前編
前編、後編の二分割です。
よろしくお願いします。
バズる、という単語がある。ネットとかSNSで、ある事柄とか物事が爆発的に話題になることを表す言葉だが、元となった「buzz」という単語は本来、虫とかが飛び回るぶんぶん言う音のことを示していた。つまりまあ、虫とかが集まってわんわんと唸るのと同じように、人々がわんわん騒ぎ立てるという、比喩のことだったわけだ。その言葉が出回り始めた当初、ネットでは文字が使われていたのだから、実際にそんな騒がしいはずがないのだから。
でも、それはずうっと昔の話だ。石油が枯渇するとかしないとか、あと20年で尽きると思っていたらあと25年分ありました、良かったね、みたいなことを繰り返していた時代は、歴史の教科書でも一瞬で通りすぎてしまうほど短い。政治的には色々とあったんだろうけれども、百年単位で見てしまえば大したことのない時代だ。
いまはどうかというと、本当に「バズ」る。何かがネットで話題になると、本当に耳がざわつくような……いや、全身の五感がそわそわするような騒々しさを体感する。抽象的でわかりにくいかもしれないが、実際にこれは抽象的な問題なのだ。というのも、ぼくたちを取り巻くソーシャルネットワークは大きく前進して、「感覚」をシェアすることができてしまったのだ。つまり、言葉とかのあらゆる表現用メディアを使わなくても、ぽあっ、と他人の感情が流れこんでくる。その「気分」を読み取ってこちらも「気分」として受け取ることができ、ぼくたちは文字や画像や音を用いずにコミュニケーションが取れるようになった。
これが「Dexy」と呼ばれる、最新のSNSの名称だ。口にするときはデキシーと読む。
そういうわけで、ぼくの自己紹介に移ろう。ぼくはテキストコンバータと呼ばれる職に就いている。全世界で文字を頻繁に読むと答えた人口が、昨年とうとう0.1%を切ったらしいが、ぼくはその貴重な0.1%のうちの一人だ。そう、誰もが「感覚」と「言葉」だけで過ごせるようになったので、文字というものの利用価値はすっかり低下してしまったのだ。ほぼ、思ったら即伝えたいことが相手に伝わるインフラが出来てしまった現在に於いて、写真ですらも読み取ることが面倒なメディアになってしまった。写真ですらそうであるのだから、文字を読みその意味内容と連なりから、文章描写が何を示しているのかを汲み取るなんて、面倒くさいにも程があるだろう。
でも、やっぱり何かを創造するのに文字というものは欠かせないし(これは他の表現手段についても言えるけど)、義務教育でも習うものだから興味を持って文字に親しみ続ける人は居る。ぼくだってそうだし、ぼくの担当する教授だってそうだ。でも、そうじゃない人達は文字を全然読もうとしない。学校では流石にずっと文字ベースで過ごしているが、卒業してしまえば看板の文字とか、案内板、値札とかが読めればすべて事足りるのだ。面と向かっていれば声に出して交流できればいいし、離れていてもDexyで一瞬にして会話できる。対面していてもDexyで話すという人達も居るくらいで、こういう人達はデキシー廃人、デキ廃とか呼ばれたりする。
それでも、そういう人達の中でも読書を趣味にしたい人がいるわけだ。だが、今の御時世で文字を使って本を書く人なんて、本当の本当に狂気じみたようにあらゆる古典を読み尽くし、レベルの高すぎる事を書く人しか居ないし、それを好んで読むのだって一握り(ぼくみたいなの)しかいない。文字に親しくないけど教養として何かを読みたいという人達にとっては、昔のライトノベルと言われたものすら読むのは大変らしいから(何しろ時代が違いすぎるし)、まあ文字を読む人は減っていく。若者の読書離れどこか、人間の読書離れというわけだ。
