図書館にて 2
昼間の食堂は忙しい。
それが旅人や都民など多くの人間が行きかう王都の大通りに面した食堂ならばなおさら。
国内で最も活気付く王都では昼夜問わずさまざまな店がその扉を開いているが、一番の賑わいを見ることができるのは昼間の時間帯ではないだろうか。
人々の足である乗合馬車が通りを走り、その端では子供たちが遊びまわっている。
王都へとやってきた旅人や商団、そして朝から働いて腹をすかせた都民たちは人々のざわめきにも負けないほど大通りを漂うおいしそうな食事のにおいにつられ、食堂へと足を向けるのだ――
「ラネさんっ、これで全部ですか?」
私は両手で料理の入ったかごを持ったまま大声を張りあげた。大きく息を吸い込んで、お腹のそこから。
今朝、現在私が通っている学校――ロータス学院から休日を利用し、入学する前まで王都でお世話になっていたリコット亭へきていた。
リコット亭はおかみさんであるラネットさんとだんなさんであるウィンスさん夫婦が営む食堂兼、宿屋。朝とお昼は人を雇って食堂をひらき、一度休憩を挟んだ後にまた夜の食堂をひらいている。
リコット亭は高級なレストランでもなければ、高級なホテルでもない。でも常に笑い声の耐えないここは私にとって最高の宿泊宿だ。
「ああ、そうだよ! ――そうだ、ヒナ。これも持っていきな!」
忘れるところだった、と言いながらラネさんが片手をあげた。
昼を告げる鐘が少し前になり終わった時間、店内は多くの客でにぎわっている。出入り口前に立っている私とは反対方向の厨房側にラネさんはいた。
私とラネさんの距離はテーブルが3列ほど。
さして遠くないはずなのに周囲で飛び交っている、注文する声や客同士の雑談が自然と私たちの声を大きくさせていた。
ラネさんはスルリスルリと慣れた様子でテーブルの間を通り抜ける。
両手で数えられるほどのテーブル数に見知らぬ客同士が相席をしている店内は満席になったらならば、ひと一人が通れるほどの隙間しかできない。しかも自由に腰をかけている客たちの姿は礼儀正しいといえるものではなく、ダラリと座っているおかげで余計に通路を狭くしていた。
それでもラネさんにとっては慣れたもの。
長年、リコット亭を切り盛りしてきた経験でラネさんはあっという間に私の前にたどり着いた。決して細身だとはいえないラネさんの体が時折お客さんにぶつかるのは、まぁご愛嬌だ。
「これも持っていくんですか?」
「いや、これはヒナにだよ。場所も近いわけじゃないし、頼まれついでにどこかで食べてきな」
渡されたのは布に包まれたお弁当。たぶん中身はパンと干し肉などだろう。
「わ、ありがとうございます」
手渡された包みはまだほんのりと暖かい。布越しにパンが薫った気がしたのは周りで食事をしているお客のことを考えると勘違いかもしれないが。
「悪いね、今ついたばかりで遣いを頼んで。少しくらいゆっくりさせたかったんだけどねぇ」
「大丈夫ですよ。手伝うために帰ってきたんだし」
「いつもはイアンに頼んでたんだけど、今回はまだ帰ってきてないみたいなんだよ。……まったく、どこで遊んでんだか」
「ですね」
すまなそうに眉を下げるラネさんに、私は笑顔で返事をする。受け取った包みを料理の入ったかごの隙間に入れて上から布をかぶせた。
ずっしりとした重さもなく、片手で持てるこれを届ける場所はたしか。
「場所は図書館だよ。図書館の人間に聞けば分かるとは思うけど、ひとりで平気かい?」
私の心を読んだように話し出したラネさんは心配そうな顔を向けてくる。まるで小さな子供をお使いに行かせる親のような表情で、つい私は「プッ」とふきだしてしまった。
「図書館は何度も行ったことありますし。それに私、そんなに『小さな』子供でもないですし」
小さな、という部分を少しだけ誇張させる。それに気づいたラネさんは数度、瞬きを繰り返した。
「あ……、そういえばそうだったね。ははは! ヒナがイアンと同い年っていうこと忘れてたよ!」
この世界にきてはっきりとした日付は分からないけど、おそらく誕生日を迎えているだろう私とイアンは同じ16歳。それでもはたから見たらそんな風には見えない。
