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中篇

 娘はひたすら泉を目指しました。

 枯れ枝がその白い足首に当たって血が出ても、木の幹に躓いて膝や手のひらが擦り剥けても。

 そうして向かった先には、こぽこぽと透明な水が湧きでる美しい泉でした。


 泉の端にしゃがみ込んだ娘は、両手を組み合わせて女神に願いました。


 「泉の女神さま。どうか両親の病が治る薬をお与えください」


 たった一度、一言だけの願いを、女神は泉の奥底で安寧の時に揺蕩(たゆた)いながらも聞きとどけました。

 さざ波のように水がざわめくと、ざあっとその水面に隆起し始め、上に向かって流れる不思議な水のさらに上に、まあるい透明な泡のようなものが現れました。

 そしてその泡は、ふわりと娘の前に降りてきて、パチンとはじけた中に袋が一つありました。

 袋の中には小さな袋がいくつも入っていました。

 その小袋にはいろいろな薬草が詰まっていました。


 娘は飛び上がって喜んで、何度も何度も泉にいる女神にお礼を述べると、来た道を急いで戻っていきました。


 家に帰りつくと、娘は薬を煎じて、病に倒れた両親にゆっくりと飲ませました。

 日に何回かその薬を根気よく飲ませていくと、だんだんと両親は元気を取り戻しました。

 そうして一週間もしないうちに、両親は病にかかる前と同じように畑仕事ができるようになっていたのです。

 

 泉の女神の恩恵を受けて元気になった両親は、娘に疑ったことを謝りました。そしてこの話を他のだれにもしてはいけないとくぎを刺しました。

 娘は不思議に思いましたが、それでも大切な両親の言うことですから、言いつけを護ろうと誓いました。


 ところがその話をこっそりと聞いていた村の人間がいたのです。

 その人は村の村長でした。

 薬も買えないほど貧しい家の人間が、死すべき病に倒れながらも元気な体を取り戻したことをおかしく思って娘の家を訪ねようとしていたところでした。


 「これはいいことをきいたわい。あの娘が願えばなんでもかなえてくれる泉だって?あの娘さえ手に入れば俺は大金持ちになれる」


 村長はどうやったら娘を自分のものにできるのかと考えながら、そっとその場を離れました。


 家に帰った村長は、あることに閃きました。

 あの娘を自分の息子の嫁に貰えばいいと考え付いたのです。

 そうすれば泉の女神に『嫁』が願うだけでなんでも手に入れることができるようになるはずです。

 

 町に暮らす息子に連絡を入れ、さっそく娘との婚儀を進めることにしました。

 もちろん、娘の気持ちなどお構いなしです。


 村長は娘の家に数々の品物をもって現れました。

 絹の反物、白磁の器、繊細な彫を施したチェスト。

 娘の家の玄関先にあふれかえるほどの品物を積み上げて、村長は娘の両親に自分の息子と娘を結婚させたいと告げました。


 寝耳に水な結婚話にまさか森の泉の隠し事がわかってしまったのかと勘繰った両親ですが、自分たちは誰にもその話はしていないし、娘に至ってはそのようなことは起こりえないとわかっていたものですから、これは村長の息子が娘を見初めたのだろうということになりました。

 滅多にない良縁に両親は喜んで承諾をしました。

 

 結婚式の日。

 そこには幸せに頬を染めた娘と、相対して無表情な村長の息子がおりました。

 横に並ぶ新郎のまったく娘を見ようともしないその態度に、娘は何かがおかしいと思い始めました。

 夫となった村長の息子は夫となったその日から娘をまるで空気のように扱い、義父となった村長が娘の生活を支配しました。

 村長は常に娘を連れて歩き、街に繰り出してはあれやこれやと世話を焼いては信じられないほど散財をしていろいろなものを与えました。

 そのあまりの溺愛ぶりに村人たちが『村長に嫁いだようだ』と噂するほどです。

 けれども、どんなに村長と一緒に過ごしてようと、娘の心は一目会ったその日から夫のものでした。

 祭壇の横に並んだときの見上げた夫のその顔はまるで絵のように端正で、無慈悲にも見える瑠璃色の瞳にそれとは対照的な温かみのある栗色の髪。頭一つ分は高い身長に逞しい胸。

 まるでおとぎ話の王子様のように見えたのです。

 いくら空気のように扱われようが、娘はそんな夫を愛していました。

 ですからいくら陰口を叩かれようが、一向に構いませんでした。

 それどころか村長が揃えてくれる衣裳や小物で一生懸命自分を飾り、買ってもらった食材で美味しい料理を作り、少しでも夫の目が自分に向くようにと努力していたのです。


 泉の女神にあってからちょうど一年が過ぎようとしたころのことです。

 村長がいつものようにやってきて森に散歩へ行こうと娘を誘いだしました。

 娘もそろそろあの群生地の木苺が実ったころだろうと、籠をもって村長と一緒に森へ向かうことにしました。

 道すがら村長は娘の両親の家のことをさも心配そうに訊ねてきましたので、娘も村長の援助のおかげで随分と楽な生活になりましたとお礼を言いました。

 うんうんと頷きながらも村長は思惑通りに事が進んでいることに満足をしておりました。

 そうしてあの泉が近づいてくると、村長はまるで人が変わったように娘に言ったのです。


 「お前は泉の女神に願いを言うとなんでも叶えてもらえるそうだな」


 これには娘は驚きました。

 そのことを知っているのは、自分と両親だけのはずなのです。

 両親だけが知っている娘の秘密をどうやって村長が知ったというのでしょう。

 動揺を隠そうとして言葉を探しましたが上手くはいかず、逆に手に持っていた籠を落としてしまいました。まるで村長の言葉を肯定するように。

 あわてて籠を拾う娘に、村長は半信半疑だった泉の女神の恩恵を確信にかえました。


 「ではひとつわしの願いを叶えてもらおうか」

 

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