空想
王都に近づくにつれて木々の間隔が広がっていく。日光が地面まで届いているので森の中まで明るい。太陽の眩しさに視線を下げれば、風で揺れる木陰が土の上でキラキラと輝いていた。
遠くまで見渡せるので、私たち人間にとっては動きやすいが動物たちにはそうではないようだ。王都の近くであるこの辺りはロータス学院を囲む森と比べ、木々の密集度が低い。
隠れる場所が少ないからか、いたるところにいた小動物たちはその影を潜め、聞こえていた鳥たちの鳴き声も小さい。
見えてきた街並みに、森ではよく見かけた妖精たちが人間から遠ざかるように姿を消していく。反対に、耳を澄ませば生き生きとした人々の声が聞こえてくるような、そんな気がする。 私はにぎやかな街の音と匂いと様子を思い出すと、久しぶりの王都に瞳を輝かせた。
「わぁ……見えてきた! やっと帰ってきた!」
身を乗り出すように少しだけ上半身を前に出せば、背後からくすくすと笑い声がした。
「そうだね、もうすぐ王都に着くよ。でも落ちると危ないから座っててね」
「あ、わっ! すみませんっ」
ランセル殿下に言われて、私は子供のようにはしゃいでいた自分に気づく。きちんと座り直し、恥ずかしさに顔を下に向けると、殿下の腕が私の腰を支えるように回してあるのが見えた。
「この様子だともしかしたらヴェルは王都の近くに着いているかもしれない」
ランセル殿下の言葉を聞くと、私は顔をあげた。
街が見えてきたといってもそれはとても小さいもの。随分前に、まだおばあちゃんが生きているころに見た記憶のある西洋風の建物の描かれている絵画のような。
小さくてひしめき合うような屋根と、黒い煙を吐き出す煙突。
この速度で進むならばまだ時間はかかるだろう。
ランセル殿下が言うには森と王都の境目で王宮の人間が待っているとのこと。本来なら学院から馬車で王宮へ行くはずであった2人が、その馬車に乗らず馬で移動しているのだから迎えに来ることは当たり前に違いない。それは2人の身の安全のため、というところか。
私の小さなわがままは、知らない所でたくさんの人間を動かしているのかもしれない。殿下たちの身分を考えたらすぐに分かる。
私は下を向いたまま唇をかんだ。
「そう、なんですか? すみません、遅れてしまって」
馬に慣れない私の為にわざとゆっくり進んでくれているのは分かっていた。さりげない優しさに、感謝と申し訳なさでいっぱいだ。
私はしゅん、とうなだれるように肩を小さくした。
「謝ってばかりだね、ヒナは。大丈夫、ヴェルなら少しくらい待たせても平気だから」
「すみませ、あ。……えぇと、でもやっぱり急がないと。ヴェルリル殿下だけじゃなくて殿下たちを迎えに来ている人たちだって待たせているかもなので」
私が無理を言って馬に乗せてもらっているのだ。これ以上、忙しいであろう殿下たちの予定を乱すわけにはいかない。
少しでも早く到着するようにと、馬の速度を上げるようにお願いした。
始めこそは「本当に大丈夫?」と私の顔を覗きこみ、確認するランセル殿下だったが首を縦に降り続ける私に、ほんの気持ちだけ速度が上がった気がした。
当たる風を直に感じながら大きく息を吸う。
普段、王都へ行く時には馬よりも速く駆けるロウに乗っていたので、ある程度のスピードには慣れているとは思う。ロウよりもだいぶゆっくり走る馬は、座ることに慣れさえすればとても快適だった。
ちなみに。
殿下たちにロウが妖精であることはばれてしまったのだから、堂々と巨大化できるロウの背に乗ることができたのではないかということを思いついたのはもう少し後のこと―――。
体全体に当たる風の気持ちよさに目をつぶっていると不意に、不機嫌な様子で馬を走らせていたヴェルリル殿下の顔が浮かんだ。殿下とは今までそんなに親しく接してきたわけではないのに、怒った顔がすんなりと想像できる。
小さく舌打ちをした後、馬を走らせていったヴェルリル殿下を思い浮かべて出てくるのは不機嫌な表情の殿下。馬で走り去るときのヴェルリル殿下の表情を思い出すと、ランセル殿下の言ってくれた大丈夫だという言葉は私を安心させるためであったと想像するのは簡単だった。
考え事をしていたからか、口を閉ざしていた私は突然ランセル殿下に声をかけられ、はっと息を呑んだ。
「ヴェルはどんな顔で待ってるかな」
生まれ持ったものなのか、温かみのあるランセル殿下の声は人の心を安心させる。
だが今の今まで考えていた内容が筒抜けであるような質問は、私を混乱させるのに十分だった。
「そりゃ、眉間にしわとか寄せて――――」
言った瞬間、自分の発した言葉に体を硬くした。
言葉遣いもだが、ある意味正直に答えてしまった内容に、言い訳が思いつかない。動揺する私を見てか、殿下がくすっとのどを鳴らした。
「すごい顔で怒っているかもしれない?」
「や、その。そこまでは……」
内心はランセル殿下の言葉通りなのだが、ヴェルリル殿下の兄である彼にはっきりとそんなことを言えるはずがない。はっきり「いいえ」と言い切れない私も私だけれど。
でも顔にはでていたのだろう。困ったように眉を寄せる私が何を考えているのかなんて、ランセル殿下には簡単に分かってしまったみたいだ。
気まずさで口を閉ざせば背後でランセル殿下が静かに呟いた。
「怒ってはいるだろうね。しかも怖い顔で」
小声で言われたためにすぐには反応できなかった。それまで陽気だった殿下の口調が突然真面目なものに変わったから、というのもあるかもしれない。
「やっぱり、ですよね。馬、それともロウの……」
つい先ほどまで頭に浮かんでいたヴェルリル殿下の顔が再びよみがえる。
考えなくても今日の朝、校門でヴェルリル殿下と会った時点で機嫌が悪いのは分かっていた。
だからその時点で馬車や小川でのこと以前に、殿下は私に対してあまり好意的に見られていなかったのだろう。
学年が違い、普段あまり話すこともないができれば仲良くしたい。
それはしシアやイルのいとこであるからとか、イアンの友人だからというのはあるけれど。
でもそれを抜きにして、個人的に親しくしたいという気持ちはある。
「……ん? 何で?」
シアたちがいなければヴェルリル殿下とは何のつながりもない。それに友達、というのもなんだかぴんとこない。
そういえばあまり殿下のことを知らなかったということに気づいてしまった。そのことに少しだけ寂しい気持ちになりながら、なぜそんな風に考えてしまうのかと、ひとりで首をかしげる。
私は未だ浮かんでいるヴェルリル殿下の残像を打ち消すかのようにふるふると頭を横に振った。
ただ、ひとつ浮かび上がったのはありえない答え。いや、空想。
それでもその小さな空想は私の体中へいきわたり、もやもやとしたものが胸に巣食い始める。
「ヒナ?」
「いえ、……何でもないです」
ランセル殿下がうつむく私に気遣うような口調で名前を呼ぶ。だが今は、ランセル殿下に振り返ることはできず、前を向いたまま返事をすることで精一杯だった。
安心を求めるように私は腕の中にいたロウをぎゅう、と抱き寄せる。暖かくて柔らかな体に身を預けてもその残像はなかなか消えることはなかった。