死から始まる序章
死からへの序章
『――ッ!――ッ!――ッ!』
マシンガンのような派手な音ではなく――乾いた銃声が彼女を襲う――
コートからわずかに覗いた銃が、最小限の動きで生命を断つ術だと――無言の言霊を発しているように見えた。
片時も警戒を怠った事はない。それでも――撃つ瞬間まで気付けなかったという事は相手も相当の手練。恐るべき暗殺者として雇われたに違いない。
「――ッ」
声を掛ける暇すらない。
間に合わない――
長年の勘からか、反射的に銃声より前に動いていた。
俺が依頼でもない何の得にもならない事に体をはる。理解っていた。いつかこんな日が来る事があると――業の深い 無意識に裁きを求めていたのかも知れない。
刹那の瞬間――彼女を守る為に盾になろうと身を挺しながら、同時に慣れ親しんだ懐の銃に手をかけた――
――二つある内の一つ。
サプレッサー付き『ワルサー(暗殺用)』ではなく、『コルトパイソン(用心棒用)』
早撃ちでもっとも最速なのは『撃鉄』を1発ずつ起こして
『引鉄』を引くことによって発射できるシングルアクションの『回転式拳銃』。
一ミリのズレもなく腰にかけてある拳銃をホルスターから抜く――と同時に『撃鉄』を起こした瞬間に引き金を弾いた――その動作のすべては視認なし。目にも止まらぬスピードを伴って。
『――ッ!!――ッ!!――ッ!!』
サイレンサー付きの銃とは違い、派手な音が辺りに木霊した――
先に抜かれようとも勝てる自信があった。
稀なる資質。――気の遠くなるほどの鍛練。数々の実践で培ってきた経験――裏付けされた銃技は並大抵のものではない。
しかし、守りながらの戦いは特殊。ハンデを背負って戦っていると言ってもいい。弱点を最初から曝け出している為、身動きが制限される。勝負の行方は――実力以外の要素にまで及ぶことになった。
彼女の刺客か――それとも俺の敵だったのか。頭巾を被っていた男は――ゆっくりと前のめりになりながら倒れた。
――辺りは騒然となり、男は逃げ出し、女は悲鳴をあげる。
殺気をうまく隠して尾行していたようだが、同じ同業者ゆえに、最後まで気配を悟られずにはいかなかった。腕もほぼ変わらない。
なぜなら――
ゆっくりと崩れ落ちる――制御を失った自分の身体。
――結果は相討ち。
いや、相手は即死。正確にはまだ生きている方がわずかに上回っていたのかもしれない。運が成せた技か、修練の賜物か。致命傷を受けた時点でたいした違いはない。
喰らったのは右肩、右腹、太腿の3発。
肩は貫通したようで心配するほどでもないが腹には銃弾が埋まったみたいだ。
太腿の血は止まらない。(動脈をやられたな。)応急手当したところで無駄だとわかる。隠れ家までは距離が遠すぎる。病院に行く時間はない。
事の成り行きを見守っていた彼女は、放心から立ち直る。
「――いやあああああああ!」
悲痛な叫び声が夜空に響いた。
「――なんで・・・なんであたしを庇うの!?・・・こんな――嘘でしょう?ファントムがやられるなんて――」
留め処なく流れる血量を見て、手遅れだと気付きながらも、現実を受け入れられない心が否定する。
「・・あたしが――あたしがほんの少し、隙を見せた所為で!!」
自分の服の一部を裂いて、その布で手当てを施すが――あっという間に真っ赤に染まってゆく。
「ちくしょう!とまれとまれとまれよ――!!・・・誰か、誰か――!!」
辺りに人の気配はない。撒き込まれたくないと蜘蛛の子を散らすように居なくなっていた。
誰もいない。何もできない自分に絶望、錯乱しそうになる。
「よせ。おまえのせいじゃない。」
彼女が無事だった事だけが何より安心だった。
「でも・・あたしがいたから――」
彼女の双眸から涙が零れ落ちた。
「人間はいつか死ぬ。少し早まっただけだ。」
審判がついにふりかかったのだと。