この国の多くの人は日本人である私よりも西洋人に近い。中には黒髪の人や私と同じような顔つきの人もいるけれど、それほど多くはない。
瞳の色はそれぞれだが、茶色や青が多いようで、しかしこちらは私のような紫はほとんど見られないように感じた。
たとえば西洋人と比べると日本人、東洋人は若く見られるように、こちらでもこの国の人と比べると私は同年の人よりも若く思われがちなのだ。
ラネさんと旦那さんのウィンスさんは学院の手続きの際、私の年齢を知ると大きく目を見開いていた。
それからなにか勘違いしたのか、同年代の少女たちなどに比べると幼く見えるのは栄養不足とかいった風に思ったようだった。言葉でははっきり言われなかったが食事の量がはっきりと増えていたことから想像はたやすい。
私が王都へ来る前にいた村のこと、ラネさんの両親夫婦にしばらくお世話になっていたことは話したがそれ以前のことはほとんど話していない。
聞かれたら話すとは思う。いつかは言わないといけないかもしれないけど今の私にその勇気はなかった。
ゆびわを探したりおばあちゃんの家族を探したいけどあまり大げさにはできない。
呪文を使わないこと、ロウのような妖精といること、学院で学んだことでわかったのはそれらが普通ではないということ、だ。
また通常ならば一般的な平民が入学することすらできないロータス学院の、しかも魔法科に在籍していることも、上流階級であるシアたちと友人であることも、普通ではないだろう。
しかし反対に、学院に入学して利益となった部分もたくさんある。
たとえば文字や魔法、一般的な教養など学ぶことができる。この世界のことに対して無知といえるであろう私にとって大変ありがたい。
でも一番はシアたちと出会えたことだ。彼女たちがいなかったら今の私はいないだろう。
いやもしかしたら、ほかに友人と呼べる人がいたかもしれないが、少なくとも私はそのほかの友人に思い当たるクラスメイトは残念ながら、思いつかない。
いつか、すべて終わったらシアたちを連れて私が初めて訪れた村へ一度帰ってみるのもいいかもしれない。
そしてあの村でお世話になったトリアおばあちゃんやこの世界にきて初めて友人になったリチェたちに紹介しよう。
絶対驚くと思う。
シアやリディはリチェたちとは違う意味で驚きそうだけれど。道路が整備され、建物も木造だけではなくレンガ造りなものも数多くある王都に比べると、あの村は不便すぎた。まして、きらびやかな中で生きてきた上流階級からすれば自然と共に生きているとも言えだろうあの村は衝撃的なものにちがいない。
でも驚くであろうシアたちの顔を想像してみると、それはそれで面白いけれど。
「ふふふふ……」
「……顔をしかめたりニヤニヤと笑ったり、ヒナは一人でいても面白いな」
「――へ?」
王都にある、図書館へと続く道。考え事をしながら歩いていた私は突然話しかけてきたロウによって現実に戻された。当たり前だが私以外の人間も周りに多く存在している。
「な、なによロウ。ってか外で、こんなに人がたくさんいる場所でしゃべっていいの?」
手にはリコット亭でラネさんからお使いを頼まれた料理の入ったかご。そして足元には私の相棒であるロウがトコトコとついてきていた。
「……私のことよりも一人で百面相しているヒナのほうがよっぽど注目を浴びると思うが」
決して大声ではないロウの声。
子犬ほどのロウと私とでは身長差はかなりのものだ。しかし私にはどんなに大きな周囲の音よりも鮮明に届いてくる。まるでロウとの間に何らかの繋がりがあるかのように。
歩きながら視線だけでちらりと周囲をうかがう。様々なざわめきのおかげか、それとも元から聞こえていなかったのか、どうやらロウの声は私以外に届いていないみたいだった。
キョロキョロと一通りあたりを見やって、「ほっ」と私は安心したように一息ついた。
王城を守る壁と連なるようにあるロータス王国の図書館。
私の背の何倍もあるであろうアーチ状の門戸は、訪れる人間を分け隔てることなく大きく、自由に開かれていた。