そこでぼくみたいなテクストコンバータの出番なわけで、教授の書いたいかめしい論文とか、昔に出版された物語なんかを、いまの人達にでもわかりやすく書きなおして提供するのだ。一定のニーズがあるから、わりと安定した職業とも言われているが、なにぶんスキルが求められるので人数は少ない。ぼくは本の虫だったし、作家も目指していたからある程度文章は書けた。まさにうってつけだというわけで、この天職を全うしている。
ぼくは、担当している教授の研究室にやってきた。なんとこの教授は驚くべきことに、手書きで論文を書いているのだ。だからぼくはわざわざ彼のもとまで出向いてこなくてはいけない。受け取った原稿は会社に持って帰って電子化し、原文は学会に発表しておいて、ぼくが新たに一般の読者向けの文章に作り直す。出来上がったら校閲を通して、ネットへ書籍として配信される。
いつ来ても豪勢な部屋だった。何が豪勢かというと、明らかに二つ要らないもの、例えばウォーターサーバーとか、コーヒーメーカーとかプリンター(使わないのに)とかが二つずつ置いてあるところ。他にはどん、と置かれたソファの裏側に山ほど机つきのパイプ椅子が詰め込まれていたり、恐らく今では一冊一万円以上するであろう紙の本がゴミみたいにうず高く積まれていたりしているところ。金はかけないのに、無駄が多すぎるように見えるところが、豪勢だというのだ。
「ほら」
ノックして入室したぼくに、教授は400字詰の原稿用紙の束を突き出してくる。もうこんなのはデッドメディアだ。紙の無駄遣いだと、エコロジーを推進するNPOにがなられてもおかしくない。
「ありがとうございます」
ぼくは素直に礼を言って受け取る。毎回、これを電子化する作業が憂鬱で仕方がないが、その分追加で手当が出るので文句は言えない。
教授はえらく濃い色をしたコーヒーを飲みながら、世間話を始めた。
「そういえば、もう私達みたいに、文字に親しみを覚える人口が0.1%を切ったらしいね」
「しょうがないですよ。誰も文字なんて厄介な代物を使いたがらないんですから」
「どうなると思う、もしこの数字がゼロになってしまったら?」
数字がゼロになる。つまり文字が完全に記号としてのみ扱われる世界のことだ。あっちに行けば渋谷、こっちにいけば東京、こっちは通行止、と指し示すだけの記号に、文字がなる。まだ数字の羅列のほうが意味として価値の高いものとなる世の中。
「……絶望ですね」
ぼくはひとりの文字好きとして、正直にそう言った。
「でもまあ、それは仕方のないことなのかも知れないです」
「仕方のないこと、か」
「はい。だって、不便なんですもの、文字って。コミュニケーションとか、表現の手段として」
教授はそうかもね、と笑って、空になったカップを机の上に置いた。ぼくはそれを潮目にして、教授の部屋から退散した。
DexyというSNSが登場できたのは、国家が個人個人を身体レベルで管理できるように導入した通称「KI」──正式には「慈愛の目」と呼ばれるデバイスのお陰だった。うなじの部分に埋め込まれた楕円筒状のチップのようなものは、ぼくたちの脊髄に密着して神経群に干渉する。この地点をモニタとして、個人のステータスを確認できるのだ。想像力によって形成されてきた「国民」というものが、ここに至って初めて身体に刻まれるものとなった。
で、「KI」から発せられた情報はスマートメディアでいつでもチェックできるのだが、Dexyはこれを逆手に取り、スマートメディアで受け取った情報を「KI」を介して脳へと流し込むようにしたのだ。スピーカーとマイクの役割が互換可能なのと同じように、脳とスマートメディアは互換可能なメディアとなり、「KI」がその仲立をする。その結果、個人の伝えたいことの『感覚』そのままを、ソーシャルのタイムラインに貼り付けられるようになった。この発明は、最初こそ賛否両論だったものの、数年もすれば誰もが当たり前のように利用し始め、今ではむしろ欠かせないものとなっている。技術の発展とは往々にしてそういうものなのだと思う。
