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まさか2度もお屋敷に訪れることになるとは思いもよらなかった。私はそう思いながらもう目の前に迫った屋敷に、ギュッとロウを強く抱き寄せた。
それまで止まることなく進んでいた馬車が、レンガ造りの豪奢な門の前で一度停止する。私は馬車の窓越しにそっと外を眺めてみると、使用人の男が門を開く様子がうかがえた。前回来た時は、この門とは反対に位置する図書館を通ったので初めての場所だ。
窓に張り付くようにしていると、再び馬車が動き出してまたすぐに止まった。小さなドアが開き、先に降り立ったヒースの手をかりて、私も軽やかに地面へ降りる。ロウもピョンと飛び跳ねるように私の足元へ並ぶ。
「こう……改めて来ると、すごく緊張するんだけど」
私は囁くように小さくつぶやいた。どんなに小さな声でも、たぶんロウには聞こえているだろう。しかし返事はもちろんない。
一方でヒースは待ち構えていた使用人達と会話を始めていた。その背後で乗ってきた馬車が動き出し、敷地のどこかへと移動する。そんな様子をポツンと1人で動かずに、視線だけキョロキョロと彷徨わながら眺めていた私に、使用人の女性が近づいてきて言った。
「ようこそお越しくださいました。どうぞ中へ」
「あ……はい、ありがとうございます」
私はその言葉に促されるように大きなエントランスへと足を進めた。ヒースの隣までたどり着くと、私たちは並ぶように歩きながら屋敷の中へと入った。
室内へ入ると私たちを出迎えたのは広く開放的なホール。室内は日差しの強い屋外とは反対にひんやりとしていた。たった今来たばかりの私たち以外には人の気配が感じられず、ドアが閉じられるとさらに周りの音も静まり、たったそれだけで私の体は萎縮してしまいそうになる。
エントランスから数歩のところで立ち止まった私に、ヒースが振り向いていった。
「早速だけど祖父と面会になる」
「えっと……はい」
ヒースの説明に、私は固くなっていた体をピッとのばした。玄関ホールから隣接する応接室へと案内される。使用人によって開かれた扉をヒースが先だって通り、私もその後ろを歩いた。
緊張の中、入室した私の鼻をくすぐったのは乾いた紙とインクの香り。そして部屋を囲う書架に並ぶズラリと整頓された本に、私は目を輝かせた。
「すごいね、ここも。まるで図書館みたい……」
「外の図書館ほどではないけど、本屋敷と言っていいほどここも本だらけさ」
「へぇ……」
分厚い背表紙ばかり並ぶ本棚を見上げたまま、気を抜いたように返事をする。私は少しだけ心が落ち着いた気がした。それは学院でもよく図書館に通っていて見慣れたものだったし、それに本棚に並ぶ本というのは日本にいたころのものとほとんど同じで、だからその馴染みの空間に私は気分を落ち着かせることができるのかもしれない。
ヒースに促されて私はソファへと腰を下ろした。見計らってか屋敷の使用人達によって、目の前のテーブルにお茶やお菓子が並べられる。まるで本物の仔犬のようにすかさず反応をみせたロウを無視して、ワゴンを押して立ち去ろうとするメイドにお礼を送った。
「あ、このお茶知ってる」
私は手にしたカップの湯面を覗いた。赤く澄んだ温かなお茶の中にいくつかの花が沈んでいる。シアの家で飲んだお茶と同じだった。
「それはここの菜園で育てられている花が使われているんだ」
「菜園もあるんだ」
「花以外にもハーブなんかもあるね。良かったらまた案内するよ」
「ぜひ! ……ね、あとこのお菓子、食べても?」
「どうぞ好きなだけ」
ヒースに笑われながらも許可を得た私は、お皿に並んだビスケットに手をのばした。数枚食べたところで、足元から感じた強烈な視線に、再びヒースに許可をもらうとロウにもビスケットを食べさせた。
「もしかして彼は魔石かい?」
しばらくお茶とお菓子を楽しんでいたところ、不意にヒースにそう投げかけられた。
あまりにも唐突な質問に、私は目をしばたたかせながらも、ヒースの視線の先を追うとその意味を理解する。
「あ……ロウのこと?」
おばあちゃんの指輪と噂の魔石のについての一切は、先ほどの馬車内でもヒースに伝えている。だからロウのことも言っておかないといけないのだが。「えーと」と、私が言葉を選ぶ間に本人が口を開いた。
「今さらだな」
ロウはそう言うと瞬く間にテーブルの下を通って、ヒースの座っているソファへと乗りあがった。ちなみに口の周りにはビスケットのくずを付けたままだ。
「魔石があるということは必然的に我らもいるということ。成人前あっても貴族というからには既知のことだろう?」
「ロウ!」
たっぷりと問いかけるように言うロウに、私は小さく声を張り上げた。しかし動こうとしないロウに焦れた私は、次に腰を上げようとすると、ヒースに笑いかけられて再びソファに座りなおした。
「疑うような言い方だったね。でも確認しておきたかったから」
「それは……今日の話にも関係すること?」
