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ヒースがいる理由がわからなくて問いただしてみても
「きちんと説明するから」
そういわれると私は口をつぐむしかなかった。
先日、イアンにおばあちゃんの指輪について打ち明けた夜、今日の約束をしたのは紛れもなくヴェルリル殿下だった。今わたしの目の前にいるヒースではない。
しかし困惑しているのはひとり私だけのようで、対面に座る彼はゆったり構えている。
「どこかへ向かっているの?」
行き先も聞かずに馬車に乗り込んでいた私は、今更ながらにヒースに尋ねた。
「屋敷にね」
「屋敷?」
わけが分からない、そんな顔をしていたのだろう。私の対面に座るヒースは一瞬視線をロウへと流すように移すと、再び私に戻してから口を開いた。
「ヴェルから何も話を聞いてない? どうして僕といるのかも?」
「ええ、もちろん全く」
それが分からないから聞いているのだと含ませるように言えば、ヒースは腕を組んで考えるようなしぐさを見せた。
「何も聞いてないって、あいつ何考えているんだ」
「ヒース?」
独り言のような小さな呟きに、ヒースに声をかければ向けられたのは普段通りの笑顔だった。
「ああ行き先だったね。向かっているのは僕たちの屋敷さ。今日は本宅にヒナたちを招待しようと思って」
「……え? 屋敷、招待ってなんで突然」
本宅といわれて私が思い出したのは、王都の図書館に隣接するようにあったお城のような屋敷。突然のそんな申し出の理由も分からないし、ただ驚くしかない。
「殿下には話をしていたんだけどね」
「私は聞いてないんだけど」
声を大きくあげた私は、思わず馬車の中で立ち上がろうとして、揺れの反動で上半身が前方にぐらついた。
「わぁっ」
目を閉じとっさに腕を出した私は、気づけば肩ごとヒースに抱き込まれていた。
「ほら、気をつけて」
囁くように言われて、そのままゆっくりと元の席に腰を下ろす。隣ではそれまで伏せっていたロウが顔を上げていた。
「あ、ありがとう」
「……ヴェルリル殿下から魔石とヒナちゃんの話を聞いたんだ」
ロータス学院から王都へと進む馬車の中で、ヒースが話し始めた。私のひざの上には、クッションから移動したロウが丸まっている。私は流れる景色を眺めることのないまま、ヒースの一言一言に耳を傾けた。
「ヒナちゃんは魔石を持っていると聞いたんだけれど、それは本当?」
「もっと詳しくいうと、王都に来る前までは持っていた、ね。わけあって今は持っていないの」
「それが最近耳にする噂の魔石のことか」
「そうみたいね」
言って私は肩をすくめた。もちろんのことだが、学院の人間は皆なにかしらその噂とやらを知っているようだ。
「噂ではタイナート家、イザベラが持っているらしいけど、その魔石はヒナちゃんのだったということ?」
「彼女が持っているっていう魔石を見ないとはっきりと確証できないんだけど、おそらく」
そう、魔石の噂は聞くが、それが確実にはおばあちゃんの指輪だとはまだ言えなかった。魔石の希少さを考えれば今このタイミングで出てきたなら確率は高い。でもこの目で見ていないから言い切ることはできないでいた。
「じゃあ噂の魔石はそれ以前は、ヒナちゃんがずっと持っていたんだ」
「そうよ」
何気ない話のはずなのに、ヒースの言にまるで私を疑うように聞こえて、むっとしそうになるのを唇を締めることで耐えた。
「魔石は私が持っていたわ。おばあちゃんに貰ったの」
言いながら、ここで魔石が私のものだとどんなに主張しても、それが真実だといったいどれだけの人が信じてくれるんだろうか。イアンに聞いていた、おばあちゃんと魔石の話も私を不安にさせる。そんなことがふと浮かんで、今ここでおばあちゃんの指輪のことを言ってしまっていいのかと少し怖くなった。