人間らしい感情があまり残っていないとはいえ、業の深い生業をしている自覚はあった。
どういう形であれ、自分は真っ当に寿命を迎えることはないだろうと。
あの日、彼女を助けたのは気まぐれなのか、犯した罪の償いか、今でもわからない。確実に変わった事は甘さという情が芽生え、同時に守るべき存在を手にして、暗殺者としての資格を失った。だが後悔はしていない。生に何の意味も見出せないまま、一人で朽ち果てるはずだったから。
俺にとって何も映さなかった世界。残酷な世界。死を待つだけの世界は――
彼女が ――ただ在るだけで―― 知らず知らず救われていた。
いつしか――かけがえのないものになっていたのを気付かされた。
彼女といた日々は幸せだったのだろう。
だから――
「・・たった今からファントムはおまえだ。・・・これを持って行け」
彼女にすべてを譲る決心をした。
片時も外した事のない首にぶら下げてあった鍵型のペンダントと愛用のコルトパイソンを渡す。
「――そんな!あたしにファントムなんて無理だ!お願い一人にしないで――」
「・・・理解っているだろう。・・俺はもう助からない。」
「なにも聞きたくない!!」
「もう行け。・・最後の死に場所は自分で決める。」
「いやだ!!離れない!!」
彼女はその場から動かず、頑なに受け取ろうとしない。
「聞き分けないなら――今ここでおまえを撃つ!」
言葉に殺気を込め、ワルサーを抜いた。
「――ッ!!」
ここで泣き叫んで縋り付くようなら、本当に撃たれるかもしれない。俺の気質を知っている彼女はその意味を理解するはずだ。
互いの視線が交錯する――
一瞬よりも長く、少しより短い。無数の言葉が無言で飛び交う。
―――裁定は下った。彼女は決断をする。
「――った・・わかった!行くよ!行けばいいんだろ!!・・でも――あたしは・・・あたしは絶対にアンタを忘れない――!!そして、アンタから継いだ技で生き抜く!!ファントムを証明し続けるから――絶対・・ぜったいに――!」
涙を拭い、焼き付けようとするほどの気迫で睨んだ後、一度も後ろを振り返らず走り去った。
『それでいい』
誰にも聞こえない声で呟いた。
(今度は俺が覚悟を決める番だな。)
まだわずかに残った力で立ち上げる。残り時間は少ない。早く――見つけなければいけない。誰にも邪魔されない場所へ。
辺りは人通りは多くないがさっきの銃声を聞いた野次馬がやってくるかもしれない。
騒がれると面倒なのでコートで出血を隠す。足がふら付いているのはただの酔っ払いだと思われるはずだ。
動悸が激しい。眩暈も襲ってくる。貧血の症状が刻一刻と強くなる。
それでも、こんな人通りの多い場所で無様に倒れてたまるものかと気力を振り絞る。
そして――やっとの事で大通りを外れ、路地裏に入った。
血液を流し続ける身体は反比例するかのように重くのしかかるようになっていた。水中を潜って歩く感覚に似ている。
「――ッ!」
思ったように動かなくなった身体に舌打ちが込み上げる。
寂れた路地裏の曲がりくねった道を進んで行くとゴミ捨て場のような行き止まりがあった。
(ここがお似合いだな)
これ以上は歩けそうにないから頃合いだろう。もう二度と立ち上がれない事を覚悟して、その一角で腰を下ろす。ここまで来れば簡単に見つかりはしない。
一服しようと吸えない煙草を取り出し、火を点けようとした――が手先が震え、ライターは手の平から零れおちるように地面に落下した。
(しょうがねぇな)
火のない煙草をかろうじて咥えた。
「――人は死すともファントムは死なず――」
誰に聞こえるでもなく呟いた。
(これでいい。俺の人生案外悪くなかったのかもしれんな)
これまでの生活が走馬灯のように過ぎ去っていく。
意識が朦朧とする中、彼は最後に笑った。
煙草は音も無く落ちて、転がっていた――