道中5
「――ヴェルは怒っているけど、怒っていることを自覚していないと思う」
「え? それはどういう……」
うなだれていた私にランセル殿下が話しかけてきた。私は訝しげに殿下を見上げる。
「今はまだ、ね」
殿下の意味深な発言に首を傾げて顔を前に向ければ、道の終わり、王都の入り口が見えた。そしてそのずいぶん手前に、ヴェルリル殿下の姿があった。
「……あ」
馬から降り、殿下は木に凭れかかるように立っていた。そして、森の中よりも木や花といった自然の少ないこの場所で、小さな妖精たちが殿下の周りを取り囲むようにして飛んでいる。
腕と足を組み、なんとなく気だるげな様子は周囲にいる妖精たちの効果なのか、まるでそこだけが別空間のようだ。木漏れ日で殿下の周りはキラキラと輝き、一見だけでは殿下自体が妖精ではないかと間違えてしまいそう。
私たちに気が付いたのか、ヴェルリル殿下が私たちの方へ顔を向けた。
動いた拍子に殿下の髪がサラリと揺れる。知らない間に見つめてしまっていたのか、殿下と視線が重なった。
「わっ」
驚いた私はおもいっきり顔を逸らしてしまった。
わざとらしかっただろうか……。そんなことを考えても逸らした瞳は元に戻せない。
ドキドキと高鳴る鼓動は目が合ってしまったための動揺か、それともその他の理由か。
そんなことを考えていると不意に馬が止まった。
「随分とばしたみたいだな。どうだった、久しぶりの馬は?」
「……特に変わりはない」
「なんだ? そっけないな」
ふっ、とランセル殿下が笑った後に馬が軽く上下に揺れた。背後にあった温もりが消え、不思議に思って視線をあげれば私よりも低い位置にランセル殿下がいた。
「あ、あの?」
どうすればいいのか分からない。ただ言えるのは「自力で馬から降りるのは勇気がいる」ということだ。
目の前に出された手はランセル殿下のもの。多分、私が馬から降りるときの支えとして出されているのだろう。それは紳士的な行為。きっと殿下はどの女性に対してもこうやって手を差し出すに違いない。
殿下は下から見上げるように私の顔を覗き込んできた。前髪から覗いた黄金の瞳が私をとらえる。
「どうぞ、お嬢様」
おどけたように言われて、顔を赤くしてしまう。まだ殿下は青年、というくらいだが精胆な顔や親しみやすい性格を抜きにしても様々な女性を虜に出来るのではないだろうか。多分、ではなく絶対に。
本来の身長差なら、私が殿下を見上げる側であるはずだ。それが今の状況はまるで物語に出てくるお姫様みたいだ。私は赤くなった顔を冷ますためにに頭をフルフルと振る。
その時、ちらりと横を向けばまたしてもヴェルリル殿下と目が合ってしまった。しかしそれは一瞬のことで、今度は殿下から視線を逸らされた。
「どうしたの?」
「あ、いえ。ありがとうございます」
今日はやけにヴェルリル殿下からの視線が気になる。
私は不思議に思いながらも差し出されていた手を支えに勢いよく馬から降りた。
「どうやらすでに御者が来ているみたいだ。この馬たちのこともあるし、少し話してくる。すまないけれど、ヒナももう少しここで待っていてくれないか?」
無事に地面へ降り立った私に体調の不具合を確かめた後ランセル殿下が言った。
「はい、分かりました」
返事をすれば、殿下はひとつ頷いて馬の背を撫でる。そして森の終わりである王都の入り口へ向かっていった。
ロータス王国の王宮があるこの王都はとてつもなく長い城壁で囲まれている。王宮の背後を守るかのようにある山脈から扇状に並ぶ城壁は強固であり、外敵を寄せ付けない。そしてその城壁の中にもまた、簡易ではあるがいくつかの門と壁が並んでいるのだ。
そのひとつが今、私たちのいる場所にある門。森と王都を区切っている。おかげで王都の人間がむやみに森に入り迷うことも、野生の獣と出くわすことも少ない。
王都の中にも王宮、貴族の屋敷が多くある場所、平民の暮らす城下、といった区別で壁ができている。平民は人口が最も多いため、生活するための場所も王都の中では1番広いが、王宮もそれに負けないくらいの広さを誇っている、らしい。
幸運なことに、役所や図書館といった場所は平民側に建てられており、誰でも利用可能であった。
「――おい」
街の方へと歩くランセル殿下を見ていると、近くでヴェルリル殿下が声をかけてきた。
「あまり馬の背後へ行くな」
「あ、はい」
大人しそうな馬であっても、一蹴りで人間なんてあっという間に死んでしまう。そんなことをいつか聞いたことがあって、ヴェルリル殿下の言いたいことが分かった。
ロウは私の腕の中で寝息を立てている。ロウを抱えたまま馬を脅かさないように離れれば、馬の頭を撫でる殿下を見ることができた。
しばらく互いに黙ったままでいるとヴェルリル殿下がポツリと呟いた。
「……ラン、と親しくなったみたいだな」
「え……?」
唐突な話の始まりに数度、瞬きをして視線をあげる。殿下の目は私ではなく、馬の方へと向けられている。
そこからまた沈黙が始まる。
殿下の考えが分からなくて、私も口を閉ざしたままだった。
入学してからことあるごとに殿下たちと関わる機会があった。それは友人であるシアとイルが殿下たちの従兄弟であることが大きな理由であり、これまた偶然にも殿下たちがイアンの友人であったことも関係あるだろう。
上級生との合同授業で対面することもあれば、それ以外で、例えば夕食を共にしたことも何度かある。
でもそれだけ。
考えてみると私と殿下たちは奇妙な関係であるのだ。
はぁ、と無意識にため息が漏れ出た。私はつい出てしまったため息を誤魔化すように「ごほん」と喉を鳴らす。
「――……ラ、」
その際馬をなで続けるヴェルリル殿下が私のほうに顔を向け、何か言いたげに口を開いた。
「――ヴェル、ヒナ、すまない。ずいぶん待たせてしまったね」
聞こえてきたのはランセル殿下の声。
馬を中心にヴェルリル殿下と向い合せに立っていた私は聞こえてきた声の方向に顔を向けた。
「大丈夫です」
王都の門から歩いてくるランセル殿下へと声を張り上げる。
にこやかな殿下の背後、門の付近には先ほどまでいなかった騎士のような人たちが数人いた。
そらしていた顔を元に戻すと馬越しに、ヴェルリル殿下と視線がぶつかった。さきほどの何か言いたげな様子は変わらず、しかし少しだけ開いていた口はすでに閉ざされていた。
「あの、今なにか……」
――言おうとしましたか?