「おばあちゃんに貰った?」
「そう、おばあちゃんが亡くなる前にね、指輪を貰ったの。その指輪がどうやら魔石みたい」
おかげでとんだ大ごとだ。いいや、指輪がただの宝石なら私なんかが一人で見つけ出すのは難しかった。しかし言葉では簡単になくしてしまったと言えるけど、なんてつまらない言い訳なんだろう。
私はしっかりと胸を張った。指輪は私はもちろん家族にとっても大切なもので、きっと見つけるんだと決めたじゃないかと自分に言い聞かせるように。
「そのおばあさんの名前は?」
「名前? ああ、名前は菊……ううん、フローリスだけど」
おばあちゃんの名前は菊といったが、それは日本での名前であると、小さなころに聞いたのを覚えていた。肌や髪の色合いが日本人とは多少異なっていたおばあちゃん。おばあちゃんも、そしてお母さんも日本人のおじいちゃんやお父さんと結婚し、そして生まれた私は肌や髪の色は大多数の日本人と同じだった。
ひとつだけおばあちゃんと共通したのは青とはまた違う、紫色の瞳。
一度視線を落としてから再び顔を上げると、細めた目で可笑しそうに笑うヒースと視線が交わった。
「まさか君が彼女の孫だとは思わなかったよ」
「ヒース、おばあちゃんを知っているの?」
「まさか。彼女が消えたのは何十年も前だから僕は生まれてないよ。でも、彼女のことはよく知っている」
「……どういうこと?」
ヒースの言葉に訝しみながら聞いていた私は、次に聞かされた言葉に驚愕することになる。
「ヒナちゃんのおばあさんと僕の祖父は兄妹なんだよ」
「うそ……」
「本当。でも僕も確証はない。第一に彼女に会ったこともないしね」
「じゃあそれなら、どうやって確かめるの?」
戸惑うように尋ねる私に、ヒースが膝に肘を立てて少し身を乗り出して言った。
「だから今から屋敷に行くのさ。それで祖父と会ってもらう」
「ちょっと待って……、確かヒースのおじいさんって」
「学院長だよ。ロータス学院のね」
私は口を開けたが、すぐには次の言葉が出てこなかった。唾を飲み込み、一呼吸間をおく。
「学院長とおばあちゃんが兄妹?」
ヒースは頭を上下し、静かに頷いた。
学院長のことは、ロータス学院の生徒である私自身、もちろん知る人物であったし会話を交わしたこともあった。祖母を思い出せば、確かに年の頃は兄妹といってもいいかもしれない。
私はヒースの言葉を確かめるように頭の中で何度も復唱した。
その間もわたしたちを乗せ移動している馬車は、路面に転がる砂利の振動で不規則に揺れながら、ガタガタと音を鳴らしている。景色は森の緑から、人の気配のする街中へと移り変わっていった。私は外を眺めることもないまま、ふと浮かんだ事をヒースに尋ねた。
「このことはもしかしてヴェルリル殿下から聞いたの?」
「そうだよ」
ヒースはさらりと答え、そして続ける。
「……もしかして残念だった? ヴェルがいなくて」
「な――、今日のことは殿下からあった話で、だから」
私は否定の言葉を並べようとするが、慌てたことで激しくどもってしまった。馬車内でヒースの笑い声が響く。
「ごめんごめん、からかった。ヴェルは魔石について以前から興味を持っていたし、独自で調べていたんだろう。でもまさか、彼女に孫がいたなんて驚きだよ。しかもこんな近くにいたなんて」
「まだはっきりしたわけじゃないんだけどね。でも本当ならびっくりね」
今度は互いに見合って笑いあった。ヒースの話が事実ならどんなに嬉しいことか。もし本当なら、私はヒースと親類になるわけで。この異世界に私という人間の影が確かなものになる気がする。
「まずは祖父と会って、魔石の話はそれからだ」
ヒースが外を覗きながら言った。私もヒースの視線を追って外を見ると、もう目の前は王都の図書館、その裏手には目的地の屋敷がある。つい先日訪れたのがずっと前のことのように思えた。