7
「ヒナのおばあさまの指輪? ごめんなさい何のことかしら」
考える素振りを見せることもなく即答する彼女に、今ここでこれ以上追求をしていいのかどうか、私では判断できない。
猫を抱き上げたまま小首を傾げる様は、側から見れば何ともない仕草に見えるが、私からすればすっとぼけているかのようにしか見えない。まぁこれは半分は私の言いがかりかもしれないけど。
どうしたものかと考えながらチラリと横目でヒースを見た。彼は私が問い尋ねてから終始無言でイザベラに視線を向けたままであるが、その表情は固く普段の緩い顔から程遠い。
学院長もここにいない今、私たちだけで追求するにはロウという証拠もないし、下手すればただの言いがかりになってしまう。
そういうわけで。
「突然ごめんなさい。私の勘違いだったみたい」
「そう? でも大切なものでしょう。 どんな指輪か教えてくれれば、力になれることがあるかもしれないわ」
本気で言っているのだろうか。
それとも本当にイザベラは何も気づいていないのだろうか。これが演技なら相当だ。
私は唇を引き締めた。そうしなければ思いっきり顔に出そうだったから。
同じく隣には先程から変わらず硬く表情をしたヒースの顔。若干笑みを作っているところは彼らしいというか何というか。最近一緒にいることが増えて気づいたのは、あのヒースの雰囲気はあまり機嫌が良くない、ということである。
ヒースを横目で伺いながらそんなことを思っていると、まさしく彼が口を開いた。
「紫の石をはめた指輪だよ、イザベラ嬢。ヒナの瞳の色彩のような」
「まぁそうなんですか。教えて頂きありがとうございます。でもごめんなさい、私には思い当たらないみたい」
「それならもっと詳しい説明をしようか。指輪は学院長の瞳とも同じ色彩をしている。それほど前じゃない。君の、タイナート家の領地内にある村で行商人が来ていた時になくたってそうだ。それからーー」
「ヒース! もういいから」
早口でまくしたてるように喋るヒースに、私はわざと大きな声を上げて言葉を遮った。そうしなければ今ここで、彼が全てを言ってしまうのではないかと思ったから。
まだ今はその時ではない。ヒースだってわかってるはずだ。
おそらく不機嫌であるはずなのに、緩やかながらも笑顔を絶やさずイザベラを見続けるヒースに私が再び呼びかけると、それでようやく私の方を見てくれる。
「ヒース、どうしちゃったの」
いつも柔和で親しみやすい彼が苛立っているのが分かったので、そう尋ねずにはいられなかった。
「どうもしれないよ、いつも通りの僕さ」
それならどうして。笑顔のまま、しかしその目は表情とは正反対のようで。
「……それでは私はそろそろ部屋へ戻りますね」
イザベラも私たちの重々しい空気を気にしてか、この場を離れようとしている。
イザベラとヒースと、交互を見やりしばらく悩んだが、私は足をイザベラへと向けた。
「イザベラ、ちょっと待って……!」
「どうしたの? まだ何か」
ちょうど寮の扉を潜り抜けたところでイザベラを引き止めた。一瞬、後ろを振り返ったがヒースは外の先程の位置から離れていない。軽く息を吐いてイザベラへと向き直る。
「指輪のこと、本当に知らないのよね」
「--さっきも言った通りだけど」
「それじゃあ、最後にひとつだけ。その子は本当にただの猫?」
「何を言いたいの」
「私もロウという犬を連れているの。一度見たことがあるでしょう」
「ええ、覚えているわ」
「だから分かるの。その猫--アートフィレイスと一緒よ。ロウも」
イザベラは沈黙し、何か考えるように抱きかかえる猫を見つめている。
その間に私は再度後ろを確認した。ヒースは変わらず入り口の外におり、私たちを見ている。
ふぅ、とイザベラから息を吐く音が聞こえてきた。
「……試験が終わってしばらくしたら、長期休暇に入るわ。ヒナが良ければタイナートの屋敷に来ない?」
