巻き込まれたのは、女神(後編)
「やっぱり、姉さんだーーーー!!!」
「ぎゃああああぁぁぁ!!!」
神殿の中に、非常にテンションの高い喜色に満ちた声と、次いで断末魔のような悲鳴が上がった。
なんと、ライセムが現れてから、人々の目を盗んでそっと逃げようとしていた黒髪の少女に、ライセムが全力で抱き着いたのだ。
一介の細身の女子高生が、マッチョまではいかない細マッチョの男に抱き着かれ、がっつりと逞しい腕でその身をホールドされていた。
「ああ……本当に姉さんだ! やっと帰って来たんだね! もう二度と離さないよ、姉さん! 姉さん、姉さん、姉さん……」
「ぎゃあああぁぁぁ! うざい! うっとおしい! 息が荒くて気持ち悪いいいいぃぃぃ!!」
ぐりぐりと顔と体を押し付けてくる男に、黒髪の少女は必死に手を突っ張って逃れようとするも、離れるどころか余計に抱き締める腕の力が強くなる。
その、伝承やごく稀に神殿に現れるときとは、全くかけ離れた姿に、その場の人々は、ぽかーんと呆気にとられた表情で二人を凝視している。神官の中には、顎を外しそうなほど大口を開けている者までいた。
「姉さん、会いたかったよ、姉さん! まさか本当に姉さんが引っかかるなんて、夢のようだよ!」
髪に鼻先を埋めながら、呟かれた言葉に、少女はぴたりと抵抗を止め、ぎぎぎとライセムの方に顔を向けた。
「……ちょっと! 私が引っかかったって、どういうこと!?」
眦を吊り上げて怒鳴った少女に、周りの者達が息を飲んで、体を強張らせた。あの、闘神になんて口を……と、怯えの篭った目で少女を見ている。
闘神ライセム・ゾンテは、神でありながらその無慈悲なまでの残虐さと、他者への無関心さで有名な神でもあった。自らに刃向う者には容赦なく打ち滅ぼし、また一度加護を与えたものであっても、気分次第ですぐに見捨ててしまうような、気紛れな面が多かった。
そのため、ライセム・ゾンテの加護を得ようとする者は、極力彼の怒りに触れぬよう、そして、供物等あらゆる手を尽くして、彼の関心を引き続けることに必死であった。しかし、彼が供物に興味を示すようなことは一度もなく、彼の加護を得られ続けるか否かは、まさに神のみぞ知るというのが、現状であるのだが。
そんな彼であるから、少女の暴言に、誰もが少女の命はこの場で失われるだろうと、目の前で行われる惨劇を覚悟していたのだが。
周囲の緊張を孕んだ沈黙を全く意に介することなく、ライセムはただ少女を見つめたまま、うっすらとその白磁の頬を赤く染め、にっこりと邪気のない顔で笑んだ。
「いや~、今回の魔王の進撃に対して、人間達が太古の文献を持ち出して、異世界から勇者召喚をするなんて言ってたから、異世界に逃げた姉さんも引っかからないかなぁと思って、召喚を勧めるのと合わせて、魔法陣に姉さんの情報を描き加えておいたんだよね。でも、まさか本当に、姉さんが喚ばれるとは思わなかったよ」
そう、あっけらかんと言い放った後、途端に目を細め、口元に歪んだ笑みを浮かべながら、「俺は、じいさんとその他のやつらによって、姉さんを追いかけられなくさせられたからね」と続けた。
その言葉に含まれた憎悪のような感情に、少女はひくりと口元を引きつらせ、他の者はびくりとさらに体を縮こまらせた。
しかし、すぐに少女ははっと何かを思い出したように、その顔を怒りの表情に変え。
「あ! そうよ! その魔王とか、魔物とかっていったいどういうことよ!」
キッとライセムを睨みあげる少女に、ライセムは再びうっとりとした眼差しで少女を見つめた。
「一万年くらい前に、姉さんが異世界に行っちゃってから、ずっと寂しくて寂しくて姉さんが恋しくて鬱々してたら、気が付いたら世界が魔物だらけになってたんだよね」
