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 テーブルに並ぶお茶や焼き菓子をつまんでいると玄関のある方向から物音が聞こえてきた。それは扉の開く音。私とヒース以外、音源がなかったため、その物音は遠くても聞き取れるものであった。

 ヒースが貴族と言ってもこの家には使用人がいない。ということで、本来なら物音のする方へヒースが自ら足を向けなければならない。

「ああ、やっと来たみたいだ」

 そう言って座ったままのヒースは訪れた相手が誰だかわかっているようだ。もちろんヒースの家の敷地内なので、知り合いなのかもしれない。ゆったりと座ったままのヒースは勝手に上がってきているらしいというのにまったく焦りもしない様子だ。



 ガチャリ、と廊下と客間をつなぐドアノブが回される。開くときリコット亭では当たり前の、軋むような金属音はしなかった。

「やあ、遅かったじゃないか、アスフィ」

 ヒースが座ったまま上半身を入口へ向けるのに合わせて、私も同じ方向へ視線を向ける。

 迎え入れたのはヒースのいとこであり、ロータス学院長のもう一人の孫であるアスフィだった。


「来るのが一足遅かったね。もう少し早ければ、リコット亭の料理を食べられたのに」

「……少しも残ってないのか?」

 ヒースの言葉に一瞬、むっとアスフィの眉が寄せられた気がした。気がしただけで眉は寄せていないのかもしれないが、低い声色は彼の不機嫌さを表しているようであった。

「ああまったく。ほんの少しも」

「2人分、頼んだんじゃないのか?」

「頼んだよ。そしてそれをヒナと僕が食べた」

 あっけらかんというヒースに私の口端が引きつる。嘘、ではないが気まずい空気を感じるのは私だけだろうか。

 アスフィの視線が私へと向けられた。刺すような視線はまるで非難しているようで、でもその視線に対して言い訳を言えるほど私は強気ではない。

「ま、それはいいとして。それ、なに」

 さらにヒースのアスフィに対してまるで悪気のない素振りに、なぜか私がさらに居心地の悪さを感じてしまった。


 話を変えるようにヒースが言った「それ」とはアスフィが私たちの前に現れてからずっと持っていたものだった。

 アスフィの腕の中にあるもの。彼はすっぽりと真っ白の布で包まれているそれを片腕で持っていた。

 ただの荷物なら気にすることはなかったかもしれない。だがその中身が時折もぞもぞと動くのに、ヒースだけではなくて私も正直気になっていた。

 

 まだ少しだけ不機嫌そうな様子のアスフィが布を取り上げる。現れた正体に私とヒースは同時に「あっ!」「はっ?」と声を上げた。 

「……拾った。外で」

「拾った……? それを、王都で?」

 目を丸くする私の横で訝しむようにヒースが聞いた。

「ああ」

 アスフィは半ば、ヒースの話を聞き流すようにして腕の中にいるそれを撫でる。でも優しくなでるその姿に、それまでアスフィに対して抱いていた苦手意識が薄れていた。

 撫でられているそれも気持ちよさそうに丸まっている。まるで目の前の「私」を無視する形で。

「――ロウ?」

 もしかして眠っているのかもしれない。そう思ってアスフィの腕で丸まるそれ――ロウを呼ぶ。ほんの一瞬だったが、ぴんと立つ2つの耳が私の声にピクリと動いた。



 アスフィの腕の中にあったものはやはりロウだった。図書館周辺で待っているはずだったロウはアスフィに片手で抱えられるようにしてくるまっている。

 ロウと別れ、図書館に入ってからかなりの時間が経っている。だからだろうか、ロウは機嫌を損ねているようだった。私の声は聞こえていたはずなのにこちらを向かず、アスフィの腕に顔を埋めている。


「ヒナ……?」

 長時間待たせてしまったことは決してわざとではない。しかし待たせたことは事実で、ロウに対して申し訳なく思っていると、ロウではなく私を見ているヒースと目があった。アスフィが連れてきたロウと私とのことを疑問に思っているような表情だ。

「あの犬、ロウっていって、私の相棒。図書館の中には一緒に入れないから外で待ってるようにしてたの」

「お前の……?」

 ヒースではなく、ロウに向けていた首を私に向けてアスフィが言った。それに少し遅れてようやくロウの頭が持ち上がる。なんだか怒っているように見えるのは、ロウが瞳を半目で私を見つめているから、だ。

