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「寒いし、それ以上にお腹すいた……」
そうやって今、私と仔犬……じゃなくて仔狼がいるのは、先ほど私たちが出会った場所から少し離れたところにあったひときわ大きな木の根元の部分。
今日のお昼にトリップしてきて、森の中でこの仔狼と初めて会ったのがたぶん17時くらい。たぶんっていうのは私の携帯が、どうやら電源が落ちているみたいで時間を確認することができないから。
夜中に森を移動するのは危ないだろうと、狼がいったので私たちは今いるこの木で休むことにした。
「バッグの中に入ってたチョコはもう全部食べてしまったし、お茶もあと少ししかないよ……」
私は「ひもじい……」と筋肉痛の足をもみながらつぶやく。
「食べ物はなくともいくらかは大丈夫だが、水分の補給は必要だな」
私にロウと名付けられたおばあちゃんのゆびわの妖精である、この仔狼は私の横に丸まって座っている。
ロウはおばあちゃんに付けられた名があったらしいが、名付けた本人が亡くなった時に一緒に無くなったらしい。他になんか小難しい説明もしていたようだが、いかんせん、私はお腹がすいて話を聞くところではなかったのだ。
腹が減ってはなんとやら! それにこんな誰もいないようなところで餓死したくない。
周りを見ても、森の中には食べられそうな果物もないようだし、こんなとこに長くいたら本気でやばい。
それに、昼間は初春のような暖かさであったが、夜の今は冷たい風も吹き少し凍える。風をよける建物はもちろん、洞穴も見つけることができず冷たい風に当たりながら私はぶるぶると震える。救いなのは私が蛇や虫が不得意ではなかったことくらいか……
改めて、今日の自分に降りかかったことを思いかえす。こんなサバイバルは生まれてこのかた経験したことないのに、いきなり富士の樹海に迷い込んでしまったかのようだ。
そうこう考えていると、朝からの移動の疲れといきなりトリップしてしまった精神的な疲労で私は木にもたれかかりいつの間にか眠ってしまっていた。
+ + + +
「離せ、離さんか!」
ふわふわとしたものが私の胸の中でじたばたと暴れている。
いやー、寒いのよーと私はその小さくて暖かいものを離すもんかと抱きしめる。
あれ? このやり取り昨日もあったような……と思いながら目をあけると、そこには私に抱きしめられているロウがなんとか腕から抜け出そうともがいていた。
私は知らない間に眠っていたようだ。
ロウを離してやり、横になっていた体を起こす。冷たく硬い地面に寝ていたからか、体がいくぶんこったみたい。
座ったまま私は体をほぐしていく。寝る前にしっかりと揉んだからだろうか、思ったよりは筋肉痛になってない。
「あー、でも服は汚れちゃったか」
今の私の服装は紺のジャケットに中には襟のついたシャツに上からセーターといった重ね着。下はスキニーデニムとスニーカー。それらの洋服は土汚れや汗で汚れてしまっている。鏡がないので確かめられないが、顔や髪も汚れているだろう。
「なんとか人の住んでいるところまでいければいいけど」
私は手で服についた泥などを払いながら、ぼさぼさ姿のロウをみる。
「あぁ、私はともかく、ヒナは人里に行った方がいいだろうな。夜の間に、風のやつらに聞いたのだが、ここからそう遠くないところに小さな村があるそうだぞ」
ロウは毛が乱れたままの姿でこちらにくる。と、とりあえずその風のやつらに村のふもとまで案内させると言ってきた。
「案内させるって力を借りることだよね、ロウが彼らに魔力を与えたってこと? でも昨日は私にむやみに妖精たちに魔力を与えるなって言わなかった?」
って、そもそも妖精が妖精に魔力を与えることなんてできるの? とロウの毛並みを整えながら聞く。
「確かに人であるヒナが今のやつらに魔力を与えることはいいことではないな。そんなことをしたら、他の奴らもヒナに群がり、魔力を根こそぎ取られるぞ。」
ロウは気持ちよさそうになでられながら続ける。
「それに、私は妖精ではあるが、妖精ではないと昨日言わなかったか?」
「そうだっけ? 昨日はいろいろあったせいかいっぱいいっぱいだったから覚えてないや」
「……ハァ、まぁ時が来ればそのうち分かる時が来るだろう」
では行くぞ、と私の手から離れ立ち上がる。
