひどく可愛らしかった。
「……主よ。ちと、甘えてもよいかの」
「いいぞ」
もじもじとしながらも、ヴラドが言った。
「ちと、疲れた。妾は眠りたい。……そばに、いてくれんかの」
「そばで寝ていいんならな」
「うむ。それでよいよ」
抱きかかえてヴラドを天蓋付きの寝台へと運ぶ。横になった少女が、俺の手を握りしめながら言った。
――――やっと、眠れそう
そうつぶやいて、穏やかで静かな寝息をたてた。