そう聞きたくてヴェルリル殿下に話しかけたのに、殿下はそれを遮るように顔をそむけた。
「俺は……なにを――」
吐き捨たように出された言葉。殿下の背後を眺めるように立っていた私には断片しか届いてこなかった。
「ここからは馬車で向かうんだろう?」
ヴェルリル殿下は言いながら森の終わり、王都の入口にある馬車をチラリと見やる。
王都の門は2台の馬車が余裕をもってすれ違えるほどの幅で、森の木と同等の高さもある。つまり大きいということだ。
装飾はきらびやかではないが、しっかりとした石造りで素人でも強固であることがわかる。
そして今、その門の王都側に1台の馬車があった。
ランセル殿下はヴェルリル殿下の質問にもちろんだ、とでも言うかのように肩を上げてみせる。
「どうやら僕らの息抜きもここで終わりのようだ。……でも男2人、密室というのは息苦しい」
「気味の悪いことを言うな」
即答で、眉を寄せるヴェルリル殿下は至極真面目にランセル殿下を非難する。
「冗談だ。まぁ僕もヴェルとは同意見だけれど」
話を聞きながら馬車内に殿下たちが2人きりでいる場面を想像してしまった。今までの様子から決して仲が悪いわけではないとは思う。だがしかし、少なくとも密室といえるあの場所で横に並んで座りはしないだろう。
そう思えば笑いが、いや頬が緩む。
無意識のうちに考えていたことが顔に出ていたのだろう、ニヤニヤしている私はヴェルリル殿下に不審がられた視線を送られてしまった。
すっかり緩んでしまった顔を引き締めているとランセル殿下が私へと顔を向けた。
「華があれば馬車のなかでも楽しめるのだろうけどね」
次いで、殿下から言われた言葉を頭の中で反芻させる。数回、瞬きを繰り返しながらランセル殿下から遠くにある馬車に視線を移した。
あっ、と声を上げなかった自分をほめてあげたい。
本来ならばロータス学院からここに来るまでの間、殿下たちと共にいないはずだった私。
まだ人気のない森だったからよかったものの、これから先は一緒に行動などは恐れ多いに違いない。
だからこそ、殿下たちと別れるならば今ここが最も最適のはずだ。
言い出す瞬間を見計らうようにほんの数秒、間をおいて言った。
「私、ここからひとりで帰ります。短い間でしたが、色々とお世話になりました」
短く簡潔に、感謝の意を口にする。
それは長い時間、殿下たちを拘束してしまったという気持ちからでた言葉。殿下たちを迎えに来た人たちも、もしかしたら随分待っていたのかもしれない。そう思えば私はここから早く立ち去ったほうが、彼らも行動しやすいかもしれないという考えにいきついた。
殿下たちも突然の私の言葉に一瞬、驚いたような顔をしていたが言いたいことは伝わったようだ。
「送っていくよ?」
「いえ、ここからそんなに遠くないですし。それに驚くと思うので」
どちらかといえば後方が本音。
平民の多くいる通りに殿下たちの乗る馬車が現れたらもの凄い騒ぎになるかもしれないから。
ロータス学院に通うようになって見慣れてしまった馬車。しかしそれらの馬車は一般の都民には珍しいものだ。馬車が、ではなくその豪華さが。
これ以上殿下たちに迷惑をかけたくないというのと、馬車のことがあって王都から先へは自分の足で帰ることにした。
「そういうことなら無理にとはいわないけど」
「お気持ちだけいただきますね」
ランセル殿下は本当に優しい。身長差で私を見下ろした格好で、申し訳なさそうに眉を下げている。
そんな殿下に私は大丈夫だというように笑顔を送った。
一歩、後ろへ下がる。
身長、顔かたち、一目見ただけでは双子のようにもみえる2人に交互に顔を向けるとペコリと頭を下げた。
「馬に乗せてもらってありがとうございました。あの、また学院で」
これからも学院内で会うことはあるだろうし。だから今日のお礼と合わせて「また」と言ったのだ。
「そうだね。また、ね」
そう返事をくれたランセル殿下に、はにかむと私は王都につながる門へと踏み出した。
ロウを胸に抱いたまま殿下たちの横を通り過ぎる。
「おい」
かすかに聞こえた声に、聞き間違いかと思いながらも立ち止まって後ろを振り向いた。
「気をつけろよ」
「あ、はい」
その声は聞き間違いなんかではなく、しかも投げかけられた言葉が意外すぎて頷くことしかできなかった。
私をまっすぐ見ているヴェルリル殿下の唇がまた開く。
「……またな」
呼びかけられたときよりもさらに小さい声。
でもはっきりと届いてきた声に私は無意識に頷いていた。