何か悪い気が出てたみたい。そう、ちっとも悪びれない言いぐさで話すライセムに、少女はぐっと彼の胸元を掴んだ。
その少女の突然の暴挙に、他の人々がひいいいいぃぃぃ!! と、場の雰囲気から口には出せないでいたが、心の中で絶叫していた。
「やっぱり、お前かああぁぁ!! おかしいと思ったのよ! 私がこの世界を去るまでは、魔物なんていなかったもの! どうしてくれんのよ! 私が丹精込めて育て上げてきた世界をおおぉぉぉ!!」
胸ぐらを掴んだまま前後にゆっさゆっさと揺する――しかし、体格差のせいであまり揺れてはいない――少女に、相変わらずライセムはにっこりと甘い笑みを浮かべたまま。
「でも、それは姉さんが俺を置いて異世界へ逃げたせいじゃない」
その、顔は微笑んでいるのに、目の奥に宿る暗い怒りを見た少女は、うっと言葉を詰まらせて、動きを止めた。
けれど、負けじと全身を怒らせながら、彼の目を見返し。
「それだって、あんたのせいでしょう! 毎日毎日、時所構わずセクハラしてきたり、あまつさえ、お……押し倒して……!」
「え? だって、俺姉さんのこと好きだし愛してるし俺のものにしたいし、別に問題無いでしょ?」
「問題大有りよっ!! いい!? あんたと私は、同じ父神様と母神様から産まれた、れっきとした姉弟なのよ! 姉弟!!」
顔を赤くして怒鳴る少女に、ライセムは呆れたようにやれやれと首を振って。
「姉さんこそ何言ってんの? 近親婚がタブーだなんて、人間が勝手に決めたことでしょ? 俺たち神族の間では、近親婚なんて当たり前だし、じいさんと孫とか、親と子で子ども作ってるやつらだって、たくさんいるじゃない」
そんなライセムの言葉に、少女はぐっと押されつつも、
「私が嫌なのよ! 姉弟で結婚なんて、考えられないの!」
と、はっきりと言い放った。
そんな二人の会話に、すっかり置いて行かれつつも、その場にいた人々の中でざわざわと囁きが広がっていく。
「闘神ライセム・ゾンテと父神母神を同じくする、姉?」
「一万年前に消えた……」
「まさかあの方は……」
信じられないと、二人に目線を向けたまま、それぞれが思いを口にする。
「――――遥か昔に姿を隠した、愛と豊穣の女神……シアナテ・ジーア……!?」
神官長がその名を口にした瞬間、ライセムと少女が、同時に神官長の方に顔を向け。
「その肩書きを言わないで!」
「軽々しく姉さんの名を口にするな!」
少女は顔を赤くして涙目でそう訴えただけだったが、ライセムが不快げに声を発した瞬間、ずんと人間達にかかる威圧感が増した。
「ぐっ!」「がはっ!」といううめき声をあげながら、人々が地面へと這いつくばる。あまりのプレッシャーに、数名が気を失い倒れていく。
「あ! こら、ラス! 神力を押さえなさい!」
そんな人々の様子に慌てた少女――神名シアナテ・ジーア――が、ライセムを窘める。
そして、少女の声にぴくりと体を揺らせたライセムは、きらきらと輝く様な笑顔で少女の方を振り返り。
「また姉さんがそう俺を呼んでくれるなんて! ああ、もう、姉さん! 俺だけの姉さん! 愛してる愛してる愛してるよ!」
ぎゅうぎゅうと少女を抱き締めながら、ひたすら愛の言葉を囁いている。気が逸れたせいか、ライセムの発するプレッシャーも幾分か収まったようだ。
「邪魔なじいさんや他のやつらもいないし、これからべったりと愛を育んで行こうね! 子どもは何人にしようか? あ、でもしばらくは姉さんと二人っきりが良いなぁ」
そう、うっとりと少女の艶やかな黒髪に頬を寄せながら囁いていたライセムに、ん? と少女は眉間に皺を寄せた。
「え? おじい様達がいないって、どういうことよ?」