「体は痛いし、お腹もすいてるんだけど近くに村があるならこんなとこで休んでるばあいじゃないよね!」
私も立ち上がり、ロウの後ろをついていく。
+ + + +
「ねぇ、近くって言わなかったっけ……」
私は前を歩くロウと風の妖精を見ながら話しかける。
私たちが出発したのは朝起きてすぐ。日本時間だったら9時とかそれくらい。
そして今は、太陽が西を向き始めている時間、つまり夕方だ。
途中、湧水などで口を潤したりはしたけど、食糧がないので空腹のまま歩き続けている。
「ね、まだ着かないの?」
お昼ごろから何度この言葉を言っただろうか。
「足痛いし、座りたいよ。休憩しようよ」
朝起きた時にはあまり感じなかった筋肉痛が今はかなりの痛みを伴って私を襲っている。
くっそーっ痩せるのはいいけど、まっちょにはなりたくない。
「あーだこーだとうるさいやつだな。あと少しだと何度いったら分かるんだ」
「あと少しなら、今ここでちょっと休んでもいいでしょ? もうすぐ着くんだし」
疲れすぎて自分が何を言っているかわかんなくなってきた……。10分、いや5分でいいから休ませて……。
私はロウの意見を無視してその場に座り込む。地べたに座ることにも、もう何の躊躇もなくなっていた。
「もう足パンパン。ロウたちはいいよね。こんなに歩いても疲れないなんて」
確か妖精は人間のように体力的に「疲れ」を感じないはずだ。その代わり、魔力が薄くなったら力が弱くなって、人間で言う「疲れ」の状態になる。
「なら少し休んだら、村に着くまで歩き続けるからな。あと2メーテくらいだからな」
「メーテって?」
「kmのことだ」
ロウも私の横に座り込む。「お座り」状態だ。ちなみに風の妖精は私たちの周りをくるくると回るように飛んでいる。それが軽く扇風機のようで涼しい。
「ねぇ、そういえば色々ありすぎて聞く機会がなかったんだけど、ここっておばあちゃんの故郷だよね?」
休むついでに昨日聞けなかったことを聞く。……休む時間を伸ばしたいからじゃないよ!
「そうだ。ここは雛の祖母である菊の故郷、オイリスだ。オイリスのどこの国にいるかはわからんが、たぶん菊がいたロータス王国の中ではあると思う。はっきりは分からんがな」
「やっぱり! でも、なんで急にトリップしてきちゃったんだろ。あの時ゆびわが光ってたからロウがなにかしたの?」
「いや、私はヒナのいた地球ではほとんど力を使うことはできなかったし、姿もあらわすこともできなかった。ただ、あの時はこのオイリスの気配を含んだ空気を感じていたな。もしかしたら、菊が亡くなって丁度1年というのと、菊の血を継ぐヒナがゆびわをしていたことに関係しているのかもしれん」
ロウもなぜ私やおばあちゃんがトリップしたのかわかんないみたい。うーん、これがなんかの召喚とかだったら面白かったのに。
私は幼いころからおばあちゃんの話す物語を聞いていたせいか、中学に入るころから様々なファンタジーものの小説や映画を見てきた。加えて私は異世界の存在も知っていたし、妖精を感じることも、魔法を使うこともできた。そのせいか、このようなトリップにある種の憧れがあったのだ。
でも、空想と現実は違うよね……。なによりこの空腹と筋肉痛が証拠だわ。
「ただ、ゆびわが何らかの作用を働かせたのは確実だな。いつまた作用するかわからんから、はめたままにしておけ」
ロウは可能性はかなり低いとは思うが、と付け足し、もう休憩は終わりだというように立ち上がる。
「今夜も野宿をしたくなければ、早く村にいくことだな」
そう言うと、さっさと歩き始める。ちょ、ちょっと待ってーっ
+ + + +
「あ、あれが村かな?」
目の前にはキャンプ場などにありそうな感じのロッジ風の家々。ちょっと古びた感じと、村の人々の中世風の服装が異世界を感じさせる。もう夕方過ぎだからか、人々の姿は少なく、家の窓からは温かい光が漏れ、煙突からあふれ出す煙が今晩の夕食を想像させている。
この異世界、オイリスはおばあちゃんの故郷である。私は疲れ切った体に鞭を打ち、なんとか歩きつづける。
そしてこの世界には誰も頼れる人がいないという大きな不安と、幼いころからあこがれ続けた異世界への少しの希望を持って村の中へと入っていく。
最後に見たのは太陽が沈んでいく姿。
ここでも太陽は同じだったんだと改めて感じながら、空腹と疲労により疲れ切っていた私は村に着いた途端その場に倒れ意識を失った。