「そう、私の。初めはこんなに長くいるとは思わなかったからロウを外で待たせてたの」

 今のロウは子犬ほどの大きさである。だからアスフィは図書館付近にいたロウを放っておけなかったのかもしれない。ひと目見ただけでは取っつきにくそうな部分のあるアスフィだが、ロウを抱く姿はなんだか優しい。

「えと、ありがとうございました」

「いや……別に礼を言われることじゃない」

 少し強めの、わざと突き放すような言い方に小さく吹き出してしまった。私はにやりと笑いそうになる口元をこらえ、アスフィから胸にロウを受け止める。

 顔を見上げて再度礼を言えばアスフィに瞳を逸らされてしまった。私から顔を逸らしたままロウの頭を撫でる。照れを隠すような素振りはどこかヴェルリル殿下を思い出させるようであった。

「えーと。そろそろ私、帰ろうかなと思う、んだけど……」

 思った以上に長居をしてしまっている。リコット亭の配達として来たはずなのに逆にお客さんのように振るまわれてしまっていた。

 さすがにこれ以上はと、私は声を上げた……のだが。なぜかアスフィが来た後あたりから突き刺さり続けるヒースからの視線が気になって、滑舌を悪くしてしまう。


「道、分かるか?」

 ヒースからの視線に傾げていると、アスフィが聞いてきた。今日初めて連れられたここを、ひとりで帰れるか……。

「いや……それが」

 口では曖昧に、そして首は横に振った。

「そうか。図書館から来たんだろう? なら俺が送っていく」

 さらりと告げられる内容に、私は目をぱちくりさせた。

「え、でも……結構遠いし」

「……本館の屋敷から人を呼んでもいいんだが」

「アスフィ、お願いします」

 思いがけない申し出に私は正直驚いていた。ロウがアスフィの腕から現れた時もだが、それ以上に。

 私が見ていたのは武骨な物言いや表情といった一面だけのアスフィなのだろう。たった数度の会話だけで、アスフィを苦手だとさえ思っていたことは私の身勝手な偏見だったのだ。

 一見しただけで、その人となりは判断できないということである。

 顔は上げずに視線だけを上へあげると、私はアスフィに心の中で謝まった。

 


 元々の手荷物は配達用の籠のみである。来た時よりも減って軽くなった籠を持つと帰る準備は万端だ。ロウは私の腕から足元へ移動している。あとは挨拶をと、体をヒースの方へ向きなおした。

「料理を届ける側の私がゆっくりしてしちゃってごめんね。料理も……アスフィの分を私が食べたみたいだし」

 言ってくれさえすれば、ラネさんが私に持たせてくれた分だけを食べたのに。1人分にしては多かった料理に、ヒースが分けてくれたのをその時はありがたく頂戴してしまっていた――本来はアスフィの分であったものを、だ。

 私は苦笑いのように少しだけ歪めた表情でヒースに向かってさらに続ける。

「あと、魔法の話も聞けて良かった。ありが――」

「ねぇヒナ」

 遮るようにヒースが言った。アスフィが来てからしばらく、考え込むように口数が減っていたヒースはソファに座ったまま、立ち上がっている私を見上げる。

「どうしてさっき魔石のことを聞いたの?」

「え……?」



 それまでなぜかほとんど黙っていたヒースが突然と言った。はっきり返事ができなかったのは、急に話しかけられたから。――そして、聞かれた内容に困惑したから。

 私が戸惑っていると、ヒースは「はっ」と息を飲み込んだ。

「あ……いや、何でもないよ」

「何でもって――」

 

「行くぞ」

 ヒースに話しかけようとしたら今度はアスフィに遮られた。半ば強制的に背中を押されるようにして、開いている部屋の扉のもとへと向かう。途中で顔だけを後ろへやれば、肩越しに小さく笑うヒースと目があった。

「ヒナ、また学院で」

 なにか言いたげな表情のヒースは今までとはまるで違う気がした。


「お、お邪魔しました」

 アスフィに促されるようにして進む私は慌てながらも言った。よそ見をしていたからか、足がよろけて真後ろにいるアスフィにぶつかってしまった。

「行くぞ」

 背後でアスフィがドアノブを握り、扉を閉める。まだ先ほどのヒースのことが気になってはいたが、送ってくれるというアスフィがスタスタと進むので立ち止まるわけにはいかない。いくらかのもやっとした気持ちをもったまま私は前に足を向けた。

 

 だからピタリと閉じた扉の内側で呟かれる声が私に届くことはなく、そして……。

「まさか、そんなはずは……」

 ありえない、と呟くヒースがどんな表情なのかも私が見ることはなかった。

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