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ヒースからの誘いに乗って、昼食を一緒に取ることになった。初めは断って代金だけ貰い、帰ろうとしていた私だが、私の意志とは別にお腹が空腹を大きく訴えたからだ。
リコット亭の料理はやっぱりおいしかった。時間がたっているため、もちろん温かさは残っていない。しかしそれを考慮して作られた料理は冷めていても味が落ちることはなく、食べながら改めて感心させられる。そして私はゆっくりと味わいながらも、自分の分の料理をすべてお腹の中におさめていった。
広大な景観を眺めながらの食事は、胃だけではなく心まで満腹にしてくれた。ふと思い出したのはこの世界で最初にお世話になった村。思い出してしまったのは、短いながらもあそこでの生活が温かくて充実したものだったからかもしれない。周囲を囲む自然と緩やかな雰囲気がどことなく似ている気がした。……ヒースの絶え間ないおしゃべりで、どっぷりと思い出に浸れなかったが。
しかし静かな中、気づまりでする食事よりは会話の溢れる食事のほうがいい。そういう意味で、ヒースとの食事は楽しいものだといえる。
私はヒースの話に合わせるように相槌をうちながら、温かなお茶に手をのばす。テーブルや皿と共に用意されていたこのお茶は先ほどまで村を思い出していたせいか、どこか懐かしい味がした。
私が持ってきた籠は中身の料理がなくなったことで軽くなっている。
代金をもらった私の仕事はこれで終わりなのだが、しかしまた、庭の見える室内へと戻ることになった。
「本当にいいの?」
「いいよ、どれでも好きなのを。ここにあるのは僕らの私物だから」
先ほど案内された客間の隣に私はヒースに連れられた。
図書館にできるほどの本を扱う一族だからかもしれないが、私物というには多すぎるだろう本が部屋中にあった。
入口に料理の入っていた籠を置く。そうして、私は窓のある場所以外は天井まで積みあがった書棚をゆっくりと眺め歩いた。
ここには魔法に関する本が集められているそうだ。
先ほどの昼食の途中でそれをヒースから聞いた私が、その本のある部屋を見てみたいと聞いた。特に期待していたわけではなかったから、ヒースが頷いたときは嬉しさよりも驚きが強かった。
「へぇ……そうなんだ。それにしてもすごい数の本……」
「……本だけはね。大抵の知識は本から手に入れることができるから助かってる」
学院の図書館で見たことがあるものから、随分昔のものだと思われる文字のかすれた古ぼけたものまで並んでいる。年代物の本はもしかしたら高価な、貴重なものかもしれない。
入口から入って奥に書棚がなく、空いた場所には椅子とテーブルがあった。平積みにされた本や文字の書きこまれた用紙、使い古された筆記用具のあるテーブルはつい今まで誰かがいた、といった感じだ。
もしかしたらヒースの勉強部屋なのかもしれない。ただ綺麗に掃除されていた隣室と比べると、この本の溢れる部屋にも妖精はいるはずなのに、と不思議に思う。
「やっぱり貴族ってすごいんだ。すごい……っていうか羨ましい」
無意識にそう呟いていた。
妬みとか嫉妬とかは抜きとして、広いお屋敷や美しい庭園、自分だけの図書館……、平民の私が感じた素直な気持ち。
言った後すぐに私は「あ」と口をあけた。またヒースにからかわれるかもしれないと思ったが、しかし今度はいくら待っても返事は返ってこなかった。
部屋に入ってからずっと、視線を本から本へとせわしなく動かしていた私は突然静かになったヒースが気になって、彼を探した。
「ヒース……?」
均等に並ぶ本棚の間を彼の名前を呼びながら覗き込む。テーブルのあった場所から反対の、壁際に置かれた書棚の前でヒースを見つけた。
「どう、したの……ヒース?」
言いながらヒースの元へ歩み寄った。再度名前を呼んだのは、そこにいるのが本当にヒースなのか確かめるためだった。姿形はヒースなのだが雰囲気が、これまでの陽気な彼ではないと思わせる。
「確かに金を積めば本や資料は手に入るし、より良い教育者を雇うこともできる。でも……」
そう言うヒースは私ではなく、本棚へと体を向けている。何と返事をすればいいのか、いや返事を返すべきではない。そう思った。
私がだまったままでいると、ヒースが聞いた。
