試験と夏休み
イザベラと会う約束を取りつけてから早数日。おばあちゃんの指輪の行方が判明しそうなことに浮かれたのもつかの間で、私にはその前に立ち向かわなければならない強大な試練があった。
「やばいやばいやばい」
ざわめく教室の中、いつもの指定席で私は教科書と対峙していた。
無意識にペラペラと教科書をめくるが、頭に入ってる気がしない。無駄な足掻きと分かってはいる。そんな私にリディが遠慮なく追い打ちをかけてくる。
「今更何か覚えようたって、もう試験が始まるのですから遅いですわよ」
「分かっていても教科書を手放せないの。そういうリディはどうなの」
「もちろん完璧ですわ」
自信満々に胸をはる彼女に、さらに精神的に追い詰められそうだ。
まぁ自信満々なのはリディとそれからシア、イザベラくらいなもので、そのほかのクラスメイトたち--イルも含めて--は私同様にギリギリまで教科書やノートを手放さないでいる。
ロータス学院全体の試験は各教科を数日に分けて行われる。上級生は筆記試験の後日に実技試験が続くらしい。期間中は通常の授業はなく、試験後はそのまま夏期休暇となるので実質、休暇前の最終日だ。
試験結果はすぐさま出るらしく、それによって休暇中における個人個人の課題が変わってくるというものであるから、みんな必死なのだ。
とりわけ異世界から来た私は、みんな以上に覚えることが多いので頭もパンク寸前だった。
あまりに必死に見えたのか、リディが恐ろしいことを口にする。
「……光栄にもシアさまがご教授くださったのだから、絶対に、絶対に、合格点を取るのですわよ」
まさしく危機的状況とはこのことだ。
これが試験初日の出来事である。
それからしばらく経ち、筆記試験の最終日を迎えた。
リディからの脅しもあって最後の最後まで回答を粘り、右手はインクで薄く汚れていた。
回答用紙は終了の合図とともに煙のように消えていく。最初の試験こそ1人声を上げるほどに心底驚いたものだったが、よくよく思えばここは異世界で魔法がある国である。数度も目にするといつしか慣れてしまった。
記入途中の格好のまま、しばらく私はぼうっと放心していた。前の席からリディが話しかけてくるのがわかるが、あんまり頭に入らなくて流すように返事をした。
試験が全て終わった教室の中では試験中とは正反対の意味合いでざわついていた。
私はというと、しばらく力が抜けたように呆けていたが、ざわめく周りの状況に少しずつ意識を取り戻していた。
いつの間にか私の前の席にはリディとシアが並んで座っていて、仲良くきゃあきゃあと夏の予定を立てている。ぼうっとしていても、話の内容だけは勝手に耳に入るので、なんとなくその会話を聞いていた。なにやら地方にある屋敷に帰って、敷地内の湖にピクニックに行くだとか、友人の令嬢の屋敷に遊びに行くだとか、なんとかかんとか。そもそも家に湖があるとは……会話についていけそうにない。
私にも一緒にと誘ってくれる彼女たちに相槌を打ちながら、視線だけをしばしば同じ教室にいるイザベラへと向けていた。
数日前の約束からイザベラとは話していない。
もとより頻繁に話す間柄でないし(そもそも未だにシアたち以外に親しくなった子がいないという事実もある)、試験で私自身それどころではなかったから。
声をかけたい、とは思いつつ実行できずにここ数日はもっぱらモヤモヤとした気持ちで遠くから彼女を眺めていた。
はぁ、と出るのはため息ばかりだ。
「ヒーナ。さっきからイザベラばかり見てどうしたの?」
「え、そんなに見てた?」
「それはもう。わたくしたちの声も聞こえないほどにですわ」
「ごめんごめん」
揃って見つめてくる彼女たちに、私は苦笑いしながら謝罪する。
「それで、心ここに在らずのヒナは一体何を考えているのかしら」
「最近は隠れてヒース様やアスフォディル様といたりするみたいですし」
2人に詰め寄られ、逃げようにも逃げられない。それにヒースとアスフィに会っていたこともバレているらしい。
ロータス学院でできた数少ない気のおける友人たちに、これ以上黙っていることも気が重かったのも事実。指輪のこともヒースたちとのことも、いつかは『公表』されることなので、彼女たちには自分から話しておきたい。
「じつは、この休暇にイザベラからお屋敷へ招待されているの。詳しい日にちなんかは試験が終わってからってことでまだ決めてなくって、気になってね。ヒース達は、上級生だから何かと気にかけてくれてるのよ」
色々略しているが嘘ではない。
まぁ、いきなり全てを打ち明けるわけにもいかないので、ほんの上澄みだけなんだけど。
「ヒナ……」
両手を組み、フルフルとリディが言葉を震わせる。
イザベラとの約束は秘密というわけではないが、黙ったままだったので怒っているのだろうか、と思いきや。
「わたくし達以外にも友人ができたのですわね!」
別な方向に感動しているリディに、思わず机に突っ伏した。
「何はともあれ、イルもヒナも無事に試験が終わってよかったわ」
筆記試験最終日、1年である私たちはお昼前に全ての試験が終わった。教室から食堂へ移動し、シアとリディも入れた4人でお昼をとっているところである。
実際問題は結果が出るまでは安心できないが、もう試験は終わってしまったわけだから結果を気にしてソワソワしても仕方ない。
「ようやく勉強から解放されたんだから、とにかく僕はゆっくり過ごしたいよ」
「私は久しぶりにピクニックに行きたいわ」
「シア様、わたくしもお誘い頂けると嬉しいのですが」
「ええ、もちろんリディもヒナも招待するわね」
三者三様にこれからの休暇を楽しみにしているようだ。
かくいう私もこの休暇にはリコット亭はもちろんだが、久しぶりに最初にお世話になった村へも帰りたいと思ったりしている。
長期休暇といっても期間は限られているが、ロウがいれば王都から村までの行き来なんてあっという間なので、ちょっと立ち寄ることもできる。きっとみんな驚くだろうな、と思えばこの休暇も随分楽しみになってきた。
「--ヒナもぜひ家へ来てちょうだいね」
「王都の屋敷ではなく、郊外のお屋敷ですのよ。近くに湖があって、そこでティーランチを致しますの」
夏になると毎年、敷地内でピクニックを行うそうだ。ピクニックに行けるほど広大な敷地とは、しかも湖のほとりでランチ……想像するだけで優雅である。
「うーん、考えただけで楽しそうね」
また一つ、休暇中の楽しみが増えた。