悪役令嬢VSプレデター
雷のような衝撃がまだ幼い私の全身を駆け巡り、ひとつの結論を導き出した。
この世界はやばい。地球やばい。宇宙人で人類が超やばい。
気づいたのは小学校入学式だった。
実のところ、私には前世の記憶というものがある。普通に小中高と生活し、最後は呆気無く滝壺に落ちて死んだ。確か二十、いや、十九歳の時だったかな。とにかく、大学に通っていて、趣味がゲームだった。
短い人生だったが、その時に何周もプレイした乙女ゲームがある。
タイトルを『ドキドキ☆エイリアンパニック』という。
ゲームでは『プレデター』という著作権的にどうなのよ、と思うような宇宙人が登場する。映画のあれとは姿や戦い方はだいぶ違うけど、人間を狩る恐ろしい生物である。
このゲームはその地球にやってきた人喰い宇宙人から逃げまわり、攻略対象である男性キャラクターと共に生き延びるという内容だ。一部にグロテスクな表現や暴力描写があるので、R―18に指定されている。エロはない。
これの特殊強襲部隊の人がかっこいいんだなー。
全力疾走して向かってくる怪物を狙撃するシーンはセリフを暗唱できるほど見返した。他にもナイフとか爆弾の知識がすごくて、そりゃもう鼻血もだらだらである。白馬に乗った王子様ならぬ、軍用バイクのKLX250に乗った軍人様だ。
こうさ、すれ違いざまにヒロインを抱き上げて、メーター振りきって逃げるんだよ。
もうこれはロマンス。一種のロマンスだよね。後ろから触手の生えたバケモノが迫ってきてるけど、それを無視すれば絵的には間違いない。
しかし、そうも喜んでばかりはいられない事情がふたつある。
ひとつは『プレデター』の大質量兵器によって世界の半分が滅びること。
もうひとつは、私がヒロインではなく、悪役に生まれ落ちてしまったことだ。
無駄に豪華な漢字の目立つ『金剛院華連』とはこの私のこと。
彼女はゲームでは親の力を用いて、学園内だけでなく、ありとあらゆる場面ででも暗躍を続けた。最後には『プレデター』側の一員にまで登りつめた極悪人だ。
金持ちを鼻にかけたような高飛車で、東京港区の一等地に家を持つ。父親が政治家だけあって弁舌巧みに人心を取り込み、隙あらば攻略対象に粉をかけてくる。バッドエンドではヒロインを囮にしたり、銃で撃ち殺しっちゃたりと随分はっちゃけた人だ。
私はこの衝撃の事実に小学校で攻略対象キャラの幼い姿を見て気づいた。
金剛院華連の名前でわかってもよさそうなものだけど、何故今頃になるまで思い出せなかったのか。
もちろん、私は悪役になるつもりはない。
悪役ってのは大抵いい目に合わない。いいとこのお嬢様なんて利用されてポイ。共闘ルートなど少年誌が生み出した幻の産物である。
目指すは特殊部隊のあの人、じゃなかった。世界の平和だ。
襲い来る宇宙人に備えて、体を鍛え、精神を養い、明日を生き延びる! これ!
小学校入学直後、七才の私は額に手をあててピシッと敬礼した。
だだっ広いトレーニングルームでのことだった。
「という、わけでお願いします! 教官!」
「何がそういうわけなのか、わからん」
憧れのその人は頭が痛そうに手をやり、視線を下げた。
無理を言って来て貰ったのだ。
ゲームよりは幼く見えるが、もう二十過ぎで、私とは倍以上の歳の差だ。
細身ながらもしっかりとした胸筋がノースリーブの服の上にしっかり浮き上がっている。下半身の訓練怠ってはおらず、筋トレとステロイド塗れのダメ筋肉ではない。これこそ、機能美を追求した究極の筋肉。あゝ、美しい。
「……頭が痛い」
「バフ◯リンならあるであります!」
「いや、いい。……あのだな。私は君のお父上に護身術を教えてやってくれと頼まれた。何故、まだ小学生の娘に私がつかねばならんのかはわからんが、しっかりとやらせて貰う」
「イエッサー!」
細い肉体を駆使して、何とか動きを再現しようとするけれど、なかなかうまく行かない。
前世と違って、まだ体ができていないし、筋肉もほとんどない。
「えい! えい!」
「甘い。よそ見をするな」
「サー! サアアアッ!」
教官は女児に対しても容赦なく蹴りを入れてくる。
父さん、いや、お父様が見ていれば顔を真っ青にして怒るだろう。中身はお嬢様っぽくなくとも外見は金剛院華連なのだから、傷物にされると大変だ。その時はぜひとも教官に責任を取って貰いたい。
とにかく、こうして私の世界平和計画は始まったのである。
◇
小学生の間にできることには限りがある。
体を鍛えることはそのひとつだったが、それだけでは『プレデター』の一匹か二匹くらいしか倒せないわけで、もっと大きな力が必要だろう。
と、なるとこの体は都合が悪い。
誰も子供の言うことなど聞かないからだ。
すごく悪徳政治家っぽい顔の父にも試してみた。
「お父様、地球は五年後に大いなる危機に襲われます」
「何だと?」
「終末の日に備え、力を蓄えるのです
「んん、娘がいつの間にか変な宗教に」
「違います。軍拡しましょう、軍備拡張。軍事力こそ、国の礎ですわ」
「よし、教えなさい。誰だね。うちの娘に変な思想を吹き込んだのは?」
「ひどい」
と、こんな次第である。