「え?」
予想以上の反応に思わず惚けるような声になった。聞こえなかったと思われたのか、イザベラがもう一度繰り返す。
「試験後の長期休暇だけれど、私の屋敷にこない? と誘っているの。学院は試験を控えていてゆっくりできないでしょうし、長期休暇になってしまえばもう会う機会が無くなってしまうわ。……お互いに話したいこともあるでしょうし」
話したいこと、というのはおばあちゃんの指輪のことだろうか。
ともかくイザベラからのこの誘い、願ってもしないチャンスだというのもあり、本当はロウにも相談してじっくり考えたかったが、その前に返事をしてしまった。
「--もちろん是非」
イザベラがなにを思って誘ってくれたかは不明だが、この機会逃すわけにはいかない。もしかすると返事を待ってもらっている間にイザベラの誘いがなくなってしまう可能性もあると思ったからだ。
遅かれ早かれ、どうせ対峙しなければならないのだから。決着は早い方がいい。
「よかった。試験前や試験中は時間がないでしょうから、試験が終わって休暇前になったら声を掛けるわ」
「うん。そうしたらまずはお互いに、試験頑張ろうね」
「あなたって――見かけによらず行動派なのね」
お互いに約束に確認をして、それぞれ別れた。
イザベラはアートフィレイスを抱いたまま女子寮へと向かい、私というと入り口の外で待たせていたヒースの元へと小走りで戻った。
「随分と話し込んでいたようだけど、彼女となにを話していたの?」
「ちょっとね。……ごほんっ。イザベラの家へ行く約束をしてきました」
ピシッと背筋を伸ばしてヒースへそう報告した。
イザベラと学院内ではなく、個人的に会えるということで、私はてっきり褒めてもらえるかと思ったのだが
「--はぁ? イザベラの屋敷に? もしかしてひとりで?」
「ううん、たぶんロウもだよ」
「バカ!」
え、と驚いた。確かに相談せず勝手に判断したので、文句の一つや二つあるとは思っていたけど、まさかバカとは……。
目の前ではヒースが前髪を搔き上げて大きくため息をついている。その仕草も様になるイケメンなのだが、そんなヒースにこうもはっきりバカと言われたら結構なダメージだ。
……まずかっただろうか。でもイザベラから直接魔石のことを問いただすチャンスだし。ロウも一緒なわけだから、もしもの時でもどうにかなるはずだし。
「どうにかって、何か起こった後では遅いんだよ!」
「っはい」
どうやら言葉に出していたみたいで、余計に叱られてしまった。
ここは素直に頭を下げておく。冷静考えれば、たしかにヒースの言う通りで、ロウと一緒といってもひとりでイザベラの家に行くなんて。バカといわれても仕方ないかもしれない。
しょんぼりと項垂れている私に、ヒースは少々呆れた口調で言った。
「まぁもう約束してしまったわけだし、こうなれば僕も付いていく」
「え? だめよ」
「どうしてさ」
「いや、ヒース来たら疑われたちゃうじゃない。たぶんイザベラは魔石とロウのことは気づいてると思う。でもヒースと私のことはまだ知らないかもしれないから」
「それなら僕といる時点で、ヒナが君のおばあさまと学院長の関係に気づいている事はバレてると思うけど」
「それは確かに。……いや、でも」
養女になることはまだ公にはしないから。それなのに学年も違う私たちが一緒にいることは、イザベラだけでなくとも周りにも不可解に見えるだろう。
そう説明すればヒースが驚くべき提案をする。
「その時は僕らが恋人だと言えばいいよ」
「却下」
「え 即答?」
先程言われたおバカ発言をそのままお返ししようではないか。
「--まぁヒナの恋人発言なんてしてしまったらヴェルの反応も怖いし、やっぱりやめよう」
小声でヒースがそう話すのが聞こえてきたが、また冗談かからかっているのだろうと思い、あえて聞きえないふりをした。