巻き込まれたのは、女神(前編)
同じ設定から派生したお話の一つです。
このお話はあまり巻き込まれた感が無いですが、巻き込まれ話も好きです。
多くのレンガ造りの建物が立ち並ぶ都市の端、丘の上に佇む巨大な王城の隣に、真っ白な石で作られた王城に並ぶほどの壮大な建物があった。
この国の創造神である大神アセガ・ナルルとその子孫神を祀るその神殿は、天井近くに作られた窓から差し込むわずかな光が厳かな雰囲気を作り出し、正面の祭壇以外は何もない、開けたホール状になっていた。
そして、現在、そのホールの中央辺りには、巨大な魔法陣が描かれており、その魔方陣を十人ほどの白いマントを被った人々が囲っている。
また、魔法陣から離れた壁際には、上質な身なりの四十代ほどの男らしい顔つきの男と、彼を守るように周りに騎士達が控えていた。
魔法陣を囲む白いマントの者達がいっせいに呪文を唱え始めると、魔法陣の文字が金色に発光し出した。やがてその光は真っ直ぐ上へと立ち昇り、魔法陣全体が柱のように光を立ち上げ、その光が向こうも見通せないほど真白く濃密になっていく。
お経のように連綿と続けられる呪文を唱える声が、徐々により強く大きく静まり返った神殿内に響く。
そして、それを見守る者達も、固唾を飲んでその様子に見入っていた。
魔法陣から発せられた光の柱の周りを、バチバチと青色の雷が走り、滔々と続けられる呪文の声ももはや叫んでいるかのような音量に達していた。そして、その場にいる者達の緊張感が限界を迎えようとした、その時。
急に光の柱がコーンという鐘のなるような音を立てて弾けた。
弾けた光の欠片が、目を焼く様な光を発し、その場にいた者は、手で目元を覆い、または目を閉じて光をやり過ごす。
やがて、光の奔流が収まった頃に、人々が魔法陣に目を凝らすと、そこには二つの人影があった。
一人は金に近い茶色の髪に、翠色の目の高校の学生服を着た少年だった。
魔法陣の敷かれた床に座り込んだ少年に、その場の人々の目が集中する。
状況が把握できず、呆然とする少年に、白いマントを被った老人がゆっくりと近づいていく。
「ようこそ、おいでくださいました。勇者様」
そう言って、恭しく胸元に手を置いて少年に頭を下げる。
「ゆ……勇者……?」
何とか状況を理解しようと、言葉を返した少年に、老人はにっこりと笑い「あなた様こそ、この世界をお救い下さる勇者様でございます」と丁寧な口調で答えた。
「現在、この世界は魔王率いる魔物達によって、脅威にさらされておる」
呆然と老人を見上げていた少年に、別の方向から声がかかった。
少年がそちらに顔をやると、上質な服装の、高貴な物腰で威圧感のある男――この国の王である――が、カツカツと少年のもとへ近づいてきていた。
「魔王の力は強大で、この世界には彼の者を止めることのできる力を有する者はおらぬ。しかし、このままでおれば、近いうちに世界は魔王によって滅ぼされるであろう」
真剣な顔で言葉を続ける王に、やがて少年の表情も緊張感のあるものへ変わっていく。
「そんな時に、神のお告げが下されたのだ。“異世界より来たる者、大いなる力を持ちて、魔の者を滅ぼすであろう”と。そこで、神官達を使い、そなたを呼び寄せたのだ」
そう言い切った王の言葉を、白いマントの老人、この国の神官長が引き継ぐ。
「突然のこと、さぞや驚きかとは思いますが、どうぞこの世界ガナルをお救い下さいませ」
そうして、神官長とその場にいた白いマントの者達全員にいっせいに頭を下げられ、少年はおたおたと慌てた。
しかし、少しの時間考え込んでから、やがてその緑色の瞳に強い意志を込め、しっかりと頷いた。
「分かりました。僕にその力があるのならば、出来る限りのことはします!」
少年の言葉に、その場にわっという歓声と、緊張が解かれた緩い空気が漂う。王も神官長も、ほっとしたような笑顔で少年に向き合った。
「…………あの~……」
薄暗い神殿内に、明るい雰囲気が漂っている中、恐る恐るというように高めの声が割って入ってきた。
その声に気付いた、その場にいた人々全員が、声のした方を振り返る。
すると、召喚された少年の向こう、大きな魔法陣の端の方に、闇に融け込むようにひっそりと佇む、少年と同じ高校の制服の、真っ黒なストレートの髪を肩まで流した、濃い茶色の目の一人の少女がいた。
「……黒髪……」
その少女を見た、勇者の少年以外人々が、いっせいに顔を歪めた。その中の誰かが、ぽつりと厭わしげに言葉を漏らす。
「何者だ! 貴様!」
先ほどとは打って変わり、王が声を荒げながら誰何する。そんな王の後ろには、警戒心を顕わにした騎士達がいつの間にか移動してきていた。
「わ……私は、彼と同じ学校の者で、ただの巻き込まれた一般人です。えと、この件に全く関係のない私は、元の世界に帰してほしいのですが……」
剣呑な雰囲気が漂う中、少女は控えめに、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。
