やきもち
「…きーくん?」
いつも通りの帰り道。
いつも通りの時間帯。
いつも通りのその背中。
…それなのに。
いつもと違う歩き方。
いつもと違うおしゃべりの数。
いつもと違う…手の握り方。
いつもは私の歩幅に合わせてくれるのに。
いつもはその日にあったことを話し合って、楽しくおしゃべりするのに。
いつもは…優しく大きな手で包みこんでくれるのに。
どうして?
今日は、きー君の歩幅でずんずん進んでいく。
今日は、何にも話さないでひたすら前を向いている。
今日は、私の手首を痛いくらいに強くつかんで、グイグイ引っ張っていく。
「きー君…?」
私は訳がわからなくて。
小走りできー君について行きながら再び呼びかける。
だけど…
「………。」
きー君はやっぱり何も言ってくれない。
ただ、すごく怒ってるのだけはわかる。
ずっと無言で、前だけ向いて、私のことをチラリとも見てくれない。
私、なにかきー君を怒らせるようなことをした…?
昨日の夜までは普通だった。
ってことは、今日、なにかあったって事だよね?
私、今日何をしたっけ…?
今日一日の自分の行動を必死で思いだす。
今日は…
朝、いつも通りに学校に行って。
いつも通りに授業を受けて。
昼休みにきー君と校門の前で待ち合わせて、手作りのお弁当を渡した。
昼休みが終わるころにきー君からメールが来て、
「おいしかったよ。ありがとう」
って書いてあって嬉しかった。
それからまた授業を受けて。
放課後は掃除当番だったから掃除をして、校門の前で待っててくれたきー君の所に行った…。
それから、突然手首をつかまれて、今のこの状態。
…わかんない。
本当に、私は何をしたんだろう?
きー君がこれだけ怒るって、よっぽどのことだよね?
早く謝りたいのに…
私にその自覚がないなんて!!
昔から優しくて、頼りになって、なんでもできた五つ年上のお隣のお兄ちゃん。
それが、櫻木菊也くん。
私は、小さい時から「きー君」って呼んでる。
穏やかで、滅多なことでは怒ったりしない。
だから、こんなこと本当に久しぶりで。
…どうしよう。
私ときー君が付き合い始めたのは、約1年前。
私が高校1年の時。
小さな頃からずっとそばにいてくれた温かな存在は、年月が経つうちに大好きな、大切な存在になっていた。
きー君ってばなんでも卒なくこなしちゃって、穏やかで優しくて、人当たりもよかったから女の子にはずっとモテていた有名人で。
私はずっと、きー君が誰かのものになっちゃうんじゃないかってハラハラしてた。
だって、私がどれだけがんばったところで、5歳の年の差なんて埋められない。
何度、私がきー君と同じ年だったら、って。
きー君と同じ学校で、同じ学年で、同じ世界で過ごせたら…、って思った事か。
そうしたら、きー君のことを好きな先輩たちとも、もっと対等に戦えるのに…って。
だけど。
「俺は…今のままの若葉が好きだよ」
そう、きー君が言ってくれた。
5歳も年下でも。
私みたいな子供でも。
若葉だけが好きだからって。
一番大切だよって言ってくれたの。
ガシャンッ…!
いつもよりも乱暴な音を立てて締められた家の門。
…私の家じゃないけど。
きー君の家の門。
私の家は、ココの隣。
いつもは、着替えておいでって言うのに…。
今日は、手を離されることも無く。
そのまま、きー君の家に連れて行かれた。
そして、おばさんへの挨拶もそこそこに2階のきー君の部屋へと階段をあがる。
その間も、ひたすら無言。
「あの、きーく…」
ガチャッ
呼びかけた私の声をかき消すかのように鳴った、きー君の部屋のドア。
そしてそのまま、部屋の中に押し込められる。
再びガチャッと音がして、背後で扉が閉まった気配に振り向いた瞬間―――………。
「…んっ!?」
………え?
一瞬、思考回路が完全に停止する。
ふわりと、柔らかく重なったソレ。
だけど一瞬で離れていく…なんて可愛い物じゃなくて。
きー君が、慌てる私の動きをじわじわと抑え込むように腕をまわしてくる。
…こ、これこそどうしよう…っ。
別に、今までだってきー君とキスしたことくらいはある。
だけど、今までのそれと今のそれは全然違う。
いつもはもっともっと優しいのに…
なんだか今日は、…は、激しい…?っていうの?
なんか、いつもと違うの。
確かに、ゆっくりとまわされた腕とか。
私を支えてくれてるところとか。
優しさはきちんと感じるよ…?
だけど、だけど。
キス自体が、いつもとぜんぜん違う。
きー君に、たべられちゃうんじゃないかとさえ思う。
それなのに…
ガクッ
「ひゃ…っ」
体から力が抜けていく。
突然、膝の力が全て消えてしまって、崩れ落ちそうになった私をきー君が支えてくれた。
息が上がって、目の前がかすんで…
頭が、ぼーっとする。
きー君が、そんな私をひょいっとだっこして、きー君のベッドに座らせた。
「…ごめん。若葉。大丈夫か…?」
「…だい…じょう、ぶ…」
あぁ、きー君のちょっと低くて、耳をくすぐるイイ声、私大好きだなぁ…。
思考がどうにかなってしまったのか、ちょっとズレたことを考えてしまう。
そのまま目の前に膝立ちになって心配そうに私を見降ろすきー君を、ぽけーっと見上げた。
「…若葉は、俺のだよな?」
「…?」
突然のきー君の言葉に、きょとんとしてしまう。
…なにをあたりまえなことを言ってるの?