「――……そういえば参考になる本、見つけた?」
「あ、いや……。ざっと見てはみたけど」
表題を見ただけではどんな内容か判断することはむずかしかった。それに膨大すぎる数を1冊ずつ見ていくのには時間がかかるだろう。
「どんな本を探してるの?」
「魔石についての」
聞かれた質問にそう返せば、ヒースがわずかに目を細めた。
おそらく、というよりもやはり。ここでも魔石に関することはわからないということか。
言葉は発さなくとも、ヒースの表情を見てなんとなくそう思った。
しかしそうすると。頼みの綱であったロータス学院長の孫であるヒースでさえ知らないのなら、また振出しに戻ることになる。
互いに黙り込んだまま、時折遠くから鳥の鳴き声のようなものだけが聞こえる。
どうしようか――そう考えていると、視線の端でヒースが腕を組むのが見えた。
「聞いた話だし、ヒナも知っているかもしれないけど」
ポツリ、と呟くようにヒースは話し始めた。
昔、遠い昔。人間はみな、豊富な魔力を持っていた。妖精たちもその姿を現し、当たり前のように人間のまわりに溶け込んでいたという。
しかし時の流れにしたがい、人間のもつ魔力は減少し、妖精たちも姿を現さなくなった。
徐々に失われる魔法の力をどうにか保つために、人間は以前より研究していた魔石に手をつけた。魔石は人間たちの消えゆく魔力に力を与え、国を、世界を繁栄させた。
「……知らなかった」
ヒースは私に知っているかもしれない、と言っていたけど初めて聞いた内容だった。歴史書に載っているのかもしれないし、載ってないかもしれない――それすらもわからないくらい、私の知らないことはまだたくさんある。
そんな私をヒースは笑いも馬鹿にすることもなかった。
「ヒナはなぜ学院から魔石学がなくなったか知ってる?」
ヒースの唐突な質問に戸惑いながらも考える。今朝、ランセル殿下と話した内容を思い出した。
「えぇと。内容が高度、だから」
ランセル殿下が確かそんなことを言っていた気がした。私の答えが合っていたのか、ヒースはひとつ頷く。
「そう。だから学院では教えないってことになってる。今現在学んだり研究ができるのは王宮の魔法士たちだけなんだ」
「そうなんだ……」
せっかく、なにか得ることができると思ったのに。手元にも指輪自体がない状態では、これ以上先に進めない。王宮の魔法士に話を聞こうにも、相手にされない以前にそんな知り合い、私にはいない。
「――……魔石の何について知りたいの?」
がくりとうなだれる私をヒースは不憫に思ったのだろう。もしかしたら答えられることがあるかもしれない、そうヒースは口を閉ざした私に言った。
図書館という膨大な知識を保有する一族、ということもあってヒースは他の学生よりも魔石についていくらか詳しいようであった。魔法士ではなくとも知りえる事はあるということである。
それまで立ち話をしていた私たちは書棚の部屋から出て、客間へと戻ってきていた。部屋を仕切る本棚がない分、客間はとても広く感じる。私は少しだけ開放感を感じながら、ソファへ座ったヒースの向かい側に腰を下ろした。
「たとえば。たとえば今、魔石を持っていたとして、それを無くしてしまったら見つけることはできる?」
「……は?」
突飛だったのだろう。前置きもなく突然話し出した私に、ヒースにしては珍しく眉間にしわが寄せられている。
「あ、いや。ごめん、いきなり。やっぱり何でも――」
「できるよ、たぶん」
そう答えたヒースに私は大きく目を見開いた。
「今この国にある魔石には印が刻まれているんだ」
「しるし……?」
「魔石は数が多くないからね。それに印が付いているのは他国へ持ち出したり、持ち込んだりしないように。持ち出さないのはこれ以上魔石が少なくなるのを防ぐため、持ち込まないのは他国との調和のため、かな」
なるほどと、私は無意識に相槌を打っていた。
それにしても、と私はヒースの話を聞きながら今は手元にないおばあちゃんの魔法の指輪を思い浮かべた。
「……それで、どうやって石を見つけられるの?」
「さあね」
「さぁねって……」
閉め切った部屋に私の声が響く。膝に両肘を乗せ、前のめりになると向かい側に座るヒースに少しだけ近づいた。
ヒースの深緑の瞳に疑惑の色が浮かんでいる。