少女の言葉に、再び辺りがざわついた。「何故勇者以外の者が……!?」や、「ただ忍び込んだだけだろう」などと言った声が飛び交う。
「どういうことだ?」
「そんな……勇者以外が喚ばれるはずは……」
王が神妙な顔で神官長に問いかけると、神官長も戸惑いながらそう答える。
そんな中で、少女はどこか落ち着かなそうにそわそわしている。
「お願いします! 早く私を帰して下さい!」
「うるさい! 今貴様の処遇について検討中だ! 黙っていろ!」
威圧的にそう怒鳴った王に、しかし、少女は怯むことなく、焦燥感に満ちた声でしきりに懇願を繰り返した。
「お願いします! 早く元の世界に帰して!」
「ええい! 喧しいというに! 黒髪が厚かましくも!」
「早く! でないとあいつが――――!!」
少女が必死の形相で、王に詰め寄ろうとしたとき、ズンと神殿の建物の上に何が重たいものが落ちてきたかのような重圧がかかり、建物がぐらりと縦に揺れた。
突然のことに、神殿内にいた人々が驚きながらも、その場に立っていることができず、尻餅を付いたり、しゃがみ込んだりしている。
「なっ! 何事だ!」
慌てたように王が叫ぶが、その場にいた誰もが、事態が分からずしきりに辺りを見回している。
ただ一人、その場に立ち尽くしていた少女だけが、顔を真っ青にして全身を震わせていた。
一瞬落ちた不気味な静寂の後、ゴウンと重々しげな音を立てて、神殿の入り口の観音開きになっている重厚な扉が、ゆっくりと両側に開け広げられていく。
「馬鹿な……! 扉には鍵がかかっていたはず……!」
神官長が信じられないというふうに呟いた。
今日は勇者召喚という重要な儀式を行うため、関係の無い者が神殿内に立ち入ることができないよう、神殿の扉は厳重に施錠されていたのだ。
その扉が、まるで鍵などかかっていなかったかのように、容易く開いていく。しかも、金属製の重厚な扉であるにも関わらず、重さなど関係の無いように軽やかに。
そうして、開かれた扉の間から、真っ白な光が差し込んでくる。
締め切られ薄暗かった神殿内の床に、白い光の線が伸びる。やがてそれは、太く長く伸び、その光の真ん中に一つの影を映し出した。
誰もが、音一つ立てられないような緊張感の中で、光を背に佇む、今は逆光のせいで影にしか見えない闖入者を見つめていた。
扉が両側に開き切った頃、その影はゆったりと、神殿内へと足を踏み入れた。
まるで王者の道を歩くように、ゆっくりと堂々とした態で、影は神殿の中央へと歩み寄る。
正体不明の影が近寄って来るのを、その場にいた誰もが床に座り込んだまま、身動きすらせずにただ注視しているだけだった。いや、誰も動くことも声も発することもできないでいたのだ。言いようのない威圧感が、その影から発せられていたために。まるで見えない壁で全身を押し付けられているようだった。
しかし、勇者と共に喚ばれた異世界の少女だけは、驚愕の表情で息を潜めてその影を見つめていた。
マントのような衣装を揺らしながら、影が漸く人々の視認できる距離へとやってくる。
影の中から浮かび上がったかのように、姿を顕わにしたその人物に、誰もが目を瞠りひゅっと声を飲んだ。
神官の中には、がたがたと体を震わせる者までいる。
さらりと流れた、耳にかかるほどの長さの金色の髪は、光を集めたかのように神々しく。すっと辺りを見回した瞳も、太陽を写し取ったように輝かしく、理知的な彩に満ちていた。顔は小さく若々しさに溢れていて、精悍な顔立ちに甘さを含んだ、男女問わず見惚れるほどの美しさだ。
また、身長は高く、その体は、雄々しくバランスのいい筋肉が綺麗についていて、才能に満ちた彫刻家が丹精を込めて作り出したかのようだった。
身に纏う服は清浄なまでに真っ白で、そこここに人の手とは思えないような精密な刺繍が施され、一目で最上級と分かる宝石が程よく散りばめられた、精巧な作りの装飾品を身に着けている。
全身から漂う気配は人間のそれではなく、立っているだけで感じる神聖さと凛麗とした静謐さは、傍へ寄るだけで罪深き存在になるように思えた。
それは、この世界にいる者であれば、誰もが知る存在であった。国の歴史書で、絵画で、神殿で、必ず一度はその姿を目にすることがあり、また、彼に関する話ならば、数多くのものが大人から子どもにまで広く語り継がれている。
「――――ま……さか、…………闘神ライセム・ゾンテ……!?」
誰かが、詰まった喉から絞り出すように、そう呟いた。
そう、彼こそは、この世界の創造神アセガ・ナルルの孫神の一人であり、その中でも創造神に次ぐ力を持つと言われている、戦を司る男神ライセム・ゾンテ。闘神である彼の加護を受ければ、戦争であろうと魔物の討伐であろうと、決して負けることはなく、特に国同士の勢力争いや、魔物の害の多いこの世界では、最も有名で重宝されている神でもある。
そんな彼が何故ここに現れたのか、まさか勇者に加護を与えに来たのかと、戸惑いと共に人々が期待を膨らませていた、のだが。
闘神ライセムが一点で目を止め、その神々しいまでに端正な顔を、かつて見たことが無いほど満面の笑みに変えた。