魔石とは自然にある妖精が長い年月をかけて集まってできたものだと、私はそう認識している。凝縮された力はやがて結晶化し、それがおばあちゃんの指輪でもあった魔石となる。妖精たちもひとつになり、ロウのような存在になるらしい。そうしてできた魔石を使うことで、わたしたち人は容易に魔法という力を利用できるというものだ。
私の問いにヒースが頷いた。
「魔石の妖精であるロウがいて、彼がヒナちゃんを持ち主と認めていれば、今ヒナちゃんが魔石を持っていなかったとしても魔石はヒナちゃんのものだと主張できる」
「魔石が私の……」
それは以前にもロウから聞いたことのある内容だった。たまたまではあるが改めて第三者から聞くと、確信を強めることができる。しかし私は呟きながら安堵すると同時に、小さくだが疑問を感じた。
今、おばあちゃんの指輪だった魔石を持っているだろう噂のイザベラもこの内容を知っているはず。彼女も貴族の娘で、私よりも魔石に関する多くのことを知っているに違いないから。だからヒースが言うように、魔石だけあってもそれだけではイザベラの物とは言えないことを彼女自身も知っているはずで……。
「まぁ今日は、噂の魔石というよりもヒナちゃんのお祖母さんについてが本題だから、この話はまた後でかな」
「あ……そうだね」
浮かんだ疑問にもやもやとしていた私は、ヒースの言葉ではっと気を取り直した。そうだ、今日ここに来たのはおばあちゃんのことを確かめるためなのだ。
そして偶然か、タイミングよく部屋の外から使用人が呼びかける声が届いた。
「ヒース様、旦那様がお見えになりました」
聞こえた声にヒースが立ち上がり、それに私もあわせるように慌ててならった。ロウも私の足元へと戻っている。視線だけでそれを確認すると次いで、先ほど私たちが入ってきたドアが開いた。
静まり返った空間の中、ドアの金具の音が高く響く。現れたその人、学院長に私は浅く頭を下げた。
「今日は屋敷に呼び立ててすまなかったの。試験前の休日で忙しかっただろう」
「いえ、とんでもない! こちらこそ時間を作ってもらって、ありがとうございます」
そう私がぎこちなく返事をすると、学院長に笑われてしまった。緊張か恥ずかしさか、体温が少しだけ上がったように感じるのはきっと気のせいじゃない。
学院長がゆったりとした歩調で私たちのいるソファセットへと寄ると、一人用のソファに腰を下ろした。ヒースも座り、それを見て私も静かに座る。それまで部屋にいた使用人達は学院長が来ると、テーブルに新しいお茶を並べ退出した。
3人と1匹、本の匂いのする静寂の室内に柔らかなお茶の香りはとても心地良い。おのずと肩の力が抜けて緊張も一緒にほぐしてくれるようだ。だからだろう、私は学院長の話にも自然に返すことができたのは。
「本は好きかね?」
「はい。読むのはもちろん、あと本のある空間も好きです」
思うまま答える私に、学院長は目じりを細めた。少しだけ垂れたように刻まれたその細かな皺に、優しさと懐かしさが重なって見えた。
「私の妹も本がとても好きじゃった」
「妹……って」
「私には妹がひとりいての。しかし随分と昔、私がまだ青年とよべる時に、ある村の森でいなくなってしまったんじゃ」
私は学院長を見つめたまま大きく目を見開いた。対する学院長も私に視線を向けている。
どうして気づかなかったのだろう。目に入った時から気になっていたはずなのに。
その向けられた瞳はおばあちゃんや私と同じ紫だった。
「……実は学院内で何度か君を見ながら気になっていての。しかしまさかと思っていたが……」
学院長はそこで言葉をきると今度はロウに視線を向けた。
ロウは片耳だけをピクリと揺らし、顔を上げて言った。
「こちらにいるはずはないと思ったか? それとも死んだはずだとでも?」
ロウの問いに学院長は口を開かない。もちろん同席する私やヒースが口を挟める状況ではなかった。
返答がなくても良いのだろう、ロウは少し間を置いてさらに続けた。
「ああ、思い出したぞ。確かに随分と歳をとってはいるが面影はあるな。あの森で菊……こちらではフローリスか、そう、フローリスと一緒にいたな。我らがこちらの世界から向うに渡るときもお主、いただろう」
ロウがそこまで言うと、ようやく学院長が口を開いた。
「……やはり異世界に飛んでいたか」
私は2人のやり取りを、頭に入れるだけで精いっぱいだった。
しゃべっていないはずなのに、口の中はカラカラだ。テーブルに置いたカップに手を伸ばそうとしたが、腕が震えて断念した。気休めだがしかたなく唾を飲み込む。
向かいに座るヒースに目をやるとやはりというべきか、困惑した顔をしていた。私の視線に気づいて、ヒースの顔が私に向かうのをはっきりと見て取れた。ぱっちりと合った目が徐々に見開かれていく様も鮮明に。
「異世界?!」
それまで黙っていたヒースの声が大きく響いた。部屋の外まで聞こえているんじゃないかというほどの声量だった。
どうやら驚愕というのは後からやってくるものらしい。