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ロータス学院の試験は筆記と実技と2つある。
筆記試験は日本の学校と同じようないわゆるテストで、実技試験は授業で学んだ魔法を使うテストだ。しかし実技は高学年から、ということでまだ入学して1年目である私には関係ない範囲なので、今回は実技の対策は必要ないようだ。
「筆記試験だけならなんとかなると思ってたんだけど」
薬草学の授業が終わり、次の授業を受けるまでの少しの間、みんなが各々で休憩したり準備をしたりする中、わたしは教科書もそのまましばらくうなだれていた。
日本にいた頃はそれなりに勉強できたはずなのだが、いかんせんこちらでは座学の内容が違いすぎる。もちろん言語や文化文明自体違うから当たり前だけど。
しかしやはり、ちょっとやそっと勉強したからって周りのレベルに達するわけがない。最初は文字を書く練習から始めたんだから当たり前といえばそうなんだけれども。というか今更だけど私よく入学試験に合格したな。
「さっきから呆けた顔で一体どうしましたの?」
「リディ…… 私、試験で赤点取るかも」
「あか、てん? なんですの? それ」
ぐったりと落ち込む私にリディが目を丸くしポカンとした表情をする。確か落第点はあったはずだが、赤点とは言わないみたいだ。
「んー、簡単に言えば試験で合格基準に達しないってこと」
「まあ。ヒナは試験が心配ですの?」
「ほんっとに、今のままじゃちょっと厳しいかも」
「そ、そうですの」
あまりにも必死な顔だったのか、リディが若干引きつったような笑みをみせる。
いや、本当に私には危機的状況なのだ。
その時背後から女神のような声が聞こえてきた。
「それだったら、私が勉強をみてあげましょうか?」
「シア!」
「セレシア様」
私とリディが同時に声を上げる。
振り返れば優しげに微笑むシアの姿。それから隣には少しばかり目の下にクマを作ったイルも一緒だ。心なしか以前より髪ツヤが悪く、顔色もあまり良くないような……。
「そうだよヒナ、今からでも遅くはない。是非とも一緒に勉強しよう」
発する言葉と姿が正反対に思えた。顔色に比例するように声もあまり張りがない。
若干引き気味にイルを見やる。それほどまでに追い込まれているのだろうか。私も人のことを言える立場ではないけども。
「とても厳しいんだけど、なんとか僕も試験には合格できるはずさ。シアは昔から勉強が本当にできてね、持つべきものは勉強のできる家族だね」
疲れ切ったイルの隣に立つシアは、なんだか普段よりも生気がみなぎっているようだ。
「なんとか合格だなんて。1年の勉強は基礎の基礎。イルはデモール家の次期当主なのだから、高得点を狙ってもらうわよ」
「……僕は筆記より実技が得意なんだよ」
「それならなおさら、上の学年になるには筆記試験を通っていかないとね」
シアは変わらず優しげに微笑んでいる。が、イルの姿を見る限り、優しい勉強会ではなさそうだ。イルの疲れきった顔が物語っている。
「ヒナも試験が不安なら、今からでも私たちと一緒に勉強しない? 先生ほどじゃないけれど、勉強を見ることくらいはできると思うの。私はイルとは反対に、筆記の方が得意だから」
私さえ良ければ、とシアが誘ってくれている。
そういえばリディも一緒に勉強しているはずだが、リディは至って普段と変わりないように見える。
イルは大分疲れ気味ではあるが、まあ心配するほどではないだろう。そもそも合格するかしないかの瀬戸際にいる私にとってこんな良い誘い、断るなんて馬鹿だ。
「それじゃあお言葉に甘えて。わたしも、一緒に勉強教えてくれる?」
そうして今夜からシアを中心とした勉強会がスタートするのであった。
後日、私もイルと同じく目の下にクマをつくることとなった。リディはというと、やはりというか真面目に勉強していたらしいので、シアがついて勉強を見るまでもないほどだったのだ。
疲れと眠気で重くなった目を軽く擦る。自習をするためぼうっとしながら学院の図書館へと向かっているとヴェルリル殿下とすれ違った。前回、と言っても数日前だが、図書館であった時のことが随分と昔のことに思えた。
連日の徹夜もあり、疲れていた私よりも先に気づいたのはヴェルリル殿下からだった。
「ーーおい、やつれてないか」
「あ……最近徹夜で勉強してて。シアにも勉強を見てもらっているんです」
憔悴している私の姿を見た殿下は少し驚いた表情をしたように見えたが、すぐにいつもの硬い顔に戻った。
「試験か、なるほどな。シアは勉強が良くできるだろう」
「分かんない事だらけだったんですけど、シアのお陰でなんとかなりそうです」
言葉を噛みしめるように深く頷いた。
試験に向けて、シアが私用に傾向と対策をしてくれている。まるでマンツーマンの家庭教師だ。そのおかげでもあって試験に少し自信がついてきた。
疲れた顔でそれでも私が小さく笑っていると、突然ヴェルリル殿下が軽くポンっと私の頭に手のひらをのせた。
「あまり無理せず、頑張れよ」
「――はい」
撫でられた拍子に耳から落ちた後れ毛が頬をかすめる。顔を上げることができない。突然の出来事に絶対赤くなってる。
うつむいたままいると「じゃあな」と殿下が去っていくのが分かった。少しして軽く視線を上げる。小さくなる背中を見送りながら、自意識過剰になりそうな自分自身をなんとか押さえつけることに四苦八苦する。
気づけばそのことで頭がいっぱいになって、数日の疲れが一気に吹き飛んでいった。