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予感

 イアンとも別れ、人もまばらになった女子寮の自室へと戻った私は今夜の出来事をロウへ伝えた。もちろんおばあちゃんのことを知っていると言っていたヴェルリル殿下のことも。

 寝巻に着替えてベッドに腰掛け、背を壁に預ける私の足元にロウが伏せる。その艶やかな毛並みはひんやりと気持ちがよくて、眠る時にベッドに引き入れる事はしばしばだ。

「だから言っただろう、誰かに聞けと」

 テーブルに置いた魔法の明かりがひとつ、ろうそくのように時折揺れる。薄暗い部屋の中でロウの声は得意げに聞こえた。

「うん、ロウのおかげよ。ありがたいと思ってる」

 私はロウの背をなでながら正直そう思った。イアンに聞かなければもっと遠回りすることになったかもしれない。

「やけに素直だな。どうした」

「私だってお礼くらい言えるよ」

 そう笑って私は上掛けをめくり、ロウを胸元に引き寄せた。ヴェルリル殿下と約束をした次の休日まであと数日。胸がドキドキする。でも今夜はいつもよりすぐに寝付けそうだ。

 


 そのことを思い出したのは言語学の授業の時だった。

「そうだった……最近ずっと指輪のことばっかりだったから忘れてたんだ」

 はぁ、と漏れるため息は私だけのものじゃなかった。教室のいたるところから聞こえてくる。

「――試験の範囲はこれまでの内容全てです。全て、とはいっても1学年の、それもたった半期の内容です。ましてや1年の内容は魔法を使う上での基本ですから、全員が試験を通過することを期待しています。ちなみに、もし通過できなかった場合、夏休暇中に多くの課題をこなしてもらうことになります」

「……いや、意図的に忘れようとしていた、のかもしれない」

 教卓から視線を外し外を眺めれば、空には眩しいくらいに照り付ける太陽があり、大きな塊の入道雲がゆったりと流れている。季節は夏を迎えていた。外に出れば日差しで汗が浮かぶが、日陰に入ってしまえば意外にも涼やかだ。

 私は意識を教室に戻し、大きく声を響かせる先生の声に耳を傾けた。机に肘を立てて組んだ腕に顎を乗せている。そのまま視線だけで周囲を見渡すと、教室のあちらこちらで同じようにクラスメイトたちが苦悶している様子がうかがえた。

 なおも試験についての注意事項や、通常授業の課題提出についての説明が続いているが、真面目に話を聞いているのは数えるほどだろう。

 かくいう私もその一人。今夜から1教科ずつでも復習しないと、それと試験までアルバイトも休めるか尋ねてみよう。

 目の前で頭を抱えている生徒を眺めながら、これからのスケジュールを頭の中で浮かべていると、静かな教室の中で先生が授業の終わりを告げた。とたんに教室内は騒々しくなり、先生はそんな生徒を呆れたように一度だけ見渡して、そのまま無言で教室をあとにしていた。

 そんな喧騒の中で教科書を鞄に入れていると、前の席に座っていたイルが振り返った。

「なぁヒナ、これから時間のある時は試験までみんなで試験勉強しない?」

「みんなで?」

「ひとりで部屋に籠るとやる気ってなくなるだろ?」

「まぁね」

「だからさ、シアとリディとみんなで勉強しようと思うんだけど」

 言いながら、イルは隣に座るシアに視線を向ける。

 シアといえば。昨夜は学年も違うイアンに指摘されたが、確かにここ最近は時間があれば指輪の事ばかりで、自然とシアやリディとの会話も少なくなっていた。だから私からも意識的に会話を増やすことにしていた……とはいってもそれは今朝からなのだが。

「シアは教え方がうまいんだよ」

 イルもそのことに気付いているのかは分からないが、たとえそうでなくても今の私はイルの誘いがうれしかった。

「それが目的?」

 分かりやすいイルの魂胆にニヤリと笑うと、おどけた返事が返ってくる。

「休暇中の課題は可能な限り回避しないとね」

 そう力強く語るイルの横から、冷ややかな言葉が投げかけられた。

「ーーあら、その割にはさっきまで随分と悩ましげに声をあげていなかった?」

「え、シア……いやそれは」

「課題は可能な限り回避? イルは冗談で私を笑わせようとでもしているの?」

「本気で勉強を頑張るに決まっているじゃないか」

「イルのその言葉、しっかりと覚えておくから」

 晴れやかに笑うシアの横で、イルが力尽きたように脱力している。そんな2人のやり取りに、私と隣に座るリディは声を上げて笑った。何でもないことで笑いあうことが、すごく久しぶりのような気がした。



 ヴェルリル殿下と約束した休日まではあっという間だった。多くの授業は試験に向けての対策だったり、実技の授業でも試験を想定したものになっていて、学院内にいる生徒たちも心なしか浮ついた雰囲気だ。