「…若葉」
「ん…?」
「…俺の事、好き?」
「……ふぇ?」
なんで、そんな事を聞くの?
大好きに決まってるよ…?
わかってるはずだよね?きー君は。
そう、思ってたのに。
目の前のきー君の瞳が、あんまりにも切なかったから。
「…好き、だよ?私は、きー君が一番大好きだよ…?」
「…本当?」
「本当」
そう言ってうなづくと、きー君がチュッて小さくキスをした。
突然のことでびっくりした私が目線を上げると、何故がちょっと不機嫌そうなきー君の顔。
「…どう、したの?」
「……若葉」
「ん?」
「………今日、さ。一緒にいた男、誰?」
「………へ?」
一緒にいた男、って…?
「誰の事を言ってるの…?」
「…今日、迎えに行った時、校門の近くまで一緒に歩いてきてた…」
「…あ!磯崎君?」
…のことだよね?たぶん。
磯崎君が外にゴミを出しに行くついでに、校門の近くまでおしゃべりしたの。
クラスのムードメーカーで、幼なじみの美咲ちゃんを溺愛してるって言われてる。
美男美女カップルで有名な人。
ふたりともにそれぞれファンクラブがあるくらいっていうから、すごいよね。
でも、まぁ私の一番はきー君だから、別に磯崎君にどうとかいうのはない。
確かに整ってるなっていうのはあるけど。
「磯崎君がどうしたの?」
「………。」
首をかしげてきー君に尋ねると、無言になってしまった。
…なにか、言いにくいこと…?
「…その、磯崎ってやつのことは、好きなのか?」
「…へ?」
そりゃ、好きか嫌いかって言われたら好きだけど。
でも、別に特別好きな訳でもなんでもなくて、ただのクラスメイト。
一緒にいたら、確かに楽しいけどね。
おしゃべりも弾むし。
さすがムードメーカーって思う。
「好きだけど、でも…きゃっ!?」
ただのクラスメイトだよ?
っていう言葉を発する前に、私の視界が突然変わった。
な、何が起きたの!?
驚いてキョロキョロと辺りを見回せば、どうやらきー君のベッドにあおむけに倒れているみたい。
…きー君が、こんなことしたの?
そのことに驚いて何故か私の両手首を抑えているきー君を見上げる。
その表情は…
「…きー君?」
さっきよりも、怒ってる…?
どうして?
「…若葉は、俺の彼女でしょ?」
「う、うん」
「だったら…」
“俺以外の男なんて、見ないで”
ふ、と私の耳元に唇を寄せたきー君から、さっきよりも静かな、だけどすごくイイ声が聞こえてきて…
「………っ////」
思わず、キュッと目を瞑ってしまった。
…って、ん…?
今の言葉って…?
「…きー君?」
「…なに」
不機嫌な顔をしながらも、きちんと私の声に反応してくれる。
そんなきー君に、私はきちんと伝わるように一言一言ゆっくりと言葉を発した。
「あのね?」
「うん」
「私は、きー君以外の男の人なんて、全然見てないよ?」
「………。」
「私が大好きなのは、一番、大切なのは、きー君なの」
「……うん」
「きー君だって、わかってるでしょ?」
「……うん」
「だからね?」
「…ん?」
“私が、きー君を想う気持ち、疑わないで”
きー君のまねをして、きー君の耳元に口を寄せて言ってみた。
途端に、ギュッと痛いほど抱きしめてくるきー君。
「…ごめんな?」
「ううん?私、嬉しかったよ?きー君、やきもち妬いてくれたんだ…?」
「………ほんと、ごめん」
きー君は、
もっと余裕のある男にならなきゃな。
って、小さく悔しそうに呟いた。
そんな彼が愛おしくて、私は黙ってきー君の頭を撫で続けた。
「…そういえばね、きー君」
翌朝。
今日は、きー君と一緒に登校なの。
いつもだいたい朝は一緒じゃないから、すごく嬉しい。
「…なに?」
「磯崎君だけど」
「………うん」
間が。
きー君を見上げると、気まずそうな顔。
昨日のこと気にしてるのかな?
私は嬉しかったのに。
「磯崎君って、めちゃくちゃ綺麗な彼女がいるんだよ?」
「…え?」
「美男美女カップルってすっごい言われてるの」
「………。」
「それにね、磯崎君、彼女の事をすごく溺愛してるって噂がすごいんだよ?」
「………そうか」
「うん。だから」
「…うん」
「磯崎君とどうとかっていうのはあり得ないから、心配しないでね」
「わかった。…ありがとな、若葉」
「…?なんで?」
私、別に何もしてないよね?
意味がわからなかったけど、なんだかきー君が嬉しそうだったから、まぁ、いっか。
そうして、きー君のやきもちは終わったのでした。