こういう仕事についている身とはいえ、ぼく自身もこのサービスを享受している。あの未だに手書きで原稿を書く変態の教授を除いて、ぼくが担当している相手とのやりとりはほぼDexyのダイレクトメッセージで行っているし、ストリームにいる友達と夜中にお気に入りのバンドの曲を聴きながら盛り上がったりする。そして、友達伝いに会ったことのない友達ともまた友達になったりできる。SNSの売りにするこのつながりの強さは、どれだけその形態が発展しても変わることはない。
教授の原稿を電子化して、その原稿の「手直し」、つまりまあ文字に親しくない人でも読めるような文章に書き直す作業を少しばかりやって、ぼくは仕事を切り上げた。〆切にはむちゃくちゃ余裕があるから(ぼくは仕事がはやいから)、明日やろうでも全く問題はない。
今日は、そのDexyで知り合った友達がうちにやってくる予定になっている。ぼくと同じ大学学部を出ていて、同じバンドを聞く仲間と知ってから、あっという間に仲良くなったのだ。Dexyは対面で話すよりも円滑なコミュニケーションが取れるから、こうやって顔も知らない相手とも気軽に会ってしまえるところも利点だ。とはいえ、やっぱり対面で話す以上の深みは得られないからオフ会は頻繁に開かれる。
ぼくは帰りがけにコンビニに寄って酒を買い漁り、うちに帰ってピザを注文した。それからスマホでストリームを見たところ、彼は意外とすぐそこまで来ているようなので、ぼくは迎えに行った。
「おじゃましまーす」
と、彼はきさくに言って、ぼくの家に上がった。下村達己と彼は名乗った。ぼくと同い年のはずだが年下に見え、きっと年上にモテるであろう容貌をしているが、ぼくと同じく恋人はいないらしい。恋愛は田舎のエンターテイメントというが、それとは別で趣味や仕事にあくせくしている人間に恋愛の余地など無い。それが「寂しい」と言われるような価値観はもう既に「古めかしい」域に達しているし、少子化による人口減少を政府が諦めて「KI」の導入を始めとする社会保障の導入によって、新生児の死亡率を下げることに専心して久しいこの国では、恋人のいないことは何ら恥ずかしいことではないのだ。
「うわ、すごい量の紙! こんなに見たの小学校の図書館見学の時以来だなあ」
下村は手土産を卓に置いて、ぼくの蔵書を見て回る。教授曰く、電子書籍が"本"の基本的な訳語になった……つまり、本が0と1の連なりで表現されるようになったのは別に今に始まったことではなく、ぼくが生まれた頃からその逆転が起き始め、そのダイナミズムを保ったまま今に至るという。ちなみに、この本棚に並べてあるのはほとんど教授のお下がりであり、教授の著作物だ。ぼくもすっかりダイナミズムに飲み込まれた典型的な住民のひとりであることは下村と変わらない。
「コンバータをやってるんだ」
ぼくは丁度届いたピザを卓の上に広げながら、言った。すると、下村は視線を本棚からぼくの方へ動かし、
「コンバーター? 作家のこと?」
「いや、作家は別に居て、その人達の文章の趣旨を損なわないように、だれでも読めるような文章に直すのがぼくの仕事だ」
「へえ、まあ確かに作家さんたちは面倒臭い言い回しをしたりするからねえ」
下村はぼくの仕事内容より、本棚のインパクトに驚いたようで、わかってるんだかわかってないんだか、そんなことを言ってぼくの向かい側に座った。読書人口が壊滅的な現在では、ぼくの職業への認知度なんて大したものではないし、この程度の誤解を正す気力が起きないほどの例に接してきたから、一向にかまわないのだけれど。
それから乾杯をして、お互いの趣味であるバンドの話なんかをした。それ繋がりで知り合っただけに話はえらい勢いで弾み、お互い好きな曲とか嫌いなアーティストの曲とかをかけて、いたずらに賛美したりやたらディスったりして数時間を過ごした。