ぐぐぐとライセムの体を押し返しながら、少女が問いかけると、ライセムはニコニコと無邪気な笑みを浮かべながら。
「俺と姉さんの仲を邪魔する奴らが邪魔だったからね。こことは別の世界に追い出したんだよ」
「は? 追い出したって……おじい様も?」
相手は創造神である。いくらライセムが、創造神アセガ・ナルルに次ぐ力の持ち主とはいえ、祖父には敵わないだろうと思っていたのだが。
「やっぱり、いくら創造神とはいえじいさんも歳だよね。俺の姉さんへの愛の前には敵わなかったみたいだよ」
くすくす笑いながら言われた言葉に、さすがに少女も固まった。
一万年ほど前、ついに本気で貞操の危機を感じた少女――女神シアナテが、祖父神に泣きつき、シアナテを哀れに思った祖父神と、シアナテをライセムに渡したくなかった男神達によって、異世界へと飛んだシアナテを追おうとするライセムを、彼女のいる世界へと飛べないようにしてもらっていたのだ。
さすがに祖父神の力には敵わなかったライセムは、しぶしぶこの世界に留まるしかなかったのだが。
それが、今や祖父神の力を凌駕するようになったということは、もはや彼を止められる者は誰もいないということで……!
徐々に青くなっていく少女の頬を、指の背で撫でながら、ライセムは蕩けるような甘く暗い笑みを刷き。
「これで、俺達の邪魔をする者はいなくなったから、覚悟してね、姉さん……」
耳元で囁かれた言葉に、少女はぶるりと背中を震わせた。
「え! ちょっ!」
突然ふわりと担ぎ上げられて、少女は声を上げた。気が付けば、ライセムの腕に腰かけるような恰好で、抱き上げられていて、少女は慌てて下りようともがく。
しかし、背中に回されたもう一方の腕にしっかりと体を固定されており、体を捻ってみたところでこの拘束から逃れられそうにはなかった。
「さあ、姉さん。天界に二人だけの新居を用意してあるから、そこで存分に可愛がってあげるからね!」
鼻歌でも歌いそうなほどの上機嫌で、ライセムは入口の方へと歩き出す。
「きいゃああああぁぁぁ!! 襲われるぅぅぅ!! 誰かああぁぁぁ!!」
そんなライセムの逞しい背中をばしばしと叩きながら、少女が必死に叫ぶが、その場にいた人々はぐったりと床に寝そべったままで、二人の方へ辛うじて顔を上げ、成り行きを見守っているだけだった。
涙と絶望に染まった少女の目が、訳も分からずぱちぱちと目を瞬かせている、勇者を捕えた。
「ちょっと! あなた勇者でしょ! このセクハラ魔王を倒してよ!」
そう必死に叫ぶも、勇者は未だ呆然と床に座り込んだまま、動けずにいた。
「姉さんが、俺以外に助けを求めるなんて……ああ、俺そいつ消してしまうかも」
顔は出入り口に向けられたまま、愉快そうな声色でそう言ったライセムに、少女は、以前よりも病み度が上がっている! と危機感に顔をひきつらせた。
マジでやばいと、手足をばたつかせたり、体を捻ったりしてみるものの、ライセムはじゃれている猫でも相手にしているかのように、余裕かつ微笑ましげだ。
「だ、だ、だれかああああぁぁぁぁぁ!!!」
その日、神殿から空へと昇っていく悲鳴が、国中へと響き渡ったとか。
主人公の性格が似たような話ばかりですみませんm(__;)m
同じ設定からの派生小話ということで、目をつむって頂けると助かります。
先日、当お話とある方の書かれたお話が似ているというご意見を頂きました。そして、その方と話し合った結果、問題は無いということになりました。
「巻き込まれ召喚」や「神」という設定などは重なってしまいますが、お互いに納得づくですので大丈夫だと思います。
心配して下さった方、ありがとうございました<(__)>