そういえば。どちらかと言えばお調子者のヒースとここまで真面目に会話をしたことがあっただろうか。それを思い返せば、どこか話しすぎた節があるのかもしれない。
今朝もそうだった。私が魔石のことを口にした時のランセル殿下は一瞬であるが、珍しくも目を開き驚愕の表情を見せていた。
これ以上は話を深めない方がいい――感覚的にそう感じた。今この平穏な生活を乱そうなんて思っていない。
だからこの途切れてしまっているこの状況にのって、話を終わらせようとしたのに……。
「どうやって見つけるかなんて魔法士じゃない僕にはわからない。言えるのは今のこの国で魔石を見つけることなんて、できないってこと」
「え――」
きっと、今の私を一言で説明するならば困惑だろう。
ヒースが私を見て目を細めるのはわかったが、私が言葉を発する前にまた説明を始めた。
「魔石は石が持つ力と希少性から国が管理しているんだ」
――しかし石全てを国が手元で管理することは難しかった。魔石とは力を象徴するものであり、つまりは国の権力者たる上流階級もその石を欲したのだ。
魔石は持つものを豊かにしたが、その身を滅ぼすこともあった。強すぎる光に手を出せば、影も残せず光に飲み込まれることもあるということだ。
魔石使用の規制は自然と決まったことであった。――ただ困ったのは魔石の取り扱いについてだった。
神の石とも、賢者の石とも言われた魔石であったがそれは永遠ではなかった。どんなものにも寿命があるように、魔石にも使用できる期間、持続力があったのだ。
国が魔石使用を規制するにあたり、国内にある魔石すべてを城に集めた。残っていた魔石は数十、ほとんどが既に力を失いつつあるものだった。
「――それで残った魔石は上流階級に下げ渡された。家紋、をその魔石に刻んで」
おそらく、下げ渡されたその魔石は国と臣下である貴族たちとの信頼を図るものにでもつかったのだろう。一度は国を繁栄させたものである、それを受け取ることで貴族たちは己の地位を確かめたに違いない。
それにきっと刻まれた家紋などに仕掛けがあってもおかしくない……それが魔法士にしかわからないこと、と言われたらうなずけもする。
「この国と上流階級である貴族が魔石を保有している。盗まれた、持ち出した、なんてあったらその家はどうなるかわからない……。あぁ、それだけ大切なものだから魔法士にならないと研究できない、ってのはあるかも」
一気に、ここまで話したからか、ヒースはふぅと息をはいた。
私も集中して聞いていたからか、気付かない間に私とヒースの間にあるテーブルの上に湯気の立った紅茶が用意されていた。妖精の仕業だろう。
「ここまで聞いてからなんだけど……その、聞いてよかった?」
もし、聞いてはいけない内容であったとしても、聞いてしまった事実は消せないが。でもなぜここまで話してくれたのか、正直気になる。
「国家機密、というわけでもないし。今の話を知っている人間は多いと思うし、まぁその大半は貴族だけれど」
「そっか……」
魔石を持つ貴族なら当たり前に知っている話だったのか。平民出の私が知らなくとも当然である――そう胸をなで下ろしていると不意に視線を感じた。
この部屋には私とヒース、二人きりである。もちろん視線の主は――
「気になるよねぇ」
絡み付くような眼光に勘違いしそうな甘さなんてなく、でも背筋を這うような説明しがたいものをヒースから感じた。
「な、なにが」
「平民出身の、しかも1年生が魔石についてしっているなんて」
……気になるよねぇ
再度繰り返すとヒースは目の前に置かれたカップに手を伸ばした。
しまった、と焦るより私の頭を占めたのは違うことだった。
ヒースの話が全部本当だったとするならば、魔石を持っている人間は貴族であるはずだ。
おばあちゃんの指輪である魔石はこの国のものだと、この世界に来て間もないころにロウがそういっていた。ということはおばあちゃんはその貴族に関する人間だった、ということになる。
しかし魔石が盗まれた、無くなった過去があるのかという肝心なところは聞かずじまい。その他もいくらか話をそらされた感も否めない。でも魔石については十分な情報を得られたし、おばあちゃんの家族についても一歩、近づけた気がする。
ほくほくと満足げな私をみて、どう思ったのかわからないがヒースは私を見つめたまま音を立てずにお茶を飲んでいた。