「ついたついた」
目的である図書館へ着いた私は扉をくぐらず、外側の入口の隅で立ち止まる。
出入りする人々を背景に、足元にいるロウに話しかけた。
「ロウ、それじゃあ……」
「待ってればいいんだろう? ここで」
そう返事をするロウに私は口を閉じたままコクリと頷く。
「たぶん、そんなに遅くはならないとは思うから」
そう言った私はロウの「わかった」という言葉を聞くと、小走りに図書館の扉をくぐった。
「――リコット亭、ですか?」
「はい。今朝、店に注文があって届けに来ました」
「そうですか。確認してまいりますのでお待ちください」
図書館の出入り口から数歩のところ。本を借りるためのカウンター部分に私はいた。
対応してくれたのは中年くらいの男性で、私が要件を伝えると確認をするために席を離れた。
立っているのはなんだからと、他にいた館員がカウンター横のソファを進めてくれた。特に断る理由もないのでお礼を言った私はソファまで移動すると、腰を下ろし料理の入ったかごを膝に乗せ、ぐるりとあたりを見回す。
「……それにしても」
静かだ。
図書館だから当たり前といえばそうなのだが。
室内を照らすのは窓から差し込む太陽の光。出入り口以外すべての窓は閉じられており風は入らず、本と埃っぽいにおいが図書館独特の空気を作り出している。
読む本もなく、かといってここでラネさんにもらったお弁当を食べ始めるわけにもいかない。暇を持て余した私の視線が数人の館員の働いているカウンターへ向けられるのは自然なことだった。
数人いる館員たちは揃いの服を着ていた。おそらく図書館利用者との区別をつけるためだろう。
以前何度か訪れたときの記憶でも、彼らと同じ格好をした人間を見ていたし、彼らが本を整理している場面や利用者に質問などされているのも見たことがあるから、そうなんだろうとは思っていた。
年齢は見たところ様々なようだ。私と年が比較的近そうな女性もいて、つい彼女に視線を送ってしまう。20歳前後だと思われる彼女のことはもちろん何も知らないし、相手も私のことは知らないはずだ。
でもなぜか見てしまうのは近しいものを感じたからかもしれない。
朝までいたロータス学院魔法科には同年代である多くの学生がいた。しかし年は同じでもそのほとんどが上流階級の彼らとは一線をおいてしまっている。それは互いに。
歩み寄ればいいことだとは思うが、難しい。
周りのクラスメイトたちからもおそらく歩み寄ってはこないだろう、というのは日頃感じる刺さるような視線やこそこそといわれる言葉から感じられる。
シアたちがいるからさみしくはないのだけれど、そのシアたちも上流階級で時折、入り込めないようなときがある。しょうがないことだし、別に気にするわけではないんだけど。
でもやはり、活気ある王都の通りを歩いたりリコット亭に帰ってきたときにほっとしてしまうのは、自分でも気が付かない間、友人であるシアたちにも気を張っているからなのかもしれない。
「疲れてるのかな」
自問自答するようにポツリと言えば、それまでずっと見ていた館員の女性が私のほうに顔を向けた。
さっ、と一瞬で視線をそらすのは生まれ育った日本での経験からだろう。
ロータス王国の人は日本人よりもはっきりとした物言いをしてくる。身近だったらリディ、とか。
しかしそれでも見ず知らずの人を無遠慮にじろじろ見るのはさすがにいけないだろう。
私は気まずく手元にあるかごを握りしめながら、「しまった」と心の中で繰り返した。
「あのぅ……」
少し高めで消え入りそうな声がうつむいたままの私の耳に届いた。外とは違い、静寂と言えるこの場所でさえ小さいと思える声がなぜ聞こえたかというと、それは話し手が私のすぐ近くにいたからだ。
「あ、す、すみませんっ」
顔を上げた先にいたのはつい今まで私が見ていた彼女。やはり失礼だったかと、何か言いたそうに口を開きかける彼女を遮って謝罪を述べた。
「え?」
「――え?」
ぽかん、とする彼女に私も数瞬後、同様にぽかんとした表情を見せた。
互いに困惑したまま黙っていると、先に話を切り出したのは私ではなく図書館員の彼女だった。