食料も酒も尽き、深夜アニメが流れ始める頃合いになって、お互い眠気が襲ってきた。下村はとろーんとした目付きでアニメを見ていたが、唐突にその目をかっぴらき、ぼくの蔵書の方を見やると叫ぶように言った。
「コレだよ!」
「これ?」
下村の突然の活気に、ぼくは目を白黒させてついオウム返しに応えた。下村は卓に身を乗り出して、勢い込む。
「なあ、今の時代、文字を読む必要が無くなったのに、難解な文章を書く作家とか、あんたみたいなコンバーターが食いっぱぐれないのは、やっぱり一定数読みたいって思う人がいるからだよな?」
「まぁ、そうなるね。需要があるから、ぼくらも供給ができるんだし」
「なんでその一定数は読みたいって思うんだ?」
「さあ……ぼくの勤めてるとこがアンケートしたら、大半が教養とか趣味とか……」
「教養だよな! だからこそ、テレビなんていう映像コンテンツが未だに生き残ってるんだよ!」
そうだそうだよ、と下村はギラギラした目をして、深夜アニメを睨みつけるように観た。女の子たちがふつうの高校生活を送っているのを、ちょっとデフォルメしたように延々と映すだけの「日常系」と呼ばれるアニメだが、それをこんな血眼になって観てる大人はそうそうお目にかかれないと思ったので、ぼくはじっくりと下村を観察しておいた。いつか役に立つかもしれない。
で、そのアニメを見終わってから下村は真面目な顔つきになって、
「いま、すごいビジネスを思いついた」
「ビジネス?」
ぼくは(おそらく)アホ面をして、またもやオウム返しに言ってしまった。だってそのワードは、ぼくを取り巻く世界ではあんまり聞かないものだったから。
すっかりビジネスマンの目つきになった下村は頷いて、
「そうだ。誰だって、頭が良くなりたいもんなのは分かるよな。でも、実際に行動するのは面倒臭い。ダイエット商法が未だに機能し続けてるのも、綺麗な身体で居たいっていう欲求に応え続けてるからだけど、それでもダイエットに成功している人間が多いとは思えないだろ? それと同じなんじゃないか、と思ったのさ」
「文字を読みたいけど、踏み込めなくて読めないっていうのが?」
その感覚がダイエットと同じだというのか?
「そうだ。でも、確実に需要はある。これを満たすには、誰もが気軽に文字に接することができるようになるのが理想なんだ」
「でも、そんなのは本当に理想だよ」
「そう……だからな」
下村は目をきゅっと細めると、
「Dexyでこれを発信するんだよ」
ぼくの所蔵する大量の書物を指さして、言った。が、その言葉はつるっと滑っていき、ぼくの頭に意味を残して行かなかった。
「だからつまり……あんたがあの本たちを読むだろ? そこであんたは文字を読み解いて、自分の頭の中にイメージにする。映像と違って、自分で頭のなかで像を結ばなくちゃいけないから、文字は難儀なんだよな」
「そ、そうだね」
ぼくは下村の頭の回転の速さに驚きながら、頷いた。今どきそんなことを考えて文字を忌避する人なんていない。直感的に面倒臭さを覚えて、なかなか寄りつけないのだ。
そして、下村はとんでもないことを言い出す。
「だから! その時あんたの頭の中に湧いたイメージを、そのままDexyに流し込んでアーカイブにしてしまえばいいのさ!」
ぼくは絶句した。まさか、ネットで出会った友達が、こんな突飛な提案をしてくるとは思わなかったからだ。
「そ、そんなこと可能なのか?」
まず、ぼくらの脳とスマートデバイスを繋ぐ「KI」という技術は、厳密な審査を経て適正と判断された法人しか使用することが出来ない。Dexyというサービスがスタートできたのは、その提供元が辛抱して審査を通過できたからだ。そこに至るまでの過程はどこかのルポライターによって文章にまとめられ、それが昨年度のベストセラーになったのも記憶に新しい。でも、個人のレベルではほぼ不可能であって、できることと言ったらスマートデバイスでの平面的なアプリ開発がせいぜいである。
