庭の中
図書館内を通り、やってきた中庭。
アーチ状に仕立てられた薔薇園、ではなく無造作に広がる花畑。きっちりと刈り取られて同じ形をした木々、ではなく生き生きと枝葉を広げる巨木。美しく高級感溢れる噴水、ではなくさわさわと流れる小川。
そして通常の家の庭にはないと思われる遊歩道を、きょろきょろと眺めながら歩いてきた。
ヒースはここを庭だと言っていたが、庭園と言うよりは自然公園に近い雰囲気だ。
「ここは……?」
そう言って私は立ち止まった。
「ここはもう一つの僕らの家だよ」
「僕ら?」
私たちが立ち止っているすぐ前に、一軒の建物があった。
歩いてきた遊歩道から少しだけずれた場所にあり、周りには人の気配がない。
「学院に入学したころから従兄弟と使ってるんだ。使うっていっても休日くらいだけどね」
「へぇ、さすが坊ちゃんって感じだ」
王都にあるリコット亭と同じくらいの大きさだが、素人目で見ても建物の造りが基本的な構造から違うのがわかる。
それに出入り口の扉は重厚だし、外から見る限りだが窓もきれいなガラス窓だ。
先ほどまでいた遊歩道に視線を戻し、まだ続いている道の先を視線だけでたどると、おそらく本館であろう立派な館が見えた。
その姿は図書館から出てすぐの所から見たのよりも、さらにはっきりと確認できる。
「あっちは僕らの家族と使用人が住んでるんだ」
「……おっきい。まるでおとぎ話のお城みたい」
ぽつりと出た本音は、ほんの小声のはずだったのに私とヒースだけしかいない空間でははっきりと聞こえていたみたいだ。
くすくすと頭上で笑い声が聞こえる。
小さな子供のような発言をしてしまったと、言った後に気付いた私は照れを隠すために「ごほん」と咳ばらいをした。
「か、家族ってヒースのお父さん、お母さん?」
紛らわすようにヒースに質問する。視線はヒースではなく離れた先にあるお城のような館に向けて。
「そう、それに当主の祖父と従兄弟の家族も」
「え……そんなにいるんだ」
「まぁ、お城みたいに広い、からね」
わざとらしく言葉を強調させる。館からヒースに目を向ければ意地悪そうに「にやり」と、彼が口角を上げていた。
「――ごめんごめん。ヒナの反応が可愛かったから、つい」
私の横を歩くヒースはその高い背を猫背にし、私の顔を覗き込むように謝りの言葉を並べる。
というか、これ以上突っ込んでほしくない。
「別に……、何とも思ってないですから」
謝りながらもまだ少しだけ口元が緩んでいるヒースを眉を寄せた目で見上げる。これでこの話は終わりだ、と伝えるように。
私はヒースとその従兄弟の別宅であるという家にお邪魔していた。
ラネさんから頼まれたお弁当はすでにヒースの手に渡っているが、代金はまだだ。
貴族が銅貨数枚分の弁当代を払わない、ということはないだろうが支払いが終わるまでは帰れない。それに図書館でもそうだったが、ここからヒースと離れたら確実に迷子になる。
そういうわけで、なぜか人の気配のしない館に2人きりだからと言って帰ることはできないのだ。
家の中のある扉を開くと――おそらく客間とでもいうのだろうか――広々とした部屋があった。
いや、テーブルとソファ、暖炉とほんの飾り程度の調度品といった最低限のものしかないために、広いと感じるのかもしれない。生活感がまるで感じないここは、本当に休日にしか使用していないことの証明であるかのようだ。
「えーと、ここまできてなんですが、代金貰って帰――」
「まあまあそう言わずに。まだ来たばっかりだし」
「いやぁ、でも」
客間に入ってすぐのところに立つ私は、もうソファに座りくつろぎ始めているヒースに言った。
「この他に仕事あるの?」
「え、いいえ。……でも」
今回のリコット亭の手伝いはこれだけだった。宿の掃除なんかも手伝うといった私にラネさんは、『たまの休みなんだから遊んできなさい』と言ってくれていたのだ。
だから今日の仕事はお弁当を届けるだけ。そしてシアたちと約束している今夜のお泊り会まで、まだ時間はたっぷりあった。
「ならいいでしょ? 少ししたらアスフィも来るだろうしさ」
客間から外へ出られるようになっていた。
ヒースの言葉につられるように、というかうまい具合に乗せられて、なぜかお昼を一緒にとることになった。
「わ、素敵……!」
庭園のような庭を一望できるテラスを私は感激の声を上げながら眺める。
空には自由に飛ぶ鳥。目をつぶればどこからともなく漂ってくる甘い花の香り。
それらはもちろん素敵だが、今の私の言葉はまた別のものへであった。
「テーブルも、お茶もある!」
周囲に人の気配はないはずなのに。まるでたった今準備されたばかりの風景に驚きと興奮が私を包む。
「僕が来ることをわかってたみたいだ。ヒナのこともね」
テーブルの上には2人分の皿やカップなど。カップには入れられたばかりであろうお茶が湯気を上げている。
「……これって妖精? 学院にいる妖精と同じ」
学院の部屋の掃除なんかをしてくれるという噂の妖精。それと一緒なのだろうか。
「よく分かったね。数は少ないけど、この家にもいるみたいで助かってるんだ」
妖精は人が多くいる場所にはなかなか現れない。人間が魔法を使うために紡ぐ呪文に引き寄せられるとき以外は。
いや、おそらくその存在はどこにでもあるもので、人間が気付いていないだけかもしれない。それは私と一緒にいるロウのように。
「確かにこんなことまでしてくれるなんて助かるっていうか、すごい」
「そうだね。そのお蔭で使用人が訪れることも少ないし、自由にできる」
テラスからも伺うこともできる大きな館には家族や親族以外にも数多くの使用人がいるのだろう。いくら広いからと言って、一人でゆっくりと過ごすことは難しいのかもしれない。
貴族とは羨むものばかりではないのかと、少しだけ同情の気持ちが芽生える。
しかしヒースは、私がそんなことを考えている横で妖しい笑みを浮かべていた。
「――だから今、この周りには僕ら以外の人はいないってこと」
テラスに用意されたテーブルと椅子に着かずに立ったまま、すぐ耳元で囁かれる。突然の出来事の驚きで、動かすことができたのは首だけ。
ヒースの言った言葉の内容を理解するよりも先に、無意識で私は目を瞑った。
「――ったぁ」
パチ、と音がしたかと思うと、小さな痛みが私のおでこを襲った。
目を開いてみれば、ヒースが楽しそうにそして満足そうな笑みを浮かべている。私はおそらく赤くなっているだろう額を両手で押さえながら、次にくる言葉を予測した。
「じょーだん」
そう言われて、やはりからかわれたのだと気が付く。
アスフィでも、ヒースの従兄弟でもいいから、だれか来てほしい――そう考える私の頬は照れたように赤く、ではなくぎこちなく引きつっているに違いない。