「――えと、私、何かしました?」
「ああ、いえ! 違います、勘違い、です――」
言いつくろう私を不思議そうに見つめる彼女に、頬が熱くなるのを感じる。
「さっき……、私に声をかけたとき、なにか言おうとしてませんでしたか?」
話をそらすように言い出した私の顔はぎこちない笑顔だったかもしれない。しかし、私を見下ろすように立っていた彼女はどうやら私の顔なんて目に入っておらず、反対に彼女の顔のほうが真っ赤に染まっていた。
「どうし……」
「今日はあの方、いらしてないんですか?」
今回、遮ったのは私ではなく目の前の彼女。
覗き込むように彼女を見ると、照れたように赤らめた顔で視線を左右に彷徨わせている。20歳前後だと思っていたけど、もしかすると私と同い年くらいかもしれない、なんてふと思ってしまった。
「あの方、ですか?」
あの方、だけでは申し訳ないがどこの誰だかさっぱりわからない。
そういう理由で彼女に尋ねたのだが、この質問は彼女の顔をさらに赤くしてしまったようだ。
「……その、今日は休日ですし、坊ちゃんもいらっしゃるので、と思いまして。いつもはあの方が届けに」
「いつも……」
彼女の話で彼女の言う「あの方」が誰だかわかった。彼女にもそれが伝わったのだろう、頬の赤みはついに耳まで達していた。
イアンめ、と言ってやりたい。
想像するに、彼女は休日の時にだけ使いとして訪れるイアンを待っていたに違いない。
休日ではなくても授業の後などに来ることはあるかもしれないが、それは「いつ」とはっきりしたものではない。どうして待っているのかなんてこと、彼女の顔をみれば考えなくてもわかる。
「あのやっぱり、今言ったこと忘れてください!」
両手で顔を覆う彼女は「恥ずかしい……」とつぶやきを漏らした。
彼女の背後に視線をやりカウンターをちらりと見ると先ほどよりも館員の人数が減っており、残っている館員も気を使ってか、聞こえないふりをしているようだった。
「あの、今回は偶然私が届けに来ただけで、次からはまたイアンが持ってくると思います」
そう彼女に言えば目に見えるように笑顔が戻ってくる。
「名前……。あからさま、ですよね。恥ずかしい」
「いえ」
照れる彼女の顔はまさに恋する女の子の顔だった。つられるように私も笑って見せれば「あ」と彼女が声を上げる。
何を言うのかと、彼女を見上げていたけれどいっこうに話を切り出さない。
代わりに不安そうな表情で私を見つめる彼女に今度は私が「あ」と声を上げる番だった。
「私、リコット亭でお世話になっていて、イアンとは友達というか兄弟みたいな感じなので」
私の言葉を聞いて今度こそほっとしたのか、彼女は胸をなでおろしていた。
「そういえば、いつもはイアンが届けにくるって……」
ソファに座る私の前に立って話していた彼女は今、私と並ぶようにソファに腰を掛けている。
時間も、少しの間だけなら大丈夫らしく、待ち人である私の話し相手になってくれていた。
「あ、はい。とはいっても休日、それに毎回ではないんですけど。でも坊ちゃん達と友人なようで、休日以外にも時々見かけるんです」
それは少し前に聞いた内容で、その中に少しだけ気になった言葉があった。
「あの、坊ちゃんって?」
イアンの友人の「坊ちゃん」と言われる人物はたぶん学院の生徒。学年が違うし、知らない可能性のほうが高いけどイアンの友人ということで、どんな人物か知りたくなったのだ。
「坊ちゃんは――」
今から説明だというところでなにかに気が付いたらしい彼女は言葉を止めた。傾げる私から顔を逸らすように横に向けた彼女は再び視線を私に戻すとニコリと笑顔を作る。
「坊ちゃんなら本人を見たほうが早いですよ」
「本人?」
ソファから立ち上がった彼女は背筋を伸ばすと浅く腰を曲げる。
戸惑ったのは私。彼女が礼を向ける先から歩いてくる人をみると驚きで目を見開いてしまった。
「やあ、ヒナ。待ってたよ」
「え、ヒース……?!」
聞き覚えのある声と見覚えのある容姿。
彼女の言っていた「坊ちゃん」は颯爽と歩いてくる彼だった。