もちろん、護身術も真面目にやった。
土日返上だ。友人に誘われても遊びにも行かない。
「金剛院さん。日曜にお茶しませんこと?」
「ごめんなさいませ。週末は横須賀でお稽古がありますの」
「あら、金剛院さんは何をやっていらっしゃるの?」
「近接格闘とブービートラップを少々。銃器もひと通り嗜んでおりますわ」
「……ああ、うん。そうですの」
そう。私に休日はないのだ。
私の双肩には地球の未来がかかっている。
しかし、強すぎる力は時として、私にすら牙を剥く。
「やべえ、穂山君が女子相手にドッジボールで本気になっちまった」
「なんて大人気ないヤツ!」
「避けて! 金剛院さん!」
「女だろうが手加減はしねえ。喰らえ、バーニングシュート!」
「あ、やっちゃった」
「何故だ! 何故ボールが勝手に落ちる!?」
体育の時間、とっさにボールを暗器で撃ち落としてしまった時のことである。
攻略対象のひとり、スポーツマンの穂山君には後で謝っておいた。
◇
やれるだけのことはやった。
匿名で各機関に投書もしたし、『プレデター』に効くかもしれない武器も集めた。さり気なく、幼い頃のヒロインを体育館裏に呼び出して、稽古を付けたりもした。これでヒロインも簡単にはやられまい。
これらの努力で足りないとすればそれはもう仕方ないことだろう。
そう思うくらいに私は必死だったのだ。
◇
ついに、その日は来た。
昼にもかかわらず、空には暗雲が立ち込めていた。見上げれば、幾筋もの流れ星が浮かんでは消えていく。見たものはそれを美しいと思うだろう。
――しかし、その流れ星に願いは決して届かない。
東京郊外にひとつの流れ星が墜落した。
その見た目はとてもではないが、隕石とは言えない。角ばった鉄のようで、てらてらと怪しげに光り、時折煙を吹き出していた。落下傘らしき布きれが花弁のように鉄を囲んでいる。
それを見つけるのはゲームの登場人物、ヒロインの妹の役目だ。
ぱっちりくりくりの目をした彼女は不思議そうにその物体に近づいていく。
妹ちゃんは好奇心だけは人一倍だった。山の麓に墜落したのを見てすぐにやってきた。そういう筋書きだ。全てが予定調和で進んでいる。
そして、突如、鉄の一部がぱかりと開く。
そう、あれはただの鉄ではない。宇宙船だったのだ。
宇宙船の中から現れたのはエビのような顔をした人型の怪物である。自前の甲殻だけでなく、体の上に鎧を着こむという、まさに石橋を叩いて渡るような出で立ちだ。
その怪物が妹ちゃんに気づく。
口から液体をまき散らし、手が裂けて内側より触手が這い出てくる。
「あ、あぁ……」
まだ中学生の妹ちゃんは動けない。
目が恐怖に揺れ、体が貧血でも起こしたかのように力が抜けていく。腰を付き、地面に縫い付けられたかのように固まる。
『プレデター』。悪魔の生物が初めて地上生物を捕食する瞬間だった。
口が裂ける。エビのようだった頭は真っ赤な花のように分かたれ、今にも人を飲み込もうとしていた。口から漏れた液体が地面に落ち、そこの草花を瞬時に枯らす。
「だ……、誰か! たすけ……」
しかし、声は届かない。
ここは山の麓とはいえ、ほとんど人の通らない場所だった。
その時だった。
銀の閃光が、炸裂の音が、火薬の香りが異形の怪物を貫いた。
◇
「命中……目標沈黙。周囲に敵影なし。金剛院少尉の言う通り、一体だけのようだな」
隣で双眼鏡を覗いていた教官が言った。
相変わらず、良い筋肉をしている。
「流石『シロガネの女豹』といったところか」
「あら、教官。『シロカネ』ですわよ。あまり品のない間違いをされますと教養を疑われますわ」
「異名はいいのか」
「え、何か問題でもございますか?」
「……そうか。君がそれでいいなら、以後気をつけよう」
草木に擬態したギリースーツを脱ぎ去り、狙撃銃から手を離す。
私はいつからか、『白金の女豹』と呼ばれるようになっていた。確かナイフを使った模擬戦で八人抜きしたときからだ。住まいが白金であることと、見た目の華奢さから付いた名だと思う。その時、初めて私は自衛隊の人に認められたような気がして、とても嬉しかった。
「あれの遺体を提供すれば上も無視はできまい」
「そう、ですわね……」
ついに私は未来に影響を与えてしまった。
妹ちゃんが助かったことで大きく未来は変わるだろう。警察への通報、大衆への理解、ヒロインちゃんの流す涙の数も少し減る。こうやって少しずつではあるが、未来を良い方向へと導いていくのである。
しかし、時間が経てば他の流れ星の『プレデター』が目を覚ます。
広まってからでは手遅れなのだ。
「ひとまずは次の戦場へ参りましょう。敵は一体ではありませんから」
「よし、銃を解体しておけ。私は周囲を警戒する。終了次第、次の星を仕留めるに行く」
「ひとつ、よろしいでしょうか?」
「なんだ」
「もし、この戦いが終わったら、ドバイにでも、行ってゆっくりしませんこと? 金剛院家のプライベートがありますの」
「……いいだろう。ただし、敵が完全に消えてからだ」
「それでは、早めに殲滅しなくてはなりませんね」
にっこりと笑い、教官のかさついた手を握りしめた。