といってもまあ、その時のぼくは下村の仕事を知らなかったからそんな疑問を抱けたのだった。彼から勤め先の名刺をもらってぼくはしこたま驚いた。
「LARソリューションズって……Dexyの提供元じゃないか」
「そうさ。少し技術的に手を貸してやったりもしたんだぜ」
下村は少し得意げに言った。そして、今は「KI」とDexyを利用した新たな企画を練り始めているのだという。
「知識欲を満たす。本に書かれている情報を、Dexy経由にダイレクトに流して、ダイレクトに吸収できるようにする……そこに広告を混じらせれば……うん、これはいけるぞ!」
そういうわけで、ぼくは下村に手を貸すことになった。報酬は弾むと言われたし、コンバータという需要は一定数あるが儲かるとは言えない仕事なので、その気分転換と考えたらダブルワーキングでも問題無いと思ったのだ。
その夜以降、ぼくと下村のDexy交友ステータスは、「友人」から「仕事仲間」となったのだった。
ぼくは次の日、教授から受け取った原稿の「手直し」、コンバートを終わらせて編集者へ渡すと、下村の指定した場所へと向かった。表から見たらただのビルだが、中身はDexyの運営会社LARソリューションズの研究施設となっている。
人の感覚をそっくり抽出して、それをアーカイブ化するというのは最新中の最新技術だ。いまのDexyがしているのは、人々の感覚を情報化して短い時間だけ閃光のように駐留させておくだけのものであって、後になってその内容を参照することは難しい。もし、感覚が保存ができるようになってしまったら、もうwwwですらデッドメディアになってしまうだろう。映像も音楽もすべて感覚化して、保存、発信ができるようになる。きっと、頭のなかで思い描いた音楽とか絵をそのまま感覚化して、ストリームに流したり、目で直接とらえた映像を感覚的に編集して、感覚野で上映できる映画を作れたりするようになるだろう。その端緒として、ぼくがこうして貢献できることは、わりと誇らしくあった。
そんなわくわく感は、実際の作業が始まってからすっかりと吹っ飛んでしまった。
ぼくが文章を読むと、「KI」がその時のイメージ=感覚を取り出して、メディアへと送信する。下村を始めとする研究班がそれを解析してアーカイブ化し、「KI」を通して被験者となる第三者の脳へと送り込む。
すると、思ったよりもぼくのイメージというのはそれ自体で独立したものではなく、ぼく個人としての経験や知識、嗜好とかもろもろの要素がバイアスとしてかかったもの、いうなれば「解釈」というようなものなのだ。ぼくはそれをぼくのイメージと呼んでいいのだが、他の人はそうもいかない。その解釈を紐解くには、ぼくという人物を知らなければならないからだ。結果的に、文章を読むのとはまた違った面倒さが生じてきてしまった。
下村が求めるのは、文字と親しまなくても「だれでも」吸収できる知識の提供である。
だから、ぼくは文章を読む際に、極力「ぼく」を削ぎ落として読み、イメージしなければいけなくなった。これはひどく難しい作業であって、文章を書いた人のことを忘れ、それを読むぼくという主体を忘れ、純粋な情報としての「知識」を生み出さなければいけなかった。あらゆる物質の交じり合う地層から、純金だけを器用に選りすぐって掘り出していくような、そんな気の遠くなる作業を、その文量だけ行わなくてはいけないのだから、相当に骨が折れた。疲れすぎていて、一区切りついたところで下村とほかの研究者と飲みにいって、家に帰りシャワーを浴びて、布団に入った次の瞬間には朝を迎えていた。
作家の書いた生の文章を、ぼくが普通の人が読めるようにコンバートして、更に読まない人にも理解できるようにコンバートする。ぼくというオリジナルティはそこでは全く必要とされず、最終的に情報として研ぎ澄まされた文章は、数ヶ月の研究の後、無事にぼくが脳内で喚起したイメージ通りに第三者へと通じるものとなった。