 当日の朝、目が覚めたのは普段より少し早い時間。

 のろのろとベッドの上で体を起こすと、朝日がようやく室内に届き始める頃合いだった。湿らせたタオルで顔を拭き、昨晩の夕食時にいくつか失敬していた小麦のパンを朝食代わりにする。

「服……は、制服でもいいよね。そもそもこれより上等な服って持ってないし」

 それからいつも通りに着替えた私は、窓ガラスの前に立って薄っすら浮かぶ自分の姿を確認しながら髪を梳かしていく。

「髪はまとめた方がいいかな? あ、あとリップ。持ってたリップがまだ残ってたはず」

 持っていたくしをベッドに放り投げると、ベッド脇のチェストからピンクの色付きリップを取り出した。これは日本を思い出す、数少ない持ち物のひとつだ。残り少ないそれを持って、再び窓の前に立ったところで、未だベッドに丸まっていたロウが顔を上げた。

「――朝から騒々しい奴だな」

 クシャクシャになっているシーツからもぞもぞと頭だけを覗かせるロウは、休日に制服へと着替えている私を見ながら、その大きな口を目一杯開いてあくびをする。

「……なんだ逢引か。誰とだ?」

「ちがいます!」

 私が準備し始めて十分に時間が経ってから目を覚ましたロウの最初の一言に、私は大げさにむっと口を尖らせた。もちろんその言葉は本気じゃないと分かっているから、対する私も半分冗談だ。

 ただ手に持っていたリップになんでか恥ずかしくなって、唇につけることなく腰のポケットに隠すように突っ込んだ。

 しかしベッドを見れば、うつ伏せに横たわるロウの姿。興味を無くしたのか、それとも2度寝か、もう私の方を見てない。それが今の私には妙に癪に障って、羽毛の枕を投げつけてやった。


 休日のロータス学院は授業のある日と比べると驚くほど静かだ。

 特に今は試験前で夜中に勉強している生徒も多いのだろう、朝の時間に外を歩く人影は見当たらない。普段の休日であれば外出する生徒もちらほら見かけるはずだったのだが……。

「私も帰ったら勉強しないとやばいかも」

 支度を終え、自室を出た私はロウと二人で静まりかえる寮を後にし、待ち合わせ場所である門へと向かっていた。その間すれ違ったのは、寝ぼけ眼で廊下を歩く見知らぬ女子生徒一人だけだった。

 昼を迎えるにはまだ早すぎる時間。

しかし寮から一歩出ればじりじりとした強烈な日差しが私たちを出迎える。予想はしていたがこれは下手すると真っ黒に日焼けしそうだ。

 たまらず余分に持ってきたハンカチで顔に日陰を作っていると、そんな暑さなんて微塵も感じていない様子でロウが話しかけてきた。

「ヒナ、今日があの王子との約束の日なのだろう? どこへ行くんだ?」

「それが……分からないのよ」

「曖昧だな」

 そうロウに言われて私は口をつぐんだ。

 今日はヴェルリル殿下と約束した日。殿下とはあの夜から顔を合わせることがなかったので、今日のことを尋ねることができていなかった。もちろん日時と待ち合わせ場所を指定されて、行かないわけにもいかないから、休日であるにも関わらず早起きしたわけだけど……。

「でもおばあちゃんの指輪のことでっていうことは確かだと思う。休日にわざわざ待ち合わせるんだもん、何かあるのよ」

 ヴェルリル殿下はおばあちゃんの指輪、魔石について何か知っている様子であった。

 そう、今日はそれを確かめるために殿下と会うのだ。


 ロータス学院の校舎や寮から舗道沿いにしばらく歩くと、王都へ繋がる門が見えてくる。

 できる限り木陰の下を通りながら進んでいると、門の外に馬車が止まっているのを見つけた。私とロウの他に外出するような人影は見当たらないので、おそらく約束していたヴェルリル殿下だろう。小走りにその馬車へと近づいた。

「すみません、お待たせしてしまって」

 馬車のすぐそばまで走って向かった私は、息を整えながらそう言った。すると止まっていた装飾の少ない1頭立ての馬車から、ひとりの青年が私を呼んだ。

「待っていたよヒナちゃん」

 そう軽やかに私を呼ぶ彼は、颯爽と馬車から降りると私に手を差しのべた。

 私は状況が分からず驚いたまま、それでもその手を取り馬車へと乗り込む。すぐ後に彼も続いた。ちなみにロウは一足先に飛び乗って、柔らかなクッションの上に陣取り寝転んでいる。

 馬車がゆっくりと進みだしたところで、ようやく私は口を開いた。

「……あの、今日は殿下に言われて来たんだけど、なんでヒースが?」

 私が驚いたのは、現れた人が予想していなかったヒースだったから。約束を交わしていたはずのヴェルリル殿下の姿はどこにもなかった。


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